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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第17話「巡り合い」

 扉の先には一人の女性が立って出迎えてくれた。


 鳴海の言っていた通りだ。


 少しウェーブのかかった蜂蜜色に近いロングな金髪。


 ぴったりとしたスーツとタイトスカートが体のラインを際立たせている。


 エメラルドグリーンの瞳と大きな目。


 控えめなそばかす顏は少し幼いような印象を見るものにあたえる。


 どことなく、妻ソフィアに似ているような顔立ちだ。


「桐嶋様、ようやくお会いすることができました。どうぞ、こちらへ」


 日本語で長椅子に座るよう言われ、桐嶋は躊躇することもなく座った。


 ウインストン女史は正対するように向かい側の椅子に座る。


 それに合わせて扉が閉められた。


 室内には桐嶋とウインストン女史の二人だけ。


 桐嶋が口を開く。


「はじめまして、と言いたいところですが不用心すぎませんか?」


「いいえ、二人だけでお話をしたくて、大使館ではなくこちらに来ていただいたのです」


「そうでしたか」


 二人の間には豪奢なマホガニーの大ぶりなテーブルが一つ。


 仮に桐嶋が乗り越えようとしても、女史にたどり着くまでの間に、外にいる三人に取り押さえられそうな雰囲気がある。


 逆にそのような自信があるからこそ、三人は外で待機しているのだろう。


「どうかされました?」


 桐嶋は彼女に目線を向けたまま考え事をしていたらしい。


 ウインストン女史の顏が少し赤らんでいる。


「いえ、優秀な護衛なのだろうと思いまして」


「はい。今回、来日するにあたって父様がつけてくれた護衛ですので」


 一財団の調査員に護衛が三人もつくことはない。


 父親がつけてくれたにしても過剰な護衛といえる。


 過保護にしてもやりすぎだと桐嶋は思ったが、もし別な肩書や立場があれば話は違う。


「…失礼ですが、モニュメンツ・メン財団の調査員という肩書であっていますよね?」


「はい、鳴海様にお渡しさせていただいた名刺の通りです。ただ…」


「ただ?」


「父様が大統領補佐官を拝命している関係で…」


「大統領補佐官!?担当は?」


「国家安全保障問題担当です」


 ウインストン女史は、恥ずかしそうに、伏目がちになりながらそう言った。


 『VIP中のVIPじゃないか!!』桐嶋は内心で舌を巻いた。


 アメリカの大統領補佐官は、大統領が直接任命する。議会の承認もいらない。


 特に国家安全保障問題担当ともなれば大統領の側近といっていい。


「ようやく理解しましたよ。鳴海から聞いていたパーティーの様子でも、大使があなたに対する態度が妙だと思っていました」


「恥ずかしいです…」


 彼女は顏を真っ赤にしながらもじもじしている。


 その仕草が、見た目以上に幼いものに感じた。


 そしてその姿は、やはり妻の記憶と重なる。


 彼女は感情が豊かな人で、表情や態度によくでていた。


「このようなことを詮索するのはおかしいかもしれませんが…お父様以外のご家族は」


 桐嶋の口調と表情が疑念に変わっていることに彼女は気づいたようだ。


 口が少し開き、驚いた表情になる。


「母様と兄と私です…」


 そう言いながら、おずおずと両手で頭に近い両サイドの髪を掴む。


 おかげでツインテールのような髪型になった。


 彼女がなぜそうしたのか桐嶋はわからなかったが、その姿は桐嶋の記憶を刺激した。


 ウィーンのシュテファン大聖堂。


 桐嶋が懇意にしていた教授が手配してくれた結婚式の舞台。


 華美でもなく高価でもないが、美しいウェディングドレスをまとったソフィア。


 その周りを、喜びの感情を爆発させながらはしゃぎ回る金髪の女の子。


 はしゃぎすぎたせいでまとめていた髪型がくずれ、兄から怒られている。


 崩れた髪型は、偶然ツインテールの形になっていた。


 桐嶋は助け船をだすつもりで声をかけた。


『大丈夫。その髪型もかわいいよ』


 彼女は真っ赤な顔をぼーっとしながら桐嶋の顏を見つめていた。


 結果、結婚式の間、女の子はずっとツインテールのままで参列していた。


「キャリー…?」


 桐嶋はまさかという気持ちで尋ねた。


 言葉は自然と英語に変わっていた。


 ウインストン女史の目から大粒の涙がこぼれる。


「…そう…です。ようやく…ようやく…」


 キャロライン・ベル・ウインストン。


 彼女は、桐嶋の妻ソフィアの従弟だった。


 最後に会ったのは、妻が亡くなった時。


 桐嶋は、いまだに妻の死亡原因は自分にあるという罪の意識にさいなまれている。


 当時、桐嶋はAIC(米国保存修復研究所)に勤めており、その日は意見交換のためにナショナル・ギャラリーに行っていた時だった。


 会合が終わり外にでるとあいにくの雨。


 かなり強い雨で、遠くがけぶって見えるような強さだった。


 桐嶋は妻に電話をかけ、車で迎えに来てくれるよう軽い気持ちでお願いした。


 ほどなくして、それらしい車が見えた。桐嶋が合図のために手を振ろうとした時、惨劇は起こった。


 信号を無視した酔っ払いの運転する車が、ノーブレーキでソフィアの運転する車に突っ込んだのだ。しかも運転席側に。


 ソフィアは即死。


 奇跡的に外傷は少なかった。だからこそ、余計に桐嶋はその死を信じることができなかった。


 でかけていなければ。


 電話をしなければ。


 すべてにおいて桐嶋には後悔しかなかった。


 ソフィアが死ぬ原因を作ったのは自分だ。


 桐嶋は7年たった今でもそう思っている。


 アメリカでは土葬が主流だ。


 現在は火葬も多くなっているが、7年前はまだ土葬が多かった。


 ソフィアも土葬だった。


 葬儀の途中は不思議と涙はでなかったが、最後に土がかけられた瞬間、こみあげるように零れ落ちた涙が土に吸い込まれたことを覚えている。


 キャリーと最後には会ったのはたぶんその時だ。


 ただ、ソフィア以外に意識がいっていなかった桐嶋に、その記憶はほとんどない。


 死の原因を作ったのは自分という気持ちが強く、親族に会わせる顏がないと思っていたからもある。


 その後、2年間はキャリーたちと会っていない。


 ソフィアの叔母(キャリーの母親)が何度か連絡をしてくれていたが桐嶋は頑なに固辞していた。


 そして、5年前、父親の死とともに、桐嶋はアメリカから逃げ出すように帰国した。


 桐嶋はキャリーが泣き止むまで待っていた。


 なぜ泣いたのかはわからないが、おそらくいろいろな思いがあるのだろう。


 ソフィアのことを「ソフィ姉様」と呼んですごく慕っていたから、桐嶋の姿を見て思い出したのかもしれない。



◆◇◆



「落ち着いたかい?」


 桐嶋はハンカチを差し出す。キャリーはそれを大事そうに受け取った。


「ええ…」


 ハンカチが汚れることを気にしたのかもしれない。桐嶋がうなずいたのを確認してから使い始めた。


 それから二人はお互いの年月を埋めるかのように話をした。主にキャリーが、だが。


 彼女は控え目に言って天才の部類に入る。


 15歳で、スキップでジョージタウン大学に入学し、その後、博士号もとったらしい。


 博士号の件を桐嶋は知らなかったが、どうやら桐嶋が日本に戻ってからのようだ。


 卒業後は政府機関で働いていたが、2年前に財団にスカウトされた。


 これは本人の希望もあったようだ。


 アメリカでは、彼女のような優秀な人材は、データサイエンティスト、政策アナリスト、エグゼクティブディレクターといった職種や公共的な職種につくことが多い。


 桐嶋は、なぜ財団に入ったのか聞いたがはっきりとは教えてくれなかった。


 兄のクリストファーは、NSC(国家安全保障会議)のスタッフとして、父親を補佐しているとのこと。


 クリストファーは8歳下のキャリーを溺愛していた。護衛を三人もつけたのも彼だろう。


 キャリーは桐嶋のことも聞きたがった。


 日本に戻ってからの5年間のこと。


 あまり話すこともなかったが、悠彩堂での日常のことなどを話した。


 そして桐嶋は、今日の本来の目的のことを話そうか迷い始めていた。


 タフな交渉になるだろうと予想し、かなり気合いを入れていたはずだが、相手がソフィアの従弟だとわかったため躊躇したのだ。


 しかし、そのことを話さなければ、なんのために藤堂、倉橋、鳴海に尽力してもらったのかわからなくなる。


 桐嶋は意を決して本題に入ることにした。


「キャリー、今日は君に相談したいことがあってやってきたんだ」


 彼女の顏が更に明るくなる。


「悠斗兄様の相談!?なに!?なんでも言って!私にできることならなんでもするから!」


 ものすごい食いつきだ。


 他の人にそんなこと言っちゃいけないよ?と桐嶋は苦言を呈しながらスマホの画面を彼女に見せた。


「これはクリムト?」


 キャリーの表情が一気に仕事の顏に転じた。


 声色まで少し変わっている。


「ああ、おれの見立てでは真作だ。そしてこの絵のおかげで面倒なことになっている」


「兄様、これをどこで」


 桐嶋はここ数日のことを彼女に説明した。


 鷺沼からこの絵の修復依頼を受けたこと。


 鷺沼が亡くなったこと。それは毒殺の可能性があること。


 そのことで桐嶋自身が警察から疑われていること。


 桐嶋の父親と鷺沼の死体検案書における一致点については伝えるか迷ったが全部話すことにした。つまり、ヘレブリンとタキシンの検出された成分量がほぼ一緒だったこと。


 この絵がナチスの略奪品ではないかと疑っていること。


 そして日本にずっとあった可能性があること。


 結局、包み隠さず話したと思う。


 抜けはないと思うが原稿を作ったわけではないのでわからない。


 もしあったら都度説明すればいいだろうと、桐嶋は、少し心の余裕もでてきていた。


 彼女はスマホの画面と桐嶋の顏を交互に見つめながら話を聞いていた。


 話が終わった頃、彼女の指の動きも止まった。


 キャリーが見つめていたのは、あのよくわからないラテン語の画面だった。


「Aura Noctisアウラ・ノクティス…」


「あれ?そうだったか?Aurae Noctisだったと思うが」


「いえ、アウラ・ノクティスとは、とある組織の名前です。イヴリン!」


 キャリーの声に反応して、先ほど案内してくれた女性が入室してきた。


「財団のパソコンが入ったケースをお願い」


「かしこまりました」


 打てば響くような即答だ。


 イヴリンと呼ばれた女性の直立した姿勢もあいまって小気味よく感じる。


「キャリー、Aura Noctisってなんだ?」


 桐嶋は尋ねた。


 キャリーはイヴリンが持ってきてくれたノートパソコンを起動させながら答える。


「いわゆる裏の世界で美術品売買をおこなっている組織です。彼らは、ナチスがらみの美術品をもっとも多く売買し、さらに隠し持っていると財団では考えています」


 キャリーは一瞬言いよどんだが言葉を続けた。


「一説には、神聖ローマ帝国時代から続いている秘密結社だとか。イチイの木とクリスマスローズをモチーフにした紋章まで持っています」


 桐嶋の体がかすかに揺れた。


「そうです。ヘレブリンとタキシン。彼らは、その紋章に使用している植物から抽出した成分が、死後も残るように調整した毒薬を使います。毒薬の名は『ソムヌス』。ラテン語で『眠り』という意味をもちます」


「じゃあ、親父と鷺沼氏は」


「ええ、残念ながら、アウラ・ノクティスに殺害された可能性が高いです。見てください。財団が調査した資料の抜粋ですが、近年、アウラ・ノクティスの手にかかったと思われる犠牲者です」


 キャリーが桐嶋に向けたノートパソコンの画面には、犠牲者の死体検案書らしき一覧が表示されていた。


 検出成分には、もはや見慣れた数字が、ほぼ同じ値で並んでいる。


「犠牲者にほぼ共通することは、画商か絵画修復家です。私たちの調査では、2018年頃からアウラ・ノクティスが世界中で活発に動いていることがわかりました。そして、時期を同じくして、裏の世界での美術品の取引の実態がほぼわからなくなってきたのです。これまでよりも巧妙な手段で取引をおこなうようになったのか、それとも取引自体の規模を縮小したのか」


「2018年?」


「2015年、スイスとEUの間で協定が結ばれ、EU諸国の顧客に対する銀行機密が事実上終結しました。そして、2018年から両国居住者の口座情報が自動交換されることになりました。これによって、銀行口座を介した取引がすべて数字として残り、EUでも確認できるようになったのです。そのことから考えるに、アウラ・ノクティスは銀行口座の取引情報に紐づく末端の構成員を排除しているのだと考えられます」


「まさか!」


「…残念ながら…」


 桐嶋の驚きと義憤があふれかえるとともに、キャリーの表情が沈痛に変わっていく。配慮が足りない言い方をしてしまったと後悔していた。


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