第25話「血脈」
土曜日。
桐嶋悠斗が時計に目を見やると午後9時をまわっていた。
「もうこんな時間か」
キャリーたちに、翻訳作業に集中したいので一人にさせてほしいと言い、朝食後からずっとホテルの一室に籠っていた。
昨晩、東京に戻ってきてからあまり人と話していない。
この日記のことが頭から離れなかったからだ。
本来、この日記はクセ字ではあるが、桐嶋にもキャリーにも読める言語がほとんどであったため、翻訳作業までは必要なかったかもしれない。
しかし、自分に関係のある人物の日記である可能性が高かったため、内容を理解し咀嚼してから伝えた方が良いと考え、あえて一人で翻訳した。
「キャリーとあのまま一緒に読んでなくて良かった。どんな顏してたかわからん」
とにかく、桐嶋にとっては特濃すぎる内容だ。
日記の主が祖父であったことにもビックリだが、一番驚愕したことは、自分が日本人とユダヤ人とのハーフであったことだ。
しかも、ジョシュアなんて名前があったなんてまったく知らない話だ。
思い返してみると、幼少の頃から祖父母の話を聞いたことがない。
もしくはこちらから聞いた記憶がない。
母親のことも同じだ。
なにか聞いてはいけないような空気感があったのは間違いない。
「ませガキだったしな」
自分から父親に母親のことを聞くのは、なぜかバカにされそうな気がして聞く気はなかった。
ふと、パソコンの画面を見るとメールマークが点滅している。
倉橋からのメールだった。
倉橋は木曜の夕方に一行と別れ、仕事に戻った。おそらくその後の内容は鳴海に聞いたのだろう。
ここ数日の情報がすべて網羅されている資料が送られてきていた。
「ホント、まめなやつだな。助かるけど」
桐嶋は、頭を整理させる意味でも倉橋が送ってくれた資料を確認した。
☆A1~C5(別荘内でまとめた内容。Aは別荘について。Bはクリムトの絵について。Cはアウラ・ノクティスについて)
☆別荘で地下室を発見。地下室には画材らしき材料が複数と日記があった。日記を回収。材料も一部回収。(写真が複数添付)
☆鷺沼が来日後に盛岡でレンタカーを借りていた。鳴海が盛岡署に協力要請し確認。
☆宮古署で、武夫氏が亡くなった時に担当していた刑事について鳴海が確認したが、両名とも事件の半年後に退職。その後の連絡つかず。
☆別荘を担当している郵便局に、第一発見者である職員の所在を確認したが、事件の6日後に事故死していたことが判明。
☆桐嶋さんが日記帳の翻訳を開始(ウインストン女史からの情報)
今回の資料はいつもよりも簡素だし、文章が雑だ。倉橋も忙しいのだろう。
改めて見てもわかる通り、桐嶋の父親が亡くなった際の関係者が死亡もしくは失踪しているのが異様だ。なんらかのバック、ないしは意思が介在したと誰しもが思う内容だった。
そして、最後の一行が自分のことなのが、なにか不思議な気分になった桐嶋だった。
ここ4日間で様々なことがわかったが、わかったからこその更なる迷路も出現しており、出口がまったく見えない気分に桐嶋は陥っていた。
桐嶋はスマホを手に取り、無意識に藤堂に電話していた。
「どうした?」
いつも通りの藤堂の声だ。聞きなれた声に少し安心する。
「あのな、おれ、日本人とユダヤ人のハーフだった」
桐嶋は藤堂の驚きを予想していたが、反応はまったく異なっていた。
「やっぱりな」
「やっぱりな!?どゆこと!?」
「おまえは覚えているかわからんが、おれたちが初めて会った時のことを覚えているか?」
「…んー…えーと、あ!あれか?もんじゃ焼きの駄菓子屋か?確か子供は50円だったよな。懐かしいなぁ」
「そうだ。そこでおまえを見て最初に思ったことは『薄い』だった」
「薄い!?」
「髪の色は薄いし、目の色は薄いし、肌の色は薄いし。第一印象が『薄い』になるのは仕方ないだろう」
「え?そんなに薄かったか?」
「ああ、薄かったぞ。特に、それまでのおれの周囲は、髪も目も黒いのしかいなかったから余計にそう感じた。歳食ってからは、そう薄くもなくなっていったがな」
「そうか、薄かったのか…」
「おまえの場合、その特徴を揶揄されることもなかったから、あまり気にならなかったのだろうさ。自分のことはわからんもんだしな」
「そんなもんかな」
「ああ、そんなもんさ。だから、おれとしてはハーフと言われた方がすっきりする。長年の謎が解けたような気がして良い気分だ。実際、世の中には、純粋な日本人なのに、いわゆる日本人っぽくない人なんかたくさんいる。おまえもそういう一人だとしか思ってなかったさ」
桐嶋は日記に書いてあった自分の生い立ちを藤堂に説明した。
祖父母、母がユダヤ人で父親はアレ。
「おまえの祖父母や母には一度も会ったことないし、父親にだって数回しか会ったことがない。つまりだ。おまえが何者だろうと、これまでとなにも変わらんということだ」
藤堂の断言に、桐嶋の心がストンと落ち着いた。
その言葉を、誰かに言って欲しかったのかもしれない。
『なにも変わらん』と。
「藤堂、ありがとうな」
「よせよ、気持ち悪い。あ、日記の内容は倉橋にでも説明して、資料にして廻してくれ。今はちと忙しくてな。そっちの方は任せるしかない」
「残業か?」
「ああ、まだ本庁だ。ここ数日、家に帰ることすらできん」
「そんなにか」
「まぁな。あ、そうだそうだ。鷺沼氏と、第二の犠牲者と言ってしまうが、中川氏とに関係しそうな共通の人物が浮上してきたぞ」
「なに!?誰だ!?」
桐嶋は驚きのあまりスマホの画面のどこかを押してしまったようだ。
突如、スピーカーモードに切り替わった。戻すのも面倒なので、そのままテーブルの上に置いた。
「名前はまだわからん。いや、偽名と思われる名はわかったがな。二人組だ。鷺沼氏の逗留してたホテルの防犯カメラと、中川氏の画廊周辺の防犯カメラに、その二人組が写っていた。距離的に考えても偶然ということは考えにくい。ホテルには泊まっていたようでな、記録も残っていた。パスポートも名前も偽造品だ。徹底してるやつらだな。ただ、ホテルの従業員がその二人を覚えていて、話口調や顔立ちからイタリア人とフランス人だと思われるということまではわかった。今は総出でその二人を追っている。赤坂署の二人も張り切っているぞ」
「工藤警部補と白井警部補か?」
「そうだ。詳しくは話せんがな。おまえに対する疑いは完全に晴れたらしい。白井がおまえに謝っておいてほしいだとよ」
「恨みに思うようなことでもないし、気にしてないと言っててくれ」
「ああ、わかった。そろそろ切るぞ」
「忙しい時にすまんな」
「かまわんさ、じゃあな」
即座に電話がきれた。
あの家族サービス大好き人間が本庁に缶詰か。
桐嶋は身震いする思いだった。
八つ当たりの鉾先が自分たちにだけ向かわないようにしないと。




