第26話「受け継がれる意志」
大きめの音量だったからか、外に少々声が聞こえたのかもしれない。
扉の外で待機していてくれていたと思われるデイビスから声がかかった。
「桐嶋様?どうかされましたか?」
桐嶋はそのまま応えようかと思ったが、一つ頼みたいことがあったので外にでた。
「すまんがルームサービスを頼めるか。軽いものでいい。少々腹がへった」
「お飲み物はワインでよろしいですか」
「いや、水でいい。あまり酒を飲む気分じゃない」
「かしこまりました。お待ちください。」
その二人のやりとりを聞きつけたのか、隣の部屋からキャリーが飛び出してきた。
「兄様!」
大きな白い星柄が複数入った、濃紺のゆったりしたワンピースのナイトウェアに、ナイトキャップをかぶっていた。あまりのベタな格好に桐嶋の顏がほころぶ。
「作業は終わったのですか!?」
「ああ、終わった」
「見てもよろしいですか?」
遠慮がちなキャリーの言葉に一瞬迷ったが、キャリーの側にいたミラーが小さくうなずいたのを見て了承することにした。
「かまわないよ。こっちにいらっしゃい」
「はい!」
キャリーは屈託もなくそのままやってきた。ミラーが後ろについてくる。
「私もよろしいでしょうか」
「当然。頼むよ」
その言葉の意味を理解したミラーが微かな笑みを見せながら一緒に入った。
「兄様、このパソコンですか?」
「ああ、それだ。日記帳も脇にあるから…良ければ、検証も兼ねて見比べながら確認してくれないか?間違っているといけないから」
「はい!わかりました!」
「消してある箇所や、かすれて見えなくなった箇所は入力していない。きちんと読めるところだけにしたはずだが、その観点でも読んでもらえると助かる」
「わかりました」
キャリーからの返答はきたが、もうすでに集中しているのがわかる。
この集中力こそが彼女の力なのだろうなと桐嶋は感心した。
しばらくすると、デイビスがワゴンを押してアラカルトを持ってきてくれた。
一口食べると腹に染みわたる。朝食は食べたはずだが、意識が日記帳にいっていたため、あまり量は食べていなかったのかもしれない。
妙においしい。
もしかしたら、このおいしいという感覚を忘れていたのかもしれない。
藤堂とキャリーのおかげだな。桐嶋は心の中で感謝した。
小一時間も過ぎた頃だろうか。ようやくキャリーが顏をあげた。
「兄様、大丈夫です。間違いありません。判別しにくい箇所も問題ありません。完璧です!」
キャリーの言葉に桐嶋は苦笑した。
「完璧は言いすぎだ。それで?読んだ感想は?」
少々意地の悪い言い方だったが、キャリーの返答はこれ以上ないくらいに明解だった。
「兄様は悪くありません!!」
両手を握りしめ力強く宣言した。その姿は桐嶋の笑いを誘った。
ああ、この子の気持ちは、結婚式で出会った頃となにも変わっていないのかもしれない。
成長して大人の姿にはなったが、キャリーはキャリーだと妙な納得の仕方をした。
可愛らしい妹?従妹?妹だな。
クリス(キャリーの兄)には悪いがそういうことにしよう。
ようやく桐嶋の中で、キャリーの位置づけが決まったようだ。
「ありがとう、キャリー。さっそくあの三人にメールするとしよう」
「はい」
そう言うなりキャリーは、座っていた椅子を桐嶋にあけわたした。
桐嶋は翻訳した内容をPDFにしてメールする。
ただし、倉橋にだけは「藤堂御大のご指名だ。要約して廻してくれとよ」と言葉を添えて送った。
メールを送った直後、倉橋からメールがきた。
さきほど送った内容には触れられていないので、たまたまタイミングがかぶったようだ。
『一種類の顔料だけがどうしても手に入りません。先日、少しだけ頂戴した絵具を解析した結果でわかった顔料なのですが、どこにあたっても取り扱ったことがないそうです。雲母なのですが、通常の雲母ではなく金雲母の一種のようです。すみません、もう少し時間をください』
電話ではなくメールを送ってきたことから、倉橋もまだ仕事中なのだろうと推測できる。
『急がないから大丈夫。よろしくな』
とだけ返信した。
◆◇◆
「さて、キャリー。少し手伝ってほしいことがあるんだが、時間は大丈夫か?」
「大丈夫ですよ」
桐嶋はちらっとだけミラーを見た。
「もう!なんでイヴリンを見るんですか!?大丈夫ったら大丈夫です!!」
キャリーはそれがお気に召さなかったらしい。
キャリーの剣幕に、桐嶋は苦笑をうかべながら頭を掻いた。
「すまんすまん。じゃあ、よろしく頼む。今読んだばかりで悪いが、問題点をまとめたい」
桐嶋は日記を開き、あるページを抑えた。
「まずはここだ。1966年7月の記述。この記述から、悠彩堂は戦後まもなくから、アウラ・ノクティスをスポンサーとして絵画修復依頼を受けていた。それはザムエルさんから始まり、祖父、父と続いた。アウラ・ノクティスの当初の代理人は鷺沼父。おれに接触した鷺沼はその子供で、武夫の時代の代理人と考えていいだろう。つまり、桐嶋家代々がアウラ・ノクティスの金で生きてきたということだ」
「兄様、それは…」
「いや、いいんだ、キャリー。これは厳然たる事実だ。ここから目を背けてはいけない。おれは過去と向き合うことにしたんだ」
「…わかりました」
「次の問題は、クリムトの絵だ。これは1965年11月に悠彩堂に持ち込まれた。その後、1966年中には別荘に移動したと推測される。精巧な贋作を作るのであれば真作を側に置き、細かい点を確認しながら製作していくだろう。つまり、先日行った別荘の地下室にあったことになる。そして祖父の手によって贋作が製作され、鷺沼父からアウラ・ノクティスに渡った。ここまではいいな?」
「はい」
キャリーは、信頼の輝きが宿った瞳で答えた。しかしそれは、桐嶋に失敗を悟らせた。
キャリーは桐嶋を信頼してくれている。過剰とも言えるかもしれない。
それはありがたいことなのだが、このように反証を期待しての洗い出しには向かないのだ。
桐嶋は、段階的な要点整理と、文面および現在状況からの仮説構築に頭を切り替えた。
「この後に、気になる記述がある。1979年5月の項目だ」
「鷺沼父から新たな仕事を依頼された記述ですね。確かに、他にはない覚悟というか諦めのような記述が目立ちます」
キャリーは日記を確認せずに即座に返答した。
さきほど読んだだけですべて暗記したのかもしれない。
桐嶋は内心舌を巻いた。
「おれはこの記述によって、祖父がクリムトの絵以外の贋作作成を依頼されたのではないかと考える。それまでは贋作、真作といった言葉がでてくるのに、この項目以降まったく記述されていない。まるで、そのことを書くのが憚れているかのようだ」
「確かにそうですね。そこから考えるならば、アウラ・ノクティスは、渡されたクリムトの絵が贋作だと知りながら顧客に売却した可能性もあります。そしてその売却が成功した結果、新たな商売を思いついた」
「そうだ。真作を保持したまま、精巧な贋作を売りさばくという新たな商売だ。キャリー、仮にだ。レゾネに載っているような有名な作品が行方知らずになり、年数がたった後、真作にしか見えない贋作がコレクターである資産家の目の前に提示されたらどうする?」
「間違いなく購入するでしょう。特にアウラ・ノクティスの顧客になっているような、資産家のコレクションは世に出ることがまずありません。つまり横のつながりがないのです。仮に贋作を複数売ったとしても誰にもわからないでしょう」
そこまで言ってキャリーはあることに気づき、思わず口をおさえた。
「ナチス…」
◆◇◆
「1961年9月3日」
桐嶋は該当のページを開いた。
「ここの記述だ。『煤けているものや絵具が溶けかけているものが多い』。この言葉から導き出されることは、ドレスデン爆激によって焼失したとされるナチス収奪美術品の数々が、実は相当数回収されていたのではないかということだ」
桐嶋は、キャリーが難しそうな顔をしていることに気が付いた。
「どうした?」
「兄様、すみません。ドレスデン爆激とはどのようなことか、概要でいいので教えていただけませんか」
頭がいい、自分が正しいと思い込んでいる人であればあるほど、他人に知識の欠落を指摘されることを嫌う。いや、病的なまでに恐れる。
ちっぽけなプライドが邪魔をし人に聞くことができない。結果、知ったかぶりや曖昧な返答や誤った知識を披露することが多くなる。
幸いキャリーには、そのような悪癖はないようだ。素直と言っていい。桐嶋はなぜか安心した。
「おれもそう詳しいわけではないけどな」
桐嶋は授業で聞いた内容を思い出すように中空を見つめた。
「ドレスデン爆撃は、第二次世界大戦終盤、1945年2月13日から15日にかけて連合国軍によって行われた、ナチスドイツへの大規模な爆激だ。ドイツ東部の都市ドレスデンへの無差別爆撃だったらしい。榴弾で建物を破壊し、焼夷弾で建物内部を焼き尽くし、さらに榴弾を投下し消火・救助活動を妨害するという徹底ぶりだ。そりゃあ、美術品がただですむとは誰も思わないよなぁ」
「でも無事なものがあったというわけですね」
「ああ、例のグルリット事件で見つかった1200点以上の美術品もそうだが、思った以上に多いのかもしれん。ナチスが収奪した美術品は数十万点だと言われている。仮に5%が残ったとしても最低で5000点だ。実際にはどれだけあるのか検討もつかん」
「それがアウラ・ノクティスの資金源の一つになっていると」
「彼らはどうにかして戦地から美術品を回収した。そして世界中の修復家や画商を巻き込み、修復して売却したという構図だ。世界規模で考えれば、祖父、父、鷺沼の例は氷山の一角だろうよ」
キャリーが首をかしげながら疑問に思ったことを口にした。
「兄様は今回のクリムトの絵をどう見ています?」
「仮説に基づいての話ってこと?」
「そうです。アウラ・ノクティスが贋作と気づいたのであれば、傷物とはいえ真作を回収していないのはおかしいと思いまして」
「レゾネに載っていないからだと思うよ」
「え?」
予想外の返答にキャリーは戸惑った。
「逆に聞くけど、レゾネに載っていない絵画を、真作だと顧客に説明するにはどうする?」
「えーと…科学的検証の結果や画家特有のクセや筆致や構図が一致しているとか、通常の真贋鑑定の結果のような説明になると思います」
「美術を生業にする人であればそれで信用するかもな。でもね、そこまで詳しくない、金だけ持っているコレクターならどうかな?」
「…信用しないでしょう。比較する数字や写真が本物かどうかわかりませんから。逆に贋作ではないかと、疑う結果になりかねません」
「まさにそれさ。彼ら、アウラ・ノクティスにとって、レゾネに載っていない作品は商品価値が低かったんだと思うよ。顧客に説明するのが面倒という理由でね。だから回収されていないし追求されてもいない。ただね、最近、彼らは簡単な真贋判定方法に気づいてしまったかもと思ってね。だから、今更、あの絵が欲しくなっているかもしれない」
「え!?それは!?」
「ここ、日本でおきた事件が発端さ」
2023年、日本からポーランドに返還された絵画がある。
イタリア人画家アレッサンドロ・トゥルキの傑作『聖母子』だ。
『聖母子』は、1939年のポーランド侵攻時にナチスによって略奪されたはずだが、なぜか2022年1月に日本のオークションに出品された。
それをポーランド文化・国家遺産省の職員が発見。
最終的には、所有者とオークション会社が無償で返還に応じ、ポーランドに返還され、なぜ日本にあったのかは追求されずに、この件は終結した。
その時に真贋判定の決め手となったのが、ナチスの略奪品リスト『もっとも価値のある521の美術品』だった。
「財団でも似たようなのを販売してたね。15ドルくらいだったかな」
「『WWII Most Wanted Art』ですね」
ナチスドイツによって収奪された美術品が印刷された52枚のカードだ。
モニュメンツ・メン財団が、オンラインストアで販売している。
財団は、カードに掲載された美術品の回収につながる情報提供者に、最大25,000ドルの報酬を提供すると発表した。
「他国においても同様の取り組みはおこなわれている。つまり、これらがアウラ・ノクティスにとって『新たなレゾネ』になるわけだ」
「あ!」
「彼らは『新たなレゾネ』と、刷新した絵画修復家、画商を使って、また行動を開始するかもしれないね」
「兄様!すごいです!!」
キャリーは桐嶋に抱きつこうと両手を広げて飛び上がった、が、寸前で、間に割り込んだミラーを抱きしめる結果になった。
愛らしい表情でミラーの胸に顏をうずめるキャリーだったが、すぐに相手が違うことに気づいたようだ。
ミラーの顏を上目使いに見上げる。
「イヴリン。邪魔」
「お嬢様。お立場をわきまえてください」
「昔みたいに兄様に抱き上げてもらいたかったのに…」
すんでで危機を脱した桐嶋が、ミラーごしにキャリーに言い聞かせた。
「あの時、君は8歳だったろ?15年もたったら大変だよ。おっさんにはちと厳しい」
「兄様はおっさんなんかじゃありません!」
キャリーのふくれた顏に苦笑を返した時、桐嶋のスマホが鳴った。
逃げるようにテーブルに向かい、スピーカーモードのまま電話をとった。
つながるなり藤堂の声が聞こえた。
「桐嶋!悠彩堂が火事だ!!」
「なんだと!?」




