第35話「騒乱」
木曜 午前8時半。
警視庁本部内に設置された合同捜査本部は騒然としていた。
室内には40人を超える警察官が着座し、前方のモニターを指揮棒で指す明石警視を注視している。
「これは由々しき事態だ!」
マイクを使う必要があるのか疑問に思うくらいの地声が、さらに拡声されて室内に響き渡る。
一昨日、今回の事件に関する捜査協力者、倉橋慎太郎氏が東京駅から覆面パトカーで自宅まで護送されている最中、同乗していた警察官によって拉致された。
翌日、覆面パトカーは練馬区内で発見されたが、車内には誰もいなかった。
覆面パトカーを運転していたのは、駒込署の山内巡査部長。同乗していたのは同じく駒込署の高橋警部補。
状況から考えて、倉橋氏は、高橋警部補と山内巡査部長によって拉致されたと考えられる。
警察内部の不祥事。しかも一般人を職務中に拉致するなど前代未聞といっていい。
「駒込署には、昨日付けで合同捜査本部から外れてもらっている。間違いありませんね?門脇署長」
駒込署の門脇署長は、背中を丸めて居心地悪そうにうなずくだけだった。
本来、署長は即時更迭されてもおかしくない。
だが、門脇署長は署内からの人望もあるため、士気の低下を考え留任されている状態だ。
後ほど更迭されるのは間違いないが、タイミングだけは間違えないようにしなければならなかった。
「鷺沼氏の殺害から始まり、中川氏の殺害。そして今回の倉橋氏の拉致だ。最初の事件から何日経っていると思っている!記者クラブの連中だって、そろそろ嗅ぎ出して動き始めるぞ!これらのことが報道された場合、都民の目にどう映るか!」
参列者は皆、自前のパソコンの画面で資料を確認しながら明石警視の話を聞いている。参列者の中には、赤坂署の工藤警部補と白井警部補の姿も見えた。
「藤堂参事官および一般協力者、アメリカ大使館からの協力もあり、鷺沼氏と中川氏の殺害に関してはアウラ・ノクティスという犯罪組織の関与が疑われる。防犯カメラの映像などから、3人の外国人の容疑者はうかびあがっているが、現在も所在不明。倉橋氏の拉致も、倉橋氏自身が2件の事件に関する協力者であったことから、同じ組織の犯行による可能性が高い。まだアジトの一つも見つからんとは…!」
明石警視は、工藤警部補と同期。
現場からのたたき上げで警視まで上り詰めた生粋の刑事だ。
本心は自分で動きたいのだろう。だからこそ歯がゆくて仕方がない。
しかし、それは藤堂も同じだった。
腕を組んで落ち着いているようには見えるが、はらわたは煮えくり返っている。
今回の一連の事件は、最初から藤堂のミスが連続した結果だ。
事件の解決を第一義に置くのではなく、あくまで桐嶋の安全を最重要事項として扱った結果なのだ。
もしかしたら悠彩堂放火の際に、容疑者を任意同行していれば、現在の状況は違っていたかもしれない。
倉橋が拉致されたのも藤堂の判断ミスだ。
鳴海の迎えは警視庁の刑事に任せた。
鳴海はそのまま警視庁に行く予定だったからそれはいい。
しかし、倉橋も同様にすべきだったのだ。
だが、実際には、その時に動かせそうだった駒込署の人間に任せた。
しかし、よくよく考えてみれば警察内部の人間が絶対安心であるという神話は、とうの昔に崩れていたではないか。
桐嶋の父、武夫氏の死には、宮古署の刑事2名の関与が疑われる。
内偵の結果、彼らには多額の借金があったことがわかっていた。
そして、今回の駒込署の2人にも同様のことが昨日判明している。
買収されたのだろうと、誰しもが思う状況だ。
つまり、アウラ・ノクティスの手は警察内部にまで広がっているのだ。
誰が信用でき、誰が信用できないのか。
それすらもわからないといっていい。
今いる40人以上の警察官の中にだって、アウラ・ノクティスへの協力者がいてもおかしくない。そういう状況だ。
明石警視の怒声のような言葉が続く。
「とにかくだ!倉橋氏の救出!これが第一だ!次に容疑者の所在把握!確保!最後にアジト!やつらの行動拠点の把握だ!わかったな!行け!動け!足で稼ぐんだ!少しでも早く解決するぞ!」
「はい!!!!」
40人以上の一斉応答は床を揺り動かすほどの圧力をもっていた。
全員がパソコンをたたみ、上着をひっつかんで部屋から走り出す。
その時、藤堂が立ち上がった。
「赤坂署の工藤警部補と白井警部補は残ってくれ」
訝しげそうな目線を向けるものもいたが、工藤と白井以外の刑事はそのまま室外にでていった。
二人と明石警視が藤堂の元に歩み寄る。
藤堂よりも先に工藤が口を開いた。
「我ら2名は信用していただいたと思ってよろしいわけですか、参事官」
「ああ、その通りだ」
白井はなんのことかわからないでいたが、明石警視は気づいたようだ。
「藤堂参事官。彼らは適任だと思料します」
明石警視は、2人の肩を力を込めて叩いた。工藤には、より力強くだ。
「痛ぇんだよ。馬鹿力だけは相変わらずだな」
「余計なお世話だ。頼んだぞ」
明石警視は工藤にそう言うと指揮所に向かった。
「あのー、どういうことかわからないのですが…」
白井がおずおずと手を挙げた。
「おれたちにあいつらの内偵をしろとよ」
「あいつら?内偵?」
「察しの悪いヤツだな。さっき外に出ていった刑事全員の状況、少なくても負債状況を内偵して、裏切り者がいないか我々二人だけで調べろってこった!」
「は?…えーーー!?二人で!?」
「参事官様の信用を勝ち得たからこそのご指名だ!心してかかるぞ、白井!」
「何日かかりますか?工藤警部補」
「今日明日中には一報を必ず」
「わかりました。よろしくお願いします」
「お願いされました!白井行くぞ!!」
「え、え?待ってくださいよ!」
こうして赤坂署の二人も室外へ走っていった。
残ったのは中央指揮所の5人と明石警視、藤堂だけだ。
「さて、参事官。あなたも行ってください」
意外な言葉が明石警視から藤堂にかけられた。
「しかし、捜査本部に本部長不在は」
「そんなルールはどこにもありませんよ!あなたは頭でっかちな参事官じゃあない!動けない本部長じゃないんだ!だったら動くべきでしょう!」
明石警視の目は、藤堂を鼓舞するように力が込められていた。
「今回の事件、どうやったってあの場所が最前線だ。だって、そうでしょう。キーマンは桐嶋氏だ。おれの勘もそう言っている!だったら、あなたはそこにいるべきだ!」
「明石さん…」
明石警視は、藤堂が入庁した時の教養指導者だ。
藤堂のいろんな面をこれまで見てきた。だからこそ言える言葉だった。
「行け!藤堂!ここはおれに任せろ!」
藤堂は逡巡したが、明石の言葉に従うことにした。
「わかりました!明石さん、お願いします!そして、ありがとうございます!」
そう言うと藤堂は走り出した。
駐車場に出ると、すぐに自分の車に乗り込み新宿に向かった。
「無事でいてくれ!倉橋!おれが行くまで動くなよ!桐嶋!」




