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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第29話「顔料」

「ところで桐嶋さん、先ほどの電話の用件はなんでした?」


「そうそう、奏に押されて言わずじまいだった」


 どこかちょうど良い場所がないか探したが、机はキャリーの仕事の資料であふれているし、ソファは占拠されている。


 桐嶋は仕方なく寝室からスツールを二つもってきて空いている場所に置き、倉橋に座るよううながした。


「メールでもらった『特殊な雲母』の件だ。思い出してみると、クリムトの絵に使われているのは、イタリアのトスカーナ地方で採取された、セレーナ石(雲母片岩)くらいなんだよ。何度か修復したことがあるから間違いない。そして、セレーナ石の流通は少ないだけで珍しくはない。だから『特殊な雲母』が使われているはずがないんだ。しかも、どこでも取扱いがないということは金雲母でも白雲母ですらないということだ」


「え!?でも、組成成分表では間違いなく雲母の一種で…」


「倉橋、採取した場所はどこだ?」


「例の爪痕のところです。盛り上がっていた絵具を削りました」


「やはりか」


「やはり?というと、桐嶋さんにはなにか心当たりが?」


「ああ、仮説でしかないがな」


 桐嶋は席を立ち、パソコンをもってきて祖父の日記帳を翻訳した文章を指した。


「手がかりはここさ。1970年7月の記述。『顔料屋から仕入れる雲母は非常に質が高い。他に類を見ないほどだ』」


「あ!」


「例のクリムトの絵、若い女の肖像画の頬の部分には確かに雲母が使われている。これは光の反射具合から明らかだ。しかし、爪痕の部分から採取した雲母とは異なる。それはなぜか」


 桐嶋はパソコンではなく日記帳の原文を読みながら続けた。


「祖父は傷痕がしのびなくて修復しようとしたんだと思う。贋作製作を決意するほどに心理的影響を与える絵だ。何度も見るうちに治そうと思っても不思議ではないさ」


「そして…絵具を作り、治そうとしたところで思いとどまったが、一部の絵具は爪痕の箇所に付着したと?」


「そういうことだ。その場所をおまえが削ったとすれば『特殊な雲母』が検出されたことに説明がつく」


「桐嶋さん、今、絵はどこに?」


「銀行の貸金庫だ」


「今日は日曜ですからさすがに無理ですね」


 倉橋は残念がった。


 現物を調べれば違いがわかるかもしれなかった。


「倉橋、あの時写真をとったデータは?」


「あ、そっか。拡大すればわかるかもしれませんね」


「おれも撮ってあるから見比べてみよう」


 桐嶋はパソコンにデータを転送し、拡大した画面を二人で確認した。


「まずは倉橋が撮った、絵具を削り取る前の画像」


 周りと違うかもしれないという前提条件が念頭にある状態で見ると、光の反射具合がほんのわずかに異なる部分が見てとれた。


 写真を何枚もとっていたからこそわかった違いだ。


「違いますね」


「違うな」


 次に確認したのは、削り取った後に桐嶋が撮った画像。


「光の異なる部分が削りとられてますね…桐嶋さんの仮説が当たりだと思います。…ああ!もう!!なんでこんなミラクルな場所を削るかなぁ!!」


 倉橋の後悔ともとれる嘆息が吐き出された。


「だがな、おかげで日記の雲母の箇所に注目することができた。これは倉橋のお手柄さ」


「皮肉を言わないでくださいよ」


「皮肉なんかじゃないさ。本当にお手柄なんだ。おかげでもう一つの仮説が現実味をおびてくる」


「まだあるんですか」


「ああ。だが、この仮説は現物を確認して立証される代物だ。鍵は『仙台の顔料屋』か…」


「桐嶋さんが翻訳したものしか読んでいないので、その情報しかわからないのですが、原本の日記帳にもそれしか?」


「そうなんだよ。どこの誰ともわからない。仙台としか」


「探してみますよ」


「え?」


「仮にその顔料屋しか扱っていない雲母ならば、周辺の業者に情報収集すればなにかわかるかもしれません」


「可能なのか?」


「文化庁の情報網を舐めちゃいけません。宮城県、岩手県、山形県、福島県の関係各所にあたればなにかでてくるでしょう」


 得意げな倉橋の顏は任せてくださいと言わんばかりだ。


 桐嶋は少し考えたが適任だと考えお願いすることにした。


「わかった。よろしく頼む」


「承りました。さて、今日はここまでにして帰ります。帰国直後の奏を休ませたいので」


「そうだな。妻孝行するべきだ」


「ここにきたのも妻孝行みたいなものですけどね。奏。そろそろ帰るよー」


 女性たちは楽しくおしゃべりをしていたが、倉橋の言葉に奏が反応した。


「愛しの旦那様がああ言っているのでね、今日のところは帰るよ」


 キャリーとミラーは名残惜しそうだったが、奏に疲労の色が見えたため無理は言わなかった。


「桐嶋クン、またくるよ。今度は悠彩堂に行きたいな」


「ああ、落ち着いたらな。ところで、奏。なんで宝塚みたいな話し方になっているんだ?」


 奏が苦笑いしている。


「最初にこの設定で話始めたら戻らなくなっちゃった。あ!戻った!桐嶋クン、ありがとー!」


「イギリスでまた変なことにハマったのかと思ったわ。またな」


 奏はブンブン手を振りながら、倉橋に引きずられるように部屋からでていった。


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