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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第7話「一億ドルの真贋」

 なにか腹にたまるものを作ろうかと思った倉橋だったが、面倒になり、大量のつまみと酒をテーブルに広げた。


 地下室での鑑定会、第二幕の開演である。


「あ、ビールの方が良かったですか?」


「いや、それでかまわんよ」


 桐嶋はハイボールを受け取りながら答えた。缶を開ける音が、静寂を破る。


「いろいろ自説を言いたいですけど、その前に準備したいので、これでもつまみながらちょっと待っててくださいね」


 倉橋はテーブルにサラミの袋とクラッカーを置いた。


「それはいいが、もう午前2時だぞ?仕事で疲れているだろうし大丈夫か?」


「全然大丈夫ですね!好奇心が渦巻いてまだまだ眠れそうにないですよ!」


「まぁ、明日休みならいいか」


「そうです!この4日間は、このことに没頭することに決めましたので時間がもったいないです!」


「おまえが問題ないならいいさ」


 バックパックからノートパソコンを取り出して起動し、Wifiでの接続を確認する倉橋の手は会話の間も止まらない。


 次々と必要と思うものを表示させ、タブレットから転送したデータを独自データベースで照合していく。


 質感、絵具の色と材料、作者のタッチや筆の流れなど。


 現物を至近撮影した写真から得られる情報は膨大だ。


 右手でキーボードとマウスを操作し、左手でつまみをむさぼりながらハイボールで流し込んでいく。


 桐嶋はその姿を見ながら器用なもんだと感心していたが、倉橋の左手についた油分や食いカスが気になりウェットティッシュを傍においた。


「ありがとうございます!ちょうど欲しいとこでした!」


 指を丹念に拭いてから両手で作業を再開する。


 作業しながら飲んでいたハイボールは瞬く間になくなり、スクリューキャップの白ワインをラッパ飲みし始めた。


 その頃、桐嶋も日本酒とさきいかに移行した。お猪口を探したがなかったので湯飲み茶わんに並々と注ぐ。


 日本酒の香りが、地下室の空気に広がる。


 倉橋は画面をチェックしてから桐嶋に顏を向けた。


「準備完了しました。まずは、いろいろのたまってもよろしいですか」


「拝聴しよう」


 桐嶋は居住まいをただした。


「まずは作品の真贋に関してです。これに関しては科学的検証をおこなっていないためエビデンスは存在しませんが、間違いなくクリムトの真作だと確信しています。筆遣い、色使い、構図、すべてがクリムトの作品だと物語っています。ただし、真作だとすると一つの疑念がでてきます」


「レゾネ(総作品目録)にない」


 倉橋は、桐嶋の言葉に深くうなずいた。その反応には、二人の考えが一致したことへの満足感が表れていた。


「そうです。クリムトの主要なレゾネは1975年と2012年に出版された二つですが、そのどちらにも載っていませんし、絵画関係のデータベースにも載っていませんでした。つまり、この作品は、世の中に認知されてきた作品ではないと言えます。加えて、鷺沼氏はこの作品が真作であるという認識でいたという推測もたちます」


 桐嶋はいぶかしげな表情をしたが倉橋の言葉を待った。


「後ろ暗いところがなければ、グスタフクリムト財団に修復を依頼するのが一番の手段だからですよ。しかし財団に依頼すれば来歴等を詳細に調査される。真作であればなおさらです。クリムトの真作が発見される!ニュースが世界を駆け巡ると思いますよ。そしてそれは彼の本意ではなかったのでしょう。だからこそ、アメリカで修復家の名声を得た後、遠く離れた日本で、しがないアトリエを運営する人物に白羽の矢をたてたというわけです」


 倉橋の分析は鋭く、その言葉には確信が滲んでいた。桐嶋は苦笑するしかなかった。


「確かにな。クリムト財団のことはすっかり忘れていたよ」


 2013年に設立されたグスタフクリムト財団の主な使命は、クリムトの作品を収集、調査、展示すること。財団にとって垂涎の的になることは間違いないだろう。


「ついでに言えば、報酬額だけ考えても後ろ暗いものだと表書きしてるに等しいもんなぁ」


「ですね。一億なんて普通出しませんよ。一部前払いをしているのは桐嶋さんの腕を知っていることの証明ですしね」


 倉橋は白ワインを飲み干し、次の赤ワインをグラスに注いだ。


 ワインの深い赤色が、薄暗い部屋の中で異質な輝きを放っていた。


「鷺沼氏関係での疑念をもう一つ。例の送られてきた写真のことについてです」


 咀嚼したクラッカーを赤ワインで流した倉橋は、言葉を選びながら続けた。


「あの写真、プリントしたのは最近でしょうが、元の画像は少なくても20年以上前に撮られた写真ですね」


 桐嶋は、驚きと疑念が混ざった表情を倉橋に向けた。


「理由を聞いても?」


「画素数ですよ。さっき撮った写真と比べれば一目瞭然です。しかもピントが甘い。だから、あの傷が剥落に見えたというオチです」


 桐嶋は例の写真をつぶさに見つめた。言われてみれば確かに画面が荒いと感じる。


「鷺沼氏はスマホをもっていたんですよね?」


「スマホかはわからんが、電話番号からすれば携帯かスマホのどちらかだ」


「じゃあ、この写真はわざとですね。スマホや携帯があれば現状の写真を撮ったうえでコンビニでプリントすればいい。この写真自体になんらかの意味、もしくはメッセージがあるのではないでしょうか」


「そうなると他の可能性も考えられるな」


「そうですね。鷺沼氏はただのメッセンジャー、ないしは代理人だった可能性と、鷺沼氏自身はこの絵を手元にもっていなかった可能性ですね。ああ、でもそこまで考慮すると手紙も本人が書いたものとは断定できないし、メール便をだしたのも別な誰かということだってありえますね。差出人の身分証確認なんてどこの運送会社もやりませんし」


「確実なのは鷺沼を名乗る男性から受け取った鍵と現金、コインロッカーに入っていた絵。物証のみかな」


「一応確認ですが、コインロッカーで追加料金は発生しませんでしたか」


「なかったな」


「ということは、少なくても桐嶋さんが開ける前、24時間以内に入れられたことも間違いないことです」


 桐嶋はコインロッカーの詳細を思い出す。


「長期利用のではなかったからな。確かに」


「と、ここまでが現物を見ても感想です」


「いや、そこまで飲んでてよく頭が回るもんだと感心するよ」


「まだまだいけますよ」


 倉橋はグラスのワインを飲み干し、新しいボトルを開けた。コルクを抜く音が、静かな部屋に響く。


「そして、実はここからが本題かなと個人的には思っているんですけどね」


 人の悪い笑みをうかべた倉橋の表情に、桐嶋は身構えた。


「夏の夜、しかも丑三つ時には最適な話かなぁと」


「待った待った!オカルト的な話!?今回の件がらみで!?」


「そうですよ?気が付いた時、背筋がぞわっとしたので是非桐嶋さんにもお裾分けしないといけないなあと」


 倉橋は楽しそうに、先ほど撮った写真を拡大したものを印刷し始めた。


 プリンターの動作音が響く。


 その音色は、これから明かされる新たな謎――「祈り」への序曲だった。


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