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黄金の荊棘 〜下町の絵画修復家、ナチスの遺産と巨大組織の陰謀に挑む〜  作者: 秋澄しえる


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第11話「抜け道」

「別荘の鍵は?」


「悠彩堂に置いたままだ」


「さすがに持ってきてはいないか」


「そりゃあな」


「…桐嶋。今、動くのはマズいからな」


 藤堂の声には、友人を守ろうとする強い意志が込められている。


「なぜだ」


「さっきも言ったが、赤坂署はおまえを疑っている。おれが抑えてはいるが、あちらがあせっていれば検察に逮捕状を請求していてもおかしくない状況だ。仮に状がおり、おまえの身柄を拘束されでもすれば、なにもできなくなる。だから外出は絶対にダメだ」


「そこまでやるかね」


「やるさ。あの工藤という警部補を舐めちゃいけない。最近は、このご時世もあっておとなしくしちゃいるが、昔は剛腕で知られた、現場たたき上げの刑事だ。そのくらいすると思っていた方がいい」


 藤堂の言葉には、警察組織の内部事情に精通した者ならではの確信があった。


「時間との勝負ということか」


「そうだな」


「じゃあ、おれが悠彩堂に行ってきます?」


 倉橋が遠慮がちに手を挙げた。


「おれなら面もわれていないし。何度も訪れた場所ですから、鍵のありかさえ教えてもらえれば」


 確かに良い案には思えたが、桐嶋は懸念を口にする。


「昨晩、偵察に行ってもらった時、見張りっぽいのがいただろう。つまり正面から入るのはリスクがありすぎるな」


「他の入り口は?」


「ないな。ひしめき合った住宅街の店舗兼住宅だから、店の入り口しかない」


「手詰まりですか…」


 倉橋の声には、わずかな落胆が混じっていた。


「いや、そうでもないぞ」


 藤堂の表情に、いたずら小僧の笑みが広がる。



◆◇◆



「あっただろ、桐嶋。ガキの頃、おまえが閉め出しをくらった時に、親に内緒で帰ったルートが」


 藤堂の言葉に、桐嶋の脳裏にセピア色の記憶が蘇る。


「そんなことあったか?」


 桐嶋が過去の記憶を思い出そうとする。だが、自分にとって都合の悪い記憶は、得てして思い出せないものだ。


「一度と言わずに二度三度あっただろうが。悪ガキなら誰しも経験がありそうなやつだ」


「あー…あれか?道と言えず、入り口とも言えないやつ」


「そう、それだ」


 顎に手を当てて考えていた桐嶋が、不安そうな倉橋の目線をとらえた。


「倉橋、悠彩堂周辺の地図を印刷してくれるか?裏手から周辺道路まで繋がる感じので」


「わかりました」


 倉橋はノートパソコンにとりつき、手際よく必要な地図を作成していく。普段から緊急事態に備えているかのような慣れた手つきだ。


「しっかし、よくそんなことを覚えていたな、藤堂」


「おまえにとってはそうではなかったのかもしれんが、おれにとってはドキドキの大冒険だったからな。忘れはせんさ」


「そんなにか?」


「それはそうだ。おまえは、手段はどうあれ、自分の家に入るだけのことだけだが、おれにとっては無断侵入だったからな。そりゃあドキドキワクワクだったさ」


 藤堂は昔の自分を思い出して笑っている。幼少期にわきおこった冒険心の発露はなかなか忘れられないものだ。


「できました!」


 倉橋が印刷した地図をテーブルに広げた。


 その地図には、悠彩堂の周辺が詳細に描かれており、まるで宝の地図のような魅力を放っていた。


「ありがとな倉橋。じゃあさっそく」


 桐嶋はあらぬ場所から線を引き始めた。おそらくそれがルートなのだろう。


「桐嶋そこじゃない。こっちだろ」


「いや、こっちの方が近いって」


「バカだなぁ、そこじゃ、あのおっさんに見つかるって」


「えー、そうかなぁ」


 倉橋の目には、二人が童心に帰って楽しんでいるようにしか見えない。


 ある意味、微笑ましい光景なのだが、実際に引かれていく線を見ていると疑念しかわいてこない。


「…そんなとこ、人が通れる場所があるんですか?」


「あるさ。大丈夫。30年前くらいの記憶だが、あの辺りがその程度の年月で変わるわけがない」


 確信をもって書き続ける桐嶋の線を藤堂が修正を入れていたが、ようやく悠彩堂の裏手まで繋がった。


「これだ。これで完璧!建物の一番奥が物置になっていて、そこの窓は鍵がかかっていない。よじ登れば入れる!」


 満足そうな二人だったが、実際にそのルートで侵入することになる倉橋の目には、まったく道らしきものが見えなかった。


「これ、完全に民家と民家の隙間じゃあ…」


「そうさ。その通り。だから誰の目にもふれずにたどり着くことができる。注意点があるとすれば、こことここの箇所だけだ」


 桐嶋の指が示したのは、大通りが見えそうなスキマにしか見えない。


「スリムな倉橋ならいけるさ。おれはちょっとなぁ、腹がつかえそうだ」


 たいして出てもいない腹をさする。桐嶋の仕草には、自嘲気味の笑いが込められていた。


「いやまぁ、それしか手がなさそうなので行きますけどね。実際に行って通れなさそうだったら帰ってきますよ?それで別荘の鍵はどちらに?」


「1階の居間にある」


 桐嶋はそう言いながら、先ほど地図の裏に簡単な居間のイラストを描き、鍵の置き場所には『ココ!』と大きく赤字で書き込んだ。


「頼んだぞ倉橋。おまえにすべてがかかってる」


 藤堂は再度、腕時計で時間を確認しながら言った。


「さて、おれはそろそろ帰るぞ。倉橋も突入は明日だな。暗くなってからはリスクしかない」


 明かりが必要な状態で懐中電灯をつければ、それだけで誰かに見つかりやすくなる。道理な話だ。


「そうですね。明日の午前中に動くことにします。必要なものは、手袋、タオル、ルームシューズ、油、万が一のペンチくらいですかね?」


 倉橋はすらすらと言ったが、桐嶋はすぐに思考がつながらなかった。


 指紋をつけないための手袋。


 汚れ等を残さないようにするためのタオル。


 屋内で音が立ちにくいようにするためのルームシューズ。


 窓を音もたてずに開けやすくするための油。


 窓開け等で必要になるかもしれないペンチ。


 一つ一つ確認して、ようやく納得した。


「おまえは空き巣狙いの泥棒か」


「失敬な!さっきお二人が熱心にルートを書いている時に必要なものを考えていたんですよ!」


「そういうことか。普段からそういうことをしているのかと勘繰っただろうが」


「そんなわけないでしょう」


 倉橋から苦笑がもれる。


「おれが妻に嫌われそうなことをするはずがありません!」


「ああ、うん、すごく納得する言葉をありがとう?」


 真剣な表情でのろける倉橋を見ていた二人には笑みがこぼれた。


「頼んだぞ倉橋。だがな、くれぐれも危険だと思ったら引き返してくれ。現在の状況だと自由に動けそうなのがおまえしかいない。重要な役割だと認識してくれるとありがたい」


「わかりました。藤堂さんのキャンプの邪魔は誰にもさせません」


「ああ、それもお願いする」


 倉橋は茶化そうとしたが、真剣な表情のままの藤堂を見て失敗を悟った。


「大丈夫ですよ。期待にはお応えします」


「頼む」


 藤堂は倉橋の手を握りながら、充分な時間をかけて念じてから離した。


「桐嶋も頼むからここを出るなよ。外には危険が一杯だと肝に銘じておけ」


「ああ、わかってるよ」


「それじゃあな。おれは帰る。月曜には連絡するからその時に状況を説明してくれ。倉橋、資料があれば送っておいてもらえると助かる」


「了解しました」


 気分で敬礼した倉橋を確認した藤堂がゆっくりとうなずいた。


「桐嶋さん、おれもこれから100均に行って必要なものをそろえます。そして今日はそのまま現場付近のホテルに泊まることにします。周囲の偵察も済ませておきたいので」


「了解した」


「今日のお話の資料はあとで作成して、鳴海を含めた三人に送っておきますので、目を通しておいてください。修正点があれば連絡ください」


 こうして、藤堂と倉橋は身支度を済ませると秘密基地をあとにした。


 残された桐嶋は一人、地下室の静寂に包まれる。


 嵐の前の静けさが、そこにはあった。


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