第37話「緊迫」
午前9時半頃。
ホテルの地下駐車場に車を置き、直通のエレベーターで41階に上がってきた藤堂は、扉が開いた瞬間身構えた。
扉の両脇でエドガーとデイビスが、今にも銃を抜きそうな態勢で警戒していたからだ。
藤堂だとわかると道を開ける。
桐嶋が逗留している部屋の扉を開けると、そこには桐嶋と警察官が2人いた。
藤堂の姿を確認すると、2人の警察官は敬礼をする。
藤堂はそれに軽く会釈するなり、桐嶋に近寄った。
「奏は?」
「奏から連絡をもらってすぐにミラーに迎えに行ってもらった。多少、取り乱していてね。キャリーの部屋で面倒見てもらっている」
「奏のスマホは?」
「ここだ」
桐嶋が手で示した先のテーブルには2台のスマホが載っていた。
もう1台は桐嶋のものだった。
「やつらからの連絡はまだか」
「まだだ。倉橋の無事だけでも早く確認したいが」
「そうだな」
その時、扉が勢いよく開けられた。
全員に緊張が走ったが、中に入ってきたのは鳴海だった。
「桐嶋さん!組成成分の分析結果でました!これっす!」
鳴海は言葉とともに手に握っていた紙を桐嶋に渡した。
桐嶋は受け取るなり内容を確認した。…あった。予想通りだ。
「鳴海助かった。これでなんとかなる。あとは相手さん次第だ」
「桐嶋さん、あとこれも。頼まれてたやつっす。本庁にあったやつを借りたっす」
鳴海が桐嶋に渡したのは小さ目のライトだった。
「なんだそれは」
藤堂が訝しむ。
「これも今回の鍵の一つさ。鳴海、来て早々で悪いが、キャリーを呼んできてくれるか」
「了解っす」
鳴海は弾けるように外にでていった。
「桐嶋?」
「悪い藤堂。おれのやることはもう決まってるんだ。倉橋を助けて、アウラ・ノクティスと交渉する。それだけだ。そのために重要なことをおまえたちに説明したい。いわば保険だな。いや、本命でもあるのか」
桐嶋の目線の先には、クリムトの絵があった。
奏からの連絡と状況から、倉橋が拉致された可能性が高いと考え、交換条件の材料にもなる絵を昨日のうちに貸金庫から引き揚げて来ていた。
『エリアス、いや、健吾じいさん。あなたからの要望をかなえることができるかはわからないが、桐嶋家の呪縛を解き放つ時がきたようだよ。まったく大変な置き土産を残してくれたもんだ』
桐嶋が過去と対話していると、キャリーと鳴海が入ってきた。
「そろったな」
桐嶋は藤堂、鳴海、キャリーの3人をソファに座らせると、クリムトの絵を指し示しながら説明を始めた。
途中、驚きの声も何度かあがったが、桐嶋は気にせずに話を進めていく。
「…ということだ」
「兄様…すごいです。よくこんな…」
「なに、倉橋と二人のじいさんのおかげだよ。おれはパズルを組み上げただけさ。この話を知った全員がキーマンになるが、一番動いてもらわなければならないのはキャリー、君だ。頼めるか?」
「もちろんです!もちろんですとも兄様!お役に立ててうれしいです!」
「では、頼む。手配の早さが重要になるかもしれない。すぐにやれるか?」
「はい!」
小気味の良い返答とともに、キャリーは部屋をでていった。
「藤堂と鳴海もすまん。重荷を背負わせたしまった」
「なに気にするな。情報は知っているだけではなにもならん。使わざるを得ない状況にならないことを祈るだけだ」
「これ、重荷っすか?桐嶋さんの勝利を飾るファンファーレっしょ」
鳴海は桐嶋に向けて拳を突き出した。それに桐嶋は軽く合わせる。
「そうだな…鳴海、おまえにはもう一つお願いしたい」
「なんすか?」
「キャリーに動いてもらう以上、ミラーも補佐で動くだろう。だから、奏をお願いしたい」
「んー、女性の扱いヘタクソっすよ?」
「別に口説くわけじゃないから大丈夫さ。守る、共感する。それだけだ」
「…わかったっす」
そう言うと鳴海も隣室に移動した。
藤堂は、鳴海の退室を見届けると桐嶋に一歩近寄った。
「なぁ、桐嶋。ウインストン女史や鳴海は、おまえの交渉が成功することを疑っていない。だが、おれはそこまで割りきれん」
「付き合い長いからなぁ。おれがヘマするかもと心配なんじゃないか?」
「違う!そういうことじゃない…そういうことじゃないんだ」
「藤堂。おれが、アウラ・ノクティスにとって有為な人材だと言ったのはおまえだ。有為な人材とやらに危害を加えるわけがないだろう?」
「人間なんて、わけがわからん生き物だ。全員が、常に論理的な判断をするわけじゃない」
藤堂の声を聞きながら、桐嶋は生活用品が詰め込まれたケースから、30cm四方くらいの小さめのケースを取り出し中身を確認する。
中には、絵画修復に必要な最低限の道具一式が入っていた。
不足がないかチェックしてから藤堂を見る。
「それには同意する。他人のことなんてわかりゃしないさ。完全に理解するなんてのは絶対に不可能だ。でもな、自分が求める方向に誘導することは可能さ」
「誘導か」
「そうだ。これならそう難しいことじゃない。相手が欲しい情報を提示しながら、相手の思考選択肢を減らしていく。それだけだ」
「簡単に言うものだな」
「言うは易し、だ。まぁ、正直、やってみなければわからんがね。やってみる価値は大いにあるはずさ」
その時、パソコンを操作していた警察官が叫んだ。
「インターポールからの照会結果きました!写真の解像度が低いため、100%の結果ではありませんが、この3名です」
桐嶋と藤堂は、警察官が示した画面を凝視した。
・リカルド・フェラーラ
・ピエール・デュボワ
・ダビッド・ホフマン
「イタリア人、フランス人、ドイツ人か。まるで万国博覧会だな。これだけで、アウラ・ノクティスが多国籍組織なのが想像できる」
「ヨーロッパに巣食う魔物か…」
「お、藤堂。ずいぶんと中二病的な感想だね」
「詩的な感想と言え」
「あ、そういう言い方もあるか」
藤堂にそう言いながら、桐嶋は視界の端で明滅する光を感じた。
自分のスマホだ。
走ってスマホをとり、画面に表示された見覚えのない電話番号を素早くメモし、藤堂に渡した。
「調べてくれ」
藤堂はうなずくと、待機していた警察官に指示をだす。
「さて、勝負だ!」
桐嶋は気合いを入れて受話ボタンを押した。
「桐嶋さん?」
「そうだ。倉橋は無事か。なにも危害を加えてはいないだろうな」
「無事ですよ。今、写真を撮って送ります」
相手はそう言うなり、電話を切った。
藤堂を見ると、通信業者と話しているのか威圧感のある話し方だ。
「きた!電話番号の持ち主は…19歳、男性…19歳!?トバシか!」
トバシとは、「飛ばし携帯」の略称で、他人や架空の名義で契約された携帯電話のことを指す。
明確な携帯電話不正利用防止法違反であり、今回のケースでは誘拐幇助罪まで適用される可能性がある。
「すぐに逮捕状請求をかけろ。今日中にガラを確保だ!明石警視にも連絡しろ!」
次々と藤堂が指示をだしていく。
「19歳だぞ?」
「年齢なぞ関係あるか!自分の行為がいかに愚かしい軽率なことだったかをわからせてやる!」
「こわこわ…」
桐嶋のSMSにアドレスが送られてきた。
画像共有サイトのアドレスだ。
開いてみると、確かに倉橋だ。
自身の電波時計の時間が写るように見せている。
間違いはないようだ。
1分後。スマホが鳴った。
「確認した。元気そうだな。良かった」
受話するなり桐嶋は素直に感想を言った。
「信じていただけましたか?」
「ああ、信じよう。それでそちらの要求は?倉橋の奥さんではなく、おれに連絡をしてきた時点でだいたいわかるがな」
「聡いですね。倉橋さんをお返しする代わりに、桐嶋さんに手伝っていただきたい仕事がありましてね」
「わかった」
「…決断が早すぎませんか?」
「こちらの要求は倉橋を無事返してほしいだけだ。それさえ守ってくれれば協力してやろう」
電話の相手が鼻白んでいるのがわかる。
会話の主導権を握って交渉するはずだったのが、桐嶋に握られてしまったからだ。
「わかりました。では、1時間後。原宿駅から、竹下通りを明治通りに向かって歩いてください。そこで次の指示をだします。そうそう、クリムトの絵画もご持参いただけますか?」
「わかった」
「それでは、後ほど」
電話を切った直後、桐嶋が叫ぶ。
「GPSは!?」
「ダメです。車で移動してます。でも、これは…首都高?おそらくですが、横羽線を北上しています。今からでも出口を抑えれば」
藤堂が即座にその提案を否決した。
「人質の安全が最優先だ。そうだな、桐嶋」
「ああ、その通りだ。んー、横羽線か」
「どうした?」
「思ったより遠くから電話してきたと思ってな。そこから原宿までだと時間ぎりぎりじゃないか?」
藤堂がルートを確認し、自身の経験からだいたいの時間を計算した。
「…そうだな」
「電話してきた車と、倉橋を連れてくる車はおそらく違うな。さっきの敵さんの口ぶりからしても、現場でおれと倉橋を交換するつもりだろう。だとすれば…もう一人いるんじゃないか?」
「ありうるな。倉橋がどこにいるかわからんが、倉橋を拉致している人物と、今電話してきた人物が一緒とは限らん。全部で4人いる可能性か」
「今後どういう展開になるかわからんからな。想定だけはしておいた方がいいんじゃないか?」
「ああ、そうするとしよう」
「そういえば、Nシステムを使って特定することはできないのか?」
「あれは法的手続きに時間がかかる。すぐには無理だ」
「使えねぇなぁ」
そう嘆息しながら、桐嶋は準備していた荷物を手に持った。
その姿を見た藤堂が確認する。
「もう行くのか?早くないか?」
「早めに行っておくに越したことはないさ。こういうのはギリギリに行っても碌なことにならんもんだ」
「違いない。本当についていかなくていいんだな?」
「しつこい。あ、でも、時間差で、原宿に車を手配してくれた方がいいな。弱った倉橋を原宿近辺で敵さんが放り出すかもしれん」
「わかった。手配しておこう」
「おれのGPS確認もいらんぞ。どうせすぐに電源切ることになるさ」
「了解。ケリがついたらすぐに連絡寄こせよ」
「わかってるさ。じゃあな」
桐嶋の語尾と扉が閉める音は同時だった。
「…参事官、本当にこの対応でよろしいのですか?」
同席していた警察官が不安そうに確認した。
「ああ。あいつならうまくやってくれる」
藤堂は、自分の言葉で自分を信じ込ませようとしていた。




