第15話「メッセージ」
「おれは桐嶋さんの仮説を全面的に賛同します」
「ありがとう」
「それで、桐嶋さんはあの絵を最終的にどうしたいと考えています?」
「修復自体はおれがおこないたい。でもな、修復に関わらずモニュメンツ・メン財団に預けようと考えてる。おれの仮説は別としても、未発見のクリムトの真作という事実だけで財団は丁重に扱ってくれるはずさ。彼らならナチスがらみの作品だと認識するに違いない」
「でもそれじゃ、警察からの追求の手は…」
「ああ、なにも変わらないことになる。仮定の話だが、赤坂署と宮古署がタッグを組んでおれを疑い始めたらなおさらヤバいことになるかもな」
「それならなぜ!」
「ただ預けるだけじゃないさ。取引の材料として使う。バーターだ。モニュメンツ・メン財団の人間が大使館に常駐しているとすれば、それなりの立場なのだろう。なんらかの庇護を受けることができるかもしれない。それでもダメなら、その伝手を使ってアメリカに逃げるだけだ」
桐嶋の表情に自重ともとれる笑みが広がった。
「その交渉をおこなうためにもウインストン女史と会ってみるさ。賛成してくれるか?」
「そういう考えならば賛成します」
「ありがとな。これで、鳴海も倉橋も賛成と。あとは藤堂待ちだな」
桐嶋が、スマホの時計を確認しようとした時、鳴海からのメールが届いた。
『鷺沼氏の来日記録に絵画持ち込み記載なし。過去20年におけるクリムトの絵画に関する怪しい税関記録なし。なお、鷺沼氏は毎年1回は来日していたもよう。以上』
「業務メールかよ」
簡潔な内容に笑いがこみあげる。
「おれにも同じものが来ました。これであの絵が少なくても20年以上は日本にあったことがほぼ確定しましたね。つまり、絵の写真も日本で撮られた可能性が高い。保管者、協力者…なんらかの組織でしょうか」
「ああ。そして、鷺沼氏もそことセットなのか、だな」
仮に、鷺沼が絵を保管していた組織とセットだとする。そうなると、また新たな疑問もうかびあがってくる。
あの絵は、なぜ、約80年もの間、修復されなかったのかということだ。
すぐに売却しないから?
それにしたって最終的に売却目的ならば修復していなければおかしい。
その考えを桐嶋は口にださなかった。
そのことも含めて財団に放り投げようという気になっていたからもあるが、三人に対してこれ以上の負担になりそうな材料を増やしたくなかったからもある。
桐嶋が思案にふけっていたころ、倉橋はノートパソコンで作業をしていた。
「そういえば頼んでいた画材は?」
「大丈夫そうです。早ければ来週の火曜か水曜には揃うはずです」
「思ったより早いな。助かる」
「いえいえ。今、藤堂さんと鳴海には報告書送りました」
倉橋がノートパソコンを閉じる。
「ふと思ったんですが、財団からの迎えってここに来てもらいます?」
「あ、そっか。まずいな」
ここはあくまで『秘密基地』。
四人以外の第三者には、少しの痕跡でも知られたくない場所だ。
「ここから移動するにしても、警察が防犯カメラの情報を容易にとることができる公共施設のカメラには写りたくない。んー…」
「あそこはどうですか?砧公園」
桐嶋はここから砧公園までのルートを考える。
間に駅はない、首都高以外の幹線道路もない。
公園自体も広いから場所によってはカメラが少ない。
「いいかもな」
スマホでGoogle Mapを表示し、詳細なルートを確認する。それを見た倉橋も確認し始めた。
「このルートはどうです?」
桐嶋が倉橋のスマホをのぞき込む。
「ここをこう通って、ここを曲がってこう行って。これなら住宅街しか進みませんし」
「いいな、そうしよう。そこをマーキングしておれのメアドに送ってくれるか?」
「はい、OKです。ここまではおれが送っていきますよ」
「月曜ならか?」
「火曜水曜でも時間帯さえ確定していれば可能ですよ。ちょっと抜け出すだけですから」
「すまんな」
「その時は念のため、別な車で来ます。カーシェアとか、手はいくらでもありますから」
「…もうさ、おまえらに相談して本当に良かったよ。おれ一人じゃもうどうにもならなくなってた」
「なに水臭いこと言ってんですか、今更ですよ。いつか精神的に返してもらいますから大丈夫ですよ」
「精神的にな」
「ええ、精神的にです」
二人の表情に素直な笑みが広がった。
「さて、倉橋。今日はもう帰れ」
「え?なんでですか!?」
「おまえ、一昨日からあまり寝てないだろ。だいたいの思索はまとまったし、おまえのおかげで鍵も手に入った。藤堂はキャンプ中だし、今日明日で動けることはもうないさ。家に帰って休んでくれ。その後、きっちり動いてもらうためにも、今は体力を温存しておいてもらいたい」
「…そういうことなら…わかりました。おれ的には夜通しお話したいくらいなんですけどね」
「ダメだ、休め」
「…了解しました。じゃあ今日のところは帰りますけど、なにかあったらすぐに連絡くださいね!絶対ですよ!」
「ああ、わかったわかった」
「じゃあ、帰ります」
広げまくった大荷物を手際よくまとめ始めるとすぐに完了した。
「買ってきたものは適当に飲み食いしちゃっててください。三日分はもつはずですから」
「充分だ」
倉橋はくどいくらいに食べ物に関する注意点や「あれはあそこありますからね」と必要となりそうなアイテムの所在を教えてから帰っていった。
「おかんかよ」
扉が閉まると、桐嶋はためいきをついた。
倉橋がいろいろ気を回してくれるのはありがたい。だが、四六時中それが続くと、さすがに疲れてくるものだ。
休んでもらいたいのは本当の気持ちではあるが、それ以外に一人になりたい理由もあったので無理やり帰したのであった。
◆◇◆
現在の時間は、午後5時28分。
桐嶋がその時間を確認した直後、藤堂から電話がかかってきた。
「珍しいな。キャンプの最中に電話をよこすなんて」
その言葉には、今回の一連の出来事とは違う、日常の響きがあった。
「たまにはな」
藤堂もそれを察したのか口調が和らぐ。
「奥さんや娘さんたちは?」
「妻は忘れものだとかで近所のスーパーに買い出しにいったよ。娘たちはなんやかんや言いながら夕食を作ってくれている」
「それはさぞかし賑やかしいだろうなぁ」
「ああ」
電話の奥から笑い声が聞こえる。
「楽しそうだ」
「まぁな。歳頃の娘たちだが、嫌な顔一つせずに、キャンプにつきあってくれるんだから楽しくて来てるのだろうな」
「ありがたいことだな」
「素直にうれしいもんさ」
藤堂の娘たちは、長女14歳、次女12歳、三女9歳の三人。
たまに桐嶋が藤堂の家に遊びに行くと、いまだにじゃれついてくる、子犬のような愛くるしい娘たちだ。
「それで用件は?」
「ああ、報告書を読んだのでな。いろいろ考えたが、おまえの意思を尊重することにした」
「財団の件?」
「そうだ。…なぁ、最悪のシナリオも想定しての考えだろうな?」
「財団にナチス関係者として糾弾される可能性か?もしくは拘束される可能性か?」
「どちらともだ」
「当然考えたさ。だがな、どちらにしろ日本の警察に捕まるよりはマシさ。参事官様に言うことじゃないがね」
くぐもった笑いがスマホに伝わる。
「日本という国は好きさ。でもそれは、国家や政府や関連する組織のことじゃあない。歴史や風土、風習といった、直接的な言葉では言い表しにくいものが好きなんだよ。おれに非がない理由で拘束しようとしてくる警察に捕まるくらいなら、アメリカを頼った方がマシさ」
「耳が痛い話だな」
藤堂は、日本の警察組織とアメリカの組織イメージを比較してみた。
桐嶋の言葉には一理あるが、反対したい気持ちも強い。だが、今は言う時じゃないと堪えた。
「もう一つ打算的な理由もあるんだ」
「ほう」
「報告書には書いてなかったと思うが、鳴海が言うには、財団のウインストン女史は、修復家としてのおれのファンらしいんだ」
「ファン!?」
「そう。鳴海曰く、熱狂的なファンの部類のように見えたらしい。本当にそうなら悪いようにはならんかなぁと」
藤堂の次の言葉がでてくるまでは多少の時間があった。
「あきれたな。そんなものにすがろうというのか」
「ファンの力もバカにできないぞ。最近で言えば『推し』とでも言うのか。推しの力は無限大…らしい。まぁ、鳴海の直感を信じることにしたのさ」
「ああ、それならわかるし納得できる。鳴海の直感は信じるに値する」
「鳴海が板挟みになって苦しい思いをせずにすむから協力する、という一面もあるけどな」
「面会する理由がたくさんだな」
「おかげで心理的防壁を突破する理由に事欠かない」
通話音に風の吹きこむ音が重なった。
「さぁ、そろそろパパに戻るんだな。おれの方は大丈夫だ」
「ああ、わかった。そうしよう。じゃあな」
通話を切ると、桐嶋は鳴海に、ウインストン女史への面会依頼のメールを送った。
日時はまかせるが、なるべく早い方が良いという言葉もそえて。
約20分後。軽く食事をとっていると、鳴海からの返信がきた。
『月曜、午後2時。指定の場所に車が待っているので、乗り込んでほしいとのこと。おそらく大使館の車だと思います』
「思ったよりも早いな」
相手もあることだし、てっきり明日以降に返信がくるものと思っていた桐嶋だったが、月曜なら倉橋がまだ休みなので助かると安心した。
続けて倉橋に日時のメールをした。
「さて、あとはこいつだな」
食事の後片付けが終わると、桐嶋は保管庫に行き、例の絵の覆いをとった。
そして、先ほどと同じ様に額縁を握る。
ほぼ同じ位置。
だが、先ほどと違うのは、額縁の裏を探るように指をなぞらせていたことだ。
倉橋と話していた時、溝のようななにかがあると感じていた。
「やはりなにかあるな」
裏にまわり、違和感を感じた箇所を確認する。
なにかがあるのはわかるが、色が他と同化していてわかりにくい。
あたりを見渡し、近くの作業机の上にあったルーペを使った。
「あった」
微細な溝だ。
軽く見たくらいではわかりにくい。
桐嶋のように、指を当てなければわからないくらいの細く浅い溝だった。
「模様?いや、文字か?」
ポケットからメモ帳を取り出し、文字らしき形を一つ一つ書いていく。
「N…e…かな。んー、tか」
かなりの時間は要したが、おそらく全部書き写した。すべてを繋げると。
Ne tradideris Aurae Noctis
「英語じゃないな。ドイツ語でもない…ラテン語か…?」
桐嶋は、額縁に刻まれた不思議な文字列を見つめながら、その意味を考え始めた。
ラテン語であることはほぼ間違いないだろう。
部屋の静寂の中、桐嶋の頭の中では様々な可能性が巡っていた。
この文字列は単なる装飾の誤読なのか、それとも何か重要な意味を持つメッセージなのか。
そして、もしメッセージだとすれば、誰が、何のために、このような隠された場所に刻んだのか。
桐嶋は深いため息をつきながら、メモ帳に書き写した文字列を何度も見返した。
この謎めいた文字列が、絵画の真の来歴や、鷺沼の死、そして自分の父の死とどのように関連しているのか。
それらの謎を解く鍵になるかもしれない。
「これも財団に相談するべきかな…」
桐嶋は呟きながら、ウインストン女史との面会に向けて準備を始めた。
月曜日の午後。
その時が、全ての謎を解く糸口になるかもしれない。
桐嶋は静かな決意と期待を胸に、来るべき時を待つことにした。




