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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第19話「北へ」

 水曜日の早朝、東京の喧騒がまだ目覚めぬ頃、桐嶋悠斗はホテルのロビーで深呼吸をしていた。時計の針が午前6時を指す。


「おはようっす」


 鳴海涼の声に振り返ると、いつもの飄々とした表情で立っていた。


「ああ、おはよう鳴海」


「準備はよろしいですか?」


 キャリーの声が響く。彼女の後ろには3人の護衛が控えていた。


「では、出発しましょう」


 6人は、外交官ナンバーの黒色のシエナに乗り込んだ。


 座席配置は、運転席がエドガー、助手席が鳴海、運転席の後ろがキャリー、助手席の後ろが桐嶋、3列目にミラーとデイビスだ。


 首都高から東北自動車道に入り、一路、盛岡に向かう。


 目的地の早池峰山ふもとの別荘は宮古市よりではあるが、東京から向かう場合は、盛岡経由の方が時間がかからない。


「蓮田SAから盛岡ICまでの所要時間は約6時間です。最終目的地である別荘までは、盛岡ICから約1時間半かかります」


 エドガーの低い声が車内に響いた。


 桐嶋は窓の外を眺めながら、ここ数日の出来事を思い返していた。


 月曜日。


 藤堂が帰ったあと、キャリーは駐日大使、滞在しているホテルの支配人、鳴海の上司にと、次々了承をとりつけていく。


 手慣れたもんだ。組織に所属する優秀な人間は、優秀な調整能力を有する場合が多い。キャリーもその口だろう。


 キャリーが関係各所に連絡している間、桐嶋はキャリーの護衛たちから自己紹介を受けていた。


 勝手にターミネーターと呼んでいるマイケル・エドガー。


 有能な秘書というイメージそのままなイヴリン・ミラー。


 どこか鳴海と似たような雰囲気のロバート・デイビス。


 佇まいといい、言動といい、能力的には信用のおけそうな人たちだ。


 信頼できるかはまだわからんがな。桐嶋は心の中でそうつぶやていた。


 その日の夜、倉橋から連絡が入った。


「桐嶋さん、水曜には揃うと言ってた画材ですが、もう少しかかりそうです」


「ああ、急がないでもいいぞ」


「助かります。藤堂さんから聞きましたが岩手に行くそうで」


「そうだな。その予定だ」


「今日で休みが終わりなのが悔しいです」


「情報は共有するさ。また、おまえの知見を貸してくれ」


「わかりました」


 そして、その夜ちょっとした騒動がおこった。


 キャリーだ。


 桐嶋は、キャリーと同じホテルに泊まることに同意していたが、別の部屋に泊まるつもりだった。


 確認すると、警備上の観点から、キャリーの部屋とその周囲の4部屋をおさえているとのことだったので、どこか貸してほしいと言っていたのだが。


「えー!せっかく兄様と一緒に泊まれると思ったのに!」


 キャリーが駄々をこねた。


 しかし、桐嶋の意見が通り、別部屋に泊まることになったので桐嶋は一安心。


 午後10時頃。


 キャリーは自宅に電話し、桐嶋と会えたことを母親に伝えている。


 桐嶋も電話を代わり、いろいろ落ち着いたらアメリカのウインストン家に訪問することを伝えた。


「ソフィアの墓参りもしたいしな」


 桐嶋の気持ちは、まだ、妻に合わせる顔がないという気持ちは強いが、いつまでも逃げるようではダメだと自分に言い聞かせていた。


 火曜日。


 鳴海から桐嶋に連絡が入る。


「いろいろな根回しの結果、キャリーさんが滞在中、要人警護兼連絡役兼オブザーバーとして、同行することになったっす」


「なぜ、キャリーではなく俺に連絡したんだ?」


 訝し気な表情の桐嶋が鳴海に確認した。


「藤堂さんから話を聞く限り、行動のイニシアチブが桐嶋さんにありそうだったので。キャリーさんには桐嶋さんから伝えてくださいっす」


 お互いの日程を確認し、水曜日に出発することになった。


 場所が場所なので早い時間に出発した方が良いだろうということになり、鳴海が午前6時にホテルのロビーに来ることになった。


 クリムトの絵についても問題になった。さすがに持ち歩くわけにはいかない。


 当初、桐嶋はクリムトの絵を、大使館で預かってもらおうと考えていたが、いくら大使館内とはいえ、事情を知る警護人がいない状態で放置するのは危険という意見がミラーからあったため再考。


 結局、キャリーの伝手で某都市銀行の貸金庫に預けることにした。


 絵と保護材だけであれば貸金庫にぎりぎり入るサイズで、空調管理も保管に適していたからだ。


 別荘行きに必要な食糧や寝袋等の必要なものはミラーが購入、準備して車に搭載済みだった。


 こうして準備は完了した。



◆◇◆



 栃木県の那須高原サービスエリアで一時休憩。


 トイレに向かう途中、鳴海が桐嶋に近寄り小声で話し始めた。


「念のための確認ですけど、ウインストンさんは別として、あの3人をどこまで信じるっすか?」


「んー、ターミネーターは信じたい」


「ああ、わかります。見た目だけじゃないですけど、ウインストンさんにすごく献身的なのが伝わってきますもん」


「だよな。あとの二人は保留かな。まだ、全面的に信頼するにはちょっと」


「同じ意見でよかったっす。じゃあ、その方向性で」


「ああ」


 車は再び北上。


 東北道が渋滞するほどに混むことはめったにない。盆や正月くらいのものだ。エドガーの運転もスムーズだし快適な旅と言える。


 平穏な旅路だったらどれほど気が楽かわからない。


 鳴海も軽口をたたいていない。おかげで車内は静かなままだ。


 長者原サービスエリアで2回目の休憩。体を伸ばしていると倉橋から連絡が入った。


「今、どこですか?」


「ああ、東北道の長者原サービスエリアなんだが・・・どっちだろ?宮城県か岩手県のどちらか」


「長者原なら宮城県ですよ」


「詳しいな」


「あ、発見。ちょっと待ってくださいね」


 そう言うと電話が切られた。


 桐嶋がスマホの画面を見ながら訝しんでいると、駐車場の奥から手を振りながら歩いてくる倉橋がいた。


「待った。どういうことだ?なぜ、おまえがここにいる?仕事は?」


「やだなぁ、仕事ですよ。昨日、宇都宮で仕事して、金曜に盛岡で仕事があるので移動途中です。あ、移動途中なので今日、明日は大丈夫ですよ?」


 倉橋は晴れやかな表情で話しているが、桐嶋は対照的に憮然としている。


 しかし、あることに思い至って破顔した。


「出張予定を調整して当てはめたわけか。うまくやりやがったな。おれとしては助かるが」


「どうにかして、ご一緒できないかと考えた結果ですよ」


 桐嶋と倉橋が話しているところに、鳴海がソフトクリームを食べながら歩いてきた。


「あれ?倉橋さんじゃないすか。なぜにここへ」


「お、鳴海。おれも同行するのでよろしく」


「は?え?ん?どういうことっすか?」


「こういうことだ」


 文化庁の調査官である倉橋は、普段は研究や政策立案などを担当していることが多いが、現地調査の必要性があれば全国どこにでも出張する。


 文化財の指定、保存修理、現状変更等に関する専門的・技術的な事項を扱うなど、現地に赴いて調査をおこなう必要があるからだ。


 今回、倉橋が宇都宮に行ったのは、文化庁から宇都宮市に貸し出していた美術品の展示状況確認。


 盛岡に行くのは、文化財保存活用地域計画の作成に関して、現地視察を行うという立派な理由があるのだった。


 桐嶋はキャリー達に倉橋を紹介した。


 倉橋は桐嶋たちの車には同乗せず、自分のアルファロメオで、桐嶋たちの車の後ろについていくことになった。


 長者原サービスエリアを出発した一行は、盛岡インターチェンジで東北自動車道をおり、早池峰山のふもとにある桐嶋の別荘を目指した。


 道がすいていたため予定よりも早く別荘の近くまで着くことができた。


 途中から、桐嶋が運転手のエドガーに道案内をする。山道を走り、ようやく別荘へと続く道の手前に2台の車が到着した。


 その道には杭と鎖で作られたゲートが設置されている。桐嶋が車をおり、ゲートを開けに行く。桐嶋が作業をしていると鳴海もおりてきた。


「桐嶋さん。桐嶋さんが最後にここに来たのっていつでしたっけ?」


「2年前だな」


「だと、誰かが、その後に来てますね」


「まさか」


「轍のとこを見てください。2年もたっていたら、もっと草ぼうぼうっすよ」


「・・・確かにそうだな」


「用心した方がいいっすね」


 桐嶋は車に戻り、そのことをキャリー達に説明した。倉橋には、鳴海が説明しにいった。車内に緊張が走る。


 鳴海が戻ったところで再び出発した。


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