第22話「キリシマ」
勢いよく扉を開けると、油彩画の香りが周囲に広がった。
そこには予想通り、奥行1m程度の空間が広がっていた。
しかし、他にはなにもなかった。
「なにもない?」
「ないですね…」
「ないなあ」
「ないっすね」
ミラーが内部の安全を確認してから4人がのぞき込み、異口同音に感想を発する。
「じゃあ、あの油彩画の香りはどこから…」
疑問を口にした桐嶋の目線の先に、床をなでながら移動する鳴海の姿があった。
「鳴海?」
「知人の国税庁職員が言っていた言葉っすけどね。『見つけられたくないものを隠す場所は下』だそうですよ。ここも一緒っしょ…ほら、あった」
指で叩くと、ある部分から明らかに音が変わった。
空洞があるのは間違いなさそうだ。
「書架にバキュームリフターが置いてあったので誰かもってきてくれません?」
バキュームリフターは、強力な吸盤で平らな表面に吸着し、重い物でも持ち上げられる機材のことだ。倉橋が持ってきた。
「ほい」
「あざっす」
鳴海はバキュームリフターを床にセットすると持ち上げた。
約1m四方の床があった先には空洞があり、梯子が備え付けられてあった。
鳴海は空洞に顏を入れて確認した。
「けっこう深いっすね。空気の流れも感じます。油彩画の香りも。ちょっと見てくるっす」
鳴海はそう言うと、ポケットから万年筆型のライトを取り出した。
スイッチを入れると、小型のわりには強力な光が奥を照らした。
「なにかあったら大声を出しますので待機よろしくっす」
「ああ、気をつけてな」
「はい」
鳴海は口にライトをくわえ、梯子をゆっくりと降りて行った。
桐嶋が空洞の先を見ていると、数分後に奥の方で明かりが灯った。
「大丈夫っす。桐嶋さん、降りてきてもらっていいっすか」
「今行く」
桐嶋が降りようとした時、不安そうなキャリーと目が合った。
「鳴海が確認してくれているから問題ないさ」
「…はい、兄様、気を付けて」
梯子はしっかりした造りだった。
木材の梯子だが、ところどころに補強が入っておりびくともしない。
梯子の先は、石材の床だ。
電気がきているのだろう。照明の明かりがまぶしい。
八畳間程度の広さがあり、壁はレンガと漆喰でできていた。
これなら調湿もあり、絵画の保管もできるだろう。
しかし、見渡しても絵は1枚もない。
あるのは、キャンパス用と思われる麻布といくつかの木枠。イーゼルが2つ。錆びたノコギリと同じく錆びた釘、ハンマーが一つ。
あとは、油彩画用の道具がそこかしこに置いてあるだけだ。
「桐嶋さん、これ」
鳴海が指さした先には、木箱があり、その上には1冊の本が置いてあった。
見ると表面に『My Daily』と記されてある。
「日記か?」
桐嶋が手に取って確認してみると、中に書かれてある文字はかなりのクセ字で、英語とドイツ語が混在しているようだ。木箱も確認したが中は空だった。
「あとで確認する。鳴海、ここの写真を撮っておいてくれるか?」
「了解っす」
請け負った鳴海はスマホで次々と撮影していく。
気になるのか、木材は角度を変えて何枚も撮っていた。
「これ、少し持って行っていいっすかね」
麻布を手にもっている。
「かまわんさ」
「うっす」
鳴海は5cm四方程度に麻布を切り取りポケットに入れた。
「じゃあ、戻るか」
「そうっすね。桐嶋さん、先に行ってください。おれは照明消してから行きます」
鳴海の親指の先には照明のスイッチがあった。
「わかった。先に行くぞ」
桐嶋が上に戻ると、ほっとした表情のキャリーが待っていた。
「兄様。それは?」
「ああ、誰かの日記だと思う。親父に関係した誰かだろうが、なかなかのクセ字で読むには時間がかかりそうだ」
桐嶋の後ろには鳴海が続く。
「倉橋さん、下で撮ったデータを送りましたので整理をお願いしていいっすか?説明します」
「承知した。準備する」
4人はテーブルに戻り、思い思いの作業を始めた。
外を見ると夕日の色が濃くなっており影が長くなっている。
桐嶋が感じていたよりも時間はすぎていたようだ。
エドガーとデイビスは周囲を警戒し、ミラーは夕食の準備を進めている。
「さて、こいつか」
桐嶋は日記帳を開いた。
キャリーは、桐嶋のすぐ後ろから一緒に見ているようだ。
「名前があるな。エリアス・ブラウ…?誰だ?」
良く見ると、ブラウの文字の下に、ファミリーネームがいくつか記載されている。
「ローゼンタール…もう一つあるな」
桐嶋とキャリーは思わず顏を見合わせた。
「キ…リ…シ…マ」




