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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第31話「沈黙」

 日曜 午後6時半すぎ。


 ホテルの窓から見える地平線はうっすら紫がかっていた。


 まだ陽の長い時季ではあるが、そろそろ夜の帳が落ち始める時間帯だ。


 団子坂なら、家々の窓の明かりがつき始め、どこかほっとする光景が広がるはずだった。しかし喧騒の中心地、新宿の照明は少々どぎついようだ。


 ノックとともに鳴海が入ってきた。


「ちっすちっす。桐嶋さん。ご所望の品をお持ちしました」


 手に持っていたのは、ガラケーと、昔懐かしい電話帳だ。


 その姿を見るなり、桐嶋は重大なことを思い出しあわてた。


「あっ、そうか!しまった!充電器なかっただろ?」


 応える鳴海は平然としたもんだ。


「あー、大丈夫っすよ。押収品に同型の充電器があったので、満タンにしてもってきたっす」


「お、お?おおう、ありがとう?」


 こうして警察の押収品は消えているのかと、桐嶋は妙な納得の仕方をした。


「あと、これも藤堂さんから預かってきたっす」


 それは、父、桐嶋武夫名義の銀行口座通帳だった。


「そうか、それもあったな。一緒にしてたか。藤堂のクセに気が回りすぎだろ」


 鳴海から受け取った桐嶋は、最初に電話帳を開く。


 思ったよりもたくさんの連絡先が書いてあった。


 桐嶋の交友関係は多い方ではない。


 だからだろうか。家族も同じだという認識でいた。


 しかし、この電話帳を見ると、祖父の健吾は社交的な人だったことがうかがえる。


 健吾のものと思しき字で書かれた人名が多い。


 企業名や商店名もある。昔はけっこう手広く商売していたのかもしれない。


 考えてみれば当然のことだ。


 年をおうごとに家族の構成人数が増えている。


 つまり生活費や光熱費が増えていくのだから、稼ぎが増えなければ生活は困窮する一方だ。


 ザムエルさんと祖母から始まった悠彩堂。


 祖父が加わり、母が加わり、父が加わり、最後に桐嶋悠斗が加わった。


 この電話帳は、桐嶋家の歴史そのものだ。桐嶋はそう思うと胸が熱くなった。


「日記のせいだ」


 以前は、ここまで家族を近くに感じることがなかった。


 しかし、日記を読んでからは、自分が生まれるまでに関わった人たちの息遣いを感じるようになった。


 この変化は桐嶋にとってまったく予想していなかったことだ。


 子供の頃は父を憎んでもいた。


 他の家庭にあるものが桐嶋家にほとんどなかったからだ。


 母も祖父母もいなければ、笑顔で接してくれる父親もいない。


 いるのは仏頂面の口数が少ない父親だけ。


 おもちゃもなければゲーム機もない。


 あるのは絵画と美術関係の本だけ。


 このような環境で、美術以外の道を選択しろという方が無理な話だ。


 気になって通帳を確認した。


 父が亡くなった時、相続するべき残高を確認したが、他にはほぼ目を通していなかったことを思い出したからだ。


 鳴海がもってきてくれた通帳は4冊。どれも同じ口座のものだ。


 最後の1冊は、繰越直後だったらしく、繰越残高と光熱費の引き落とししか載っていない。


 桐嶋は他の3冊の取引を詳細にチェックした。


 そして、なぜ、桐嶋家が貧乏だったかを完全に理解した。


 毎年、1~2回の頻度で、なかなかの額が振り込まれている。名義は4つくらいでローテーションしているが、金額はほぼ同じだ。


 これがおそらくアウラ・ノクティスがらみなのだろう。


 そして、毎回、その直後に世界中の美術館にまとまった額が寄付されていたのだ。


・メトロポリタン美術館

・スミソニアン機構

・大英博物館

・ルーブル美術館

・アムステルダム国立美術館

・ウフィツィ美術館


 これらの美術館は、世界中からの寄付で成り立っている美術館だ。


 国立の場合は、国からの助成金もあるが、寄付に対する依存度は高い。


「贖罪だったのかもな」


 父は祖父から仕事を受け継いだ。


 だがそれは、養子としてそうしなければならないという使命感だったと考えれば辻褄があう。


 俯瞰して全体像を見れば、ロンダリングを疑われてもおかしくない行為だが、父に備わっていた正義感が、健吾の死によって発露された結果なのかもしれない。


 確認することはできない。


 今は誰もいない。いないのだ。


 相手が存在しなければ事実を確認する術はない。


 想像するしかないというのは苦しいものだと、桐嶋は痛感した。



◆◇◆



 桐嶋は再び電話帳の確認を始める。


 今度はガラケーの電話帳と見比べながらだ。


 それぞれに同じ名前があれば、それが顔料屋である可能性が高い。


 そして、それは、ほどなく見つかった。


 電話帳には『藤原経久』『藤然商店』とあり、ガラケーには『藤原経久』『(株)トーゼン』とあった。


 電話帳には0222から始まる電話番号が記載されており、ガラケーには022から始まる電話番号が登録されている。


 市外局番が異なることが気になった桐嶋がネットで調べてみると、変更になったのが1986年7月1日だということがわかった。


「おれの生まれた年じゃないか」


 さすがにこれは偶然だろうと桐嶋は思ったが、気に留めておくことにした。


 『仙台の』という記述からも、022の番号がこれしかないのだから確定だろう。


「倉橋に悪いことしたな」


 先に気づいていれば、情報収集を依頼することもなかった。


 気負いこんでいただけに、桐嶋は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 奏と一緒のところに電話するのも悪いと思い、メールで伝えておいた。


「さて、問題はこっちだ」


 株式会社トーゼン。


 世界的企業であるトーゼングループの中核会社だ。


 巨大複合企業でありながら、いまだに本社を仙台に置いている稀有な企業でもある。


 藤原経久は、父である藤原然吉から藤然商店を受け継ぎ、一代でトーゼングループを築き上げた立志伝中の人物だ。


 早い段階で、養子である藤原亮治に社長の座を譲り渡し悠々自適の生活だが、隠然たる実権をもっているともっぱらの噂だ。


 その力は財界だけではなく政界にも及んでおり、いまだに陳情にくる客が後を絶たないらしい。


「トーゼントーゼン♪

買ってトーゼン見てトーゼン♪

使ってトーゼン良いトーゼン♪

この番組は、トーゼングループの提供でお送りしました」


 桐嶋が口ずさんだのは、昔、テレビでよく流れていたフレーズだ。


 桐嶋の世代で知らない人はいないだろう。


「鳴海も知ってるよな?」


 すぐ近くにいるものだと思っていたので声をかけたが、そこに鳴海はいなかった。


 かわりにミラーが返答した。


「鳴海様は外におります。お呼びしましょうか?」


「いや、いい。大丈夫。気にしないでくれ。あれ?そういや、キャリーは?」


 後ろを振り向くと、魂の抜けた表情をしたキャリーが机に頭を乗せていた。


 ミラーがてきぱきと書類を整理しているところを見ると、たまっていた書類仕事がようやく終わったらしい。


「兄様、食事にしよー」


「ああ、そうだな。そうしようか。ミラー、お願いしていいかい?」


「かしこまりました」


 桐嶋とキャリーは、食事が運ばれてくるのを待っている間、エドガーから警護体制に関する報告を受けていた。


 昨晩からの状況を考えると、敵にこの場所を察知されている可能性が低く、一段階警戒を下げることにしたいらしい。


 つまり、キャリーも自室に戻ることになる。


 多少、不満そうな顏をしていたが、桐嶋としては好都合だったため了承した。


 食事中、桐嶋は、くだんの人物のことをキャリーに聞いてみた。


「藤原経久氏ですか?以前、父様がお会いしたことがありますね。『陸奥御前』と呼ばれているとか」


「陸奥御前!?それはまた、時代錯誤な呼称だな」


「そのくらい力を持ってるようですよ。上院、下院にも息のかかった議員がいると聞いたことがありますし」


「アメリカ議会にもか」


「なにかあったのですか?」


「あったというか、これからというか…その御仁と交渉しなければならないようでね」


「父様に頼んでみますか?」


「いや、大丈夫だ。やってみるだけやってみるさ」


 食事が終わり、キャリーはミラーに伴われて自室に帰っていった。


 部屋に静寂が戻る。いよいよ、その時が来た。


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