藍色の空 ~第5章~
人は、誰にも見せたくない夜を抱えて生きている。
それは弱さではなく、誰かを想うからこそ隠してしまう痛みなのかもしれない。
藍が抱える秘密、空汰が感じた違和感――
すれ違う心の裏には、それぞれの“生きる理由”があった。
この章では、藍の苦しみと、空汰の優しさが交わる瞬間を描いています。
光が届かない夜の中で、確かに生まれた“救い”の形を、どうか最後まで見届けてください。
放課後のチャイムが鳴る。
夕焼けに染まる教室の中、藍はいつもより早く荷物をまとめていた。
空汰が声をかける。
「今日も、バイト?」
「うん、ちょっとね」
笑顔はある。だけどその笑顔には、どこか透明な薄膜がかかっていた。
空汰は何か言いたげに口を開いたが、結局言葉が出なかった。
藍の背中が遠ざかる。夕日が彼女を包み、その輪郭を金色に染めていく。
――それが、どこか儚く見えた。
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最近、藍は明らかに変わっていた。
以前のように明るく笑うことが減り、時折ぼんやりと遠くを見つめる。
帰り道で偶然出会っても、「ごめん、急いでるの」と短く言い残して去ってしまう。
その後ろ姿には、疲れと、何かを隠すような影があった。
「……本当に、どうしたんだよ」
空汰の胸の中に、不安と苛立ちが混ざる。
優しくしたいのに、届かない。
問い詰めることもできず、ただ胸の奥に黒いもやが溜まっていった。
⸻
そんなある夜、空汰は塾の帰り道、普段は通らない路地を歩いていた。
少し先に、灯りが見える。
見覚えのある家――藍の家だった。
そのとき、ドアが乱暴に開かれる音が響いた。
「出てけ! あんたなんか娘でも何でもない!」
母親の怒声とともに、藍が外に突き飛ばされた。
転がるように地面に倒れ、両手で必死に受け身を取る藍。
空汰は咄嗟に駆け寄った。
「藍っ!」
その直後――
ガンッ! という金属音とともに、ドアの隙間からフライパンが飛んできた。
藍のすぐ横に、激しく叩きつけられる。
火花が散るような音が夜の静寂を切り裂いた。
「やめてください!」
空汰は思わず叫んだ。
だがドアの向こうから返ってきたのは、嘲るような声だった。
「夜遊びして金なんか持って帰ってきて、母親に逆らうな!」
その言葉で、空汰は理解した。
藍が“夜の仕事”をしていたことを――。
⸻
藍はうずくまり、肩を震わせていた。
頬に泥と涙が混ざって光る。
「……違うの。仕方なかったの」
か細い声が漏れる。
「お母さんが仕事辞めて、家にお金がなくなって……。私が何とかしないとって。最初は居酒屋で働いてたの。でも、バイト代が全然足りなくて……」
言葉が詰まる。喉の奥で嗚咽が混じる。
「それで……夜の店、紹介されて。怖かったけど、もう他に方法がなかったの」
「……バカだな」
空汰の声は震えていた。
怒りでも、呆れでもなく――悲しかった。
「そんなの、藍ひとりで抱え込むことじゃないだろ」
藍の視線が揺れる。
「でも……空汰くんにだけは、知られたくなかった」
「どうして」
「だって……嫌われたくなかったから」
その瞬間、空汰は藍を強く抱き寄せた。
「嫌うわけ、ないだろ……」
言葉が胸の奥から絞り出される。
「何してたって、藍が苦しんでるのを見てる方がよっぽど嫌だ」
⸻
冷たい夜風が二人を包む。
藍の涙が空汰の胸に染みていく。
街灯の光が滲み、ふたりの影がゆっくりと重なった。
「空汰くん……」
「もう、無理するな」
「……ごめんね」
「謝るな。俺が何とかするから」
空汰の声は静かだったが、その中に確かな強さがあった。
藍はその胸の中で、ようやく嗚咽を抑えることができた。
⸻
夜の街に雪がちらつき始める。
遠くで車の音が響き、世界がゆっくりと動き出す。
藍はぽつりと呟いた。
「空汰くん、優しいね」
「……そんなことないよ。ただ、放っておけないだけ」
「ふふ……それが一番、優しいんだよ」
その笑顔は涙に濡れていたけれど、確かに“生きる強さ”を取り戻していた。
第5章「夜の光と影のあいだで」では、藍という少女の“現実”に焦点を当てました。
彼女の行動は決して正しいものではないかもしれません。
それでも、その裏にある“守りたい想い”を感じ取ってもらえたなら嬉しいです。
空汰の抱擁は、言葉よりも深い「受け入れ」の象徴でした。
人は誰かに否定されて崩れていくこともあるけれど、
同じように“たった一人に肯定されることで、救われる”こともある。
藍が見つけたのは、そんな温もりの灯でした。
次章では、その灯がどんな夜明けを照らすのか――。
ぜひ、続きを楽しみにしていてください。




