第20話「別荘」
周囲を警戒しながら、ゆっくりと10分ほど車で進んだところで別荘が見えてきた。ログハウスのような造りの家屋だ。
ここについた時間は午後3時すぎ。
家屋横のスペースに車2台を止めることができた。
家屋と駐車スペースの間にはクリスマスローズが多数植栽されている。
周囲を見渡すとイチイの木が多い。
それにキャリーが気づく。
「イチイの木がこんなにたくさん…クリスマスローズも」
「ああ、そうか。キャリーはあまり見慣れないかもしれないが、日本でイチイの木は、そう珍しい木ではないんだ。日本各地に群生地も多数存在する。ここ早池峰山もその一つだ。ちなみに、クリスマスローズも一般家庭で栽培している家がたくさんあるさ」
ミラーとデイビスが先に車を降り、素早く家屋の周辺を確認している。
2人の手には特殊警棒のようなものが握られていた。
二人が安全を確認してから全員が車をおりた。
「ちょっと待っててくれ」
桐嶋はそう言うと、家屋のすぐ側にある小川に設置されている水力発電機のスイッチを入れに行った。
桐嶋も父親から聞いた話だが、桐嶋が生まれるよりも前に、桐嶋の祖父が設置したものらしい。
桐嶋の後ろには、警護のためにデイビスがついてきている。
発電機のスイッチをいれると低音の駆動音が聞こえ始めた。
桐嶋が別荘の入り口に戻り、扉の鍵を開ける。
扉を開けてすぐの部屋は広いリビングダイニング。
左奥にキッチンや風呂やトイレなどの水回りがあり、正面奥の壁には一面の書架、右側には扉のない倉庫と寝室があった。
桐嶋は中に入ると、扉の横にある郵便受けを確認したがなにもない。
警察が遺留品として回収したかもしれないと思い、今は考えを保留することにした。
リビングにあるテーブルの上と、床の埃りをデイビスが確認している。
「鳴海様の言う通りですね。ここにも最近誰かがきた形跡がある。埃りの堆積量の差から考えると、おそらくここに来たのは一人です。一か月もたっていないでしょう」
「危険性は?」
鳴海が問う。
「屋内にはなさそうです。トラップの危険性もないでしょう。革靴ですし、足の運びが訓練された人のものではないので」
「トラッキングか。軍隊あがり?」
デイビスは無言で好意的な笑いを向けた。
「この人物は、何度もここを訪れていますね。慣れた足取りで迷いがない」
「桐嶋さんの足跡とは違うのか?」
「桐嶋様のものとは違いますね。失礼ながら桐嶋様はこちらに慣れていらっしゃらないご様子」
デイビスは桐嶋の足元を見ながらそう答えた。
それを聞いた桐嶋が両手を広げ降参のジェスチャーをする。
「正解だ。親父は年に何度か来ていたが、おれは子供の頃に親父に連れられてきた時を含めても、片手で数えられるほどしか来たことがない」
そのやり取りを聞いていたキャリーが、なにかに気づいたように外にでようとした。
「兄様。外を見て来てもいいですか?」
「エドガーも一緒ならかまわないよ」
大男が無言でうなづく。二人は外にでていった。
「では、私はキッチンを確認します。コンロと水道は使えますか?」
「それは大丈夫だ。水は、川の水を浄水して引いているし、コンロはIHだからもう使えるはずだ」
「わかりました。ありがとうございます」
ミラーはキッチンの方に歩いて行った。
その時、桐嶋は倉橋の挙動に気が付いた。壁や床を見渡している。
「どうした倉橋」
「桐嶋さん、この別荘って、ずいぶん昔からあるんでしたっけ?」
「ああ、そうだな。親父から聞いた話だと、おれのじいさんが知人からもらったと言ってたから昔の話だな。それが?」
「いや、ちょっと…」
それきり倉橋はなにかを考えるように黙ってしまった。
そのやりとりを見ていた、鳴海が疑問を口にした。
「桐嶋さん、この別荘ってなんの目的の別荘なんすかね?」
「目的?んー、避暑とか?あ、いや、夏以外にも親父は来ていたはずだな」
「絵画修復のためとか、在庫を置いておく場所ではなかったっすか?」
「違うな。少なくてもおれはここで親父が修復作業をしている姿を見たことがない。だいいち、ここには修復に必要な機材や材料がない」
「そうっすか」
怪訝そうな表情を鳴海がする。
「どうした?」
「いや、入った時からそうなんすけど、ここ、油彩画特有の香りがするんすよ。まるで、何年も何十年も染みついてきたような」
「鳴海も感じたか」
倉橋が会話に入ってきた。
「倉橋さんもっすか。多分、桐嶋さんは普段から扱っている代物なので気にならないかもしれないっすけど、微かに香りますね」
「でもここにはなにもないぞ?」
「ですよね。なんでかなぁ」
疑問を口にした鳴海がぼんやり周りを見ると、倉橋が、寝室に入る扉の脇の壁を凝視していた。壁を見つめながら桐嶋に問う。
「桐嶋さん、あの絵の写真もってきてます?」
「写真って、例の送られてきた絵のやつか?」
「そうです。それです」
「もってきてるぞ。ちょっと待ってくれ」
ケースから写真を探しだして渡すと、倉橋は写真を壁にかざして、何かと見比べ始めた。
「この写真、ここで撮られたのかもしれません」
「なんだと!?」
立ち上がった桐嶋が倉橋に詰め寄る。
「この写真、クリムトの絵の端が写真いっぱいに写っていないじゃないですか」
「ああ、そうだな。端が額装になっている。ほんのちょっとだがな」
「見る限り木の質感なので、おれもそう思っていたんですが…これ、額装じゃなくてここの壁ですよ。ほら、ここの傷が一致する」
桐嶋が倉橋から写真をひったくって凝視する。
「…本当だ。ここの継ぎ目も一致する」
「当初、この写真の話をしたとき、なにかあるという話をしてたじゃないですか。それがおそらくこれだったんですよ。この写真は、この別荘で撮られた写真だと伝えたかったんですよ」
「まさか…いや、でも、そうか。そういう意味をもっていたのかもしれない。…待てよ?じゃあ、この絵は」
「ええ、20年以上前からここにあったのかもしれません」
その言葉に、桐嶋は必死に頭を巡らせた。
親父か?
親父がずっともっていたのか?
なんのために?
どうやって手に入れた?
なぜ修復してない?
依頼品じゃないのか?
なぜ?
なぜ?
どうして?
親父はなにをしていたんだ!!
「桐嶋さん」
鳴海が奥の書架付近から遠慮がちに声をかけた。
「…なんだ」
「ここの書架あたりって、他になにかあるっすか?」
「いや、見た通りのものしかない。…そこにもなにかあるのか?」
「デイビスが、謎の人物、我々よりも直近に来てたと思われる人物の足跡がここで途切れていると」
「…見間違いじゃないのか」
「おれも教えてもらって確認しましたが、入口からまっすぐここにきて、ここから入口に戻ってますね」
「…」
その時、その入り口の扉が勢いよく開けられ、キャリーが戻ってきた。
「兄様!この家、変です!外装と内装の差がありすぎます!」
「どういうことだ?」
キャリーは書架のある壁を指さした。
「内部の奥行が少ないです!たぶん、そこの奥になにかあります!」
桐嶋が頭をかかえた。
「ちょっと待ってくれ…頭が追いつかない」




