婚約者への手紙
メルビン伯爵家では深刻な家族会議が行われていた。
「余命一ヶ月……、そんな……」
はらりと涙を零したのは母だ。
「仕方がない、十分長生きした……」
父はそう言いながらも落ち込んでいる。
祖父が先月あたりから、歩くのもままならなくなり、食も細くなっていると主治医から報告書が届いた。
その内容を読みながら、現在、家族全員で話し合いをしている最中だったが、居ても立っても居られず、自分は立ち上がった。
「お父様、私、お祖父様の所へ行って来ます」
父は王都で仕事、母は領地の管理、二人とも簡単には休めない。それに、自分を可愛がってくれた祖父のことを放ってはおけない。
「行って来ますって……、リアーナ、明後日には騎士団の帰還を祝う夜会があるだろう? 婚約者のカイラス卿はどうするつもりだ?」
「仕方ありません、断りと謝罪のお手紙を出しておきます」
リアーナは急いで自室へ向かうと、机に向かった。急用が出来たこと、夜会には行けなくなったことを手紙に綴る。
謝罪文を書いている最中、祖父の病状のことを書かなくてはいけないのかしら? と悩む。
――でも、以前カイラス様にお手紙を出した時……。
『君の手紙は要点に辿り着くまでに凄く時間が掛かる。今度から主要部分だけを簡潔にまとめてくれるだけで十分だ』
そんなことを言われたことがあり、それを思い出して、書いている手紙をぐしゃっと丸めると、もう一度書き直した。
〝お祖父様の元へ旅立ちます。心配なさらないで下さい。夜会に行けなくてごめんなさい。〟
簡潔に、分かり易いわ! と自分でも惚れ惚れするほどスッキリした文章に仕上がった。
出来上がった手紙を執事に渡したあと、侍女のミランダに荷造りを言い渡した。上目遣いに彼女は、「お嬢様、本当に宜しいのでしょうか?」と訊ねて来る。
「あら、なにか問題でもあるの?」
「帰還祝いの夜会に婚約者のお嬢様が同行しないとなると、カイラス様が他の令嬢に狙われてしまわれそうです」
「そうね、それも仕方ないわ」
リアーナの婚約者である大公の令息、カイラス・リング・ギブソンは、誰もが憧れるような人だった。
もちろん、自分もその一人だったわけで、年頃の令嬢ならば、カイラスは喉から両手が出るほどの人物だ。
それと彼が所属している白銀の騎士団員は、王国が抱える騎士団の中でも国王陛下が直々に選抜をした人員ばかりで、当然、令嬢からも大人気だった。
そんな騎士団に所属し、更には爵位も王位に次ぐ大公なのだから、誰だって彼の横に並びたいだろう。
うんうん、と小刻みにうなずきながら、けれど――、とリアーナは思う。
問題は、彼は公務だと言って国を離れることも多くて、年に数回会えるかどうかだということだ。正直、公の場で会う以外の交流がない。
「そうよねぇ……、年に一回か二回……だもの……」
「なにがですか?」
「あ、ううん、こっちの話よ」
いくら彼が素敵な男性でも、年に一回か二回会えるかどうかで、会っても『ああ』とか『そうだな』とか『君の好きに』とか、生返事ばかりで、こちらに関心がないし、それなら気の合う幼馴染のハリソンと婚約した方が良かったかも? と最近は思う。
二人を今更のように天秤に乗せて比べてみる。「難しいわね……」とリアーナが呟いた言葉に、ミランダが小首を傾げた。
「お嬢様、先程から何を悩んでらっしゃるのでしょうか? そのドレスに合う首飾りならば、こちらで宜しいかと……」
「違うのよ。今さらだけど婚約する相手を間違えて選んだ気がして……」
「ええぇ?」
――そうよね、驚くわよね……。
「お嬢様、お言葉ですが、その考えがそもそも間違いのような気がします。カイラス様ほど素敵な令息はこの国にはいらっしゃいませんよ?」
口を尖らせるミランダの言い分に、リアーナも肯定してうなずく。
「そうなのよね。分かっているだけに色々な意味で悔しいわ!」
「……その悔しさが私には分かりません」
この悔しさが分からないなんて……、とリアーナは肩を竦めた。
確かにカイラスは誰もが認めるような立派な騎士であり婚約者だけど、彼が自分を求めてくれたわけではない。彼の父親である大公から、「息子の婚約者に如何だろうか?」とリアーナに打診が来たのだ。
当然、両親を含め、皆で驚きの声を上げたし、正直なことを言えば自分も、どうして? と首を傾げた。
そもそも公爵令嬢であるマリエッタ嬢を差し置いて、地味な伯爵家の我が家に打診が来ること自体おかしなことだ。
まあ、どちらにせよ、今さらだ。きっと、このまま彼と結婚して、大公の豪邸で贅沢三昧を満喫し、ごろごろしながら、ぶくぶくと太って、そのうち彼は愛人やら妾やらと一緒に子宝に恵まれるのだろう。
そうなれば、自分は辺境の別邸に引き籠り、一人寂しく過ごすことになるのだ。
そんなことを考えつつ、さくっと荷物をまとめて出かける準備を整えると、ミランダと一緒に馬車へ乗り込んだ――――。
夕刻過ぎ、カイラスが剣の稽古を切り上げて、自室へと足を運んでいると、執事が一通の手紙を寄こした。
封蝋はメルビン伯爵家の物で、差出人名は婚約者のリアーナからだった。
大きな溜息を吐くと、カイラスはその手紙を受け取り、懐へしまう。
「読まれなくてよろしいのですか?」
執事に言われて、カイラスは軽く目を細めた。
「ああ、彼女の手紙を読む時は時間が必要だから……、就寝前にでも読む」
「……さようですか」
「なにかあるのか?」
「あ、いえ、何でもございません」
妙な空気が漂ったが、気にするようなことでもないだろう。ふとカイラスは明日の夜会のことを思い浮かべた。
――そうか、心優しい彼女は、夜会で会うよりも先に一番最初に『お帰りなさい』が言いたくて手紙をくれたんだな……。
ほくっとカイラスの頬が緩んだ。
今、開けて読んでしまおうか? けれど、彼女の手紙はいつも長い。
以前、こんなにたくさん書くのは大変だろうと思い、『要点だけでいい』と言ったことがあったが、それでも、びっしりと思いを込めて書いてくる。
――これが愛という物なのか……。
もちろん、何度も読み返し暗記をしているし、何年の何月何日の手紙の内容を聞かれても、全て答えることが出来るようにしてある。
毎回、いつ何を聞かれるかドキドキして待っているが、彼女は私が不甲斐ない男だと思われないように気を遣って手紙の内容には触れて来ない。
そんな優しい彼女に久々に会えると思うと、落ち着かなかった。
やはり、もう少し修練をしてから部屋に戻った方がいいか? 彼女の手紙に興奮して眠れなくなるのも困るしな……、とカイラスは悩む。
――いいや、気合でなんとか寝よう。
夕食を食べ終え、湯浴みをしたあと父に呼ばれた。
「久々に帰って来たんだ。少しは話しでもどうだ?」
「はい」
父に誘われるまま、書斎から通じるテラスへと出る。神妙な面持ちで父は口を開くと、婚約者とは上手く行っているのかと聞いて来た。
「リアーナとの関係は問題ありません」
「そうなのか? お前の所属している部隊は遠征が多いだろう? リアーナ嬢と会えるのも年に数回じゃないか、そんなことで大丈夫なのか?」
「御心配には及びません、私はリアーナのことなら何でも知っています」
それはもう、何を聞かれても即答できるほどに! と自身たっぷりに微笑んで見せた。
父の心配など取るに足りないことだった。幼少の出会いから現在に至るまで、彼女に関しては何一つ色あせることなく覚えている。
我が屋敷に爵位のある子供達だけの交流会があった日、周りに居る令嬢達は煩いだけでつまらない存在だったが、リアーナだけは違った。
凛とした佇まいで、我が屋敷の噴水を見上げ、滴り落ちる水滴の数を数えていた。
あの時、変わった令嬢だと思ったし、興味をそそられて、『何をそんなに一生懸命見ている?』と声をかけたら、『虹を……』と微笑んだ。
周りはカイラスに気に入られようと必死なのに、噴水の水しぶきで出来る虹を見つめている彼女が気になった。
その後も彼女は、自分に興味を示すことはなく、幼馴染の伯爵家の息子と遊んでいた。
――あれは悔しかった。
彼女の視界に入れてもらえないことが寂しくて、自分を認識してもらうには、婚約を申し込むしかないと思い、すぐ父に彼女と婚約したいと報告した。
その後、お互い学園に通ったり、カイラスも騎士団に入団したりで忙しかったが、そろそろ身を固めるいい機会だ。
「明日の夜会で正式に婚姻の話をしたいと思ってます」
「そうか、それはいいな」
父と一緒に他愛のない会話をしながら酒を飲み、その後、機嫌よく自室へ戻るとカイラスはそのまま眠りに付いた――。
翌日、スッキリしない気分で起きる。修練が足りないのかもしれないと、朝から剣の練習に励むことにした。
何だかんだと屋敷で過ごしているうちに夜会の時間が近付き、衣装を身に纏う。今宵も彼女はカイラスに合わせて、海碧色のドレスを身に纏って来るに違いない。
ふと彼女の美しいドレス姿を思い浮かべて笑みを零し、玄関ホールで執事の顔を見て、一大事に気が付く。
――ああ、そう言えば、リアーナの手紙を読んでなかった!
カイラスは踵を返し、昨日の手紙を取りに自室へ戻った。
昨日着ていた上着は何処だろう……、と室内を回し見たが、既に洗濯置き場へ運ばれてしまったようだった。
慌てて侍女に洗濯物を持って来るように伝えると、既に洗い始めていたようで、手紙は水で濡れてしまっていた。
「も、申し訳ございません!」
侍女が地べたに座り込み謝罪をする。
「いや……、だ、大丈夫だ……」
全然、大丈夫ではないのだが、悪いのは明らかにカイラスなので、仕方が無い。取りあえず、中身を確認する。
〝お□□元□旅立ちます。□□□ないで下さい。□□□ごめんなさい。〟
――いったい、これは……?
途中の文字がぼやけている。だとしても、リアーナにしては短すぎる文面にカイラスは血の気がザーっと引くのを感じた。
「旅立つ……? 探さないで下さい? ごめんなさい?」
読める箇所をなんとか解読し、意味が分かると、カイラスは慌てて屋敷を飛び出しリアーナの元へ向かった――。
メルビン伯爵家に辿り着くと馬車を飛び下り、屋敷を訪問する。玄関先で執事が驚いた顔で、「カイラス様、どうされたのですか?」と訊ねて来る。
「リアーナから手紙をもらったのだが……!」
「ああ、左様でございますか、お嬢様は昨日から大旦那様の元へ――」
「な、なんてことだ……、一体何があったのだ?」
「ええ、実は前から身体の具合が悪く――」
カイラスはくらりと眩暈に襲われる。
「な! どうして、そんな大事なこと俺に言わなかったんだ!」
「え……、そ、そう言われましても、きっとお嬢様はカイラスさまの気を煩わせたくなかったのではないでしょうか?」
「婚約者だと言うのに?」
「え、ええ……?」
――くっ、なんてことだ……。
「それで、リアーナは、前伯爵の元へ向かったのだな?」
「は、はい、そうです」
急がなくては! とカイラスは馬車に乗り込むとリアーナの祖父の元へ向かった――――。
「お爺様、お食事はどうですか?」
「ああ、ありがとう。リアーナが来てくれて食べる元気が出て来たよ」
「それは良かったです」
食欲がないと言っていたが、どうやら胃に負担のかかる食べ物のせいだった。料理長は王宮で修業を積んだことのある人物なので、わりとしっかりした料理を作る。
しかも、こってりとした脂っこい料理が苦手になったことを祖父自身も気が付いておらず、食が落ちたのは病気のせいだと思い込んでいたようだった。
昨日、出された食事を見て急遽、煮込み料理に変えてもらったら、いつも以上に食べてくれたようで皆が驚いていた。
もしかすると、食事さえしっかり食べることが出来れば、また歩けるようになるかも知れない、とリアーナはしばらく祖父の家で世話をすることを決めた。
その日の夕方――。
心配そうな顔をする侍女のミランダが、「お嬢様、これで良かったのでしょうか?」と声を掛けて来る。
「ん? 何が?」
「大旦那様のために、今日の夜会に行くのをやめたことです」
「えー、今更よ、だって、もう夜会は始まってるのよ――?」
そう言ってリアーナがミランダに諭している最中、自分を訪ねて来客が来たと祖父の屋敷の執事が呼びに来た。
「誰かしら?」
「随分と慌ててらっしゃるようで、早くお嬢様を呼ぶようにと言われました」
ミランダと顔を見合わせて、はて? と二人で小首を傾げる。
取りあえず誰が訊ねて来たのか確認するために玄関ホールへ向かうと、カイラスが大股で近付いて来る。
「え……? カイラス様――っ?」
むぎゅっと力強く抱きしめられ、いったい何事なの? とリアーナは混乱する。
「どうして……、どうして病気のこと、言ってくれなかったんだ」
「えーと?」
「病気だと知っていれば、俺はもっと早く君と結婚していた」
「え?」
よく分からないけど、祖父のお見舞いに来てくれたのだろう。
病気のことを知り、早く曾孫の顔を見せてあげたい的な? そんな考えに及んだのだろうか。どちらにしても、今までの無愛想なカイラスとは違う心優しい一面を見てリアーナは感激したが、ふと重大なことに気が付いた。
「カイラス様、今日は帰還を祝う夜会なのに、どうしてこちらにいらしたのです?」
「何を言ってるんだ! 君の手紙をもらって、慌てて屋敷に訪問しに行ったら、執事から『以前から身体の具合が悪かった』と聞いて、居てもたっても居られなかったんだぞ、どうして話してくれなかったんだ? そんなに俺は頼りない男なのか?」
「い、いえ……」
――何だか、気迫が凄いわ……!
取りあえず、玄関先で立ち話を続けるわけにもいかず、リアーナは彼を貴賓室へと案内することにした。
それにしても、祖父とカイラスはそんなに面識もないのに、病気と聞いただけで、わざわざ来てくれるなんて……、と少し不思議に思った。
――カイラス様がこんなに情熱的な人だったとは知らなかったわ。
貴賓室に案内してから、そわそわと落ち着きのない彼は、しきりにリアーナに容態を聞いて来る。
「それで、いつから病気に……?」
「えーっと、気が付いたら……ですわ」
「君って人は、暢気な性格なのは知っていたが……、病気になったなら、すぐに俺に言うべきだったろう?」
「え、ええ、ごめんなさい?」
祖父の心配をする彼を見て、ふと思うことがあった。
幼少期、急にリアーナを婚約相手に決めたことに関して、ずっと謎だと思っていたが、カイラスは祖父に憧れていたのだと知る。
――そう言えば、私はお爺様似だと、お父様が言ってたわ。
小刻みに顎を縦に揺らして一人で納得していると、彼が言う。
「何の病か分からないが、病気は治るのだろう?」
「えーと、もう歳ですので、元々、そんなに長くは生きられないのです」
「歳って、君はまだ十六歳じゃないか! もしや……、そうか、余命宣告を受けていたのか……!」
――ん?
何だか少し話が噛み合わない気がしたが、彼も気が動転しているのだろう。オロオロするカイラスを見ながら、早く祖父に会わせた方がいい気がして、リアーナは執事に面会の希望を願い出ることにした。
「カイラス様、お爺様にお会いできるように今お伺いを立てて来ますので、今しばらくお待ちください」
「ん……? ああ? 分かった」
一瞬、彼の表情が曇り、妙な空気が流れたが、せっかく祖父の見舞いに来てくれた彼をこのまま帰すことは出来ない。
リアーナは執事が呼びに来るのを待ちつつ、カイラスに遠征先の話を聞いた。
「今回の遠征はどうだったのですか?」
「ん……、いつも通りだった」
「そうですか」
「君は何か変わったことは無かったか?」
珍しくこちらの近況を聞いて来る。
「今回のお爺様のこと以外は特にありませんでした」
「ん、前メルビン伯爵がどうかしたのか?」
「え……?」
「ん……?」
二人の間に長い沈黙が流れ、この後、ようやくカイラスが勘違いしていたことを知る。彼はリアーナが病気だと思い込んでいたようで、当然、祖父に挨拶をしたものの、何をどう言えばいいのかと彼は悩んでいた。
そもそも、自分が簡潔に短く書いた手紙のせいなので、いつも通りに祖父の容態、それから夜会に出席できないことを、事細かに書いておけば彼も勘違いしなくて済んだのだ。
「カイラス様」
祖父の部屋を出て客室に向かう通路の途中で、リアーナは手紙の話をした。
「やはり、お手紙は短いと想いが伝わりませんね」
「ああ、本当だな……」
彼は、いつも書く手紙が大変だと思っていたらしく、『短く簡潔に』と言っただけで、リアーナが書きたいなら、たくさん書いて欲しいと言った。
「では、これからも、たくさん書きますね」
「ああ、よろしく頼む」
その年、皆に祝福されてリアーナとカイラスは結婚し、その翌年には子宝にも恵まれた。
忙しい日々を送りながら、遠征先のカイラスのために、リアーナは今日も手紙を書くのだった――。
婚約者への手紙~END.




