第8章 平和と支配
あたしは今、城の最上階にある広々とした大広間で、息を切らせながら立ち尽くしている。
鏡張りの壁には乱戦の痕跡が色濃く残り、床にはひび割れがいくつも走っている。壁際にはところどころ倒れた兵士や砕けた甲冑が散らばり、血の匂いが鼻を刺す。
まったく、最終決戦というにはあまりにも生々しく、緊迫感の塊のような光景だ。
「アイリス様……大丈夫、ですか」
レオンハルトの震える声が聞こえ、そちらを向くと、彼が崩れそうな膝を必死に支えながらあたしに向かって手を伸ばしている。あの騎士団長がここまで追い詰められるなんて、正直かなり危険な事態だ。
「ええ、あんたこそ無理しないで。ちょっと休んでてもいいわよ?」
あたしは軽い調子を装うけれど、本音を言えば自分の体力もギリギリだ。体は鉛みたいに重く、心臓の鼓動がやかましいほど響いている。
さっきまで周囲で荒れ狂っていた魔族の残党を蹴散らすだけでも相当消耗したのに、まだ肝心の“黒幕”が目の前に立ちふさがっているのだから笑えない。
「甘いことを言わないでください……私は、最後までアイリス様を……守り抜きます」
レオンが嗄れた声でそう言うと、彼の背後からルークやユリウス、カイルも姿を見せる。みんなボロボロだけど、目の奥に消えていない闘志を宿している。
あたしは少し安堵する。やっぱり騎士団は頼りになる。だけど、それでも今の状況は厳しいことに変わりはない。
「ふふ、ずいぶんとがんばるのね、あんたたち」
大広間の奥にそびえる祭壇のような壇上から響く声を聞いて、あたしは無意識に眉をひそめる。
その場違いなくらい艶のある声は、この国を裏から掻き回してきた張本人――セシリア・フォン・ローレライ。その栗色の髪を優雅に揺らしながら、彼女は邪悪な笑みを浮かべている。
「セシリア……本当に、あんたが裏で全部糸を引いてたわけね。散々好き勝手やってくれて、あたしももう呆れるのを通り越してるのよ」
できるだけ冷静さを保とうとするものの、胸の奥で憤りが煮えたぎる。
いま城の中には幾多の負傷者がいて、騎士団だって限界寸前なのに、この女はまるで自分ひとりが勝利者であるかのように笑っているのだ。
「ええ、そうよ。あたしはずっとあなたを観察していたの。魔族の王とやり合うところも、裂け目から魔物を押し返すところも全部。だけど、結局あなたは“魔王の力”をまだ完全には解放していない」
セシリアが壇上で指を鳴らすと、紫色の魔力の奔流が大広間に満ちる。空気がビリビリと震え、床のひび割れがさらに広がる。
あたしはとっさに周囲に結界を張ろうとするが、体力が落ちていて思うように魔力が練れない。
「なにを企んでるの、セシリア」
「あたし? 企んでるというより“願って”るのよ。あなたがもっと深い絶望を知り、その先で“真の魔王”として覚醒するのをね。それがあたしの計画の――いえ、“あの方”の望みでもあるんだから」
「はあ? あんたは結局、誰かの操り人形だってわけ?」
半分あきれたように吐き捨てると、セシリアは微笑する。その紫の瞳には尋常じゃない光が宿っている。
昔はただの腹黒姫かと思っていたけれど、いつの間にこんな狂気を抱え込んだのか。いや、もしかしたら最初からそうだったのかもしれない。
「操り人形ですって? そうかもしれないわ。でもあたしは“世界を変える”立役者になれるのよ。だって、あなたほどの魔王を完全に墜とし、その力を捧げることができたら、あたしは――」
「うるさいわね」
あたしは言葉を被せるように言い放つ。
ここで茶番につき合ってる場合じゃない。下手したら王都中がこの闇の魔力に呑みこまれてしまう。騎士団とともにすぐにでも攻撃を仕掛けたいけれど、セシリアの背後には黒い魔法陣が展開され、異形の魔物たちがわずかに姿を覗かせている。
大広間にまで引きずり込まれたその“闇の門”から、あたしは強い殺気を感じる。
「あの方が望むなら、あたしはどんな犠牲だって払ってみせる。だから、あなたにはもっと苦しんでほしいのよ。絶望に沈んで、真の魔王になり――そして、あたしに捧げなさい」
「はあ? バカ言ってんじゃないわよ。好き勝手言うなら、まずはあんたをぶちのめしてからにするわ!」
思い切って宣言すると、セシリアは上品な笑い声をあげる。口元には笑みを湛えているのに、その瞳は冷酷で、まるで人形のように感情が読めない。
正面には闇の魔法陣がぎらりと光り、さらに大きく広がっていくのが見える。
「じゃあ、やってみなさいな。あたしだって、王太子を手中にした頃とはわけが違うのよ。大いなる闇が、あなたを待っているわ」
その言葉と同時に、闇の門から醜悪な音を立てて巨大な魔物が姿を表す。
圧倒的な存在感に、あたしは一瞬身がすくむ。さっきのボス魔物なんかとは比べ物にならないほどの瘴気があたりを満たし、こちらをむしばもうとする。
「でかい……! ちょ、ちょっとヤバすぎるんじゃないスか!」
後方からルークが絶句する声を上げ、カイルが「こんなんアリ……?」と顔を青ざめさせている。ユリウスは無言のまま身構えているが、その指先が震えているのがわかる。
「何、ビビってるの? アイリス様ならこれくらいどうとでもできるでしょう?」
セシリアが嘲弄するように笑う。あたしは唇を噛む。
確かに“本気”を出せば勝機はあるかもしれない。でも、騎士団が巻き添えになる恐れが高い。あんな化け物を相手にすれば、周囲にいる仲間も城自体も無事で済まないだろう。
ここは一体どうすれば――
「アイリス様、大丈夫です。俺たちは絶対に離れません!」
レオンハルトが、血に染まった身体を引きずるようにしてあたしのそばへ来る。その瞳には迷いが消えていて、まるで限界を超えてなおあたしを支えようとしているようだ。
「レオン、あんた……無茶しないでって言ったのに。ほんとバカね」
思わず言いながらも、あたしの胸が熱くなる。騎士団はあたしが恐れたときこそ力になってくれる。
なら、あたしだってこの力を“正しいかたち”で使わなくちゃいけない。例えここで城が壊れようとも、仲間を護るためにやるべきことがある。
「セシリア、あたしはあんたの思うようになんて絶対ならない。世界をどうにかしたいなら勝手にすればいいけど、あたしはこの国と騎士団を護るの。あんたごときに踏みにじられるわけにはいかないわ!」
叫んだ瞬間、あたしの中でヴァルガスの声がまた囁く。
――力が欲しいか? ならば、お前のために使え。
昔はこの声が怖かったけれど、今は違う。
あたしの意思でこの力を使いこなすと決めたのだから。
「……闇の魔王ヴァルガス、あんたが何者だろうが関係ない。力を貸してくれるならありがたく借りるわ。そして、あんたをも超えてみせる」
心の中でそう決意すると、身体の奥に眠る魔力が沸騰するように熱くなる。
視界が赤く染まり、周囲の空気が震え始める。あれほど重たかった体が嘘のように軽い。
レオンたち騎士団が目を見張り、セシリアが驚愕に目を見開くのがわかる。
「あ、あら……やればできるじゃない。いいわ、もっとその力を解放して……」
「させないでやるわよ、あんたに都合よく」
あたしは思い切り足を踏み込む。床が派手に砕け散り、魔物たちが狂乱の叫び声を上げて襲いかかってくるが、構わない。
闇の魔力を指先に集中させ、吹き荒れる稲妻のように放出する。
「う、うわああああっ!」
ルークやカイルの叫びとともに、騎士団が必死にあたしの攻撃範囲を確保しようと敵を引きつけている。目の前ではユリウスが雷撃で闇の魔物をピンポイントに撃ち抜き、レオンが剣で押さえつけている。あたしはその一瞬の隙に、全力の闇の衝撃波をボス魔物の顔面に叩き込む。
「が……あああっ!」
巨大な咆哮とともに、闇の魔物がぐらりと揺れ、一部が崩れ落ちる。けれどすぐに再生を始めるかのように瘴気がまとわりつき、再び立ち直ろうとしているのが見える。
くそ、硬い。しかも再生力まで兼ね備えているのか。
「確かにすごいわね。でも、あたしのほうが上よ。もう止まらない!」
怒りと焦り、そして大切なものを護りたいという気持ちが混ざり合って、あたしの胸が炎のように燃え上がる。
騎士団を傷つけられたことへの怒りが、身体をさらに先へと奮い立たせる。
「セシリア、あんたの望む絶望も苦しみも、あたしには通用しない。ここで終わりにしてやるわ!」
高らかに宣言すると、セシリアはどこか楽しげにくすっと笑う。
「言うじゃない。けれど、そんな大それた決意が、どこまで続くかしら?」
「あんたに試される筋合いはないの! 騎士団、総攻撃。あの化け物を一気に仕留めるわよ!」
あたしの号令に、レオンたちが一斉に動く。ルークが渾身の槍撃で魔物の足元を崩し、カイルが風魔法で動きを封じ、ユリウスが雷で感覚を奪う。それでも足りないなら、あたしがとどめを刺す。
まさに総力戦。巨大な闇の魔物が身体を捩りながら必死に反撃してくるが、もはやこちらの息はぴったりだ。
「アイリス様、今です!」
カイルの叫びと同時に、魔物の身体が一瞬ひるむ。そこにあたしは最後の力を振り絞り、周囲の闇をすべて吸い込むような感覚で魔王の紋章を輝かせる。
すると、大広間全体が暗く沈んだかと思いきや、黒い光が一点に集まり始める。
「……これで終わりにしてやるわ! 覚悟しなさいっ!」
あたしは魔王の紋章から溢れる闇を槍の形状に変え、一気に投げ放つ。ぶち破れんばかりの凄まじい爆音が鳴り響き、巨大な魔物が断末魔の悲鳴を上げる。
耐えに耐えていた瘴気が砕け散り、その巨体がぐらりと傾いて崩壊を始めた。
「きゃああああっ!」
セシリアが悲鳴を上げる声が遠くに聞こえる。周囲の魔物が次々とその場に崩れ落ち、黒い霧になって消えていく。
その凄惨な光景にあたしは思わず唇を噛むが、勝敗は決したようだ。あの“門”も震えを増したかと思うと、急激にしぼんでいく。
「ふ……あははっ……やったのね、あたし」
ほっとした途端、全身から力が抜けそうになる。まだ意識ははっきりしてるけど、呼吸が苦しい。
ルークやカイルが「アイリス様、やりましたね!」と声を揃えて叫んでいるのが見える。ユリウスは無言で頷き、レオンは胸を押さえながら静かに安堵している。
「……セシリアは……?」
ふと壇上のほうを見やると、宙を舞う魔力の破片に揉まれながら、セシリアが倒れ込むように座り込んでいた。栗色の髪は乱れ、その瞳には絶望感が色濃く浮かんでいる。
「あ、あなた……どうしてそこまで強いの? 本当に、魔王なのね……」
「ええ、私が魔王よ。で、何か文句ある?」
口元に力をこめてそう返すと、セシリアは苦しげに笑う。
「ふふ、やっぱりあたしは……届かなかったのね。あなたを墜とすことができれば、あの方のもとへ行けると思ったのに……」
「あの方って、いったい誰なわけ? まだ裏がありそうなら吐きなさいよ。せっかくここまで苦労したんだから、全部暴いてやるわ」
近づいて問い詰めると、セシリアは唇を噛んでうつむく。もはや勝ち目がないと悟ったのか、涙をこぼしながらかすれ声で呟く。
「あの方は……“始まりの魔王”よ。あなたが宿している闇と同質の力を持つ、いや、それ以上の存在。かつて世界を支配した最初の魔王。その封印が解かれようとしている」
「……最初の魔王、ですって?」
思わず鼓動が高鳴る。
魔族の王よりも強大な、そんな存在が封印されていた? あたしの中にも“ヴァルガス”の魂が宿っているけど、それとは別の、さらに古く強力な魔王がいるってこと?
「そう……あの方はとてつもなく大きな闇。その復活にあたしは協力してきた。けれど、結局あなたに勝てなかった時点で、あたしの計画は破綻したのね」
「ふざけないで。そんなの知るか。あんたが勝手にやらかしたせいで、こっちはどれだけ被害を受けたと思ってるのよ」
憤りを押さえきれない。けれど、セシリアは弱々しくかぶりを振るだけだ。
もう彼女には戦う力は残っていないのだろう。瞳はうつろで、この先を語る気力すら感じられない。
「でも、あんたを倒してもまだ“始まりの魔王”が残ってるってわけ? ……ほんと、バカげてる。いつまで戦えばいいのよ、あたしは」
げんなりしながらそう呟いた瞬間、レオンが膝をついて寄り添ってくる。
暗い大広間に差し込む明かりの中で、彼の灰色の瞳がまっすぐにあたしを見ている。
「アイリス様が立ち上がる限り、私たちはともに在ります。いかなる脅威があろうと、あなたの騎士であることに変わりはありません」
普段はクールな彼の声が、かすかに震えているのを感じる。けれど、その言葉には揺るぎない決意が宿っている。彼を見やると、後ろでルークやカイル、ユリウスも同じように立ち上がり、あたしを見つめているのがわかる。
「まったく……ほんとに懲りない連中ね。あんたたちも相当なドMだと思うわ」
あたしは苦笑まじりに吐き捨てるけれど、胸がじんわりと暖かくなる。この散々な状況で、騎士団が支えてくれるのがありがたい。
セシリアが言った“始まりの魔王”なんて存在が本当に動き出すなら、またすぐに地獄みたいな戦いがやってくるだろう。だけど――
「たとえどんな敵が現れようと、騎士団と一緒にぶちのめす。今の時点であんたたちより強い味方は、世界にいないだろうしね」
あたしがそう言うと、ルークが「うっしゃあ!」と拳を突き上げ、カイルが「アイリス様大好き!」とはしゃぎ、ユリウスは恥ずかしそうに目をそらす。レオンは静かな笑顔を浮かべて騎士団を誇りに思っているように見える。
――こうして、セシリアが引き起こした騒動は一応の決着を見た。
城内の魔物たちは駆逐され、裂け目も完全に閉じた。セシリア本人は拘束され、しばらくは動きが取れないはずだ。
ただ、彼女が最後に吐き出した“始まりの魔王”という不穏な存在が、あたしの頭を離れない。
***
数日後。大規模な復興作業が始まり、騎士団や兵士が総出で城と王都を立て直している。広場では市民たちが協力して瓦礫を片づけ、物資を分け合っている様子が見られ、王都の通りには少しずつ活気が戻りつつある。
あたしは城のバルコニーから、その光景を見下ろしている。まだ痛々しい傷跡は多いけど、考えてみれば何度も危機を迎えたわりには、みんな逞しく生きている。笑顔だってある。
これがあたしが“護りたい”と思ったものの一つなんだろう。
「アイリス様、休んでますか?」
不意にカイルが声をかけてきた。彼はまるで散歩でもするように軽い足取りでバルコニーへ上がり、あたしの隣に立つ。
いつものニヤけ顔というより、どこか安堵した様子だ。
「ま、ぼちぼちね。あんたこそ、大丈夫なの? セシリアのこと、これから取り調べで忙しいんじゃない?」
「まあ、一応副団長として話をまとめるのは僕の役目ですからね。あの女、口を割るかどうか微妙ですけど、今は力を失ってるみたいですし、それほど脅威にはならないでしょう」
カイルが言うには、セシリアの魔力が暴走しかけた反動で心身ともにダメージが大きいらしい。回復する可能性はあるけど、とりあえず急場は凌げる。それでも今後の脅威がゼロにはならない。
「まったく、次から次へと面倒が降ってくるのよね。魔族の王の件も、まだ終わりじゃない。さらに“始まりの魔王”とかいうのも残ってる」
「でも、アイリス様ならきっと乗り越えられますよ。だってもう、この王国を支配してる魔王なんですから。みんながあたしらと一緒に戦いますよ」
無邪気な笑顔でそう言われると、あたしも肩の力が抜ける。確かに、あたしは初め“王国を滅ぼす”と言っていた。でも今は「滅ぼす」より「護る」ほうに心が傾いているのは事実だ。
背後には騎士団がいて、民衆がいて、そしてこの国を守らなきゃいけないという責任感すら感じている。
「護るものがあるって、案外悪くないわね。……バカみたいに疲れるけど」
「そういうこと言っちゃうところが、アイリス様らしくていいと思います」
カイルが軽く肩をすくめる。そこへレオンハルトやユリウス、ルークも合流してきた。みんな顔には疲れの色があるが、表情はどこか晴れやかだ。
「アイリス様、復興が進めば、また民衆は“魔王領”のもとで平穏を取り戻すでしょう。私たちも引き続き城内外の警備を厳重にしながら、次の脅威に備えます」
レオンがきっぱりと宣言する。その頼もしさに、思わず心が弾む。騎士団はあたしを裏切らない。
無論、あたしも裏切るつもりはない。
「……そうね。セシリアがどう喚こうが、始まりの魔王がどうだろうが、まとめて迎え撃つ。そんで、後で跪かせてやるの」
言い放つと、ルークが「おおっ!」と声を上げ、ユリウスが微かに笑みを浮かべる。カイルが「そうこなくちゃ」と頷き、レオンが少し目を伏せながら静かに微笑む。
騎士団全員が一体感を取り戻したみたいで、ほんのりとした誇りを感じる。
「アイリス様、もし“始まりの魔王”なんて本当に蘇るなら、そのときは俺が先陣切って粉々にしますよ!」
ルークが雄々しく息を吐く。カイルも「もし本当に世界が滅ぶってのなら、僕らがそれを止めてやりましょう」とちゃらっと言う。ユリウスは口数が少ないが、頷くだけで意思は伝わる。そしてレオンハルトは、あたしにだけ聞こえるくらいの声で囁く。
「……あなたが望むなら、私たちはどこまでも命を捧げます。魔王だろうと悪役令嬢だろうと、あなたが導いてくださる限り、私たちは共にあります」
はっきり言って、ここまで言われると背中がかゆいような感覚になる。
まったく、あたしなんかのためにそこまでしてくれるなんて、騎士団は大ばか者ぞろいだ。けれど、それが嬉しいと感じる自分もいる。
「なら、とりあえず復興を落ち着かせて、それから一息ついたら……次の敵に備えるって感じね。ほんと忙しいわ」
気の抜けたようにつぶやくと、みんながほっとした顔をする。大広間での凄惨な戦いから数日経ったとはいえ、まだ騎士団も住民も休む暇がない。でも、人々は負けていない。
この国を護るために、あたしや騎士団が戦ったように、一般の人たちも必死に生き抜こうとしている。
「アイリス様、いつか……本当に平和になったら、どうします?」
カイルがぽろっとそんなことを口にする。
もし本当に、魔族の王もセシリアも“始まりの魔王”すら倒して、完全な平和が訪れたとしたら――想像がつかない。でも、あたしは素直に答える。
「さあね。料理でも教わる? あたし、下手だけど。騎士団とまったり過ごすのも悪くないかもしれないけど、どうせ退屈しちゃいそうだし」
適当に言ってみたら、みんな苦笑している。レオンは「料理は……うーん」と妙な顔をし、ルークが「アイリス様が作ってくれるなら何でも食べます!」と目を輝かせる。ユリウスは無言で首を振り、カイルが肩をすくめる。「死ぬかもしれませんよ?」と言いたげな顔だ。
まったく、ひどいな、あたしだって本気を出せばそこそこ……
――こうして笑い合うだけで、心が軽くなる。
あたしが王国を手中に収めた“魔王”だとしても、仲間たちとこうして馬鹿話ができるなら、それは悪い日常じゃない。苦しいことや恐ろしい敵がまだ潜んでいるとしても、あたしが守りたいものは確かにここにある。
「アイリス様、そろそろ行きましょう。復興の進捗を見て回らないと、みんな心配するかもしれません」
レオンがそう促し、あたしは大きくうなずく。王族が消え失せた今、あたしが統治する“魔王領”がこの国の中心になっている。やるべきことは山積みだけど、妙にやる気がわいてくるから不思議だ。
「わかったわ。じゃあ、みんなで一緒に行くわよ。魔王の視察ってのも面白いじゃない」
「オッケーッス! アイリス様、よろしくお願いいたします!」
ルークが声を張り上げ、ユリウスがひょこっとついてくる。カイルは「では、皆様に僕がお知らせを~!」と先に駆け出し、レオンが静かにあたしの隣に並ぶ。
バルコニーから見下ろす街は、まだまだ傷だらけだけれど、そこには人々の生活が確かにある。闇の脅威がどれだけ強くても、それを護りたいとあたしは思う。
「よし、それじゃあ行きましょうか――あたしのかわいい騎士団たち!」
そう高らかに言い放つと、みんなが一斉に「はい!」と答える。その声に、心が何とも言えない喜びで満たされる。
あたしは魔王で、悪役令嬢で、そしてこの国の主だ。騎士団もこの国の民も、あたしの支配を受け入れながら、それでも笑ってくれている。
――もし本当に“始まりの魔王”なんて大それた存在が現れたら、そのときはまた全力でぶっ潰す。それがどれだけ恐ろしい闇でも、あたしと騎士団ならやれるはず。レオンたちが背中を押してくれるし、あたしはもう弱音を吐くつもりなんてない。
「ま、あたしが倒しちゃえば、そいつも大したことなかったってオチになるわよね」
騎士団の足音を背に、あたしはバルコニーを離れて城の回廊へと歩み出す。石畳を踏むごとに心が弾むようで、扉を開ければそこには復興に奔走する人々の姿がある。
朝の光が柔らかく差し込み、少しだけ清々しい気分になる。
「魔王が護る国」なんて異様な響きだけど、ここにいる誰もがそれを受け入れ始めている。王太子や貴族が支配していた時代は終わり、あたしが作る新しい時代が幕を開けつつあるのだ。
それが本当に正しいのかどうか、確信はない。
だけど。仲間がいる限り、どこまでも前進するだけだ。
「よーし、今日もがんばるか。騎士団、ついてきなさい!」
あたしが城の扉を開け放って叫ぶと、「はい!」という声が幾重にも重なって聞こえる。
皆の声に支えられながら、あたしは王都の光の中へと足を踏み出す。この国の人たちを――いや、あたしの大事な居場所を護るために、そして“魔王の力”を自分の意思で使いこなす未来を掴むために。
――そう、あたしは“魔王”。
世界がどう動こうと、最強の騎士団を率いてあたしが征服してあげる。愛も憎悪も苦しみも喜びも、全部ひっくるめてあたしのものにしてやる。
だから、ほんの少しだけ今は笑わせて。
魔王の護る世界は、意外と悪くない――そんな物語の結末を、あたしが好きな形で書き換えてみせるのだから。
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