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黎明の学院


 春の光が、丘の上の建物をやわらかく包む。


 王都から少し離れた森の縁に、その学院は建っている。

 深い緑を背に、白い石造りの塔と、木の温もりを残した校舎。

 中庭には小さな噴水と花壇があり、風が吹くたびに花弁が舞って空気に色を差した。


 ――光の学院。


 かつて瘴気に覆われたこの国で、「光」と「癒し」を学ぶ場として創設された場所だ。

 王都を救った功績を持つ大魔導師セイグランと、その弟子であるセレナが初代の教師として名を連ねている。


 朝の鐘が、静かな森に澄んだ音を響かせた。


「……今日も、始まるわね」


 中庭を見渡せる回廊で、セレナはそっと呟いた。

 淡いクリーム色のローブの裾が、朝の風に揺れる。

 三年前、森の小屋で震えていたあの頃の自分を思い出すと、少しだけ不思議な気持ちになった。


 今の彼女は、“教わる側”ではなく、“教える側”だ。


 中庭には、すでに数人の生徒の姿があった。

 まだ背の低い子どもたちが、ぎこちない手つきで魔法陣の線をなぞっている。

 年長の生徒は、木陰で本を開いて黙々と詠唱の練習をしていた。


「セレナ先生、おはようございます!」


 ぱたぱたと駆け寄ってきた少女が、両手でスカートの裾をつまんでお辞儀する。

 栗色の髪を二つに束ねたその子は、入学して一年のソフィアだ。


「おはよう、ソフィア。今日の調子はどう?」


「えっと……ちょっとだけ、手の先がぽかぽかします。でも、昨日よりは制御できそうです!」


「それなら、きっと大丈夫ね。焦らず、胸の奥が温かくなる感覚を思い出してみて」


 セレナが微笑むと、ソフィアはぱっと顔を輝かせた。


「はいっ!」


 その様子を見ているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。

 自分が誰かの役に立てている――そう感じられる瞬間が、今のセレナにとって何よりの喜びだった。


 ふと、背後から足音がした。


「……朝から精が出るな」


 低く穏やかな声。振り返ると、学院の塔の影からセイグランが姿を現した。

 金の髪をうしろで軽く束ね、深い琥珀色の瞳を細めてこちらを見ている。


「おはようございます、セイグラン」


「おはよう。……顔色はいいな。無理はしていないか」


「ふふ、大丈夫です。もうあの頃みたいに、一日で倒れたりはしませんよ」


「それならいいが」


 言葉は素っ気ないが、その視線にはどこか安堵の色が宿っていた。

 セレナは少しだけ視線を落とし、胸の鼓動が速くなるのを意識の隅に追いやる。


「新入生たちは?」


「もうすぐ、王都からの馬車が着くはずです。……今年は、少し多いみたいですね」


 セイグランは丘の下の道に視線を向ける。

 遠く、土煙が上がっていた。

 王都からの定期便。新しい春を連れてくる列だ。


「この三年で、学院の評判が広まってきたからな。

 光の適性を持つ者だけではない。“居場所を探している者”も増えただろう」


 セレナは小さく頷いた。


 光の学院は、ただの魔法学院ではない。

 過去に瘴気の影響を受けた者や、魔力の形が他と違う者たちも受け入れている。

 幼い頃の自分のように、「どこにも居場所がない」と感じている者のために作りたかった場所だ。


 セレナは胸元に下げた小さな石のペンダントにそっと触れる。

 森で目覚めたとき、セイグランが手渡してくれた“光の欠片”。

 今も、それは彼女の力の象徴であり、歩んできた道の証でもある。


「セレナ先生ー! 馬車が見えました!」


 塔の上から、別の生徒が身を乗り出すようにして叫んだ。


「はい、すぐ行きます!」


 返事をして、セレナはセイグランを見る。

 彼は静かに頷いた。


「行ってこい。……今年はどうやら、少し“濃い”気配が混じっている」


「濃い……?」


 問い返す前に、セイグランは視線を薄く細める。


 ――何かが、来るの?


 丘の下から複数の車輪の音が重なって聞こえ始めた。


 *


 学院の門の前に、四台の馬車が並ぶ。

 それぞれ違う紋章が描かれている。貴族、地方領主、町の有力者。

 子どもたちが順に降りてくるたび、付き添いの大人たちは緊張した面持ちでセレナに視線を向けた。


「ようこそ、光の学院へ。皆さんの力を、一緒に育てていきましょう」


 セレナは一人ひとりに穏やかに声をかけた。

 はにかんだ笑顔を返す子、不安そうにうつむく子、興味深そうに周囲を見回す子――反応はさまざまだが、そのすべてがいとおしい。


 最後の馬車の扉が開き――

 黒髪の少年が、一歩、土の上に足を下ろす。


 年の頃は、ほかの生徒たちとそう変わらない。

 しかし、その眼差しはどこか冷めている雰囲気が見えなくもない。

 身なりは質素で、貴族のような飾りもない。


 彼の足元で、土が一瞬だけ黒く染まったように見えたが、すぐに見えなくなった。


 セレナは、瞬く。


(気のせい……?)


 目の錯覚だと言い聞かせるには、あまりに、魔力の揺れがはっきりと感じられた。

 何かが、足元を撫でていったような感覚。


 少年の後ろから、農夫風の男が慌てて降りてくる。


「あ、あのっ! 先生様……! こいつを……息子を、お願いしたいんです……!」


 男は帽子を胸に押し当て、深く頭を下げた。

 その肩は震えている。


「レオン。ちゃんと、ご挨拶を」


 少年は男の声に従い、ゆっくりと顔を上げた。


「……レオン・ハルト。

 ……魔法の扱いに問題があると言われたので、ここで矯正できるなら……その……」


 そこで言葉が途切れた。

 彼は、どこか苦々しいものを噛み殺したように唇を噛む。


「レオンくんですね」


 セレナは一歩前に出た。

 彼の目の高さまで、視線を落とす。


「光の学院は、力を矯正する場所ではありません。

 一緒に、“どう生きていくか”を探す場所です」


 レオンの肩が、かすかに揺れる。

 驚きか、戸惑いか、それとも――。


「……本当に、そんなことができるんですか」


 低い声だった。

 信じていないという色がはっきりと滲んでいる。


 セレナはそのまま彼の瞳をじっと見つめる。

 月光を溶かしたような深い灰色。

「ええ。……私たちは、そのためにここにいます」


 言葉に嘘はなかった。

 セレナの心は、不思議と静かだった。


 レオンはしばらく黙っていたが、やがて短く息を吐いた。


「……わかりました。

 でも俺は……期待はしませんから」


 そう言って、彼は視線を逸らす。

 その顔には年齢に似合わない疲れが刻まれていた。


 セレナは胸の奥に、小さな痛みを覚える。


(……この子はきっと、何度も裏切られてきたのね)


 希望を持つこと自体をやめてしまえば、傷つかずに済む。

 かつて、自分もどこかでそう思ったことがある。


 彼を学院の中庭へと案内する。

 他の生徒たちが、遠巻きにレオンを見ていた。

 好奇心、不安、警戒。視線は混ざり合い、細い針のようになる。


「みんな、新しい仲間よ。レオンくん。

 ここでは、互いの力と心を尊重すること。まずはそれだけ、覚えておいて」


 セレナの声に、生徒たちは小さく頷いた。


 彼女の背後――学院の屋上から、その光景を見下ろしている影があった。

 セイグランだ。


 風に金の髪を揺らしながら、彼は目を細める。


(……やはり、“闇”の気配か)


 学院を覆う結界に、かすかな揺れが走っていた。

 外側からの攻撃ではない。

 内側で、何かが触れた。


 セイグランはゆっくりと杖を掲げ、結界の様子を確かめる。

 わずかに、黒い筋のようなものが光の中を流れていくのが見えた。


 それは、今のところ害をなすものではない。

 


「セイグラン様!」


 塔の階段を駆け上がってきた青年が声をかける。

 

「新入生の受け入れ、終わりました。

 ……何か、あったのですか?」


「少し、気になる揺らぎがあった。

 だが今は、まだ見守る時だ」


 セイグランは視線を中庭へ戻した。


 レオンは、輪から半歩だけ離れた場所に立っていた。

 自ら距離を取っている。

 しかし、その手はわずかに震えているように見えた。


(光の学院は、闇を拒む場所にはしたくない――か)


 セイグランは三年前にセレナが語った言葉を思い出す。


 光は、闇を無くすためではなく、共に在るためにある。

 誰かを切り捨てるための力ではなく、誰かと手を取り合うための力だ、と。


 彼は小さく息を吐いた。


「……ならば、見届けよう。彼女の選んだ道を」


 空は澄んでいる。

 だが、その青の高みで、まだ名もない雲が少しずつ形を変え始めていた。


 光と影は、いつも隣り合わせにある。

 それでも――今、この丘の上には、確かに“新しい朝”が訪れていた。


 学院の鐘が、二度鳴る。

 光の学院の、新たな一年が始まった。



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