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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第24話「抵抗」

 日記の記述は続く。


 そこには、桐嶋が想像もしなかった「悠彩堂」の真実と、贋作作りの顛末が記されていた。


◆◇◆


1965年 12月10日:いつも通り仙台に行き、顔料屋に油彩画を描いたり保管するのに適した場所を手配できないか相談したところ、あっさり願いがかなった。

1年前に岩手の早池峰山のふもとに別荘を建てたのだが、いろいろ事情があって誰も使わず放置しているのだそうだ。

土地代もタダみたいなものだし、必要であればあげるよと言われた。

上物は?と聞いたら彼自身が建てたので工事費はかかっていないし、木材ももらったものらしい。

登記もしてないから、登記もしてくれていいよと。

相談して良かった。絶好の場所が手に入った。

借りと思うならいつか返してくれればいいと言われた。

ただ、おれは免許も車ももっていないと言ったら、必要な時に乗せていくよと言われた。頭があがらない。


1966年 7月:ザムエルさんが倒れた。

なんとか回復はしたがあまり容態が思わしくない。

日に日に衰弱していくのがわかる。

ある日、ザムエルさんからこれまで持ち込まれてきた修復依頼の絵画の由来を初めて聞いた。

あの絵はすべてアウラ・ノクティスという組織の代理人が持ち込んできていたらしい。

そして修復完了して返却した絵は、世界中の資産家に売却されている。

これまでの生活費のほとんどは、この絵の修復代金でまかなっていたとのことだった。

ザムエルさんは、おれを自分の後継者として組織に説明しているとのことだった。

だからこれまで通りに持ち込まれてきた絵画を修復していれば生活は可能だと言われた。

アウラ・ノクティスは恐ろしい組織だ。

絶対に逆らうなと厳命された。

また、エヴァは彼の実の娘ではないということも言われた。

彼はリトアニアにいたが、逃げ出すために日本の領事館からビザを発給してもらい、日本に逃げてきたのだ。

そのビザを発給してもらう列に並んでいる時に、一人で途方に暮れている少女がいた。それがエヴァだった。

親や親族は?と聞いても「いない」としか答えない。

周囲の人々も彼女を敬遠していたため、ザムエルさんが仕方なく一緒に日本につれてきたとのこと。

最初は横浜にいたが、絵画修復の腕を買われ、アウラ・ノクティスにスカウトされ、悠彩堂を準備してもらったうえで住み着いたとのこと。

土地は近所の地主の借地だが、建物はアウラ・ノクティスに改装してもらったとのことだった。


1966年 7月:ザムエルさんが亡くなった。


1967年 8月10日:今年も絵画が持ち込まれる日が来た。

アウラ・ノクティスの代理人という人に会うのは初めてだ。

彼は鷺沼と名乗った。

見た目は日本人だが、話し方のクセというかアクセントの感じが、日本語を常用しているわけではないことがわかる。

今回の絵画は3枚。

これまで同様にあまり保管状況がよろしくないもののようだ。

こちらからは2枚の修復完了した絵を渡した。


1968年 3月 1日:今日から、武夫が家族となった。

仙台の顔料屋の妾の子で、妾が亡くなったが事情があって引き取れなくなったらしい。

サラと同じ歳で、利発そうな子だ。


1970年 4月:武夫は本当に利発でよく働く子だった。

サラと一緒の学校に通わせているが、成績は優秀。

学校が終わり帰宅すると、エヴァの手伝いをして家事を始める。

家事がひと段落すると、おれの手伝いで顔料の調整などもおこなってくれる。

手が空いた時には、サラからせがまれて遊び相手にもなっている。

最近は、武夫に請われて絵画の修復に関しても学んでもらっている。

エヴァもサラも武夫のことを気に入っていて、エヴァは「将来、サラの旦那さんになってくれればいいのに」とまで言っている。

おれはまだそこまで達観できていない。

車の免許をとった。

顔料屋にその話をしたら車をくれた。

顔料屋は金持ちだな。


1970年 7月:顔料屋から仕入れる雲母は非常に質が高い。

他に類を見ないほどだ。

顔料屋のところに置きっぱなしの車をとりに行った時に聞いてみたら、秘密の場所で採取しているとのことだった。

さすがに教えてはくれなかったが、たくさん仕入れてもらえるとありがたいらしい。

鷺沼に話してみようか。


1973年 5月12日:ついに、クリムトの贋作が完成した。

本物と見紛う出来栄えだ。

これで、あの絵を「アウラ・ノクティス」に渡さずに済む。

偽物とすり替えたことは、誰にも言うつもりはない。


1974年 8月 2日:鷺沼にクリムトの贋作を渡した。


1976年 8月15日:エヴァが、逝ってしまった。


1977年 12月24日:クリムトの贋作を鷺沼に渡してから4年が経過したが、なにも言ってこないところを見ると真作として扱われているのかもしれない。

購入した人には悪いがうれしい限りだ。


1978年 4月1日:

サラと武夫が二人とも高校まで無事卒業し、店を手伝ってくれている。

二人で分担して家事もやってくれているし、傍目から見れば夫婦にしか見えない。

もう結婚してくれていいのだが。


1979年 5月:珍しい時期にやってきた鷺沼から新たな仕事を依頼された。

世の中うまくいかないもんだ。

仕方ない。

やるしかない。

やらなければならない。


1982年 4月13日:武夫の腕がメキメキ上がっている。

最近は、彼にほとんどの作業を任せている。

俺よりも良い腕をしているように思う。

向いていたのだろう。

顔料屋には感謝しかない。


1983年 8月:仙台での顔料仕入れと岩手の別荘にはずっと一人が行っていたが、そろそろサラと武夫に、傷のあるクリムトの絵画のことを話すことにした。

武夫には顔料屋との取引のことも任せたい。

次回、仙台に行く際には二人とも連れて行くことにしよう。

そう思っていた矢先、鷺沼が青年をともなって絵画をもってきた。

息子らしい。

サラと武夫の2歳年上。

来年からは息子にすべて任せるらしい。

鷺沼にはおれの後継は武夫だと伝えた。

おれもそうすべき歳になってきたのかもしれない。


1984年 7月:悠彩堂を臨時休業にし、三人で仙台にやってきた。

顔料屋に挨拶したあと、別荘にいった。

サラに別荘の清掃や夕食をお願いしている間、武夫に隠し部屋のこと、隠し部屋の意味、傷のあるクリムトの絵画、その絵画とおれにまつわる因縁の話をした。

武夫は黙って聞いており、あまり驚いた様子もない。

アウラ・ノクティスの話もした。

そして、このクリムトの絵だけは絶対になにがあってもアウラ・ノクティスに渡してはいけないし、売却してもいけないことを話した。

念を押す意味で、額縁の裏に「Ne tradideris Aurae Noctis」とラテン語の文字を刻んだ。


1984年 10月20日:ようやくサラと武夫が結婚した。

武夫は最後まで遠慮していたが、サラはずっとその気だったことを知っていたので、頼み込んで結婚してもらった。

美男美女のカップルだ。

エヴァに見せたかった。


1986年 4月3日:孫が生まれた。名前は悠斗。

サラと武夫に請われておれがつけた。

悠斗には、ユダヤの血が流れている。

「ジョシュア・ローゼンタール」という名前も伝えてあげてほしいが、日本人としてだけ生きるのならば邪魔かもしれない。いつか悠斗に伝える日がくるだろうか。


日付記載なし。


最後のページ。


武夫は約束を守ってくれるだろう。だから悠斗、君がクリムトを故郷に帰らせてほしい。


◆◇◆


 祖父から自分への思いがけないメッセージ。


 桐嶋は震える手で日記を閉じた。


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