異世界からの客人
コンコン、と窓がノックされた。
それにハッとして、私は作業の手を止めるとカウンターへと向かった。
そして、透明の窓をスライドして開けて、訪ね人に声をかけた。
「いらっしゃいませ、白魔道士カレンのお店にようこそ!」
客人は、女性だった。
三十代半ばの女性だ。柔らかな茶髪を緩くまとめ、手にはバスケットを持っている。
「良かった。ご在宅だったのね。実は、主人の腰の調子が悪くて。……診てほしいのよ」
「旦那さん……ロッキーさんですね。大丈夫ですよ。今から行けますけど、どうしますか?」
「ほんとう!?良かった……!」
女性──ホッとした顔になった。
エミリーさんは、市井で食事処を営んでいる女将さんだ。
私も、何度もそのお店のお世話になったことがある。
私は、エミリーさんの旦那さん──食事処【シュペール】の店主の顔を思い出す。
(そういえば、以前、昼食を食べに行った時、調子を悪そうにしていたわ……)
私は、そっと背後を振り返った。
揺り椅子の上で眠っているのは、私の愛猫──スピカだ。
スピカは、丸くなって寝ている。
日中の昼間は、いつもこんな感じだ。
「……それじゃあ、少し出てくるわね。いい子にしていてね?すぐに戻ってくるから」
私は、愛猫の額にキスを落とした。
日向ぼっこを楽しむ猫ちゃんは、お日様の匂いがする。
外干ししたお布団の香りだ。
いつまでも嗅いでいたくなる香りだけど、スピカの眠りを妨げるわけにもいかない。
スピカは、返事をするようにパタパタッと耳を揺らした。
少し離れると、またスピカは熟睡し始めた。
(ああ……可愛い……。幸せ……)
ぐっすり眠っている愛猫を見ていると、とても幸せな気持ちになる。
もふもふ。もふもふだわ……。
お耳がピンク。陽が当たっているからだ。
肉球もピンク。可愛い。触りたい。
その感情をグッと我慢する。
……あれから。
私は、白魔道士カレンとして市井で店を開いていた。
【あなたの不調、白魔道士カレンが治療します!】
それが、キャッチフレーズ。
最初は新参者だと怪しまれて、なかなか客足がつかなかったのだが、よく行く八百屋のおばさんを始めとして、どんどんお客が来るようになった。
並行して、神殿の要請を受けて白魔道士として出ていることもあるので、結構忙しい日々を送っている。
(お父様には、貴族の娘が商売をするなんて!って言って激怒されていたけど……)
カーター家には、勘当されてしまった。
もともと、カーターの家に戻るつもりもなかったのだけど。
だけど、最後の挨拶くらいするべきよね?と考えた私は、スピカを買い取ったばかりのこの家に置いて、カーター家に向かったのだった。
(カーター家でのことは、正直思い出したくない……)
くらいに、話が揉めに揉めた。
お父様には、勝手に離縁したことを激しく叱られ、すぐに新たな縁談を用意する、と言われたのだ。
事前に何度も、マシュー様とは離縁する予定だ、と手紙を送っていたにも関わらず。お父様は、まさかほんとうに離縁するとは思っていなかったようだった。
お父様の言葉を、私は断った。
もう、再婚するつもりはないと、そう言った。
(手紙にもちゃんと書いていたのだけど……)
もしかしたらお父様はちゃんと読んでいなかったのかもしれない。
そう思って、私は改めてお父様に宣言したのだ。
『市井に降りて、白魔道士として働く』と。
それを聞いた時のお父様は、それは……もう。
とんでもなくお怒りになった。
烈火のごとく怒った。
物が飛んで、色々なものが壊れたし、割れた。ほんとうに、スピカを連れていかなくてよかったと心底思う。
従僕が止めてくれなかったら、危うく私はお父様から、激しい折檻を受けていたことだろう。
私はその時のことを思い出して、ちいさくため息を吐いた。
お父様は、国王陛下のご不興を買いたくないのだ。
お父様は昔から野心深い男性で、位の高い女性──お母様を妻にした。
しかし、闘争心の激しいお父様に嫌気を覚え、お母様は実家の侯爵家に帰ってしまったのだ。
事実上の別居状態だった。
それについても、お父様は激しくお母様を批判した。
『気位ばかりが高いだけのヒステリー』と罵るものだから、侯爵家とも絶縁状態だ。
お父様は社交界でもお母様の悪口を言うので、『娘の私も伯爵夫人同様、偉ぶったワガママ女なのだろう』と噂される始末。
『この、恥さらしめが!!金輪際、カーターの名を名乗るな!!お前が私の娘など、思いたくもない!!』
お父様に怒鳴られ、カーター家を追い出された私は、そのまま市井に戻ってきた。
……のだけど。
それ以来、カーターの使用人が何度も店にやってくる。
そして再三にわたって、家に戻るよう説得してくるのだ。
恐らく、お父様は、せっかくの駒を手放すのが惜しいと思ったのだろう。
白魔道士の数はただでさえ数が少ない。
『今戻るなら許す、と旦那様は仰せです』
そう、伝言を運びに来た従僕は、気遣わしげに私を見ていた。
それに返す言葉は、いつもNOである。
もうあの家に戻るつもりはない。
私はここで、このお店で、白魔道士カレンとして生きていくと決めた。
それに、今の私にはスピカがいる。
マシュー様に宣言した通り、私はこの子を死ぬまで、愛し、慈しみ、大切にすると誓ったのだ。
私はスピカがふたたび眠ったのを見てから、姿見の前に立った。
そして、前世と同じ白金の髪をひとつに結び、ポニーテールにすると、黒のベルトを締めた。
その上に紺色のローブを羽織れば、白魔道士カレンの完成だ。
お店を出ると、女性が私を見てホッとした様子を見せた。
「ありがとう、カレンちゃん。悪いわね」
「いいえ。エミリーさんにはお世話になっていますから」
お店を開いてすぐ、直面した問題は、食事だった。
私は、生粋の貴族の娘だ。
食事の調理方法なんて分からない。
字波の家で下働きをしていたとはいえ、厨に立ったことはなかったのだ。
そういうわけで、最初の数週間はとても難儀した。
危うく指を包丁で切り落としそうになったり、肉を生焼けで食べそうになったり。
最初の数週間は、生煮えの野菜ばかり食べていたのだ。
そんな食事を続けていたら、それを知った八百屋のおばあさんが、食事処【シュペール】をおすすめしてくれたのだった。
彼女と並んで歩きながら、シュペールに向かう。彼女と、他愛ない話を続けていく。最近、天候が不安定だ、とか。
卵の価格が上がるそうだ、とか。そういったものばかり。
だけど、ふと思い出したようにエミリーさんが言った。
「そういえば、異世界からの客人を招く、って。聞いた?」
その言葉に、私は思わず足を止めた。




