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花恋の一生

「恥知らずにも戻ってきたのか!」


パン、と頬に熱が走る。

打たれた衝撃で、私は床に倒れ伏した。


「旦那様……!」


「婚家から逃げてきたなど恥ずかしくないのか!?今すぐ謝りに行け!!」


久しぶりに会ったお父様は、私のことをひたすら責めた。

お父様は、旦那様の愛人のことを既に知っていたようだ。


「お前が至らない妻だから、そうなったのだろう!高階の面汚しめ!」


怒鳴られて、叱られて、怒られて。


打たれた頬が痛い。

私は俯いて、風呂敷をぎゅっと胸に抱いた。


お父様を宥める使用人の声は聞こえてきたけど、誰も私のことを庇わなかった。


その時になって、ようやく知った。


私の行いは、婚家から逃げ出してきた、恥知らずなものなのだと。


……どこにも、私の居場所なんてなかったのだ。


高階の屋敷を追い出される直前、私はハッと思い出して、お父様に縋るように尋ねた。


「お母様の形見を知りませんか?ここに置いてきてしまったかもしれません」


「なんだと……?その程度の管理すら、お前はままならんのか!そんなので、字波の妻が務まるのか!?いいか。お前の行いは、高階の名に直結するのだ。お前のその、一挙手一投足が、我が家の評価に繋がるのだからな!それを忘れるんじゃない!」





──私は高階の家に戻った。


離れに向かうと、そこに彼らの姿はなかった。


「旦那様がたは、母屋にいらっしゃいます」


家政婦長に言われて、私はその足で母屋に向かった。


まずは、謝らなければならない。

勢いに任せて家を出てしまったことを。


ほんとうは、謝りたくなんてない。


あの子供は、どう見ても私との婚約よりも前に、 生まれている。

彼は黙っていたのだ。

愛人との間に既に子がいることを、彼は隠していた。


どうして、私が謝らなければならないの?

謝るべきは、正一さんの方でしょう。


そう思うけど、それが通用しない世界であることは、身をもって知っている。


所詮、これは金で買われた結婚。

金で、家名を買われたのだ。


私の立場は弱く、抗議することすら許されない。


……こんなの。こんな結婚、したくなんてなかった。


逃げたい。でも、どこに?

逃げ場所なんてない。


私に今できるのは、これ以上、高階の名を汚さないように行動することだけ。

私は、高階の娘なのだから。


旦那様の部屋に向かう。

襖の前で正座し、声をかけようとしたその時。




「こんな素敵なものを、私がもらってもいいのですか?」


女の声が聞こえた。

千代、と呼ばれていたひとだろう。

思わず、ぐっと息を呑む。


(……今、あのひとがここにいるのね)


そう思うと、氷を飲んだかのように声が出なくなってしまった。


「どうせあの女はもう戻ってこない。帰ってきても、追い返してやるさ。もう、婚姻関係による利益はもらった。あの女は用済みなんだよ」


「でも、こんな立派な着物……」


女の、恐れるような声。

続いて、男が笑う。


「あの女よりもあなたの方がずっと似合っている。少し古臭く柄も変わっているが、それでも一流品だ。ほら、あててごらん」


私は、思わず襖をスパンッと開け放ってしまった。


「きゃあっ……!?」


「うわ……花恋!?戻ってきたのか!!」


寄り添い合う男女の姿。

そして、女の手には。


──有職文様の美しい、黒留袖の着物。


カッと頭に血が上った。


それは、その着物は、あなたが触れていいものじゃない……!



「返して……!!」



悲鳴のような声が零れた。


(お母様の、形見……!!)


どうして、こんなところにあるの。

どうして、この女が触れているの!!


飛びかかった私に、女が悲鳴をあげる。

旦那様の怒声が聞こえた。


「おい!やめないか!!おい!!」


「きゃああ!!お許しを、お許しを!!」


口ばかりの謝罪を口にして、女は泣き叫ぶ。


私は強引に着物を掴んだ。

これは、母が嫁入り道具に、と祖母から持たされたもの。

母が亡くなり、私が譲り受けた。


それを、それを、それを……!

この女は、このひとたちは、勝手に荷物を漁り、盗んだのだ!!

盗人だ!!


「泥棒!!これは私のよ……!!」


強引に着物を取り返した時、後頭部に激しい衝撃が走った。

勢いに押されて、そのまま前のめりに倒れる。


ガシャン!!と硝子の割れる音。

頭はじんじんと鈍く痛む。

倒れた衝撃で目を開けていられない。倒れた私の耳に、色んなひとの声が聞こえてきた。


「奥様!!奥様が!!」


「おい、花恋!!」


「どうなさいました!?……奥様!これは一体何事ですか!?」


「私は知らない!勝手に花恋が転んだんだ!」


「医者を呼びなさい!!奥様が花器に頭をぶつけて……!」


「奥様!奥様!しっかりしてください…….!!」


たくさんのひとの、悲鳴のような声。

畳に伏した頬と首筋が、ぬるい何かに触れる。

少しして、それが私の血だと気が付いた。


──そこで、私、高階改め字波花恋の一生は終わったのだろう。


記憶は、そこで途絶えている。


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