第5話「参事官・藤堂啓介」
「まずは突然の呼び出しに応じていただきありがとうございます。状況説明は必要ですか?」
すでに観察は始まっていた。
言葉一つ、挙動一つ、ベテランの工藤の目線からは逃れられそうにない。
桐嶋は、自分が試されていることを理解していた。
「そうですね。先ほどの電話ではなにもわかりませんでしたので」
桐嶋の目線からはなにも読み取れない。その平静さは、長年の経験から培われたものだ。
桐嶋は相手の出方を伺う。
「しかし、あの電話だけで、よくここまで来てくれましたな」
「都民は警察に協力するものですよ。来てくれと言われたら状況がわからなくても行くでしょう」
「なかなかそういう人は少ないもので…失礼しました。状況を説明します」
お互いに食えない人物だと思ったのは間違いない。
二人の間に漂う緊張感は、部屋の空気を重くしていく。
工藤が資料に目をやりながら説明を始めた。その声は、冷静で淡々としていた。
「被害者は鷺沼蒼二郎。66歳。10日前にアメリカから日本に帰国しました。アメリカでは画商をしていたようですな。その後の足取りはまだわかっていませんが、5日前にあなたからの着信で通話し、3日前に宿泊していたホテルのロビーにおいて急性心不全で亡くなりました」
「え!亡くなったのですか!」
桐嶋の驚きはごく自然なものだった。
予測していただけで確信はもっていなかったからだ。
その反応は、工藤の目から見ても不審な点はない。
「そうです。明確な死因は特定できていませんが、状況が状況だけに我々が捜査をしていたわけです」
工藤は一拍おいてから桐嶋の目を見つめた。その視線は、桐嶋の心の奥底まで見通そうとしているかのようだ。
桐嶋は、その視線に耐えながら、平静を装い続けた。
「鷺沼さんとは以前からのお知り合いですか」
「いえ、違います。通話した日に、アメリカ在住時代の知人からの紹介という手紙をいただき、そこに書いてあった電話番号に連絡した次第でして」
工藤は桐嶋の話にあまり反応せずに続けた。
「差し支えなければ用件を教えていただいてもよろしいですか」
なるほどね、すでにおれ自身の調べはある程度ついているわけか。
桐嶋は、絵画修復家として5年前までアメリカに在住していた。
事前調査していなければわからないような情報を会話に紛れさせたにも関わらず、工藤という刑事に変化はない。
桐嶋は工藤の態度や反応に納得し言葉を選んだ。
「私が扱っている絵を見せてもらいたいということでした。その時は一週間後の来店を約束したのですが」
「その手紙を見せてもらうことは可能でしょうか」
「すでにシュレッダーをかけてゴミ捨て済みですよ」
「本当ですか」
「本当ですよ。そんな嘘をついてどうするんです。今回の手紙に限らず、個人情報の載った手紙や封書は、どうしても必要なものでない限り、すぐにシュレッダーをしているのでね」
これは本当のことだ。桐嶋はアメリカ時代からのクセで、税申告や会計上必要なもの以外は読んですぐにシュレッダーをかけている。
今回の鷺沼からの手紙も同様に廃棄済みだ。写真を除いて。
「おかげで廃棄してはいけないものまで、たまにシュレッダーしてしまうこともあるんですよ」
桐嶋の苦笑に偽りはない。
写真まで一緒にシュレッダーしようとしていたことを思い出したからだ。
工藤の観察でも表情や仕草、声の抑揚になんら不自然な点はなかった。
その時、取調室の扉がノックされた。
白井が応答の声をかけると扉が開かれ、若い女性警察官が顔をだした。
「工藤警部補。本庁の藤堂参事官がお見えです。アポはないとのことでしたが」
「本庁の参事官だと?」
取調室におけるやり取りの中で、一番感情がのった声だったかもしれない。工藤の表情に動揺が走った。
予期せぬ来訪者に、工藤は戸惑いを隠せない。
「すぐ行く。桐嶋さん、申し訳ないですが少々お待ちいただいても」
「構いませんよ」
「ありがとうございます。拓海、おまえはここにいろ」
「わかりました」
突然、名前を呼ばれた白井は動揺しながら答えた。その反応に、桐嶋は内心で微笑んだ。白井の初々しさに、桐嶋はわずかな安堵感を覚える。
工藤が部屋を急いで出ていくと妙な沈黙が流れた。先に口を開いたのは桐嶋だった。
「まだ録音って続けている状態ですかね」
「あ、そうですね。途中で止めるのは規則上できないので」
「そうでしたか。さすがに雑談はまずいですよね」
「うーん、そうですね」
「白井さんに聞きたいことがあったもので」
「なんでしょう?簡単なことであればいいですよ」
「いや、その若さで警部補だといわゆるキャリア組だと思うのですが、配属先が所轄って珍しくないですか?」
「あ、そのことでしたか。本当は本庁の警備部に行くはずだったのですが、自分の強い希望で現場配属にしてもらったのです。やっぱり刑事って憧れるじゃないですか!丸の内交番勤務時代から赤坂署への配属希望を出し続けて今年ようやくかないました!」
白井の目には純粋な熱意が輝いていた。
その姿に、桐嶋は自分の若かりし頃を重ね合わせた。
純粋な正義感に突き動かされる若き刑事の姿に、桐嶋は過去の自分を思い出す。
「そうでしたか。でも、配属されてすぐの相方が年配の方だと大変じゃないですか」
「いえいえ、工藤警部補は実績豊富で毎日教えてもらうことばかりです。説教くさいのが玉に瑕ですけどね」
「なんとなくわかります」
二人の笑い声は取調室の外にまで聞こえたようだ。
その瞬間、扉が勢いよく開け放たれた。雷が落ちたかのような衝撃だった。
「拓海ぃ!容疑者となごんでんじゃねぇぞ!」
ヤクザすらも震え上がるような怒声が響き渡った。
桐嶋は別な意味で感心した。これが現場たたき上げベテラン刑事の凄みかと。
「すみません!」
直立不動の姿勢で白井が立ち上がったと同時に、工藤の後ろから落ち着いた声が投げかけられた。
「工藤警部補、容疑者とは誰のことでしょう」
「藤堂参事官…いえ、それは…」
工藤は、藤堂啓介の方に振り向きながら言いよどんだ。その表情には、明らかな焦りが見えた。
藤堂の登場によって、場の空気は一変した。
「先ほどの説明では、任意の協力者という立場で桐嶋氏にご足労いただいたとのことでしたが、違ったのでしょうか」
「すみません、任意の協力者で間違いありません」
「彼は私の担当する事件で協力いただいている方です。ここで時間をとられるのは警察全体の損失だと申し上げたはずですが」
「その通りです」
「では、桐嶋氏を引き取ってもよろしいですね?」
「…問題ありません」
「桐嶋氏、行きましょう」
桐嶋は、工藤の表情の変化を見逃さなかった。
目に浮かんだ戸惑いと畏怖。そこには警察組織の厳格な階級社会が如実に表れていた。
「なるほど」と桐嶋は内心で呟きながら、静かに藤堂の後に続く。
取調室を出る際、工藤と白井の困惑した表情が目に入ったが気にしないことにした。
◆◇◆
二人は赤坂署を出て、藤堂が乗ってきた車に乗り込む。
藤堂の愛車、レクサスIS500はスムーズに発進し青山方面に向かった。車内には高級車特有の静寂が漂っていた。レザーシートの感触が、桐嶋の緊張を和らげる。
「尾行は、さすがにつかないか」
桐嶋は後ろを振り向きながら見渡した。都心の喧噪が窓越しに感じられる。
「身内の上位階級に尾行をつけるほど豪胆な人間は警察におらんよ」
赤信号で車を止めると、藤堂はハンドルに両手をのせながら断定した。その表情には、古くからの友人に対する心配と好奇心が混ざっていた。
藤堂の言葉に、桐嶋は少しだけ安心する。
「さて、桐嶋。事情は聞かせてもらえるんだろうな」
「ああ、それはもちろん」
助手席の桐嶋は、リラックスした表情で頭の後ろに手を組んでいる。その姿は、まるで日常の会話を楽しんでいるかのようだった。
緊張から解放された桐嶋は、本来の冷静さを取り戻していた。
藤堂と桐嶋は実家が近所の幼馴染だった。藤堂の方が1歳年上だが、なにかと馬が合った二人の付き合いは長い。
幼少の頃からの深い絆が、二人を結びつけている。
「電話では、1時間後に赤坂署に連行されるから助け出して!担当は工藤という人ね!念のための保険でよろしく!などと言っていたから適当な理由をつけたが」
「まぁね、ちょいと大きい話になるかもしれない感じもあるから連絡したかったんだよね」
「ヤバい話か」
「たぶん。あと倉橋にも相談したい。あとさ、鳴海と連絡とれないかな」
「鳴海?あいつは…」
「公安だろ?わかってるさ。でも、そこまでの話に発展する可能性が高いと思っている」
藤堂は深いため息をついた。友人の危険な状況を、彼は深く憂慮していた。
「どこまで深みにハマる気だよ」
藤堂は後ろからクラクションを鳴らされたことで青信号になっていることに気が付いた。車を再びスタートさせる。
東京の街並みが車窓を流れていく。ビル群が後方にどんどん小さくなっていく。
桐嶋はクラクションにも動じず中空を見つめていた。
その表情には、どこか楽しげな色が浮かんでいる。
まるで、これから始まる冒険に胸を躍らせているかのようだ。
その姿を横目で見た藤堂は大きくため息をついた。
「気づいているか。おまえさん、どう見ても楽しんでいるぞ」
「え、ホントに!?ヤダなぁ、そんなつもりはないのに」
「昔からのクセは変わっていないということだ」
藤堂は少し考え事をしてから新宿方面にハンドルをきった。
高層ビル群が視界に入ってくる。ビル群は、巨大な怪物のごとく、桐嶋たちを待ち構えているかのようだ。
進行方向を見つめながら運転していた藤堂が、もう一度大きく、わざとらしいためいきをついた。
「仕方ない、詳しい話を聞こうか」
「じゃあ、店に寄ってもらっていいか?いろいろ準備する」
「巻き込む気しかない言い草だな」
「え?それ以外に聞こえたのか?」
「聞こえんな」
アクセルを踏む足に力が増した。
車は都心の喧噪を抜けて、団子坂へと向かっていった。




