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作者: 白烏

「不思議でしょう」



 男は微かに笑い、問いかける。他に何と云ったらいいのか解らず、私は答える。

「不思議、ですね」



 私が店主を勤める喫茶店に、見るからにみすぼらしく、その上ずぶ濡れの男が入ってきたのは、ある雨の日の、正午前のことだった。激しくザァザァと降るわけでもなく、かといってシトシトと表現するには中途半端な、そんな雨だった。

「まぁ、いらっしゃいませ。お客様、傘も差さずにこのような雨の中を」

「いや失礼。雨宿りさせてもらえませんかな。ついでに熱い珈琲を一つ」

「ついでだなんて。ヒドイお客様だこと」

 歳は四十、いやもう五十に近いのだろうか。年齢の良く解らぬ面貌をした男は何も答えずにただ微笑んで、茶色いコートから雨水を垂らしながら、誰も居ないカウンター席に座った。

「空いていますな」

「こんな日に、開店して何日も経ってないようなよそ者の喫茶店で雨宿りしようなんて酔狂な人はいませんわ」

 この辺りは新興住宅などが比較的少なく、住民はストレンジャーに敏感である。成る程、と呟いて男は興味深げに店内を見渡した。私は構わずに、真新しいポットで湯を注ぐ。



 私が喫茶店を開いたのに、余り深い理由はない。強いて云えば、資金が有り、珈琲が好きだったからか。とにかく一年前に夫が急逝し、多額の保険金が振り込まれた時、それまで魂が抜け落ちたように何も考えられなかったのに突然、「退職したら二人で喫茶店を開こう」と云っていた夫の言葉を急に思い出したのである。夫は、私の淹れる珈琲が大好きだった。

「どうぞ」

「有難う。……ふむ、良い香りだ」

 男は満足気に珈琲に鼻を近づける。その仕草が一瞬だけ夫の思い出と重なったが、すぐに気のせいだと思い直した。夫とこの男は似ても似つかぬ。

「中々良いですなぁ。私は珈琲にはうるさい方なんだが。雨宿りついでには勿体無い程だよ」

「お気に召したのなら良かったですわ」

 先程から少し嫌味っぽい男である。

「いやいや。それにしてもここは一人で?」

「アルバイトの子が一人おりますが、この通り暇なものですから私一人でも全く問題ないんです」

「成る程。若いのに偉いものだ。そうだ、退屈しのぎにちょっと私の話を聞いてくれませんか」

「何です?」

「私が何故傘も差さずに出歩いていたのかお知りになりたいでしょう?」

「ええ、まぁ……」

 男はおもむろに話を始めた。半分ほど残された珈琲は、まだ微かに白くうねる湯気を放っていた。



「実は私は物書きなのです。一時期はそこそこ売れていたんですがね、今じゃもう誰も知らんでしょうな。まぁともかく、先日まで地方紙の連載小説を一本、書かせてもらってたんですわ。それが突然打ち切りになってしまった。なんでも前々から連載を依頼していた若手作家がやっとこさ快諾したみたいでね。それで私はお払い箱です。まぁ向こうはそうは言わなんだが」

「それは……ひどいわ」

 男は美味そうに珈琲を啜ってから、話を続けた。

「この業界じゃあ良くある話ですよ。私だって若い頃は先達に色々失礼をしたものです。しかしね、この歳で唯一の収入源だった連載が切られると、独り身の私にはどうにも……。それでいっそのこと」

「いっそのこと?」

 男の顔が急に老け込んで見えた。窓の向こうでは、雨が相変わらず中途半端な強さで降り続けている。

「死のう、と。私にはもう生きていく自信が無くなっていました」

 何を言い出すかと思えば、そのような話を聞かされてもどうしようもない。私は少し腹が立った。

「それで傘も持たず死に場所でも探していたんですか」

 思わず強い口調になってしまったせいか、男はこちらを向いて少し驚いた表情をした。

「いやぁ、例え死に場所を探すとしても、傘は差しますな。それに、私にもう死ぬ気はありません」

「はぁ」

 拍子抜けしてしまい間抜けな相槌を打ってしまった。一体この男は何を言いたいのか。先程まで死ぬと言っておきながら、再び口を開けばもう死ぬ気はない、ときた。話が滅茶苦茶である。

「私はどうも優柔不断でして。どうせ死ぬならポックリ逝きたいでしょう。苦しまずに死ぬにはどうしたらいいか解らず、数日間悩んでおったのです。今朝もね、起きてからずうっとそんなことを考えながら床の間から、雨に濡れた庭を見るとも無く見ていたのですが、そこに傘を差した……妻がいたのです」

「妻?さっきは独り身って……」

「ええ、私の妻は十五年前に交通事故で亡くなった。それが、いた。綺麗な服を着て、綺麗な傘を差してね」

 窓の向こうでは、雨が相変わらず中途半端な強さで降り続けている。私はありもしないことを淡々と語る男が、少し気味悪くなっていた。

「妻は私に向かって微笑んでた。私も、その笑顔につられるように妻のもとまで歩いていった。妻は私に傘を渡して、ただ一言、少し歩きましょう、と云ったんだ。ふふ、相合傘など学生の時以来だったよ。歩きながら、私は妻に色んなことを話した。妻が死んだときに書いていた小説が賞をとったこと、昨日作った料理が思いのほか美味かったこと、打ち切られた小説の結末、そして死のうと思っていること。妻は黙って全部、全部聞いてくれた。気が付くと、十五年前、妻の命が絶たれた交通事故のあった交差点にいたんだ。妻のほうを向くと、交差点の中央―ちょうど妻が倒れていた辺り―をじっと見ていた。十年連れ添って一度も見たことの無いような悲しい顔をして。そして私に云った」


『死なないで』


「私の胸を占めていた黒い靄のような何かが消えた感覚だった。気が付いたら、妻はいなくなっていて私は頭からつま先までずぶ濡れだったよ。それで取りあえず近くにあった喫茶店に駆け込んだわけです。どうです、不思議でしょう」



「不思議、ですね。まぁ怪談なんかでは良くある様な話ですけど」

「信じてもらえますか」

「そうですねぇ。信じられないですが……、私が信じようと信じなかろうと貴方には余り意味を持たないことなのでしょう?」

 男は乾いた笑い声をあげた。何も憂うことが無い人のあげるような、聞いていて気持ちの良い笑い声だった。

「こりゃあ、一本とられましたな。貴方のほうが一枚上手のようだ。変な話をしてすみませんでしたな」

「退屈しのぎにはちょうど良かったですわ」

「ふふ、そうですか。いや美味い珈琲を飲ませてもらったよ。御馳走様」

 代金を払い、男は出て行く。私はなんとなくその後ろ姿を目で追っていたが、心なしか、左肩のほうが右肩より濡れているような気がした。男がドアを開けると、取り付けてある鈴がちりん、と鳴った。

「晴れましたな」

 いつの間に、晴れたのだろう。店内にも日が差してきた。机や椅子に反射する光が、何故だかいつもより神秘的に見える。男はもう一度御馳走様、と云った。



「またのご来店お待ちしております」

「……ああ」



 私は男が出て行ってからしばらくして、外に出た。雨の後の晴れは、好きだ。深呼吸してから、私は日の光に目を細めた。



 その喫茶店の名は『相合傘』。晴れの日も勿論、営業している。

 駄文ですが、お許し下さい。


10/7 行間修正

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