第38話「機先」
アウラ・ノクティスに指定されたより30分も早く、桐嶋の姿は竹下通りにあった。
手には、チョコバナナクレープを持っている。
「一度、原宿でクレープという定番をやってみたかったから買ったが…ちと、おっさん一人にはきついな」
周りを見ながら、恥ずかしそうに縮こまりながら食べている。
「うまいからいいか」
竹下通りの全長は350m。
テレビで放映される映像を見るともっと長そうに見えるが、実際にはそれしかない。
人通りがなければ、歩いても4~5分で端まで着くだろう。
ただし、いつも人込みがあふれている日中の竹下通りにそれはありえない。
アウラ・ノクティスの指示は『1時間後に、原宿駅から竹下通りを明治通りに向かって歩いてください』だ。
つまり、どのタイミングで指示をだすか指定していないのだ。
人の歩く速度はそれぞれだ。
ましてや、歩いている姿を見たこともない状態で、歩行速度を読むなどということはできない。
つまり、敵が仕掛けてくるのは『原宿駅をでて、竹下通りに入る前』だと予想した。
問題は、神宮側からくるか、外苑側からくるかだが、桐嶋は外苑側に決めた。
原宿駅に着いた時に確認した結果、歩道の広さはどちらもそう大きく変わらないが、外苑側から南進する方が、比較的車通りが少ないことがわかったからだ。
人の乗降を、手早く行いたいのであればそちらだろう。
桐嶋は、Google Mapで確認しながら裏通りを進み、路地から駅前通りをのぞき込んでいた。
『人質をとられた側が、いつまでも受け身でいるなんて思うのは、ドラマの見過ぎなんだよ』
桐嶋がそう思っていると、それらしき車がゆっくりと外苑側から進んでくるのを見つけた。
当たりだ。
目を凝らしてみると、後部座席に倉橋らしき姿があった。
交渉事は機先を制した方が有利に進めることができる。
さきほどの電話では、桐嶋が主導権をとって終わった。
敵としては、今度こそ機先を制して主導権を握りたいだろう。
『そうはさせるか』
桐嶋は、その車に近づき後部座席の窓をノックする。
倉橋が、桐嶋の顏を認識して驚いた瞬間、車が急ブレーキをかけて止まった。
桐嶋は、その直後に後部座席のドアを開け、勢いよく倉橋の腕をつかみ、外に引っ張りだした。
「倉橋、すまんな、選手交代だ」
「桐嶋さん!?」
倉橋のひっくり返った声を聞きながらドアを閉める。
呆気にとられた車内の3人はなにもできないままだった。
後ろからクラクションの音が聞こえる。
「後ろがつかえている。早く車をだしてくれ」
あわてて車をスタートさせたが、3人には、理解するまでの時間が必要だったようだ。
ようやく隣の男が口を開く。
「…大胆すぎないか?」
「よく言われるよ、リカルド」
桐嶋は平然としている。
名前も当てずっぽうだ。
男が一瞬殺気だったように感じたが、すぐに平静さを取り戻した。
桐嶋の持ち物は、一枚の絵らしき包みとケース一つだけ。
「まずはスマートフォンの電源を切ってもらおうか」
「ああ、そうだな」
桐嶋は抗うこともなく電源を切った。
今のところ、主導権は桐嶋のままだ。
リカルドはなんとかして主導権を奪い取りたかったが糸口が見つからない。
「目隠しをしてくれるか?」
リカルドが平静を装いながら、黒い布を桐嶋に差し出した。
「当然の配慮だ。どこに連れていかれるかわからんが、ついたら起こしてくれ」
言うなり桐嶋は寝に入った。
強がっているだけだと思ったリカルドだったが、数分後には静かな寝息が聞こえてきた。
リカルドは驚愕した。
『なんなんだこの人は!?』
リカルドは、桐嶋を気に入った自分に気づいた。
いや、気づいてしまった。
◆◇◆
車が目的地に到着したようだ。
まだ、目隠しをされたままの桐嶋は、手を引かれながら屋内へと連れていかれた。
車を置いた場所から家屋まで、足元では敷き詰められた砂利の音がしている。
『一軒家かな』
車からの距離を考えても、その可能性が高いと桐嶋は思った。
肌に当たる風が、感じなくなってからもそこそこ歩いた。
かなり大きい屋敷のようだ。
先導役が立ち止まった。
目隠しが外される。
夏のまぶしい陽光が、桐嶋の目に注ぎ込んだ。
光量調節に苦労しながらも室内を見渡すと、そこは広いリビングだった。
調度品はほぼないが、吹き抜けの高い天井と2階の欄干が高級別荘を思わせる。
『うちの別荘とは大違いだ』
桐嶋は場違いな感想をいだいていた。
部屋の中央部分には、内装に不釣り合いなイーゼルが3つあった。2つには白い布がかけられていたが、もう1つには何も置かれていない。
その脇にはリカルドが立っていた。
後ろにも一人分の気配を感じる。
「さて、桐嶋さん。まずは持ってきてくれた絵をここに置いてくれるか?」
言われるまま、桐嶋はクリムトの絵から保護材を取り去り、イーゼルに置いた。隣と比べるとやはり小さい。
「そして、おまえさんに協力してもらいたい仕事というのがこれだ」
手前の布が取り払われ、1枚の油彩画が姿を現した。
「ラファエロ…」
ラファエロ・サンツィオ作『若い男性の肖像』
ポーランドのクラクフにあるチャルトリスキ美術館に所蔵されていたが、ナチスによって略奪された。その後は所在不明、第二次世界大戦中に失われた最も重要な芸術作品の一つとされている傑作だ。
「おまえらが持っていたのか」
「我々が持っていたというのは間違いないが、ここまで完璧な修復をしてくれたのは桐嶋武夫、おまえさんの父上だよ」
「親父が?」
「そうだ。この絵は、とある倉庫に眠っていたんだが状態がひどくてね、誰も手を付けていなかった。それを鷺沼が武夫に依頼したってわけさ。修復完了した報告写真を見て驚いたよ。あの煤けた真っ黒な状態、板材まで焦げていた絵がこんな傑作だったとは…おまえさんの父親は素晴らしい修復技術をもっていた」
「しかし、おまえらが殺したんだろう?」
「おれの前任者だな。上の言うことしか聞けない無能者だった。しかもタイミングが悪い。その結果がこれだ」
もう1枚の布の下にも、同じ作品が並んでいた。しかし、よく見ると、筆致が甘い部分や塗りが少ない部分、仕上が必要な部分と、明らかに作業途中の作品だ。
「途中かけの贋作…なるほどな、これを仕上げろということか」
リカルドが桐嶋の言葉にうなずいた。
「この2つは、5年前から中川のところに保管されていた。しかも組織に黙ってだ。これも前任者の仕業だな。ただ、中川も粛清対象の画商だったから好都合だったがね」
「殺して奪ったか」
「そうだ」
リカルドは平然としている。
リカルド自身が手をかけたかは明言されていないが、人の生き死にに慣れていることだけは確かだろう。
「…親父が使っていた画材は?」
「たぶん、これでいいと思う。一緒になって保管されていた。足りないものがあったら言ってくれ。準備する」
桐嶋は、木箱に入っている画材を確認した。
見た限り、一通り揃っている。
桐嶋自身が、ケースに入れて持ち込んだ画材も合わせればなんとかなりそうだった。
「いいだろう。ラファエロ作品に携われるなんてめったにない経験だ。たとえ贋作といえどもな」
「完成まではどのくらいかかりそうだ?」
「そうだな。内部の完全な乾燥まで考えれば1年程度かかるが、作業自体は5日…いや、6日だな」
「そうか。それなら間に合うな」
「間に合う?」
「ああ、この絵はすでに買い手がついているんだ。モニュメンツ・メン財団も余計なことをしてくれたもんさ」
彼らの口から、財団の名前がでてくるとは思わなかった桐嶋は、関係性を考え一つの答えを導き出した。
「カードか」
「そうだ。あんなものを、オンラインストアなんかで販売するものだから、興味をそそられる人が増えた。財団の思惑としては成功だろうがな」
「いくらだ?」
「10億ドル」
リカルドは聞かれることを想定していたのだろう。金額を即答した。
「…依頼者は、よほど優越感に浸りたい金持ちだな」
「ただし期限付きだ。来年のクリスマスまでに納品できるなら10億ドル。その後なら1億ドル」
「10分の1か。ひどい話だ」
「そのくらい、期日までに欲しいのだろうさ」
桐嶋は日数を数えることで、アウラ・ノクティスが急いでいたことを確信した。
「なるほどな。乾燥期間を考えればギリギリの時間だ。理解したよ。それで?おれへの報酬は?」
「5万ドル」
「…安いな。鷺沼は、クリムトの修復代に1億円を提示してきたぞ?」
「妥当だと思うがな。まだ、おまえさんをそこまで信用できない。人柄も腕もだ」
桐嶋は挑発されていることを感じた。リカルドの表情もそれを物語っている。
『安い挑発だ。だが、仕上がりが完璧であればあるほど仕掛けが生きてくる。そうだな、のってやるか』
桐嶋は、そう考えた。
「いいだろう!だがな、完成した作品を見て、もっと報酬を積み上げたくなるようにしてやる!」
「期待しているよ。あ、期間中の食事は期待しないでくれ。コンビニで買ってくるから、なにか希望があったら言ってくれ。冷蔵庫の中にある飲み物はいつでもどうぞ」
桐嶋は、すでに画面を丹念に確認している最中だったが、リカルドの声は聞こえたのだろう。
手をひらひらと振って応答の意思表示をした。




