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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第27話「悠彩堂、炎上」

「悠彩堂が火事だと!?」


 桐嶋悠斗は驚きを隠せなかった。


 店舗兼住宅には、今回の件があって以降まったく帰っていない。


 最近、中に入ったことがあるのは倉橋くらいだ。それだって数日前のこと。


 何らかの失火だとしても遅すぎる。


 漏電?それくらいしか考えられないが。


「藤堂!どういうことだ!?なぜ、おまえからその連絡がくる!?」


「ついさっき、所轄の駒込署から連絡が入った。駒込からも合同捜査本部に応援がきていたからそれでだろう。場所を把握している工藤と白井が向かっている。詳しい状況はまだわかっていないが、消防からの情報でも悠彩堂が燃えていることだけは間違いない」


「すぐ行く!」


「待て!そこから動くな!」


 意外な言葉が藤堂から返ってきた。


「動くな!?なぜだ!」


「このタイミングでの火事だ。裏がある可能性を考えろ」


「裏?」


「放火の可能性ですよね?」


 桐嶋の背後からキャリーが自らの考えを口にした。


 通話がスピーカーモードだったため、桐嶋と藤堂の会話は丸聞こえだ。


「そうだ。ウインストンさんもそこにいるのか。ちょうどいい。ウインストンさん、襲撃の可能性もある。警戒を厳重にしてください」


「わかりました。イヴリン」


「承知しました」


 キャリーの言葉に即座に反応したミラーが廊下に出ていった。


 外の二人に状況を説明しに行ったのだろう。


「藤堂、説明してくれるか?」


「ああ。自然失火や漏電による火災ならそれで終わりだ。おまえには悪いが特に問題もない。だがな、放火となれば話は別だ」


 ミラーが戻ってきた。外はエドガーとデイビスに任せたようだ。


 窓のカーテンをすべて閉め、自身は扉の脇に待機する。


 物音が微かに聞こえたからか、口をつぐんだ藤堂が再び話始める。


「アウラ・ノクティスによる放火を疑うべきだろう」


「…なぜ、放火する必要がある?」


「おいおい、しっかりしてくれ。おまえはアウラ・ノクティスにとって有為な人材だと自覚していないのか?」


 藤堂の言葉に桐嶋が不思議そうな顔をした。


「有為な人材?おれがか?」


「もういい。また連絡する。いいな、絶対に動くなよ。キャリーさん、申し訳ないが、そこの無自覚野郎に説明しておいてくれるか?」


 いらいらした声の藤堂の依頼に対してキャリーが即座に反応する。


「わかりました」


「よろしくお願いします。それでは」


 画面に通話終了の文字が点滅した。


 桐嶋はキャリーを見たが、キャリーはミラーに確認をする。


「態勢は?」


「問題ありません。ただし、警護上、お二人に分散されると難しくなりますので、今晩はお二人ともこの部屋にいてください」


「そうします。では、兄様、少々お話をしましょう」


「いや、あのな、キャリー。さっきの藤堂の言葉で君はわかったのか?」


「ええ、それはもう。藤堂様のご懸念はごもっともです。アウラ・ノクティスも兄様の有為性に気づいたのでしょう。だから罠をしかけた」


「だから、その有為性というのはいったいなんのことなんだ」


「兄様。兄様のお仕事は何ですか?」


 キャリーの迂遠な言い回しに桐嶋は多少イラついた。言葉尻が強くなる。


「いろいろやってはいるが、集約すれば絵画修復だ。君も知っているだろうが」


 桐嶋の言葉にまったくひるまずキャリーは説明した。


「ええ、存じています。優秀だったアカデミー時代も名声を築き上げたアメリカ時代もすべて存じ上げております」


 笑顔が少し怖い。桐嶋は口を閉じた。


「兄様は優秀な絵画修復家です。まずはそれを自覚してください」


「いや、優秀って…」


「優秀でもない方に、ナショナル・ギャラリーは修復の依頼をいたしません!AIC(米国保存修復研究所)に所属していたとしてもです。兄様はもっと自己評価を高くすべきです。だいたいなんですか!日本でも有名になるくらい活躍していると確信していたのに、実家とはいえ、しがないアトリエで細々と暮らしているなんて思いもしませんでしたよ!?アメリカでの実績を誇示すれば、いくらでも大きい仕事はありますでしょうに!」


 キャリーの話はまだ続いている。彼女なりに思うことがたくさんあったようだ。


 桐嶋は耳をキャリーに向けながら、キャリーの言う自己評価について考えた。


 これまでの実績を売り向上にすれば、仕事は引く手あまただだろう。


 それくらいはわかる。


 だが、それは桐嶋にとって少々面映ゆい。恥ずかしいとさえ思う。


 過去の実績は、確かに担保になる。だが、それはあくまで過去のものでしかない。


 未来の仕事に対する補償にはならないというのが桐嶋の考えだ。


『過去の実績なんて、所詮、砂上の楼閣にすぎないさ』


 だが、キャリーの言うことにも一理あるのはわかった。


 これからは意識を改めることとしようと結論づけた。


 そろそろキャリーの話が一周したようだ。


「…ですから!」


「わかったよ、キャリー。君の言う通りだ。これからは自分の評価をもっとあげることにするよ」


「…わかってくれましたか」


 息が荒い。


 桐嶋は水差しからコップに水をそそぎ、キャリーに渡した。


 受け取ったキャリーは一瞬コップを見つめたが、大事そうに飲み始めた。


 飲み終わった頃には落ち着いたようだ。


「兄様、ありがとう」


「だが、放火すべき理由はよくわからん」


「兄様の所在を確認するためです。あわよくば拉致するつもりだったかもしれません」


「あー…炙り出しってことか…大胆だねぇ」


「兄様のお爺様はお父様を後継者として指名されました。しかし、お父様は兄様を後継者にしておりません。つまり、お父様は、兄様にアウラ・ノクティスとは距離をおいてほしかったのだと思います。しかし、アウラ・ノクティスにとっては誤算でした」


 そう言われると思い当たることは多数ある。


 キャリーの言う通り、桐嶋武夫は息子に修復家の道を選んでほしくなかったのだろう。


 だから、自分の技術や仕事内容を徹底的に教えなかった。


 進路としてウィーン美術アカデミーを選んだことには驚いただろうが、悠彩堂にとどまりさえしなければ、アウラ・ノクティスの手から逃れられるかもしれないと考えたとしても不思議ではない。


『もしかしたら兄様の後継指名を断ったことも殺された理由の一つかもしれない』


 キャリーはそのことに思い当たったが口には出さなかった。


「兄様はアウラ・ノクティスにとって有為な人材です。実績や名声もある、優秀な絵画修復家です。特に近年、自らの手足であった画商や絵画修復家を切り捨ててきたわけですからなおさらです。銀行口座に紐づいていないことも大きい。どうにかして自分たちの陣営に引き込もうと画策しているとしても納得できる話です」


「すごいな。よくあれだけの会話と事象からそこまでわかったな」


「えっへん!私はすごいのですよ!」


 キャリーは、両手を腰に当てて足を開いてのけぞった。


 そのような格好をするとどうしても胸が強調される。


 桐嶋は目のやり場に困り、あらぬ方向を見たがキャリーは気ずいていない。


 気づいたのはミラーだ。忍び笑いをしているのがわかる。


 その時、助け船のように桐嶋のスマホが鳴った。


 さきほどの経緯もあるので桐嶋はスピーカーモードを押した。


「ウインストンさん、そこの唐変木は自覚しましたか?」


「おいおい、おれに電話しておいてそれかよ」


「当然だ。おまえが理解していなければ話もできん。で、どうだ。理解したか?」


「ああ、キャロライン教授から懇々と説明していただいた。大丈夫だ」


「なら、いい。時間がないので手短にいく。まず、火事の規模だがボヤ程度ですんだ。燃えたのは1階の内部、手前の方だけだ。類焼や延焼はない。ご丁寧に窓ガラスを割り、燃焼材らしきものを投げ込んだようだ」


「派手なやり方だな」


「おまえの所在を確認するのが目的なら賢い方法さ。中にいれば外にでてくるだろうし、駆け付けられる範囲にいるなら店までやってくるだろう。窓ガラスを割った音が聞こえれば近所からの通報も早まる。燃やすことだけが目的でないのなら火事は大きくなってほしくないからな」


「あ、そっか。工藤さんたちを現場に行かせたのは」


「状況確認もあるが、放火犯か誘拐犯がそこにいる可能性があったからだ。報告によれば予想通りに怪しいのがいた。一人は防犯カメラにも写っていたフランス人っぽい方。もう一人は暗くてはっきりとはわからなかったらしいが、かなり大柄な外国人の男らしい。間違いなくおまえが行っていたら、なんらかのアクションがあっただろうな。白井が尾行や任意聴取を求めてきたが今はやめておいた。今は、やつらに気づいていないと思わせた方がいい」


「しかし、一度は行かないとまずいだろう。近所への挨拶もあるし」


「それは、おれが明日行ってくる。近所のおっちゃんおばちゃん連中に説明するのは、おれの方が向いてる。おまえは岩手の別荘に行っていることにするから口裏合わせておけよ」


「さすがは団子坂の出世頭。任せた」


「…格好悪い異名だな」


「今付けた」


 直後に電話は切られた。


 桐嶋は頭を掻きながら通話をオフにした。


 スマホに表示された時間を見ると、すでに午前1時をすぎている。


「キャリー、そろそろ寝た方がいいな。あっちのベッドを使ってくれ。おれはここのソファを使うから」


「…わかりました」


 今日は素直だ。駄々をこねられるかと思っていただけに桐嶋は安心した。


 とぼとぼとキャリーは歩いて行った。


「ミラー、君は?」


「今晩は3人交代で歩哨をしますのでお気遣いなく。あ、鳴海様がいっらしゃいましたね」


「鳴海?」


 部屋の外にでると、鳴海がエドガーと何事かを話していたが、顏をだした桐嶋に気づいたようだ。


「桐嶋さん、参事官様のご命令により参上しました」


 慣れない敬礼をしている。ヘタクソな敬礼だな、と桐嶋は思った。


「藤堂が?」


「ええ、3人だと警護のローテーション的に厳しいだろうと。要人警護も今回の任務に入っていますしね。ということで、桐嶋さんはごゆっくりお休みください。あ、でもそんなに過剰な期待は禁物っすよ?レクチャー受けた程度でしかないっすから」


 再び敬礼をする。桐嶋は必死に笑いを抑えようとしているが、顔が引きつってしまいそうだった。


「鳴海様の応援は助かります。警護上、一般のホテルは警戒しなければいけない箇所が多い」


 エドガーが桐嶋に説明した。


「エドガー、指揮は任せるよ。君の良いように」


「ありがとうございます」


 桐嶋は部屋に戻った。


 入れ違いにミラーが廊下に出ていく。


 打ち合わせをするのだろう。


 桐嶋がソファに近づくと、ベッドの方から微かにキャリーの寝息らしき音が聞こえる。

 さすがに疲れているのだろう。寝入りが早い。というより、先ほどはもう眠かったのかもしれないと桐嶋は思った。


 桐嶋は、もう少し調べものをしようかと思ったが、明かりを消した方が良いと思い直し、結局寝ることにした。


 あくびが自然にでる。ジャケットを上にかけ、足をソファに投げ出して寝入った。


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