諦めきれないのはお互い様
「ま、待て!スピカを持ってく?だと?」
「はい。アイライド帝国法では、猫や犬といったペットは物扱いされます。私は、家族だと思っていますけど」
だから、契約には違反していない。
そう言うと旦那様の顔は強ばった。
「嫌だ。スピカは置いていけ」
「……旦那様は、あれは嫌、これも嫌、と契約違反ばかり仰るのですね?」
私はため息を吐いた。
旦那様は俯いてしまい、こちらを見ない。
しかし、こちらとしても譲る気はなかった。
この三年、私はスピカとともに生きてきたのだ。公爵邸の誰よりも、彼女を可愛がり、慈しみ、愛していたと誓える。
私は、旦那様にハッキリと宣言した。
「私は、スピカを引き取ったら、彼女の面倒を彼女が老衰で死ぬまで!必ず見ます。おトイレの世話も、一日三食の給餌もしますし、暖かいお家も提供します。旦那様よりずっと、彼女を可愛がります」
「…………」
「むしろ、旦那様ってスピカのこと可愛がっていたんですか?一緒にいるところをこの三年、あまり見たことがないのですが……」
これは、純粋な疑問だった。
この三年、旦那様はスピカに構う素振りを見せなかった。
だから私は、ハッキリ断られて正直驚いていたのだ。
てっきり、旦那様は猫嫌いだと思っていたから。
尋ねると、旦那様はゴニョニョと何か言った。
「……だろ……」
「はい?」
聞き取れなくて、首を傾げる。
すると、旦那様がバッと顔を上げて言い放った。
「俺は猫アレルギーなんだ!!触れないのはとうぜんだろ!」
「…………」
では、なぜ猫を飼っていらっしゃるのですか。
喉まででかかった言葉を、何とか呑み込む。
しかし、彼は私の言いたいことがわかったようだ。
深いため息を吐いて、くしゃりと前髪をかきあげながら旦那様は言った。
「……あれはお母様の猫なんだ。父が死んで、母は修道院に入った。父の死を悼み、祈りを捧げるために」
「そうだったのですか……」
「俺は特別、猫が好きなわけではない。だけど……スピカはこの家が好きなんじゃないか?ほら、猫は家につくっていうし」
「…………」
確かに、旦那様の言うことにも一理ある。
しかし、気付いているだろうか。
先程から、離縁する/しないの話し合いが、いつの間にか猫を連れていく/連れていかないの話にすり替わっていることに。
気づいていないのなら好都合なので、私から言うことはしないけど。
私は少し悩んでから、旦那様に言った。
「……ですが、スピカは私に懐いております。名前を呼ぶと来るんですよ」
ここは、いかにスピカが私を好きでいてくれているか、懐いているかをアピールすべきだろう。
突然そんなことを言い出したものだから、旦那様が面食らった顔をする。
「給餌も、おトイレのお世話も、この三年間、私がしております」
「は!?使用人は……!?」
「お断りして、私がやっています。最初から、あの仔をもらうつもりでしたので」
実績作りは大切だ。
猫の世話などしたことがなかったくせに、いきなり貰っていく……なんて、誰が賛成してくれるだろうか。
しかも私は、ひとに世話をしてもらって生きてきた、貴族の娘だ。
もし、私が猫を渡す立場だったら絶対断る。
お世話しないで放置しそうだもの。
だから、私はこの三年間、スピカのお世話してきたのだ。
私に譲っても問題ないことをアピールするために。
しかし、旦那様はそれを知らなかったのだろう。
いかに、飼い猫と私に興味がなかったかが分かるというものだ。
私は、スピカに一目惚れをしていた。
スピカは、三毛猫だった。
異世界でまさか三毛猫を見られるとは思わなかった。ズキュンときた私は、一目で彼女を家族に迎えたいと思ったのだ。
しかし、どういう原理なのかしら。
三毛猫って、遺伝子の問題ってどこかで聞いた気がするけど……。
ちなみに、アイライド帝国では三毛猫のことを雑種、と呼ぶ。
三毛猫という種別は無いのだ。
旦那様は最初渋っていたが、譲る気のない私を見て、最終的には頷いた。
私は勝ちを得たのだ。
彼を説得させるために、この三年間、私とスピカの様子を見ていた使用人を証人として呼んできたのが最後の後押しとなったらしい。
そうして、私は手切れ金をいただいた後、愛猫とともに公爵邸を出た。
私が公爵邸を出ることを、旦那様は最後まで認めなかった。
しかし、離縁届はもう提出している上に、契約書まである。
カーター家から持ち込んだ荷物がそもそも少ないので、持ち出す荷物もあまりない。
必要最低限の着替えだけ荷物鞄に詰め終えると、私は玄関ホールへと向かった。
そこには、変わらず顔色の悪い旦那様……マシュー様が。
私は、執事長からスピカを受け取った。
スピカは、普段とは違う空気を察しているのか、目をまん丸にしている。
…………可愛い。
相変わらず、食べちゃいたいくらい可愛い。
思わず、頬が緩んでしまいそうになるのを、何とか堪えた。
そして、私はマシュー様に向き直ると、笑顔を浮かべた。
やっぱり、最後くらいは笑顔でお別れをしたいものね。
「三年間、ありがとうございました。今回はこのような形になりましたけど……次こそは、マシュー様が幸せなご結婚をされますように。遠くの地から、マシュー様のご多幸をお祈りしております」
愛猫を抱きながらなので、片手でスカートの裾を摘み、淑女の礼を執る。
なぜか目を見開いて硬直するマシュー様に、執事長が「旦那様」と呼びかける。
それでハッと我に返ったマシュー様は、やはり嫌だと言うのかと身構えていると。
「…………会いに行く」
「…………はい?」
突然、そんなことを言い出した。




