第21話「書架」
「みなさん、一度落ち着きましょう」
ミラーが、コーヒーの入った紙コップをテーブルに並べ始めた。
「こういう時は、話を整理して全員で共有した方がよろしいですよ。でないと、迷走して良い結果がでません」
「ああ。…ああ、そうだな」
桐嶋がテーブルにつくと、他の全員も思い思いの場所につく。
キャリーは、当然のように桐嶋の隣に座った。
ミラーが人数分のコーヒーを渡し終えると、熱いコーヒーを飲む音だけが聞こえる無言の時間が流れた。
ただ、目線だけは桐嶋に向けられている。
この場のイニシアチブを持っているのが桐嶋ということは共通認識のようだ。
半分ほど飲み終わる頃、桐嶋が口を開いた。
「まず、みんなに感謝したい。到着してから30分程度で、ここまで発見が連続するとは思いもしなかった。これはおれ一人で来ていたら到底なしえなかったことだ。ありがとう」
深々と桐嶋は頭を下げた。
キャリーがなにが言いたそうに身じろぎしたが、桐嶋の次の言葉を待った。
「ここまでの状況を整理しよう。倉橋、書記を頼めるか?」
「了解しました」
ノートパソコンを準備し始める。駆動音とファンの音が室内に流れた。
「準備OKです」
「ありがとう。ミラーさんもありがとう。おかげで落ち着いた」
桐嶋は、残りのコーヒーを全部飲み干し、ここまでの情報をまとめ始めた。
A1.つい最近、何者かがこの別荘を訪れていること。
A2.その人物は、ここに来慣れている可能性が高いこと。
A3.その人物の足跡が、入り口と奥の書架を往復している。
A4.この建物の外装と見た目の奥行が一致しないこと。書架の奥がある?
A5.作業場がないのに、油彩画特有の香りが微かにすること。
A6.この別荘を使用していた目的がわからないこと。
「ここまでが物理的な別荘に関することだ。ここまではいいな」
桐嶋の問いかけに全員がうなずいたが、鳴海が手を挙げて確認した。
「言いにくいことですが、親父さんの遺体が発見された時の場所ってどこっすか?」
「ここだよ。おれが今座っているところに突っ伏していたらしい」
「…了解です」
桐嶋は他にないか見渡したが、他にはないようなので続けた。
「次は、例の絵に関することだ」
B1.鷺沼氏から送られてきたクリムトの絵を撮った写真が、この家屋で撮影された可能性があること。写真の端に写っている木材が、壁の傷や継ぎ目と一致していることからくる推測。
B2.その写真は画素数が荒く、20年以上前のデータを最近印刷したものと推測していること。
B3.上記二つの情報から考えると、クリムトの絵が少なくても20年以上前から別荘にあった可能性があること。
B4.絵についている傷については不明。その形と個々の大きさ、傷の左下にある指紋のサイズから子供の爪による刺し傷であると推測。
B5.額縁の裏には『Ne tradideris Aurae Noctis』(アウラ・ノクティスに渡すな)の文字が刻まれていること。
鳴海が最後の内容を確認した。
「それが藤堂さんから共有されてきた情報のやつっすね」
「そうだ。倉橋にもいってるよな?」
「はい、大丈夫です」
ノートパソコンに入力しながらうなずいた。
「アウラ・ノクティスの名前がでてきたのであれば、組織に関する概要も共有した方が良いように思いますが」
「そうだな、キャリー。確かにそうだ。説明を頼めるか?」
「はい。喜んで」
C1.神聖ローマ帝国時代から、歴史の裏で美術品取引をおこなっている秘密結社。
C2.盗難品や盗掘品を犯罪者から仕入れたり、来歴が怪しい美術品を売りたい資産家から購入し、修復・修繕して高値で顧客となっている世界中の富裕層に販売している組織。
C3.ナチスがらみの美術品をもっとも多く売買している組織でもある。
C4.目的を達するためなら殺人をもいとわない。
C5.2018年頃から組織に関係していたと思われる画商や絵画修復家が多数殺害されている。
「2018年頃からというのはなにか理由が?」
倉橋が疑問を投げかけた。
「スイスの銀行機密法の改正によるものだと推測しています。口座情報に紐づいた人々の口封じかと」
「大胆だなあ」
「ありがとうキャリー。他に質問や意見はあるだろうか?」
桐嶋が全員を見渡すが追加すべきことはなさそうだ。
「現在、午後4時すぎ。場所的にもそろそろ陽が陰り始める頃合いだ。そこでまずCに関する危険性を考えたいと思う。エドガー、ここまでの道中で尾行はなかったか?」
勝手にリーダー格と思っているエドガーに確認と意見を求めた。
「尾行はありませんが、アウラ・ノクティスに行動をキャッチされているかの危険性も現在はわかりません。ですが、用心するに越したことはないでしょう」
落ち着いた重低音の声は、それだけで聞くものに安心感を与える。エドガーは言葉をつづけた。
「桐嶋様の懸念は、今晩、ここに宿泊するとした場合のことでしょうか?」
言外の意図を察してもらった桐嶋は微かに笑みをうかべた。
「その通りだ」
「仮に敵がRPG等の兵器で攻撃してくるのであれば話は別ですが、携行銃での襲撃であれば街中よりはここの方が対処しやすいです。3人で監視をローテーションでおこなえば問題ないと考えますが、暗視装備が欲しいですね」
「暗視装備?あるっすよ」
全員の目が鳴海にむく。
「こんなこともあろうかと準備してきたっす」
鳴海は持参したボストンバッグから、暗視ゴーグルと双眼鏡タイプのデジタル暗視スコープを取り出した。
「なんでそんなのもってんだよ」
「うちの仕事はいろいろあるっすから」
倉橋のあきれ声と対称的に鳴海の声は楽しそうだ。
「それがあれば監視は万全の態勢でおこなえます。問題ありません」
「わかった。ありがとう」
こちら側の攻撃装備には言及しないか。と、鳴海は思ったが、こちらも口にはださなかった。
さきほどデイビスがかがんだ時、腰にちらっと見えたのは、銃把の形からおそらくグロックだ。
巧妙に隠してはいるが、3人ともどこかに装備しているのだろう。暗黙の了解というやつだ。
「では、ここから3人には監視と警護を任せたい。ミラーには食事もお願いしたいが問題ないだろうか」
「問題ありません」
「それではよろしく頼む」
「了解」
エドガーたち3人は席を立ち、今後の相談を始める。ここまできたら信頼するしかない。桐嶋はいくつかの懸念材料を振り払った。
「キャリー。君に相談もせず勝手に彼らを動かしてすまん」
「兄様。私の護衛は兄様の護衛でもあるのです。どうかご自由に」
「ありがとう」
崇拝に近い眼差しをしているキャリーの言葉にはいろいろな意味がありそうだが、気づいたのは鳴海だけだった。
「では、ここからはこの4人で進める。まず、Bに関してだが、これは倉橋の推測通りだろうと考える。個人的に追及したい点はあるが、現物がここにない以上後回しとしよう。つまり、現状で優先的に確認するのはAとなるがそれでいいか?」
桐嶋の言葉に3人はうなずいた。
◆◇◆
「キャリー。外装と内装の差異について説明してくれるか?簡単なのでいいから見取り図も描いてくれるとうれしい」
「わかりました」
キャリーは手持ちのメモ帳に見取り図を描き始める。
空間認識能力が高いのか、簡単に描いているはずなのに、原寸との縮尺関係がサイズ的に近いように感じる。
「ありがとう。つまり君が言っているのはここということか」
桐嶋の指が書架の裏を指さした。
そこには奥行1mにも満たない空間があると仮定してある。
「そうです。外壁の厚さ、書架が備え付けられている壁の厚さ。どちらとも推測した厚さですが、そこになにかがあることだけは間違いないと思います」
見取り図を描くことによってキャリー自身も確信がもてたらしい。言葉に力がこもる。
「ログハウスタイプの構造上、意図的に造らなければこのような空間は生まれません」
「確かにそうだな。しかし、なんのための空間なのかわからんなぁ」
「桐嶋さん、もうぶち破っちまいましょうよ。確認するだけならそれが簡単っす」
「いや、鳴海、それはやめておいた方がいいな」
「なぜっすか?倉橋さん」
「ウインストンさんの見取り図で気づいたが、たぶんこの壁、いや書架も含めてかもしれないが、耐力壁の可能性がある」
「耐力壁?」
「ああ、柱や梁と一体となって建物の構造的安定性を確保している壁のことだ。この建物、ログハウスっぽい造りだが、和洋折衷といった造りになっているように思える。本職が建てたものではないような感じだ。だとすれば」
倉橋がなにかを思い出したように一拍おいた。それを鳴海がうながす。
「なんすか?」
「構造計算が狂った建物はもろいぞ?一発でぺしゃんこになってもおかしくない」
「…それは勘弁してほしいっすね」
「だからやめとけ」
「うっす」
キャリーが倉橋の言葉になにかを感じ確認した。
「経験が?」
「ええ。以前、解体中の日本家屋で絵画が発見されたので確認してほしいと依頼があって現地調査した時のことです。解体業者が壁に一発ハンマーを入れた途端に建物が倒壊しました。誰も怪我人がでなくて良かったでのすが、その時から構造を気にするようになりました」
「それは大変でしたね」
「それはもう。教訓だと思って大事にするようにはしてます。桐嶋さん」
「なんだ?」
「この場所。ここに例の絵が保管されていたとするとしっくりきませんか?」
桐嶋があごに手をあてて考える。
「それは思った。だがな、空間的に狭いし、通気性はなさそうだし、外壁に近くて温度変化が激しそうだしで、絵画の保管に適しているとはとても思えない場所なのよな」
「それはそうですね」
3人が考え込みそうになった時、鳴海が勢いよく立ち上がった。
「考えるだけでは埒が明かないっすよ。とりあえず書架が動くか試してみませんか?」
「そうだな。そうしよう」
4人が書架に近づき、押したり引いたりしてみるがびくともしない。
桐嶋が書架を上から下まで見渡す。床から天井まですべてが書架になっており、全部に本が入っていれば大量だが、天井近くにはまばらにしかない。
183cmの桐嶋の身長ならば届くが168cmの鳴海には難しそうだ。
ざっと確認すると、意外にも美術関係ではない本が多い。しかも古い。手に取って見てみると1950年発行の本まである。
「誰の本なんだ?」
桐嶋が疑問に思う。
桐嶋の記憶にある父親には本を読んでいた姿がない。
これだけの数の本を収集したとは思えないのだ。
しかも父親の生まれは1960年のはず。
いくつかの本の発行年を見てみたが、1985年以降の本が見当たらない。
「おれが生まれる1年前か」
そうつぶやいた時、桐嶋の目に1冊の本が留まった。
茶色い革の装丁に金字で『Grimms Märchen』と題名が書いてある。
「グリム童話か。懐かしいな」
グリム童話とは、19世紀初頭にドイツのグリム兄弟によって収集・編集された、ドイツとその周辺地域に伝わる民話集だ。
口伝えで広まっていた昔話を書き言葉で記録したもので、「赤ずきん」「白雪姫」「シンデレラ」「ヘンゼルとグレーテル」など、世界中で愛される有名なお話が多数含まれている。
アカデミー入学以降もドイツ語の学習を続ける桐嶋には、かっこうの教本だった。何回読んだかわからないほどだ。
なにげなく取り出そうとするが、なにかが引っかかって取り出せない。
「Buch mit Schließeかな」
Buch mit Schließeとは、留め具のついた本のことである。古い本だとついていることがある。
上下にゆすったりしながら強めに引いたらようやくとれた。
その時、カタンという音ともに書架の一区画が動いた。
「桐嶋さん!そこ!謎人物の足跡があったとこっすよ!」
皆が驚き集まってきた。
本があったあたりを見ると、木の棒らしきものが見える。これが本の留め具にかかっていたのだ。
ゆっくり書架を引くと壁とともに簡素な扉が現れた。
「開けるぞ」
「待ってください!罠の可能性もあるので私が開けます!」
そう言うと取っ手にミラーが取り付き、デイビスが壁に背をつけて確認する。
エドガーが扉の斜め位置につき、桐嶋たち4人をガードした。
全員が配置についたことを確認しミラーが宣言した。
「開けます」




