白魔道士カレンのお店にようこそ!
「疫病神……」
「ああ、この世界では、悪魔とか、魔女とか、そういった言葉の方が伝わるか?とにかく、家に災厄を運んでくる存在だ。私は、あれのせいで大損した」
異世界だから、その言葉の意味がよく伝わらないと思ったのだろう。彼は、更に言葉を付け加えた。
「千代……愛人は、殺人容疑で捕まるし、高階とは縁を切られた。さんざんだ」
「愛人が捕まったのですか?」
「ああ、そうだ。彼女は勝手に転んで頭を打って死んだと言うのに、千代が犯人にされてしまった。いくら金を積んでも、起訴は避けられなかった。ああ、こちらで言うと、罪人にされた、というニュアンスに近いのかな」
「伝わりますから大丈夫ですわ。……そうですか、千代さんが」
「……千代、さん?」
正一さんが目を見開いた。
私は、カップを持ちながら静かに、だけど決定的なことを口にした。
「私を殺したのは、あなたですのにね」
「お前……やっぱり……!!」
「お言葉に気をつけてくださいませ。今の私は、カーター家の娘であり、白魔道士カレンです。あなたにお前、と呼ばれる字波花恋ではありません」
「──」
正一さんは絶句して、私を凝視している。
私は、居住まいを正すと、彼をじっと、真っ直ぐに見据えた。
「異世界召喚というのは、魔道士たちの縁を辿って行うものなんですって。魔導師たちの中で、最も私が、異世界と縁深かった。……そして、あなたは、私の人生を左右するほど私に関わりがあった。だからこそ、あなたが選ばれたのでしょうね」
数秒して、彼は私の言っていることを理解したようだった。
怒りのあまり吃りながら、彼が怒鳴る。
「ふざ……ふざけるな!!今すぐ、私を日本に返せ!!この……!!」
正一さんが飛びかかってこようとして、控えていた侍女が悲鳴をあげた。
テーブルの上に身を乗り出したものだからポッドやカップと言った茶器が倒れ、中身が零れた。
慌てて侍女のひとりがひとを呼んでくるために退室した。
それを横目で見て、私は正一さんに言った。
「また私を殺しますか?」
「ふざけるな!!俺はお前のせいで全てを失った!!絶対に許さないぞ!」
「許さない……それは、本来は私の言葉だと、なぜ思いませんの?」
私が字波 花恋だった時。
正一さんには様々なことを言われたし、された。
その中でも最も許せなかったことが──。
母の形見である着物を、勝手にひとにあげようとしたこと。
ほかの全ては、私も悪かったのだと水に流すことが出来る。
だけど、あれだけはどうしても。
どうしても……許せそうにない。
こうして話して、初めて私は気がついた。
私はまだ、花恋として怒っているのだということに。
侍女たちはてんやわんやで、正一さんを止めようとしているが、激昂した彼はテーブルの上を全て薙ぎ払った。
ガシャン、と音がし、カップがテーブルから落ちる。
カーペットが敷かれているので、割れてはいないだろう。
私は正一さんをじっと見据えた。視線は、逸らさない。
「花恋……!お前のせいで!!」
ついにテーブルの上に乗り上げ、私に掴みかかってこようとした彼に──私は、カップの中の液体を彼の頭にかけた。
パシャ!という音と共に、紅茶が彼の頭にかかった。
紅茶は既に冷えていて、ぬるま湯だ。
熱くて火傷することは無いだろう。
頭から紅茶を被った正一さんは、驚きに目を見張る。
それを見て、私は意図的に大きな声を出した。
「まあ!たいへん失礼いたしました!」
ひっくり返したカップをゆっくりと戻して。
私は優雅に微笑んだ。
「……異世界からのお客様が、とても取り乱されましたので、つい。落ち着いていただこうとして紅茶をかけてしまいました」
「……っ」
ギリ、と正一さんが歯ぎしりした。
目は充血していて、怒りのあまり顔は真っ赤に染まっていた。
「私を誰かとお間違えのようですわね?何度も申し上げますが……私は、カレン・カーター。あなたの仰る、花恋ではありませんわ」
私は、確かに過去、字波花恋ではあったけど、今の私はカレン・カーターだから。
(さようなら、元旦那様)
字波 花恋だった時の私は、ただ、あなたに怯えていた。
あなたに嫌われるのも、あなたに蔑まれるのも、嫌だった。
ビクビクと怯え、機嫌を損ねないように生きる日々。
今の私は、字波花恋ではない。
私は、アイライド帝国に生きる、白魔道士カレンだ。
正一さんはそれからも様々な暴言を口にしたが、それら全てを私は聞き流した。
そして、侍女に連れられて近衛騎士と神官がやってくる。
侍女に事情聴取を行った彼は、ある予測を立てた。
【恐らく、異世界からの客人、ショーイチ・アザナミはこころに何かしらの闇を抱えている】……と。
本人が聞いたら憤怒しそうな仮説を。
どうやら、控える侍女たちは、正一さんを止めることに必死で、私の言葉まで聞いていなかったようだ。
彼女たちは、正一さんがいきなり私に飛びかかったと証言した。
そして、彼は私を妻だと思い込んでいるようだ、とも。
もう彼とは会うこともないだろう。
私は、彼の指導係を外れることになった。
私の代わりに、マシュー様が黒魔術の専属指導係に決まったそうだ。
白魔術の専属指導係は、老齢の女性──熟年の白魔道士となった。
若い女性だと、彼が妻だと思い込む可能性があるため、と言う理由からだった。
(もはや、彼を信じるひとはもういないでしょうね……)
まさか、『カレン・カーターは前世、彼の妻だった』なんて。
(だけど……)
ほんの少し、彼には同情する。
正一さんはあれから、【異世界からの客人は、白魔道士カレンに一目惚れし、拗らせてしまった】と噂されるようになってしまったからだ。
☆
私は、王都の自分の店に戻ると、足元にすり寄ってきた愛猫を抱き上げた。
「ただいま、スピカ!いい子にしていた?」
腕に抱いたスピカからは、変わらずお日様の香りがする。きっと、また日向ぼっこを楽しんでいたのだろう。
「ん〜〜〜相変わらず、可愛いわねぇ。どうしてこんなに可愛いの?」
そんなしょうもないことを愛猫に話しかけていると。
店のカウンター窓がノックされた。
私はそれに気付くと、スピカを彼女の定位置である揺り椅子に降ろし、カウンターへと向かう。
そして、いつものように声をかけるのだ。
「いらっしゃいませ、白魔道士カレンのお店にようこそ!」
fin




