第0話 「ツァーリ・ヴズルイフ」
なろうの仕様により、章管理で複数の物語の同時進行は不可能と判断。
やむなく、分割することになりました。
読者様にはご迷惑をお掛けしますが、本作はタイトルを変更、第三部としてシリーズ管理します。
私の事前の勉強不足が招いた不手際ではございますが、今後もよろしくお願いいたします。
【第三部】 大魔導師 ヒロト・S・コガ
第0話 「ツァーリ・ヴズルイフ」
2031年、12月20日。その日、ロシア連邦の公式ウェブサイト上で、ひっそりと、ある情報が開示された。知る人ぞ知る、しかし、知ったところで、だからどうした、という情報である。
『NO.039:ツァーリ・ヴズルイフ紛失事件について』
1962年、ソビエト連邦のとある軍事施設内で、「ツァーリ・ヴズルイフ」が忽然と消えたとされる事件である。
ソビエト連邦は1991年に崩壊したが、事件の発生以来、崩壊の日まで、事件そのものが機密事項となっていた。ロシア連邦成立後、ソ連時代の膨大な機密資料が情報開示されたが、その中の一つに、『ツァーリ・ヴズルイフ紛失事件』はあった。
いわゆる、ペレストロイカ(改革)と共に断行された、グラスノチ(情報開示)の流れの中で公開されたものだ。しかし、残念ながら、ツァーリ・ヴズルイフ紛失事件については、公開されたのは、事件名だけ。内容については、40年後、つまり、2031年の完全情報公開まで待たされることになった。
即時公開されなかった理由として考えられるのは、関係者の中に、まだ存命の者が多かった為だろうか。
そもそも「ツァーリ・ヴズルイフ」自体、何を意味するのか、当時の関係者を除いて知らないのだ。それが紛失したとして、40年後の今日、如何ほどの意味があるというのか。紛失の対象が人か物かすら不明である。
だが、現代史に詳しい者、あるいは軍事マニアなどは推理したかも知れない。
そして、おそらくは正解に辿りついただろう。
1961年10月30日に人類史上最大の単一兵器、水素爆弾「AN202」の爆発実験が行なわれた。米ソ冷戦構造下に生み出された、人類が生み出した破壊兵器の頂点である。
本来は100メガトン級の爆弾であったが、放射能汚染を抑える為、実験用に50メガトンまで縮小されたとされる。縮小版と言っても、出力は広島型の3300倍だ。
その爆弾の通称が「ツァーリ・ボンバ」であった。
ツァーリはロシア語で君主や王を意味するが、ソ連の軍事兵器などに慣習的に付けられる単語でもある。ツァーリ・ボンバなら、「爆弾の王」といった意味か。
ならば、「ツァーリ・ヴズルイフ」は同じく核兵器か? というのが、当時の軍事マニアたちの予想であった。ヴズルイフはロシア語で爆発を意味するからだ。そして、その予想は正しかった。
ベルリンの壁建設以降、急速に米ソ関係の緊張が高まっている最中の爆発実験であった。その後、キューバのミサイル配備問題で米ソの緊張は極限に達する。いわゆる、『キューバ危機』である。
このキューバ危機、一般には1962年10月14日~10月28日を指し、「恐怖の13日間」などとも呼ばれる。歴史的にも極めて重要なトピックスとして扱われるが、歴史に記されていない事件もあった。
人類最大の危機を人類最大の危機足らしめた、本当のピーク。それが、1962年10月17日、つまり、「恐怖の13日間」の期間中に、ソビエト連邦軍事施設内において、新型水素爆弾「ULM110」が忽然と消えた事件である。
ツァーリ・ボンバは直径2m、全長8mの巨大爆弾だが、ツァーリ・ヴズルイフは当時の超技術によって、直径1m20cm、全長4m50cmにまで小型化に成功した。しかも威力は本来のツァーリ・ボンバを上回る110メガトン。ソビエト連邦が開発した、真の最終兵器であった。
その新型水素爆弾「ULM110」の通称が「ツァーリ・ヴズルイフ」。
意味は「爆発の王」。
「さっぱりわからん」
築40年の賃貸マンションの一室で、古賀裕人が率直な感想を呟いた。
呟いたと言っても、実は、裕人は一人ではない。裕人は流行りのVRMMOを、絶賛お楽しみ中である。
裕人が知恵熱を発しそうな情報を投下したのは、ロシア人のミハイル。本名は裕人も知らない。裕人が今やっている「マギクラウンズ2nd」、通称「マギクラ2」上でだけの友人である。
何でも、ロシアで「ツァーリ・ヴズルイフ紛失事件」の真相が40年ぶりに情報開示されたらしい。その件について、ミハイルは大いに怒っているようだ。
40年前、完全開示との約束だったのに、もったいぶった挙句、明かされたのは、「ツァーリ・ヴズルイフ=当時の新型水素爆弾」ということ。そしてそれが紛失したということ。それだけだという。
裕人が仕方なくと言った様子で、「ワードヒストリエ」で検索をかけた結果、知り得た情報が以上。「ワードヒストリエ(通称ワドス)」とは、自由に記事を編集出来る、記事数世界一のネット百科事典である。
そんな大昔のことで、熱心なことだと、裕人はリアルの珈琲をすする。いくらゲームが進化したと言っても、ゲーム内での飲み物では喉は潤せない。ただし、バカ高いオプションによっては、匂いや歯ざわりまで体感できると言うのだから、科学技術の日進月歩は凄まじい。
そもそも事件自体、約70年前の出来事だ。裕人にとっては、父すら生まれていない。世界史を勉強したのは、もう20年も前だし、記憶もかなり怪しくなっている。
当時、事件を調査したソ連の軍人たちによると、本当に忽然と消えたらしく、証拠も何も残っていなかったそうだ。
軍事施設内では、アメリカのスパイが暗躍した痕跡もなく、第三国に渡った可能性もなし――。
ようは、「物体が消えるわけがないじゃないか、ロシア国民を馬鹿にするな!」と御立腹なのだ。
「まぁ、当時の米ソ間のホットラインか何かで、ソ連側がハッタリで『凄い兵器を持っているぞ』と脅したんだろ。でも、元々存在しないから、紛失したということにしたんじゃないか?」
陰謀論やオカルトよりは、幾分か人間的な可能性を伝えると、ミハイルは何となく納得したようであった。
「そういや、ケネディが暗殺されたのって、1963年――げふんげふん」
玄関に誰か来るような気がしたので、止めた。
裕人はミハイルに飯でも食いに行って来ると伝え、「マギクラ2」をログアウトした。日本時間の23時から外せない課金イベントがある為、それまでに、食事と、少しの仮眠を取っておこうと考えたのだ。
裕人はVRMMO用のヘッドセットと全身スーツを脱ぐと、私服に着替え、外に出た。時間は16時を少し過ぎていた。
裕人は37歳の派遣社員。独身である。週に4日、仕事は電気工事会社の事務補助をしている。
大学時代から一人暮らしで、ゲームは物心ついた頃からずっとやっている。VRMMOも、ヘッドセットが発売された頃は随分とやり込んだ。しかし、課金がキツくなると、やる気もそぞろになり、自然とやらなくなった。リアルの金が気になって、心からゲームを楽しめなくなったからだ。別にプライベートが忙しくなったわけでも、仕事内容が変わったわけでもない。金の問題だ。
とは言え、生来のゲーム好き。
しばらく離れているうちに、VRMMOスーツが登場し、またハマってしまった。
全身スーツを買ったのは先月。まだデビューしたての新人ほやほやである。そのくせ、「もはや、スーツなしのVRMMOは無価値である」などと広言しているのだから、始末に負えない。
職場の同僚たちにすれば、実にウザい奴であろう。
全身スーツは非常に――少なくとも、裕人にとっては高く、税抜き定価124万8千円。消費税の20%と個別物品税(贅沢税)の5%を入れると、そのお値段、何と156円也。月々5万円のローンは、はっきり言ってかなり厳しい。ただ、裕人としてはそれだけの価値はあったと、日々実感している。
2027年にVRMMOゲーム「マギクラウンズ(ファースト)」配信開始。同時に、「マギクラウンズ」に対応した最初の全身スーツが発売されてから、約4年が経つ。
当初、宇宙服のようであったVRMMOスーツだが、最新スーツのシルエットは、ライダーススーツとほぼ変わらない。わずか4年でこの進化である。
市場がどれだけこの分野に期待しているか想像がつくだろう。
あと10年もすれば、直接脳に刺激を送るタイプのスーツが商品化されるかも知れない。
水を循環させることで、気温や体温まで伝わるギミックは、スーツ登場当初よりあった。
裕人の買った最新式は、さらにエアバッグの原理を使った、空気圧による「衝撃再現ギミック」が追加されている。これには、裕人も市場も、それこそ衝撃であった。
空気圧によるギミックは、想定内ではあったが、そのクオリティの高さが衝撃だったのだ。秒間60フレームで再現される圧力調整に市場は歓喜の涙を流した。
たまたま行ったゲームショウで、「巨人に握り潰されるシーン」のギミックを体験し、心底惚れこんでしまったのだ。全身に空気圧が掛かり、本当に巨人に握られているような感覚であった。
裕人は堪らず購入の覚悟を決めたというわけだ。
ゲーム内で殴られても怪我はしないが、ゲームのプログラムと連動した空気圧操作によって、衝撃は伝わる。走れば心臓と肺の部分が圧迫されるし、壁に背中から激突すれば、背中に空気圧による衝撃と負荷が加わる。喉の辺りを軽く圧迫することで、息苦しさまで再現される。
空気圧ギミック付きスーツの発売直後には、「マギクラ2」は剣と魔法の世界でありながら、プレイヤー同士による、相撲や格闘技などといった、肉弾戦による戦闘が大流行したほどだ。
さらに――正規品の話ではないが――サードパーティー製作による、型落ちのスーツを改造し、股間部分にオナホールやディルド、バイブレータなどが仕込まれた、大人のセクシャルスーツまで登場しているのだから、大変な時代である。
世はまさにVRMMOスーツ時代。
もっとも、さすがの裕人も、エロスーツまでは手を出していない。
主に金の問題で。
裕人は昔ながらの弁当屋に着くと、一番安い「のり唐弁当」を注文する。何しろ金がないのだから仕方がない。少ない給料の中から、スーツのローン、家賃、食費、光熱費、通信費、課金――そこから、さらに貯金しなければならなかったのだ。
当然、普段は自炊である。
昨日からの徹夜と、本日も徹夜予定の為、久しぶりの自炊以外の食事だ。
市場では、再来年あたりに一般発売されると予想されている、電圧式のギミックが搭載されたスーツが話題だ。斬られると、電圧による衝撃があるとのこと。ゲームショウではお披露目済みという。
残念ながら、今持っているスーツにオプションとして追加させることは、構造上出来ない。つまり、買うしかないというわけだ。
裕人は、目下、それを買うために貯金中なのだ。
裕人のスーツは再来年頃には、中古ショップでの下取り価格は30万を切ると予想されている。30万をそのままローンの残債に充てても、足が出る計算なのだ。
電圧式の最新スーツはローンで買うとしても、今あるスーツのローンは、下取り分と貯金で完済したいと考えているわけだ。
「(また電気代が上がるな……)」
最近の悩みは、電気代の上昇だ。正直なところ、課金よりもキツい。課金は我慢の余地があるが、スーツにはそれがない。今更スーツを着ないで、ヘッドセットのみでのログインなど、もはや考えられないからだ。
様々なギミックが、ログイン中は常に動作しているのだから、電気代が馬鹿にならないのだ。一時間や二時間で済むなら、電気代も問題はないが、一時間や二時間で我慢出来る人間は、150万円以上も出して、ゲーム用スーツを買ったりしない。
裕人の前を子連れの夫婦が歩いている。
子供がキャッキャと楽しそうだ。
現在、裕人は37歳独身。身長こそ平均並みだが、痩せているし、顔は平均以下。仕事は専門的ではあるが、やっていることは、アルバイトに毛が生えたレベル。コミュ障とまでは行かないが、決して、明るく元気なわけではない。友達もリアルではいない。
当然だった。
金はないし、自信もない。そんな彼を好いてくれるような物好きな女性は、過去一人もいなかった。女性側としても、恋愛も結婚も、ボランティアではないので、短い花の命を、わざわざ裕人の為に費やそうとは思わないだろう。
しかし、本当に哀しいのは、女性関係に限らず、およそ人間関係と呼べるものが、裕人のプライベートには皆無であったことだ。
人間関係は積み重ねの結果なので、双方にある程度の我慢と継続する為の努力が必要である。恋人でも友達でも、欲しい時にだけ、都合良く願っても無理なのだ。
その人間関係における積み重ねの無さが、古賀裕人最大のコンプレックスかも知れない。
「(人生ソロプレイヤー)」
哀しい言葉が思い浮かんだが、すぐに頭を振って打ち消した。
嫌悪感を持たれることはない――と裕人は信じたいところだが、少なくとも、多くの男性の中から女性が「あえて」選ぶような、そんな特別な人間ではなかった。
「(ゲームをしている時は、自分が特別だと思えるのにな)」
しかし、スーツを脱げば、平均以下の男であることを、否応なく自覚させられてしまう。そのギャップは、かつてのヘッドセットのみのVRMMO時代と、スーツ登場以来とを比べれば、より実感する機会が多くなったように感じられた。
今さら人生を逆転できるような、都合の良い何かがあるわけでもなかった。
昔は裕人にも、脚本家になりたいとか、広告代理店で働きたいとか、そういう淡い夢や野心のようなものもあった。しかし、今となっては、もう遠い昔のように感じている。
いつしか、それは夢でも何でもない、ただの呪いと化し、長く裕人を苦しめた。近頃、やっとその呪いから解放されたような、そんな感覚を味わうことも増えてきた。諦めることで、救われることもあったということだろうか。
実際のところ、元々、夢でも野心でもなかったのかも知れなかった。ただの現実逃避だったのではないかと。
そう気付いた時、呪いが完全に解かれたような気がしたものだ。人生に――否、社会に対して、負けを認めることが出来たのだ。
「(自分には最初から何もなかったんだ)」
前を行く夫婦を見ていると、お互いがお互いにとって特別であるのが、裕人にも伝わってくる。これから先、何年も、何十年も、お互いがお互いの特別な何かであり続けるのだろう。
人は自分を特別だと思えるから、幸せを感じられるのだ。特別だから、他人にも優しくなれる。優しくされた人は、自分もまた特別だと思えるだろう。100年以上前に美味しい飴を発明したドイツ人もそう言っている。
前を歩く幸せそうな家族の姿を見ていると、裕人は自然、下を向いてしまうのだ。裕人にとって、彼らは眩しすぎた。
同じ空間にいるのに、自分だけが隔絶された、暗い別世界にいるように感じてしまう。
「(ゲームをしている時は、こんな気持ちにはならないのに)」
右手に持った、久しぶりの「のり唐弁当」が、何だか、急に価値が下がってしまったような、あるいは、わびしいもののような気がしてくるのだった。
人生の悩みは、ほとんどが年代ごとに、以下の三つと言われる。
青春期はセックス、壮年期は金、老年期は病気。
たった三つである。
人の悩みは、人それぞれなどと言うが、この三つの悩みで、世界の悩みの大半をカバーしているのが現実だ。
この三つの悩みがない人間が、いわゆる勝ち組である。
裕人はその意味で正真正銘の負け組であった。女はいないし、金はない。病気こそ、今のところは無いが、親を見ていると、あと数年も過ぎれば、いろいろと出てくるだろう。目や腰あたりには、早くも、兆候が出始めている。
裕人の人生とは、負け続けの人生であった。そして、これからも死ぬまで負け続けるだろう。
夫婦とも30歳くらいで、男の子は5歳くらいか。真ん中で両親と手を繋いでいる。時々ぶら下がったりしながら。
彼らが掴んでいるのは特別な我が子の手であり、裕人が右手に持っているのは弁当屋の一番安い「のり唐弁当」。
それも、本人的には久しぶりに奮発したつもりの「のり唐弁当」である。
哀しすぎる対比であった。
裕人は急に不安になり、心臓がドキドキするのを感じた。
だから、反応が遅れたのかも知れない。
自前のGPS衛星を多数持っているアメリカの会社と、日本の自動車会社、さらに大手ゼネコン、電力会社、ガス会社などが手を結び、金融省や国土交通省もこの世紀のプロジェクトに協力した。そして、遂に2024年、画期的な自動車運行システムが「実用化」された。
『完全自動運転システム』
ようは、車が衛星からの電波信号を受けて、自動で運転してくれるようになったのだ。運転手はエンジンを掛けて、目的地を入力するだけ。運送用トラックやタクシーなど、輸送目的の車は、いずれ、運転手すらいらなくなるだろう。原理的には、既に運転手は必要のないものだからだ。
結果、交通事故が劇的に減った。渋滞も緩和され、スピード違反も新型の自動車に関してはなくなった。信号が青になった瞬間、並んでいた自動車が、一斉に動き出すのは、奇妙でもあり、壮観でもあった。
「交通違反が減って、一番打撃を受けたのは、ネズミ捕り」と笑われたほどだ。
日本では当時、1960年代からの高度成長期に作られた道路の老朽化が社会問題になっていた。補修工事だけでは、対応できない場面も増えてきていたのだ。電線の地中化も常に国民の要望としてあった。
国も地方も財政は厳しかったが、どの道、いつか補修しなくてはならないのだ。
「では、この際、一気に全部片付けてしまおうか」という話になり、国民も選挙でそれを了承。日本政府は莫大な赤字国債を発行することで対応し、地方自治体へも低利で金を貸し出した。
『第二次高度成長』
教科書的にはそう呼ばれる好景気に、日本は湧いた。
ただし、1960年代の第一次高度成長期がそうであったように、好景気に乗れない層は必ず生まれる。好景気だからと、全ての年代、全ての人間が、その波に乗れるわけではないのだ。
波に乗れない負け組たちの中に、古賀裕人もいた。
先の夫婦は30歳くらい。この世代が就職時に恩恵を受けた世代だ。6~7年の差であったが、残念ながら、裕人の世代は――いや、もちろん、裕人の世代も恩恵を受けた者は、それこそ星の数ほどいた。だから最終的には自分の責任だと、裕人も理解している。誰かのせいにするつもりはなかった。
ただ、いずれにしても、裕人はその波には乗れなかったのだ。
実際、努力も足りなかった。死ぬほどの気力を振り絞って、働いたこともなかったし、商売をしようと、駆けずり回ったこともなかったからだ。
人生というゲームは、裕人にとっては難しすぎたし、どうすればクリアなのかも分からなかった。興味が無いゲームを無理矢理強制されているようなものであった。
だから全ては裕人本人の責任である。
人は自分の人生を歩むしかない。
例え、それが望まぬキャラ設定、望まぬ時代設定、望まぬ世界設定であったとしても。
責任は誰も取ってくれないのだ。
良いも悪いも、正しいか正しくないかも、一切関係が無い。ただ生きているだけで、責任を負わされているのだ。
例えば、本人には、何の瑕疵もない、そこに居合わせただけの交通事故の被害者ですら、そこに居た責任を負わされた結果、事故に遭遇したのだ。
生きている者とアバターの違いと言えば、その一点だろうか。
ゲームに課金し過ぎて破産する愚か者がいたとする。責任を取るのは、決してアバターではない。
アバターがゲーム内で禁止行為を行なった。やはり、責任を取るのは、アバターではなく、本人である。
「だからこそ――」
財政を圧迫する赤字国債の為、また超高齢化社会のセーフティネット構築の為、当然のように税金は上げられた。裕人の生活は、ただただ、苦しくなった。 給料は上がったが、それ以上に物価は上がり、固定費は増えた。
裕人にとってのVRMMOスーツとは、長く苦しいトンネルの先にある、広い世界――その入り口に立つ為のパスポートのようなものであった。
ふと我に返れば、泣き出してしまいそうな日々の生活の中で、唯一の救いであった。
「――ゲームしかなかった」
裕人は、作られたゲームの世界に遊ぶしかなかったのだ。
裕人のような者がいるように、完全自動運転ではない車もまだ走っていた。大手運送会社の下請けのトラックなどがそうであった。下請けの運送会社が、いくら好景気だからと、そうそうトラックを買い換えるわけにも行かなかったのだ。
多くが外付けのGPS機器で対応したが、電気的な相性なのか、取り付け方法か、それとも改造した技師の問題か、稀に電波障害などで事故が起きることがあった。それは決まって時代に乗り遅れた「半自動運転車」と呼ばれるものであった。
時代に乗り遅れた半自動運転のトラックが、裕人の目の前に迫っていた。
運転手はハンドルに突っ伏し、気を失っているようだ。心臓発作でも起こしたのだろうか。
「ここでは特別になれなかった」
最初に感じたのは衝撃だった。
トラックに衝突されると、裕人の身体は、ゴムマリのように20m以上吹き飛ばされ、何かに激突した。
頭は打たなかった為、意識ははっきりしている。ただし、全身に受けた衝撃の為、呼吸が出来ない。
次に激痛が走った。
男なら誰でも分かる、金的を痛打した時の痛み。すなわち、内臓の痛みだ。痛みの出所は腹部。
ちょうど腹の真ん中をH鋼が背中から前へ、綺麗に貫通していた。
こんなものが人の身体を貫通――いや、貫通と言うよりは、いっそ、爆発に近いほどであった。
ブチ撒けた内臓が、即座に、死が確定的なものであることを裕人に教えた。
血の混じった内臓が辺りに飛び散っていた。H鋼に押し出されたのだろう。背骨や脊髄はどうなっているのか。
「痛ええああえあえあ――」
と声を上げられたのは、最初の一瞬だけ。
腹筋が利かないので、声を出せない。内臓自身が悲鳴を上げるような痛みは、すぐに、頭を万力で締め付けられているような、神経的な痛みへと変わった。
しかし、やがて痛みはどんどん引いていき、死へ一歩、また一歩と、確実に近づいていることを裕人は実感する。
白い靄がかかったような視界の中、野次馬に混じって、先ほどの三人家族が見えた。母親が両手で息子の目を塞いでいた。
「(彼らは特別で…、俺は特別ではなかった…)」
裕人が最後に考えたのは、そんなところだ。
視界の端、三人家族から少し離れた場所に、「のり唐弁当」の残骸が散乱していた。「まるで自分のようだ」と、消えゆく意識の中で、裕人が考えたか否かは、不明であった。
ただ、裕人の意思とは無関係に、一つの「奇跡」が起きた。