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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第18話「共犯者」

 沈黙が流れた。


 先に口を開いたのは桐嶋だった。


「おれは、そんな怪しい金のおかげで生きてきたというわけか…」


「兄様…」


 桐嶋は子供の頃の光景を思い出そうとしたが、絵画修復作業をしている父親の背中しか鮮明に思い出せなかった。


 だが、キャリーの話を前提にして考えてみると不審な点はたくさんあることに気が付いた。


 店内にあった絵や額は売れていないのに、金はどこからきていたのか。


 店に普通の客がくることなんて年に数回あればいい方だ。


 記憶の中の父親が修復していた絵は、多くても1年に2枚程度だ。


 通常の修復報酬額で考えれば、それで1年なんか暮らせない。


 ものによっては、顔料代で足が出てもおかしくない。


 だが、高額な、しかも裏のある絵画の修復費用となれば話は別だ。


 今回のクリムトの絵の修復代金がそうであったように。


「結局、親子で似たようなことしているのかもしれんな」


 自虐するような言い方をした桐嶋だったが、考えを巡らす内に気づいたことがあった。


「親父が亡くなったのは岩手の別荘だ。仮にアウラ・ノクティスに殺されたとすると、あの辺鄙な場所までアウラ・ノクティス関係者がわざわざ親父を殺しに来たということだ。なぜ?東京にいる時に実行した方が楽だしわかりにくいはずなのに。あの場所で殺さなければならない理由があったのか。それとも、あの場所で殺すにたる理由ができたのだろうか」


「…お父様が亡くなられてから、その別荘には?」


「最後に訪れたのは2年前だが、その時は軽く掃除をして帰ってきてしまった。1日も滞在していない。その前は5年前だ。親父の遺品かなにかでもあればと思って行ったが、結局あの時も後片付けくらいしかしていない」


「兄様、別荘で確認したいですか?」


「それはな。というか、キャリーの話を聞いたからか、尚更、現地で確認しないといけない気分になったな」


「行きましょうか、岩手」


 キャリーは楽しそうな表情に変わりつつあった。


 いや、楽しそうな表情にならないよう注意しているという方が適切かもしれない。


 桐嶋は残念がるようにかぶりをふった。


「先ほども説明したように、おれは警察にマークされていてうかつには動けない身分だ。そんな簡単には行けないさ」


「警察だけだったら大丈夫です。行けますよ」


 こともなげなキャリーの言葉は、桐嶋を驚かせるに充分だった。


「警察が兄様を付け狙っているのは、鷺沼氏に関する唯一の接触者だからでしょう?つまり、殺害の現場での目撃証言やアリバイ等の裏付けもなにもないから、任意の協力者という立場にしかもっていけなかったわけです。だったら、こちらでアリバイと理由を作りましょう」


「…話が見えないんだが」


「鷺沼氏が殺害されたと予測している日、兄様はアメリカ大使館で、駐日大使に対して絵画に関するレクチャーをしていたことにしましょう。そして、警察で事情聴取を受けた日から自宅に帰っていない件については、ずっとここにいたことにすればいいのです。ちょうど、私が来日した日と一致しますので。加えて、警察関係者に、アウラ・ノクティスによる殺害の可能性と、それを裏付ける検出成分の一致、つまりさきほど見ていただいた一覧を善意の情報提供という形で提示すればいいのです」


 つまり、相手が行動を起こす前に、こちらにとって都合の良い情報を送り付けて上書きしてしまえばいい。キャリーはそう言っているのである。


「キャリー、待って。今の話ならば警察は確かにおれに対して動く理由はなくなる。でも、ほとんどウソの話だろう?しかも、アリバイを確認する対象が、アメリカ駐日大使じゃ話が大きすぎる」


「大丈夫です。現駐日大使は、お父様の古い友人です。というより、お父様が推薦した方です。そのくらいの便宜は図ってくれます。なんなら、お父様に口添えしてもらえば二つ返事でしょう」


 桐嶋は開いた口がふさがらなかった。


「このホテルに逗留していたことにする話も問題ありません。先ほど、こちらの部屋に来ていただいたことでおわかりでしょうが、地下駐車場からここまで誰にも会わなかったでしょう?念のため、支配人には話を通しておきましょう。ここは、財団でも常用していますし、私たち一家が来日した際にもよく使うホテルです。私の大事な………従兄が同宿しているのでよしなに、とでも言っておけば彼は理解してくれます」


 キャリーは、途中言いよどんだが、最後は一気にまくしたてた。


 桐嶋はキャリーの表情と口調から、反対しても無駄なことを悟った。


「…わかった。好意に甘えよう。正直、助かることだしな」


「兄様のためなら!」


 瞳が輝いているキャリーに、桐嶋は完全に押されていた。


「でも、一つだけ問題が」


「ん?」


「このお話を、日本の警察にどのように情報提供しようかと」


「ああ、そうだな。確かにそうだ」


 そう言った桐嶋だが、すぐに適切な該当人物を見つけた。


「うん、うってつけのヤツがいる」


「鳴海様ですか?」


「鳴海でもいいが、もっと直接的に、このことをうまく利用してくれそうな人物がいるんだよ」


 桐嶋は人の悪そうな笑顔をうかべた。


「キャリー、一人、ここに呼んでもいいか?」


「兄様が信頼してらっしゃる方であればいいですよ」


「おれが日本で最も信頼している人物さ」


◆◇◆


 約2時間後、扉がノックされるとイヴリンに案内された藤堂が入室してきた。


 キャリーがにこやかな笑顔で出迎える。


「藤堂様、初めまして。キャロライン・ベル・ウインストンです。桐嶋様の奥様の従妹です」


「ウインストンさん、初めまして。藤堂です」


 他所行きの顏をして紳士然としていた藤堂だったが、キャリーの後ろにいた桐嶋に問わざるを得なかった。


「桐嶋、どういうことだ?彼女は財団の方じゃなかったのか?」


「いや、まぁ、財団の人ではあるんだがな。おれの妻の従妹でもあるんだ。おれもさっき思い出したわけだが」


 ニコニコ顏のキャリーとは対称的な二人だった。


 助け船をだすように、キャリーは藤堂に、桐嶋との関係を簡潔に説明し、さっそく本題に入った。


「藤堂様には、桐嶋様を助けるための悪事に加担していただきたいのです」


 ちゃめっけたっぷりな言い方でキャリーは説明を開始した。


 頭がいいとはよく使われる言葉だが、記憶力がいい、処理能力が高いなど、一言で『頭がいい』と言ってもその真意は様々だ。


 キャリーと藤堂は、二人とも理解力が高く頭の回転が速い、典型的な頭がいい人達だ。

 キャリーの提案のメリットデメリットを藤堂は即座に理解し、その改善点を提案する。

 するとそれにキャリーがまた改善点を提案するということをすごいスピードで繰り返していく。


 桐嶋が発言者に対して顏を交互に向けているだけで会話は終わった。


「ウインストンさん、この話は私にとっても非常に魅力的な内容だ。うまく使わせてもらうよ」


「藤堂様にご理解いただけて助かりました。兄様に類が及ばなければ、いかようにでもお使いください」


「大使と支配人への根回しは」


「この後、すぐに」


「了解した」


 二人の会話に口を挟まないよう、落ち着くのを待ってから桐嶋は確認した。


「藤堂、おれの荷物と例の絵は?」


「ああ、ちゃんと持ってきたさ」


 桐嶋のキャリーケースが一つ。そして、絵よりも少し大きめ、保護材を考えればちょうど良い大きさの持ち手つきのケースが桐嶋の前に置かれた。


「あれ?こんなケースあったか?」


「倉橋が用意してくれてた。必要になるだろうと」


「…みんな優秀すぎるだろ」


 頭を無造作に掻きながら桐嶋はケースを開け、中身を確認した。


「確かに。ありがとう」


「どういたしまして。それで、おれからも追加情報がある。座っていいか?」


 藤堂は目の前の椅子を指さしながら聞いた。


「あ、失礼しました!どうぞお座りください」


 藤堂が座るのを見てからキャリーも椅子に座った。


 桐嶋は立ったままだ。


 腕を組んで藤堂の言葉に耳を傾ける。


「追加情報とは?」


「赤坂署管内で新たな殺しの可能性がある遺体が発見された。それがあったからおまえへの対応が遅れたのかもしれん。そういう意味では助かった。その遺体だが、司法解剖の結果、鷺沼氏と同じだったようだ。つまり、急性心不全と例の毒物検出。数値も確認したが一緒だ」


「被害者は外国人?」


「いや、日本人だ。中川博道。…画商だ」


「またか」


「ああ。ウインストンさんから頂いた情報に照らし合わせれば、アウラ・ノクティスがらみの可能性が浮上してくるというわけだ」


 一拍置いてから話を続ける。


「おれはこれから本庁に戻り、今回の二つの事件とアウラ・ノクティスの情報を元に上申し、合同捜査本部を立ち上げるよう働きかける。経緯からしても、おれが担当参事官となるだろう。つまりだ。あとのことは任せておけということだ」


 二人を見ながらニヤリと笑った。


「赤坂署の例の二人の刑事もおれの管理下に置くことになるからどうとでもなる。おまえは、絵の修復に専念するなりなんなりすればいい」


「いいのか?」


「ああ、大丈夫だ。あとは警察の仕事さ。それでどうする?」


「さっきキャリーとも話していたんだが、岩手の別荘を調べたい」


「なるほど。親父さんが亡くなった現場だしな。もしなにか今回のことに関連したものがあれば共有してくれ」


「わかった」


「ただ、そうなると、誰か警察組織の人間をそちらにつけたいな。それならばなにかあっても地元警察に応援を要請できる。…やっぱ、鳴海かな。ウインストンさん」


「はい」


「先日のパーティーでの伝手を使って、財団から要請をだしてもらうことはできますか?」


「問題ありません」


「では、お願いします。おれの方からもそれとなく匂わせておくから、これで大丈夫だろう。それで移動手段は?新幹線…ってわけにはいかないか。レンタカーかな」


「いえ、大使館の車を使います。さきほど兄様が乗ってきた車です。大使から、滞在中は自由に使ってくれてかまわないと言われておりますので」


 藤堂と桐嶋から異口同音に驚きの声があがったが、キャリーは平然としていた。


「あの車なら7人乗りですので、私の護衛3人含めても1台で移動可能です」


 護衛という単語に藤堂が反応した。


「護衛か…警護という観点から考えれば2台の方が対応しやすいが、外交官ナンバーが2台連なっていれば目立ちすぎる。それでいきましょう。いつ出発する?」


「そうだな。おれはいつでもいいので、キャリーと鳴海の都合がつき次第だな」


「あら、私もいつでも大丈夫ですよ?」


 桐嶋はキャリーに訝し気な表情を向けた。


「財団の仕事があるだろう?」


「当初の予定は完了しました」


「いや、鳴海から2週間くらいの滞在予定と聞いていたんだが」


「日程はその通りです。でも、仕事自体は最初の2日間で完了しました」


「…え?日本に来る必要あったの?」


「あります!いえ、どうしても必要だったのです!兄様を探し出してお会いするのが本来の目的でしたから!ですので、あとは自由時間です!」


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。


 藤堂は苦笑し、桐嶋は呆然としている。


 確かに、日本に戻ってきてから5年間、一度も連絡はしていないが。


「桐嶋、あきらめろ。ウインストンさん、こいつのことよろしくお願いします」


「はい!」


 藤堂の笑いが止まらない。


「おまえのその顏が見れただけでここに来た甲斐があったってもんだ。じゃあな、そろそろ本庁に戻る。桐嶋、なにかあったらすぐに連絡よこせよ。気をつけてな」


「…ああ」


 桐嶋は憮然とした表情で藤堂を見送った。


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