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第6章 魔族の王との対峙 〜真の魔王への覚醒〜


 魔族の侵攻が始まった、という知らせが入った瞬間、私は城の大広間でふっと息を詰める。空気がぴりりと張りつめ、騎士団の面々からも無言の緊張が伝わってくる。

 王太子が失脚し、セシリアの陰謀をとりあえずは食い止めたと思ったのに、今度は魔族の王が攻め寄せるなんて。まったく休む暇がないじゃないの。


「アイリス様、どうやら北方の山岳地帯を越えて魔族の大軍が進軍しているそうです」


 レオンハルトがいつになく鋭い口調で報告してくる。その灰色の瞳には、警戒の色がはっきりと浮かんでいる。周囲には他の騎士たちも集まっており、皆どこか落ち着かない様子だ。


「魔族の王って、前から噂には聞いてたけど……本気で攻めてくる気なのね」


 私は大きなテーブルに広げられた地図に目をやる。バルコニーの外はうららかな陽光に包まれているが、その穏やかさとは裏腹に、国境付近はすでに緊迫の度合いを増しているらしい。


「偵察の兵によれば、魔族たちが尋常でない速度で侵攻を進めているとのこと。こちらの動きを探るまでもなく“まっすぐ”に進んできているようです」


 レオンが言う“まっすぐ”という言葉が気にかかる。つまり、こっちがどんな対策を講じようと意に介さないほどの自信があるのだろう。

 魔族の王――強力な力を振るうという伝承は聞いていたけど、実際に来られると嫌な予感しかしない。


「北方山岳から王都まではかなり距離があるはずよ。いつ到着する見込みなの?」

「通常の人間の足であれば、数週間はかかる距離ですが……魔族の大軍は足が速い。それに加えて飛行生物や、地形を変える魔法をも使っているとの報告があります。正直、あと数日もすれば国境線は完全に突破されるかと」


 レオンハルトが声を低める。嘘でしょ? そんなスピードで侵攻してくるなんて、まるで暴走する嵐みたい。落ち着かない胸の鼓動を抑えようと、私は深呼吸を試みるが、どうしても息苦しさが消えない。


「……まあ、そう焦っても仕方ないわ。魔族の大軍が来るなら、それを返り討ちにするだけ」


 唇をきゅっと結んでそう言うと、隣でカイルが軽口を叩く。


「おお、アイリス様、さすが! 頼もしい発言です♪ 僕も久々に、血がたぎってくるっていうか……」

「軽いわね、あんた。相手は魔族だってわかってるの?」

「わかってますよ。だからこそ、アイリス様の出番じゃないですか。あの恐ろしい魔族も、アイリス様の一撃で吹き飛ばせばスカッとするし」


 軽妙な笑みを浮かべるカイルに呆れつつも、私の中にも似たような気持ちがないわけじゃない。最近はセシリアの魅了魔法や、裏からの謀略ばかりに手を焼いてきたせいで、ある意味「正面突破してくる脅威」のほうが単純に感じてしまう。でも――


「そもそも、どうして魔族の王が今になって動き出したのか。そこが問題よね」


 嫌な胸騒ぎがする。セシリアの言葉じゃないけど、“真の敵”という響きが脳裏でちらつく。

 実際、私自身が覚醒した「魔王の力」との因縁が、魔族の王を呼び寄せた可能性だってある。もしかすると、魔族がこの国を狙うのは私がいるからかもしれない。そう思うだけで、申し訳なさと怒りがないまぜになる。


「――迷ってても仕方ないわ。まずは迎撃態勢を整えて。北方に城砦がいくつかあるでしょ? そこを拠点に防衛線を張れないか試してちょうだい」

「かしこまりました、アイリス様。私が先発隊を率いて、魔族の動きを食い止めてみせます」


 レオンハルトが深く頭を下げる。その姿に、ほかの騎士たちも「アイリス様のために!」と次々声を上げる。大軍相手でも怯む様子はまったくない。普段は私を甘やかすばかりなのに、いざ戦いとなると彼らの目は鋭い光を帯びている。


「でも、くれぐれも無茶はしないでよ。先発隊で全滅なんてされたら困るから」

「承知しております。まずは相手の規模を探りつつ、一撃離脱を中心に耐えます。そして、然るのちにアイリス様をお呼びします」


 ……レオン、何を当然みたいに言っているのやら。私だって最初から手伝う気満々なんだけど? ただ、騎士団全員が「アイリス様に万が一のことがあっては!」と大騒ぎするせいで、結局は彼らが先に行ってしまう。地図を再確認しながら段取りを話すうち、いつの間にか作戦が決まってしまうのだ。


「――わかったわよ。じゃあ、あんたたちが足止めしている間に私が到着する。いいわね?」


 私は仕方なくそう認める。カイルやユリウス、ルークもそれに同意し、早速出撃準備を整え始める。


「アイリス様、私たちが少しでも魔族を削っておきますから、ゆっくり構えててくださいね♪」

「ふん、あんたらだけで突っ込んで、また操られたりしないでしょうね?」

「う、それは……セシリアのときとは違いますよ! 敵は魔族ですから、魅了なんて姑息な手段を使ってこないはず!」


 カイルがぎくりと肩を震わせる。私も苦笑する。魔族が姑息じゃない保証なんてどこにもないのだけれど、彼らを送らないわけにもいかない。

 騎士団はもともと精鋭中の精鋭。私一人で動くよりずっと円滑に事が進むはずだ。


 こうして、レオンハルト率いる先遣部隊が北方へ向かい、私は最小限の兵だけを伴って王都に残ることになる。動向を見極めたら私も合流する。

 正直、胸騒ぎがひどいけれど、これは仕方ない。


 


 そこから二日ほど経ったある朝。先発隊が奮闘しているという報告は届くが、同時に「魔族の大軍は留まる気配がない」という不穏な知らせもある。

 さらに悪いことに、“魔族の王”本人がかなり前線に近い位置まで出てきているらしいのだ。


「――何よそれ、王様自ら陣頭指揮なんて随分やる気じゃない」


 不安混じりに呟く私の耳に、街道から聞こえる物々しい足音が届く。王都の門を越えて現れたのは、ボロボロになった甲冑の騎士たち。

 それが私が送り出した先発隊の一部だと気づいた瞬間、息が止まりそうになる。


「レオンハルトは……?」


 駆け寄って問いただすと、うつむいたままの騎士の一人が、かろうじて顔を上げた。


「……まだ北方の要塞に残っています。敵があまりにも強大で、我々は一時的に撤退命令を受けました」


 その目には絶望感がにじんでいる。聞けば、魔族の王は想像以上の圧倒的な力で兵を蹴散らし、城砦もあっという間に陥落寸前とか。レオンはその被害を食い止めるため、残った騎士団とともに必死に耐えているという。


「うわあああ、どうなってるのよ……最強の騎士団があっさり押されるなんて」


 思わず悪態が漏れる。すぐにでも助けに行きたいが、この数日の間に魔族の進軍は予想の倍以上の速度で迫っているという話だ。城砦が落ちれば王都までも危うい。

 私は歯ぎしりしながら地図をぐしゃりと握りしめる。


「アイリス様、ど、どうします? これ以上持たないなら、こちらの兵を送っても……」


 報せを持ってきた騎士の声が震えている。現場を見てきた彼らが恐怖するほどの魔族の王。冷や汗が背中を滴り落ちるけれど、ここで臆病風に吹かれたって仕方ない。


「……私が行くわ。レオンを放置しておけないもの」

「ですが、敵は圧倒的です!」

「知ってる。だからこそ行くのよ。騎士団の無事もそうだし、下手に魔族に王都まで攻め込まれたら終わりだわ」


 思わず語気を強める。数日前もこんな会話をした気がするけれど、状況はさらに悪化している。私は残っている兵やカイル・ユリウス・ルークを呼び集め、北方の城砦へ急行する準備を始める。


「アイリス様、私も同行します。何があっても、アイリス様に触れさせません!」


 ルークが威勢よく言うが、魔族の力は想像を絶するはず。下手すれば、騎士団ごと一掃される危険だってある。私が注意を促しても、彼は「俺は核爆発でも耐える!」なんて脳筋発言をしていて、若干不安だ。


「まあいいわ。やるしかないからね。とにかくみんなで急行して、レオンたちを救って、そのまま魔族の王とやらを一蹴する」


 脳内に渦巻く不安と怒りをかき消すように宣言すると、カイルがにやっと笑う。


「おっ、いいですね。ここまできたらやるしかない。アイリス様が本気でぶっ放せば、大陸ごと吹き飛ぶかも?」

「吹き飛ばすつもりはないわよ! ……でも、今は本当に、全部壊すくらいの覚悟がないと勝てそうにない」


 いつもの私なら、そこまで激しい破壊衝動を肯定する気はないけれど、騎士団を守るためにはあらゆる手段を尽くすつもりだ。


 


 そして、夜通し馬を飛ばして北方へ向かう道中。星空がやけに冷たく輝き、山道の空気が肌を刺すほどに冷たい。道ばたには避難民なのか、疲れきった姿でこちらを見つめる人たちがいる。彼らの顔は恐怖に歪み、魔族がすぐそこまで来ているのだと痛感させられる。


「アイリス様、霧が出てきた……」


 カイルがしきりに周囲を警戒しているが、私も微かな悪寒を覚える。闇の気配が濃い。まるで世界そのものが魔族の侵攻に怯えて縮こまっているかのようだ。両脇の崖には奇怪な模様が浮かび上がり、風がうなる音が耳をつんざく。


「うわ……最悪な雰囲気ね。こんな場所、夜に来るもんじゃないわ」

「すみません、アイリス様をこんな道中に巻き込んでしまって……」


 ユリウスが申し訳なさそうに呟くが、これは仕方ない。レオンや騎士団を救うためなら、いかなる苦労も厭えない。


 そうこうしているうちに、半壊状態の城砦が見えてきた。周囲には魔力の残骸が漂い、地面がひどくえぐれた跡がある。夜明け前の微かな光が瓦礫を照らし、兵士たちがうずくまっている姿が目に入る。血のにおいに思わず鼻を押さえる。


「……まだ間に合う? レオンは……」


 矢継ぎ早にあたりを駆け回ると、崩れた石壁のそばに倒れている人影が見つかる。ズタボロの鎧の隙間から血がにじみ、破片が散乱する中にかろうじて意識を保っているような姿。

 私が近づくと、彼はわずかに目を開き、苦しげに口を動かす。


「……アイリス様……来て、くださったのですね」


 声が弱々しい。灰色の瞳が潤んでいるのは痛みのせいか、それとも。周囲には他の騎士たちも倒れていて、状況の深刻さに息が詰まる。


「何やってるのよ、死ぬ気? まったく……立ちなさい!」

「す、すみません……想像以上でした。魔族の王が、あまりにも強大で……」


 レオンハルトは苦笑混じりに吐息をもらす。その顔が土埃と血で汚れているのを見るだけで胸が締めつけられる。あの男が、ここまでボロボロになるなんて。相手がどれほどの怪物かわかるというものだ。


「大丈夫、今から私がひっくり返すから」


 言いながら、私がレオンの肩を支えようとしたとき。突如として周囲の空気が重苦しく震え、全身に刺さるような冷たい気配が走る。

 反射的に振り返ると、城砦の奥の闇から大きな人影がゆっくりと姿を現していた。長い漆黒のマントをまとい、背は人間よりもずっと大柄。目が赤く光り、その手には異形の武器が揺らめいている。


「貴様が、“魔王”か」


 低く響くその声。違和感のあるアクセントが耳障りなくらいに濁音を含んでいる。

 姿は人間に近いが、その周囲には強大な闇の気が渦を巻いている。これが、魔族の王……!


「ええ、私がそうよ。あんたがここまで好き勝手に暴れてくれたみたいね。どの面下げて……」

「我が名は“魔族の王”。名乗るほどのものではないが、貴様には教えてやろう。私は、魔王の血を継ぐ存在を探しに来た。まさかこの国にいるとはな」


 強烈なプレッシャーに息が詰まる。魔族の王が一歩足を踏み出すだけで、地面が振動し、瓦礫が震える。周囲で倒れていた兵たちが呻き声を上げているのが聞こえる。


「探しに来たって言うなら、帰りなさい。私はあんたに会う気なんてなかったんだけど」


 皮肉めいた言葉を吐くが、相手はまるで動じない。その深紅の瞳が私を見据え、かすかに口角を引き上げる。


「貴様に宿る“魔王の力”……私の配下が、その気配を感じ取った。どうやら、封印されし本物の魔力を持っているようだな。ならば選べ。私の下につくか、滅びるか」

「ふざけないで。下につく? 冗談じゃないわ。従えたいなら、もっと強引に来なさいよ」


 直感が告げる。この男は本当に規格外の力を持っている。騎士団がいくら優秀でも、普通に戦って勝てる相手じゃない。

 だけど、ここで引き下がれば私の居場所も、騎士たちの命もすべて踏みつぶされる。

 それだけは、絶対に許せない。


「おや、きつい口を利く。貴様が魔王だと? ならば見せてみろ、その力を」


 魔族の王が手を振ると、闇の波紋が広がり、城砦の壁を一瞬で吹き飛ばす。けたたましい轟音が響き渡り、土埃が渦を巻く。

 その衝撃で騎士たちがなすすべもなく吹き飛んでいくのが視界の端に映り、私は焦りと怒りでのどが焼けるような感覚を覚える。


「やめろ……! 仲間に手を出すんじゃないわ!」


 大声を張り上げつつ、闇の魔力を呼び起こす。私の足元に魔法陣が浮かび上がり、黒い稲妻のようなエネルギーが地面を裂く。しかし、魔族の王はまるでそれを楽しむかのように微動だにせず、手のひらで軽く受け止めるだけ。


「ふん……“器”か。まだ完全には覚醒していないな。そんな半端な力で、我に挑むつもりか」

「半端かどうか、確かめたいなら――受けてみなさいよ!」


 渾身の力を込めて、私は闇の魔力をさらに解放する。眼前の瓦礫を砕くように黒い衝撃波が爆発し、砂塵が轟音とともに舞い上がる。風が乱れ、夜明けの空が赤黒く染まる。

 こんなに大きなエネルギーを放出したのは初めてかもしれない。


「貴様、なかなかやるな……!」


 魔族の王が低くうめき声を上げ、腕をかざしているのが見える。そのマントがずたずたに裂け、地面に深い亀裂が走っている。どうやら多少のダメージは与えられたようだ。

 私も足が震えるほどの消耗を感じるが、ここで止まるわけにはいかない。


「アイリス様ぁ! 今のうちに攻撃を!」


 騎士団の誰かが呼びかける声がする。いや、絶対にそうするしかない。この相手に中途半端な隙を与えたら、すべてを失う。

 歯を食いしばってさらに魔力を高め、追撃に移ろうとした瞬間――


「がああああああっ!」


 低い咆哮が空気を震わせる。魔族の王が牙を剥いたように反撃の構えを取り、灰色の大剣を振り下ろしてくる。その一撃は、私の黒い衝撃波を割り裂くほどの威力だ。衝突した闇のエネルギーが閃光を放ち、あたりを白黒に染める。


「くっ……!」


 強烈な衝撃で背中から地面に叩きつけられ、息が一瞬止まる。目がチカチカして、耳鳴りがひどい。

 遠くでルークやユリウスが叫んでいるように見えるが、頭がぐらぐらして声がうまく聞こえない。


「アイリス様ぁぁ!」


 カイルの声が、どこかかすれた耳にかろうじて届く。彼が風魔法で吹き飛ばした土埃の奥から魔族の王が迫ってくるのが見え、胃の底が凍えるような恐怖を感じる。

 やばい、負けるの? こんなところで?


「……ここで終わるわけ、ないじゃない……!」


 思わず悲鳴に近い声を上げながら、私は地面を殴るように手のひらを叩く。騎士団を見殺しにしたくない。この国だって、滅ぼしたいと思ってたのは昔の話……今は違う。守りたい。

 私を認めてくれた人たちを、こんな化け物に踏みつぶされるなんて断じて嫌。


「ならば、力を解放しろ。お前に眠る“真の魔王”の力をな」


 どこからともなく囁く声が聞こえる。ヴァルガス――私の中に封印されていた、もう一人の魔王の魂。

 何度かあの声には導かれたけれど、心のどこかで拒否していた部分がある。

 でも、今はそんな迷いを捨てるしかない。


「……わかったわ。あんたの力、使わせてもらう」


 私がそう念じるやいなや、身体の奥底から熱い奔流が湧き上がるのを感じる。

 瞳が赤く染まっていくような感覚があり、視界が鮮明になる。周囲に漂う闇の気配が、まるでこちらに向かって吸い寄せられるみたいだ。


「ほう……!」


 魔族の王が目を見開いている。私の両腕に浮かんだ魔王の紋章がひときわ強く輝き、空気がびりびりと震える。頭の中に不思議な声が鳴り響く。


 ――私は、アイリス。魔王でも、悪役令嬢でも何でもいい。大切なものを守れないくらいなら、全部壊すくらいの力で戦う。それが、私だ。


「……やめろおおおおお!」


 とどろくような叫びとともに、私は全身の魔力を叩きつける。黒い稲妻がいくつも立ち上り、辺りを焦がす勢いで魔族の王に集中砲火を浴びせる。その衝撃に大地が揺れ、夜明けの空が一瞬で灼熱の闇に変わったような錯覚を覚える。


「ぐっ……! これが、“魔王”の力か……!」


 魔族の王が苦悶の声を上げる。マントは千切れ、鎧に走った亀裂から闇が漏れる。肩を押さえて膝をついた姿から、さすがにダメージを負ったのがわかる。

 私も呼吸が荒く、体中が悲鳴を上げているが、今が最大のチャンスだ。


「ふざけるな……私は、私のものを奪うやつを許さない」


 奥歯を噛み締め、さらに一歩踏み込む。瓦礫の上を血がにじむ足で踏みしめながら、胸が熱くたぎっている。

 この国だって、騎士たちだって、今さら失えるわけがない。


「貴様……人間のくせに、そこまでの力を……!」


 魔族の王がうつむいたまま呻く。私はすべての闇のエネルギーを拳に込める。ここで決着をつけるしかない。


「従えって言ったのはどっちよ。もう一度言うけど、私は誰の下にもつかない。あんたが下につきたいなら、考えてあげなくもないけど?」


 自分でも呆れるくらい強気な言葉がこぼれるが、背後でカイルやルークの声援が飛んでいるのを感じる。痛みをこらえ、立ち上がったレオンハルトも「アイリス様……お強い……!」と息を呑んでいる。


「くっ……ふざけ……るな……!」


 魔族の王が薄く笑みを浮かべたように見える。次の瞬間、その巨体がまばゆい闇の光に包まれ、だんだんと膝をつき始める。私の支配の力――魔王の魔力が相手の身体を押さえつけているのだ。


「……へえ、さっきまでの威勢はどうしたの?」

「これが……貴様の“器”か。だが、これほどの力を持ちながら、完全に引き出せてはいない……。笑わせる……」


 魔族の王は悔しそうな声を上げながら、私に向かって鋭い瞳を向ける。そこに宿るのは畏怖と、そしてどこか期待めいた光だ。


「覚えておけ……お前の力はまだ途中だ。真の魔王に至る道が……待っている。かつての魔族の王ですら、完全には支配できなかった力……。それを目覚めさせるか否か、選ぶのはお前だ」

「うっさいわね。そんな警告、聞く気はないわ。もう二度と私の前に現れるんじゃない」


 とどめを刺そうか迷うが、魔族の王は最後の力を振り絞って渦巻くような魔法陣を展開する。転移魔法だろうか。回りの空間が急激に歪み始め、彼の巨大な姿がゆっくりと溶けるように消えていく。


「……我は、貴様を認めよう。だが、それで終わりではない……。世界に……さらなる闇が……」


 そこまで言い残し、魔族の王の姿は完全に消え去る。痕跡としては、闇が焦げたような嫌な匂いと、えぐれた大地、そして血塗れの騎士たちの苦痛の声だけが残った。


「……逃げられたわね」


 私はがくりと膝をつき、ぜえぜえと荒い呼吸をする。相手も相当傷を負ったはずだが、仕留めそこねた。

 力を解放してもなお、あれほどまでにしぶとい相手だなんて。地面に手をついて、全身の痛みに耐える。


「アイリス様! 大丈夫ですか!」


 レオンやルーク、ユリウス、カイルが駆け寄ってきて、私を支える。皆、疲労困憊なのに、表情には安堵と感謝の色が混じっている。どれだけボロボロでも、生きているだけで十分だ。


「アイリス様、本当にお強い……あの魔族の王を跪かせるなんて……!」

「でも、なんか捨て台詞を残していきましたね。『世界にさらなる闇』ってやつ。面倒なフラグにしか聞こえないんですけど」


 カイルの言葉に、私もこくりとうなずく。確かに、あの魔族の王は最後に変なことを言いかけていた。私の力が完全じゃないこと、そしてさらなる敵がいるらしいこと。その存在感が頭をもたげるたび、胸がざわざわする。


「そうね。でも、今はあれを追いかける余裕がないわ。みんなの手当てが先。レオンハルト、しっかりしなさいよ」


 レオンは血でかすんだ視界のまま、私を見上げる。その鋭い瞳には、何ともいえない憧憬の色が宿っている。


「アイリス様……あなたは、真の魔王として……いや、違う。あなたは私たちの“女王”であり、守護者でもある。私は……あなたのために……」


 途中で言葉が途切れると、彼はふっと意識を失ったように見える。慌てて抱きかかえると、生きてはいるようだが怪我が深刻だ。


「もう、しゃべるなってば! 私がちゃんと助けるわよ」


 どっと押し寄せる疲労感と痛みに耐えながら、私は何とか騎士たちを保護しようと周囲に指示を飛ばす。魔族の王を追うことより、今は目の前で倒れている仲間を救うほうがずっと大事だ。血塗れの城砦跡をざっと見回すと、まだ息のある兵が微かにうめき声を上げている。


「隊商を呼んできて! 負傷者の搬送と治療を最優先よ! ここにいる皆、誰一人死なせるわけにいかない!」


 ルークとユリウスが力強くうなずき、カイルが風魔法を使って味方の居場所を一瞬で特定し始める。

 夜明けの光が遠くの山並みを染め、暗かった戦場が微かに色を取り戻しつつある。どこか切なく、しかし暖かい空気が胸を満たす。


「あたし、けっこうがんばったわね……」


 ぼそりと自嘲気味につぶやいてから、もう一度、騎士たちが倒れている場所へ足を運ぶ。魔族の王は去ったけれど、この先、さらに大きな嵐が来るのではないか――頭の片隅でそんな不安がくすぶる。

 しかし、それは今考えても答えが出ない。


「私がやるべきことは、ここで命を落としそうになってる仲間を救って、王都の人たちに少しでも安心を与えること。それだけ」


 疲れきった身体に鞭打ちながら、城砦の崩壊した壁を乗り越える。一歩踏み出すたびに足が痛むが、倒れこんでなんかいられない。

 レオンや他の負傷者の苦しげな声を聞くたび、私の胸には苛立ちと愛着が混じった感情が湧き上がる。


「――魔族の王がどんな思惑を持とうが、絶対に負けない。騎士団が守ってくれたからこそ、私もここまで来られたんだから」


 自分に言い聞かせるように呟く。突き刺すような朝の寒さの中、血と焼け焦げた匂いが入り混じる空気をかみ締めながら、私は腰に手を当てて大きく息を吸う。顔を上げれば、空には一筋の光が差し始めている。きっと、ここから少しずつでも状況は変えられる。魔族の王を一度は追い払ったのだから、大丈夫。


「……さあ、みんな、行くわよ。私たちが支える王都を、こんな形で崩させない」


 騎士団の誰かが「アイリス様、了解です!」と声を張り上げる。その声に呼応するように、私の瞳に灯った赤い魔力の光がかすかに揺れる。

 ヴァルガスの存在を微かに感じるが、今は怖くない。私は私の意思でこの力を使うと決めたんだから。後になってどんな闇が押し寄せようと、必ず乗り越えてみせる。


 そう、魔族の王が言っていた。私は“器”だと。まるで、もっと大きな何かが私を狙っているかのような物言いだったけれど……知ったことか。中途半端と言われようが、私は私のやり方で、守りたいものを守る。それ以外は全部粉砕する。


 ずきずき痛む足を引きずりながら、私は城砦の奥へ向かう。そこには無数の味方が倒れていて、助けを求める声が響いている。血の匂いがますます強くなるなかで胸が締めつけられるけれど、それでも立ち止まる気なんてない。私にはやるべきことがある。

 騎士団は私を信じてくれている。だからこそ私は、魔族の王をも屈服させる“魔王”として、ここで踏ん張ってみせる。


 ……たとえ、この先にもっと凶悪で恐ろしい“何か”が待っているとしても、それを知るのはまだ先の話。いまはただ、顔を上げて前を見据えるだけ。血と瓦礫の戦場の真ん中で、私は騎士たちに声を張り上げる。


「この城砦を立て直して、皆を救うわよ! 誰一人、置いていくんじゃないわ!」


 どよめきと、わずかな安堵の響きが重なる。騎士団のメンバーも私の背に続き、崩れ落ちそうな廊下や血痕の残る壁を乗り越えていく。

 希望は微かかもしれない。でも、暗闇に光を見つけるのは、もう慣れたものだ。裏切りも絶望も何度か味わってきたけれど、それでも私はこうして立っている。

 誰にも奪わせない。


 見上げた空は、まだ染み付くような夜の名残を抱えている。……次にあの魔族の王が姿を現したときには、もっと堂々と屈服させてみせる。そして、もしその背後にさらに深い闇があるなら、それもまとめて蹴散らしてやる。


 ――まだ戦いは続く。だけど私は、諦めない。魔王の力を振るうなら、まずは目の前の仲間を救うことから。この血にまみれた朝焼けの空の下、私はそう決意を新たにするのだ。

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