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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第40話「荊棘の冠」

 桐嶋のポーズは、撃てるものなら撃ってみろ、という意思表示だ。


「おれが信頼する仲間たちは、全員知っているさ。そして、おれが明日までに連絡をしなければ、この情報は全世界に向けて発信されることになる」


「SNSか?そんな不確かなものを全面的に信じる者が多数だとでも?」


「違うな。アメリカ大統領の公式発表として注意喚起されるのさ」


「大統領だと!?」


 もう何度目の驚愕かわからない。


 リカルドはめまいがしてきた。


「ああ、そうだ。アメリカ大統領の公式発表を疑う人間はあまりいないだろうな。世界中の、秘密主義で強欲な富裕層があたふたする姿は見物だな」


「アメリカ大統領が、一般人の言葉を信用して公式発表するわけがない!」


「別に、おれ個人の言葉がそのままいくわけじゃないさ。この情報は、モニュメンツ・メン財団からアメリカ政府への情報提供という形で渡される。モニュメンツ・メン財団は、勲章を2つももらうほどの組織だ。政府だって無下にはできない。しかも、大統領補佐官はこちらの味方だ。財団と補佐官の二本立て。万全の布陣さ」


「そんな…」


 この事実が、もし公表されれば世界中に混乱がおこるだけでなく、アウラ・ノクティスの存続問題にまで波及する可能性がある。


 売却した先から追求があるだけでなく、返金請求の嵐になる可能性も当然あり、その総額は天文学的金額になってもおかしくない。


 最悪、アウラ・ノクティスは消滅する。


「そこで取引だ、リカルド。この事実を公表されたくなければ、こちらの条件をのめ」


「条件だと?」


 銃をおろしたリカルドが力なく確認した。


「ああ。条件は2つ。1つ、おれたちに今後一切かかわるな。2つ、クリムトの絵はおれがもらう。以上だ」


「…それだけでいいのか?」


「ああ、それだけだ」


「…正直、100億よこせとか、殺させろとか言われても拒否できる内容じゃない。その2つだけでいいなら願ったりかなったりだ。だが、いいのか?その判定方法を公表しないのであれば、これからも贋作を売り続けるぞ」


「別にかまわんさ。おれは正義の味方じゃない。ただ、自分と自分の周囲に、安全と平穏がほしいだけだ。それにな、贋作はおまえたちのものだけじゃなく、古今東西いくらでもある。これに関しては騙される方も悪いと考えている口でね。贋作を買ったヤツの自業自得ってだけだろ」


 『正義の味方』という単語に、微妙に反応したリカルドを見て、桐嶋の表情がシニカルな笑顔に変わった。侮蔑的なニュアンスもある表情だ。


「正義なんてのはな、一方的な主張でしかないさ。誰かが正義を主張すれば、必ず相反する正義を主張する人間が現れる。百人いれば、微妙に異なる百の正義があったっておかしくはない。そんな面倒のものの味方になんかなりたくはないさ」


 桐嶋の言葉に呆気にとられたリカルドだったが、すぐに心底楽しそうに笑った。


 額をおさえながら体全体で笑っている。


「…桐嶋さん、おまえさん、本当におもしろいやつだな。組織に関係なく友人になってほしいくらいだ」


「はぁ!?願い下げだ!おまえみたいな物騒なやつはいらんわ!」


「おいおい、おまえさんの周りは、物騒なのしかいないと思うぞ?おれが善良に見えるくらいだ」


「…まぁ、否定はせんがな」


「それで?どうすればいい?おれは公表しないでください!お願いします!と頼み込むしかない状態だ。さきほどの条件はすべて飲むが…念書でも書けばいいのか?」


「おまえだけじゃなく、幹部一人一人から誓約書をもらおうか」


「幹部?全員?正気か!?」


 アウラ・ノクティスの幹部は世界中にちらばっている。


 数年に一度程度しか集合することがない。


 リカルドは、その手間を考えて暗澹たる気持ちになった。


「面倒だが…仕方がない。わかった。それぞれが持つ、紋章と封蝋付きで誓約書をだしてもらおう」


「そんなに安請け合いしていいのか?」


 幹部が何人いるかはわからないが、社会的にもそれなりの立場の人間ばかりだろう。


 自分の否になりそうなことを、簡単に受けるとは桐嶋には思えなかった。


 しかし、一つの可能性にたどりつく。


「そうか、リカルド。そもそも、おまえが幹部の一人か」


「ご明察。まあ、時間だけはくれ。すぐには無理だ」


「ああ、かまわん。そういうことなら、おまえのだけでも効力がありそうだしな」


「おれの誓約書は近日中に必ず。どこに送ればいい?」


「そうだな。焼き討ちしてくれたせいで当分の間は根無し草だが、店に郵便くらいは届くだろう。あ、そうだ。メール便で送ってくれ」


 桐嶋なりの皮肉だったが、事の発端を知らないリカルドには、なんの感慨もなかった。


「わかった。そうしよう」


 取引は成立した。


 張り詰めていた空気が一気に緩む。


 互いに、命と組織を賭けたギリギリの駆け引きは、桐嶋の完全勝利で終わった。


 腰の後ろに銃をしまったリカルドは、ソファにかけていたジャケットを持った。


 もう外は真っ暗だ。街灯の明かりが床を照らす。


 桐嶋は意外な言葉をリカルドに投げかけた。


「駄賃だ。ラファエロはどちらとももっていくがいいさ」


「…いいのか?」


 リカルドは桐嶋の真意を測りかねた。


 真作は世界的にも貴重な絵画だ。


 一部の好事家が秘匿していいものじゃない。


 てっきり『置いていけ』と言われると考えていたため耳を疑った。


「かまわん。名画は、秘密のままの方が名画足り得ることもあるさ。あ、クリムトはやらんぞ?」


「ご執心だな」


 桐嶋はクリムトの絵に手を置いた。


 金箔が月の光を反射し、怪しく輝く。


「それはそうだ。祖父、健吾はこの絵のおかげで贋作を作ることを決意した。それが武夫に受け継がれたからこそ、桐嶋家の過去を知ることができた。おれにとって、この絵…いや、この傷痕は、さながら荊棘の冠なのかもしれない」


 傷痕は、ほぼ円形状につけられている。


 見ようによっては、イバラの冠に見えなくもない。


「La corona di spine di Cristo」(イタリア語で「キリストのイバラの冠」)


 リカルドはイタリア人の多くがそうであるようにカトリック教徒だ。


 桐嶋の言葉が腑に落ちた。


「なるほどな。ならば、さしずめその絵は『黄金の荊棘』ということか?」


「黄金の荊棘か…いいな、そのワード。この絵の銘にするか。『若い女の肖像』じゃあ味気ない」


 二人は自重した笑いをたなびかせた。


「なぁ…また、会えるか?」


「会いたくはないが、この世界にいれば、どこかで、なにかの時に会うこともあろうさ」


「そうだな。では、その時まで。See you」


「Well,Take care」


 リカルドは部屋を出ると、仲間にすべてを説明したようだ。


 ほどなく、彼らは無言でラファエロの絵を運び出していった。


 屋外で車の音が聞こえる。


 桐嶋はスマートフォンを取り出し電源を入れた。


 充電は、ぎりぎり大丈夫だった。


「あ、藤堂。終わった。全部終わったよ…ああ、予定通りだ。大丈夫、傷一つない」


 桐嶋は電話しながら身支度を始めた。


 持ってきたケースに道具をおさめ、絵を保護材で包む。


「それでな、迎えにきてくれ…ん?場所?」


『あれ?そういえばここどこだ?』


 外に出て確認するが、まったく見覚えのない景色だった。


「わからん!探してくれ!頼む!」


◆◇◆


 4日後。


 キャリーたち4人が乗ったと思われる、アメリカ行きの飛行機を羽田空港で桐嶋が見上げている。


「あれか?」


「ああ、だろうな」


 なにげなく相槌をうった桐嶋だったが、後ろを振り向くと藤堂がいた。


「こんなとこで油を売ってていいのかよ、参事官殿」


「部下が優秀だから少しくらい大丈夫さ」


 藤堂が桐嶋の隣に並んだ。


「それで?どうするんだ、おまえは?」


「どうとは」


「ウインストンさんのことだよ」


「…なぜ、そこで彼女のことがでてくるのか理解に苦しむが…」


 桐嶋は少し考えこんだ。


「彼女は歳の離れた妹さ。それ以上でも以下でもない」


「もう7年だろ?そろそろいいんじゃないのか?」


「…ああ、そういう意味か」


 藤堂がなにを言いたいか、桐嶋はようやく理解した。


「なあ、藤堂。おれにとっては”まだ”7年だ。ソフィアに成り替われる女性はいない。そんな簡単に割り切れるもんじゃあないさ。仮におまえが、おれの立場だってそうだろが」


「…かもな」


「ほらな、人のことはいくらでも言えるもんだ」


「違いない」


 藤堂が苦笑する。


 桐嶋は両腕を挙げて大きく伸びをした。


「なんにせよ、ゆっくりしたいな。今回は事が多すぎた」


「まだまだいろいろありそうだしな」


「ああ、引きずりっぱなしだ」


「仕事は?」


「なにも変わらんさ。これまで通り細々とやっていくさ」


「それがいいか」


「まぁな」


 二人が帰ろうとした時、背後から声がかかる。


「兄様!私、決めました!アメリカには帰りません!兄様の助手をします!」


「…キャリー!?」


 見ると、キャリーの背後には例の3人も控えていた。


「はあ!?あれ??だって!飛行機!?」


「引き返しました!キャンセルです!」


「待て待て待て!なに言ってんだ!?財団は!?」


「やめます!もう決めたのです!」


 藤堂が笑いながら桐嶋の肩をたたく。


「あきらめろ。もう運命だと思っちまえ」


「他人事だと思いやがって…」


「ああ、他人事さ」


 語尾に笑いが重なる。


 呆然とする桐嶋を置いて藤堂は歩き始めた。


「ウインストンさん!こいつのことは任せてもいいかい?」


「藤堂様!?…はい!任されました!」


 満面の笑みとは、このような表情のことを言うのだろう。


 この二人に、この先どのようなことが待ち受けているかはわからない。


 それでも藤堂は、可能な限り協力して見守っていこうと、心の中で誓っていた。


 見上げると、青い空に舞う何条もの飛行機雲がたなびいている。


 藤堂の目には、プレゼントにかけるリボンのようにも見えた。



(黄金の荊棘 完)

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