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空中要塞グレイシアス   作者: ホワイトボックス
第二章 旅立ち編
16/93

第十五話「何もしない朝、崩れぬ笑顔」

 

 グラス・レコードと依頼を結んだ。


 自然と流されるように、そうやって契約していた。

 

 俺は、流されることを嫌う性質だ。

 だが不思議と、あの人を信用してしまったのは、きっと人柄の良さから来たのだろう。用心深い俺が、気づけば心を預けていたのだ。


「泊まっていけ」


 そう言われたとき、即座に否定したが、グラスは引かなかった。


『いや。ロベルト。ここに泊まっておけ、大事な依頼人をそこらへんお質素な宿に泊めさせるわけには行かない。それに、縁だ、わかるだろう?だから泊まっていってくれ』


 なんとも軽い口言葉だ、しかし重みがある。


 そもそも、縁なんて……それと、宿は質素じゃない。

 仮にも世界中心国の宿だ、豪華なはずだ、充実しているはずだ。

 

 泊まったことはないが……。


 

 ……俺は"一文無し" だ。

 川に流され、すべての荷物は水の中に消え去った。

 せっかく準備してきた物が、こうもすぐに俺から離れていくなんて。旅先は何が起こるかわからない、いつか大事なものまで無くなってしまうかもしれない。


 妹のペンダント。


 絶対になくしてはいけないモノ。

 リシアの写真が入っている、写真を見るたび、リシアを鮮明に思い出す……。


―――泊まるさい、聖閤堂をくまなく案内してもらった。

 リビングから寝室、風呂、トイレ、倉庫、本棚、階段下の部屋、ベランダ、屋上。

 案内された地下室の入り口は、扉の向こうに何かを隠しているように見えたが、聞かないでおいた。むやみに聞くものでもない。遠い昔の小さな俺が、そう言ってる。


 この家は、人を受け入れるように造られている。

 旅人が休むには、十分すぎるほどの空間と、静けさがあった。

 

 旅館でも開けれる―――そう思ったが、さすがに言葉には出さなかった。笑われそうだったからだ。



 最後に、正式な契約を交わす。

 依頼にはそれが必要だという、律儀な話だ。


 依頼のためにはきちんとした「正式な依頼」の契約が必要だ。

 契約は、表紙に自分の名前を著名する。


 著名して、グラスさんも著名する……それと、違うページにも著名して……何ページ、最後のページにそれぞれ著名。それからサイン。契約書は二枚あって、それぞれ一枚づつ持つ、これで終わりだ。


 ……俺はなにを説明しているんだ。




−−−

 


 

 翌日。


 

――早朝の空気は、昨日とはまるで違っていた。


 ふかふかのベットが、昨夜の疲労を根こそぎ吸い取ってくれたのだろう。目が覚めたときには、すでに陽が差し込んでいる、(ほこり)はいなく、虫も居ない。ここは空き室と聞いたが、綺麗に整えられている。


 ひとつ、宿に泊まった気分だ。

 

(実際、タダ泊まりだが)



 時計の針は八時を回っていた。


 意外に寝たな。



 ベッドを整え、軽くストレッチしてから、着替えを済ませる。

 二階の廊下を歩いて、階段に差しかかったところで、ふと足が止まった。


 下からは、物音がたくさん聞こえてくる。

 何かが動く音や、ガタガタとした音。ガサゴソと何かを漁る音――それに、わずかな香り。

 生活の音、というより……日常の音。

 誰かがそこで何かをしているのだろう、多分グラスさんだ。


 階下を覗き込むと――誰も居なかった。



 ?


 誰も居なかった。


 だが、誰かが居たような気配がした。だが、どうだ……誰も居ない。


 俺の間違い……? 


 いや、確かに人を感じた………魔力探知も、反応していた。

 魔力探知は、相手の魔力を測る、精神的な能力。難しそうに見えるが、魔法を使うものなら誰だってできることである、魔法の初歩技術。残念ながら、これができなければ……才能はない。

 

 魔力探知は反応はあった。

 ただの魔法道具の可能性もある。


 だが、魔力を感知した、聖閤堂に、小規模の魔力を。


 それも――このリビング、そしてリビングの反対側に魔力探知の反応が帰ってきている、ふたつのポイントから。

 ふたつの魔法道具か、二人の魔法を使う人物。 


 グラスさんは違う。契約時、魔力をいっさい感じない、それに魔法道具の存在も見えなかった。となると別の人物だ………。


 リビングへ向かおう。

 


 俺はリビングへと向かった。



 なにをするかなんて、と思いつつ、リビングへと入った。

 

 そっと中に足を踏み入れる。

 誰か作業している人でもいれば、それとなく手伝えるかと思っていたが……中にあったのは、の“静寂”だけであった。


 心地よい静けさが漂い、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。

 音もなく、軽すぎもしない。

 

 読書でもしようかとも思った。

 けど、ここの本棚の本に勝手に触れるわけにもいかない。

 流れ者には、守るべき境界がある、どこででも必要なことだ。


俺は『客だ』今は、まだ。

 

 柔らかな日差しが差し込むリビングには、誰の声もなかった。

……一人を除いて。


 カウンターの奥、

 玄関からやって来た人を、最初に出迎える大きく広いお洒落なカウンター。


 

 彼女はそこにいた。



 彼女の髪は艶やかな茶色で、赤い瞳が印象的だ。

 ショートカットと言うには少し長い髪が、肩先まで自然に流れていた。

 清潔で、優しげで、何より“静か”だった。この空間と調和している。


 ただ静かに、グラスをまっさらな布で、ゆっくり、丁寧、に磨いていた。


 グラスというのはガラス器のことで『グラス・レコード』ではない。

 言葉も音もなく、ただその所作だけが流れていた。


 まるで一枚の絵画のようだった。


 

 そして、魔力探知が反応中、彼女か。

 


 リビングの前で立ち尽くしていると、思わず目があった。

 互いの視線が交わる瞬間、彼女の顔が集中の眼差しから切り替わり


  ”一瞬” で表情が柔らぐ、微笑みを浮かべた。


「こんにちは、お客様」


――澄んだ声だった。


 冷たくも熱くもない。

 ちょうどよい、すっと胸の奥まで染み込んでいく声。


「あ――」

「お急ぎにならなくとも大丈夫ですよ。初対面ですから」

 

 微笑むように、言葉が滑り込んできた。

 まるで、こちらの戸惑いを読んだようなタイミングだ

 心を読んでいる、大げさだな……。ただ、人の”空間”をつかめる人、そんな印象だ。


「グラス様が戻られるまで少々お時間がございますので、どうぞおくつろぎくださいませ」


 抑揚のある親しみの声。

 彼女は、この家の者なのか?


 

 俺は一歩、リビングへと足を踏み入れ、ソファに腰を下ろした。


 後ろを振り返れば、ソファの後ろには、大きな本棚が置いてある。

 本棚には様々な本が敷き詰められている。本の背表紙が丁寧に揃えられていて、整列。こちらに名前を見せている。俺の知らない本が、たくさんある、珍しい希少、高価な本までも、当然のように。


(読め、ってことか)


 この空気に身を置いて、本の一冊でも開けば、さぞ様になるだろう。

 朝早い、雲一つない快晴だ。

 

 ふと目線が再び彼女に向けられた。

 彼女がこちらにちらりと目を向けると、またその柔らかい笑顔が浮かんだ。

 また、目があってしまった。ずっとできるのだろうか、その笑み。


 

 俺が子どものころ、似たような表情を貼りつけていた人間を見たことがある。

いつも笑っていた。しかし、内面はわからなかった。

 それで、俺は病気で死んでそれっきり、前世の話だ。


 この笑顔は、どうだ?


 ………。


  

 彼女がいる限り、本を読む気にならない。



 ソファでくつろぎながら、上を仰ぐ。

 豪華に、優雅に。王様になったつもりで。

 それはそれは見事に、ぐーたらだ、ボーッとしておけば、何かを思いつく。

 

――ことはない。

 真っ白だ。何も思いつかない……こんな事してる場合ではない。


(外にでも行くか)


 いや、やめよう。

 まだ、グラスさんにろくな挨拶をしていない。

 それに、今扉を開け外に出たとしても、風がまた“次の物語”を連れてきそうな気がして。今はまだ、それを受け入れる準備が整っていない。

 

 ……。


 あぁ……なんだ。

 決められない。

 なんなんだ? 時間はまだある。

 朝早く起きたんだ、なのになぜこんなにも、何も思いつかない……。


 荷物の中に入れていた時計があれば、正確な時間がわかっただろう。

 だが、今はそんなものはない、ご丁寧に川にすべて流された。

 この聖閤堂にも、時計はあった………が、今はむやみに動きたくない。なにせ、眼の前には彼女がいる、にっこりと笑顔しかない。


(……まただ)


 また、微笑んだ。

 俺をよく見てる。


 無言。何も言葉を発さない、だれも何も話していない。

 それでも笑う、薄く、薄い目……透かすような……紅い目。

 柔らかくも、妙に“整いすぎている”。


 ………。


 “作られた笑顔”。

 客人に向けた笑顔だろう。

 けど――自然すぎる。崩れない。揺れない。


 人は普通、会話の中でもどこかに小さな乱れが生じる。俺もそうだ、グラスさんや、彼女に会ったときも、少し……ほんの少しの小さな乱れがあった。

 恥じらい、戸惑い、意識のズレ、とかな。だが彼女は――そのどれも見せていない。

 微動だにしていない。笑顔だけだ。

 人形のようだった。


 それか、感情を抑えるのが上手いのか。


 彼女の瞳は俺を見ていた。


(………うん)


 ついに俺は、ソファから身を起こした。 

 こうやって見つめ合ってると、気まずい。それに何も起こらない。

 こちらから、行ってやろう、一発ぶつける。


 その微笑みの理由を。


 カウンターに近づきながら、軽い調子で口を開いた。


「それは、サービスの笑顔ってやつか?」


 彼女は、ふっと目を丸くした。

 けれど、すぐにまた、あの笑みを浮かべる。


「いいえ。あなたが、少し緊張しているように見えたので」


 言葉の端には揺れはない。

 最初からそういうつもりで言うかのように。間も、視線も、淀みがない。

 それと、俺が緊張している?


「緊張はしていない」


 即答した。


「してない人は、わざわざ否定しません」

「ただ確認に応じただけだ」

「そうですか。では、“わたしは嘘をついてません”とわざわざ主張する人は、だいたい何か隠してると思いませんか?」

「“信じてない”だけの話だ」

「それなら……私は“信用されない前提”で笑っていますので、矛盾はありませんね」


 ――口が立つ。

 それも、天然ではない。確実に“狙っている”応酬だ。

 あくまで平坦に、だがどこか面白そうに。

 笑顔は揺れない。

 

 が、この瞬間、

 彼女が、ぱちんと軽く指を鳴らしたような声色で言った。

 

「あっ。お客様、なにもすることがないのでしたら、私が”おすすめ”しましょうか?」


 おすすめ?


 唐突だけれど、自然だった。

 彼女の表情は、「思いつきました!」。笑顔を崩さない女のおすすめ、なんだ?


「おすすめ?」


 とだけ返す。あくまで短く、そして引き出す。


「はい、おすすめです。この私、この聖閤堂の“公式案内係”でもありまして。お茶と掃除と笑顔の次に得意なのは、お節介です」

「……いらないお節介だ」


 鋭く切るように。

 けれど、彼女の表情は変わらなかった。


「ええ、そう仰る方にこそ、お節介が必要なんです」

「なん……」


 涼しい顔で即答する。揺れない声。

 むしろ、こっちが揺らされている気すらする。


 「では、お客様。とてもご退屈かと存じますので、いくつか“過ごし方”をご案内しても?」


 礼儀は外さず、相手の了承を取る体裁だけは忘れない。だが、もう彼女の中では「了承された」ことになっているのは明白だった。もう、好きに紹介してもらおう。

 一度聖閤堂全体を見たが、細かく見ては居ない。

 案内人自らおすすめ、を紹介してくれる……いい機会と考えよう。


「勝手にやってくれ」

「はい。ありがとうございます。ご許可をいただけたので、遠慮なく勝手にします」


 感謝と勝手とは、両立するものなのか――

 そんな言葉を胸に留めつつ、彼女の口が滑らかに動き出す。


「まずひとつ、読書。さっきご覧になっていた本棚ですが、あそこには魔導史、神話、地誌、それと恋愛指南書も少々、旅日記もあります。ジャンル豊富です――それと、人間関係に関する本も」

「選んでるのは誰だ?」

「八割型グラスさんです。もう一割は他の従業員、残りの一割が……私のささやかな毒です」


 毒、って言ってるじゃないか。

 人間関係? 今のところ、グラスさん以外は……いや、グラスさんと契約するんだ、それならば従業員と関わることになるだろう。当然彼女ともだ……。

 この毒で、人間関係のスキル本を習得しろと、そう言ってるのか?

 ……いや、考えるな。


「今は読む気にならない」

「そうですか……でしたら、屋上はどうでしょう」


 屋上?

 あぁ、三階建てだったな。


「風通しもよく、空が綺麗です。なにより、街全体を見渡せます」


 その言葉に、俺はわずかに眉をひそめた。


「嘘を言うな」

「えっと?」


 彼女の表情が一瞬――ほんの一瞬だけ揺れた。

 きれいに磨かれた硝子が、小石で叩かれたかのように。


「この建物が三階建てなのは見てわかる。造りも豪華で、上からの眺めが良いのは理解できる」


 俺は立ち上がり、リビングの窓をひとつ指差す。


「だが、ここは住宅街だ。ここより高い家も何件か見えた。三階で『街全体が見える』なんて話、ありえない。不可能だ」

 

 きっぱりと言いきった。

 街の構造はある程度頭に入れている。

 それに、ここへ来る道は住宅街の路地を通ってきた、覚えている。

 周りに、見渡しの良い塔なども、なかった。


「あ……なるほど」


 彼女は頷いた。

 揺れたものを即座に元に戻して、涼しい顔で、


「私の説明不足でした」

「説明不足、あの屋上になにかあるのか?」

「はい。そうですね……」


 彼女は言い淀んで、わずかに目を伏せた。

 沈黙を一つ。言葉を選ぶ時間――そして口にした。


「―――知る者ぞ知る、これが屋上の真価ですね」


 その口調は、まるで芝居でも打っているようだった。


 知る者か。


 隠し事が、いくらでもありそうだ。

 聖閤堂、やはりアトリスにこんな異質な店があるとはな。

 言葉は次から次へと、淀みなく出てくる、彼女は話を滑らかに進めていく。


「ほかには、台所で料理体験。味の保証はしませんけど、火は出ます。水も出ます。最悪煙も出ます」

「笑えない」

「笑わせようとしたんですけどね、“お客様を和ませたくて”」


 ここまで聞いたが、案外――“まとも”だった。

 案内としても、おもてなしとしても、普通だ。

 苦もない、聖閤堂について、より詳しくしれた。良い収穫だ。


 だが。

 一つ気になることがある。


 地下。

 そう、地下室の存在。

 

 グラスさんにも少しだけ紹介させてもらったが、中には入っていない。というよりも、頑丈そうに封じられていた。それに、物であからさまに隠されていた。

 完全に地下の存在を隠している、隠し事の一つ。


 案内人だろう。

 知ってるはずだ。

 

「一つ気になったことがある」

「なんでしょう、聖閤堂のことならなんでも答えられますよ」

「地下室のことについて、聞きたい」


 言った瞬間から空気が固まった。

 あのやわらかな空間から、わずかに温度が抜ける。

 俺も彼女も無言だ。だが、確実に俺の言葉は……何かに触れた。

 

 肌に針でも刺したような感覚。


(言うなと言われたわけじゃないが……これが“禁句”か)

 

 彼女の目が、微かに揺れる。

 ほんの僅か、けれど確実に。

 ゆっくり、彼女は答えた。

 

 すっと、声のトーンが、半音落ちていた。



「扉は閉ざされています、頑丈に施錠されています。ご安心ください。誰も入りませんし、誰も出てきません。ですから……たぶん安全です」


 あくまで冷静。

 あくまで穏やか。

 けれど、その言葉は確かに、忠告、警告だった。


(地下に……何がある?)


 俺は、それ以上は聞かなかった。

 彼女が言葉を濁したのではなく、俺があえて止めた。




「と……少し暗い空気になってしましましたね」


 彼女は、やや表情を和らげるようにして口を開いた。

 だが、さっきまでの空気を完全に打ち消すほどの“軽さ”ではない。


 俺は、ふっと目を伏せて言った。


「だが、話になった。案外いいことをしれた」


 正直、予想以上だった

 口先だけの案内人と思ってた。


「そう、ですか……それなら良かったです!」


「案内人としてお客様をもてなすことが私の仕事なので」

「もてなすか、便利な言葉だ」

「えぇ、便利です」


 切り返す。即答だった。


 目線だけで、ソファの位置を確認する。

 もう、戻っていい頃合いだ。


 彼女はそのタイミングを逃さず――告げた。


「もう少しで、グラス様がお戻りになるかと。……もう少し、御くつろぎください」


 変わらぬ笑み、崩れない。

 

 まるで仮面みたいだ。

 微笑みの仮面、それを被っている――いや、元から仮面。


 仮面を剥がそうとしても、元から仮面で造形されている。

 それが彼女という人間だと、ここにきてようやく理解する。


(だが、仮面の裏が空洞でない……)


 仮面の内側には、必ず何かがある。


 あるいは、彼女が“見透かそうとしている理由”

―――無関係ではないかもしれない。


 俺はゆっくりと、ソファへと戻った。

 革張りの背に体を預け、無言で天井を見上げる。

 ただ一言も発さず、じっと“沈んで”みせた。


 すると彼女は、タイミングをずらさず小さく呟いた。


「あら……」


 声が届いた。届いて、止まった。

 その声が、わずかにを含んでいたことを――。


 俺の中では答えが出ている。

 

 

……ここから先は、俺が自分で探るべきだ。



 

‐‐‐




「おはようさーん」


 その声が、リビングの静かな空気を裂いた。

 ソファに沈んでいた俺の意識が、わずかに浮上する。

 グラスさんが戻ってきた。


「おっ、ロベルト。起きてたか……って、なんだ? やけに、ここだけ静かだぞ……時空でも歪んだのか?」


 時空は簡単に歪まないだろう……。


 相変わらずの軽口に、俺は目をそむけただけで何も返さなかった。

 グラスはそんな反応を気にも留めず、片手に抱えた箱をテーブルに置き、ストレッチのように背中を伸ばす。ぐーん、と。今見ても、背が高いというのは、身だしなみに大きな影響を与える。


「ふぅ、朝から市場は戦場だったぜ。朝と昼は人が多い、虫みたいに群れて一向に収まらない。俺の靴を踏んだやつ、五人はいたぞ」


 そりゃ、ここはアトリスだ。

 世界中心の王国。市場も戦場になるほどの品が大量に取り寄せられている。世界各地の特産品まであるんだ。言ってしまえば、世界全体とつながりを持ってる。

 現在進行形で戦争中の――炎の国。


 そのせいで、ただでさえ国同士の繋がりが危うく、薄くなっている。


 だが、ここは違う。


 どこかで戦争が始まっても、この国だけは平気な顔でチーズを切り分けている。なんとも平和な国だし、それだけの権力、余裕があるといえる。


 だからこそ。


 だからこそ、市場の規模も尋常じゃない。

 チーズから始まって、砂漠の塩、極北の魚醤、彼方の薬草、なんでもござれ。鼻で息をすれば、奇妙な刺激の香辛料が肺を刺す。ちなみに、今俺が言ってるのは――食べ物に限定してるだけだ。

 市場は、食べ物以外にももっとある、一つの広い世界が形成されている。


「それで、なんとかお目当てのものは買えたんですか」

「あぁ、食材を、大変だったぜ」

「突破したんですね」

「まぁ、な──聖閤堂の知名度を盾に、なんとか突破した」


 聖閤堂というのは、有名らしい。

 この広い国での知名度は、村での有名人と違う、グラスさんは著名な人物だったのか。


「だがな……まさか、逆に注目集めちまって、更に人が群れる。宣伝じゃねぇ。買い物だぞ、朝の買い物!」


 ──そう。知名度は、盾にはなるが、時には的にもなる。群衆は虫のように──しかし獣のように──獲物を見つけるとすぐに向かってくる。


 前世のエンタメと同じだ。

 こんな昔の世界でも、有名人の扱いは変わらない。


「さてさて……」


 グラスは買い物品を、机に置く。片手で持てるが、袋は大きい。

 グラスは、少し買い物袋を整理しようとしていたが――彼女の存在に気づき、あっ、とした顔になった。俺と彼女を目線が行き来した。


「おっと、居たのか」

「おかえりなさいませ、グラスさん」


 静かに、けれど柔らかく、彼女が返した。

 グラスさんが帰ってきてからもずっとカウンターに立っていた。


「ロベルト。彼女は………、もう名前とか聞いたか?」

「話はしました、名前はまだです」

「そうか、それならちょうどいいな」


 グラスは肩を透かして薄く笑う。


「んん。さて、じゃあ紹介してやる」


 グラスの声に合わせて、彼女が動いた。

 箱から手を放し、くるりと体の向きを変える。

 その動作は柔らかく、静かに流れる水のようだった。

 


「ロベルト、こちら美人『セリタリッド』愛称は、セリータ。美しく、聖閤堂1のべっぴんさん。俺のところの秘書で、とても優秀。」

「褒めもそこまでに」

「それだけでなく、彼女は聖閤堂のすべてを知っている……お前はここで契約を交わしたんだ、彼女――セリ―タを敵に回さないほうが良い。舐めるのも禁止だ」

「グラスさん!」



 グラスさんの言葉に、セリタリッドさん――彼女の名前が明かされた。

 

 おしとやかで、静かで、美しい。

 その美しさは、花瓶の中に生けられた花ではなく、花瓶ごと呑み込む湖の底に咲く幻の花のよう。手が届かないどころか、手を伸ばしたら呑まれる。

 つややかな髪。見透かされているような瞳。声を聞かずとも、言葉を奪われる美。


 そんな彼女はセリータ。グラスの秘書である。


 セリタリッド、もといセリータさんは、少し照れくさそうにグラスさんの褒め攻めを断ち切った、ここまで褒め潰すとは。なかなか信頼サれているようだ。しかし、どこか気を使ってるよう振る舞っているように見える。


 が、今の彼女はグラスによる褒め言葉で疲れてる。

 

「セリータさん、ですね」


 声をかける俺に、彼女はふわりと、ほんのわずかに、花びらが落ちるよりも儚く頷いた。


「……ええ、セリータと呼んでくださって構いません。こちらこそ、お見知りおきを……それと、敬語はいりませんよロベルトさん」

「……そうか」


 それ以上、言う必要はなかった。

 言葉が多すぎれば、相手のペースに入る。

 それで、さっきはやられた。彼女の聖閤堂案内に乗せられていた。

 

「んん? いつの間にか仲良くなっている……?」


 グラスさんが、俺とセリータさん二人を見比べ、軽い口調で不思議そうに目線を移動サせている。

 あぁ、あなたが居ない間に、ひと悶着あった、彼女と。

 目線を送る。予想通り笑顔で返してきた。




「あともう一人、紹介したい人がいるんだが……あいにく留守だな」


 グラスさんは、言う。

 少し、言い方に含みがあり、無造作に置かれた言葉、壁にかけられた時計を見ながら、グラスさんはそういった。もう一人いるのか。

 

(もしや……廊下での物音の人物か?)


 黙って聞き続ける。


「まぁ、もう少したら帰ってくるだろう」

「部下ですか」

「まぁ、そうだな。とはいえ、年齢だけならお前とさほど変わらん。」


(俺と同じくらい……?)


 想像するのは簡単だ。だが……俺と同じくらいだと、18、17、16あたりというわけか。この聖閤堂には俺と歳の近い人が居るようだ。奇跡の偶然、めぐり合わせだな。

 

 想像する。

 まず………グラスという男の下で働く人物だ。

 

(働く人物で言えば――冷静沈着、几帳面、気配り上手、裏で全てを仕切る完璧秘書型……いや、それはセリータだ。被ってどうする)


 ならば、次の可能性……。


 器用なサポータータイプ?

 きっと今も買い物か何か、用事で出ているのだろう。

 


「じゃ、あとは……あー」


 そう言って、天井を見上げる。

 何もない天井を、何かがいるように見上げる。

 まるで次の話題が、天井から降ってくるのを待っているかのように、天井を見上げている。


(……いや、あるいは本当に、何かがそこから降ってきてもおかしくないのが、この“聖閤堂”って場所だろう)



「とりあえず、朝飯でも用意してやるか」


 と、グラスさんが軽く言う。

 その“とりあえず”が、まるで料理の一品目みたいに整ってる。

 

「ありがとうございます」

 

 自然に頭を下げた。


 起きてから何も食べていない、腹が減っていた。……人の家、それも契約先の店でご飯を奢ってもらうなど、俺にとっては度し難いことだ。

 だが……今回は特別だ、腹が減っていては、なにも成せない。

 

「セリータ、頼んだ。今回はいつもよりも腕をかけて、美味しく仕上げるぞ。君の朝飯は人を黙らせる美味さだ」

「ふふ………命じられるまでもありません」


 と、セリータさんは完璧な返しで応じる。

 

 朝食まで作ってくれるのか……。

 おもてなしが高級。


「待っててくれよ、ロベルト。美味しいの作るからさ」

「……はい」


 俺は再度、頭を下げた。


 

(……期待してしまっている自分に気づく)


 警戒心という名の鎧を着込んでいる俺。

 それが今、朝飯という名の魔法に少しずつほだされていく。


 だが――少しだけ、心地よい。


(……いや、そんな気持ちは後回しだ)

 


 カウンターの椅子へ歩を進めた、その時だった。



「――たっだいまーっ! テトラちゃん、いま戻ったよーっ!」



 甲高い声が聞こえた。



 玄関の扉が爆発音なしに開いたのが奇跡だった。

 それほどの勢いと、熱量と、ノリのデカさが押し寄せる、その一声だけで、今いる場所が、急激に暑くなった気がした。

 そんな声量を出した彼女が、今。

 俺が立ち止まっているカウンターの横、玄関の先にいる。

 

 テトラ。


 彼女の名前は、テトラ、というのか。


 俺の頭の中で、彼女の名前の語尾には「!」がつくことが決定した。

 テトラ! である。


(…………)


 反応する暇がなかった。

 心がまだ、帰ってきてない。


「やれやれ………騒がしいのが帰ってきた」


 グラスさんが、やたら静かに、そうつぶやく。

 そのテンションから、この光景は見慣れたものだと伺えた。俺はそれにが嵐に慣れた住人のように思えた。心底、気が重い。

 

 これが、グラスさんの“部下”。

 俺と同い年くらいの―――とても、とても“はっちゃけてる”女の子。

 

 頼れる人。

 サポーター、どれにも該当しない。

 まるで予想外な人物が、聖閤堂で会った””の人物だった。



 元気いっぱい。


 声がでかい。


 動きが激しい。


 会話のテンポがとりとめない。


 そしてたぶん、ちょっとだけ――バカっぽい。


 いや、バカと決まったわけではない、ただ、横から見える彼女のその姿、元気な声量を出す彼女を見て、最初に思った。

 馬鹿みたいだ。

 落ち着きのないバカ、ノリだけで生きている。


 あまりに熱量が高い人を見ると、疲れる、頭に疲労がたまる。

 性格上、テトラという嵐は、俺を荒らすこととなるだろう。現に、その竜巻は、こちらを捉えている―――目を丸くして俺を捉えた。


「ん? あら?」

「………」


 なにか、普段とは見たことのないものに気づいたときに発する、上色。その爛漫な目、妙に瞳孔開き気味な視線は俺に集中している、これは……

―――好奇心だ。


 彼女の瞳の奥には、遠慮が一切なかった。

 そして、宣言するように、言った。


「えーっと……………誰っ!?」


 

 そのセリフを言うと思った。

 

 

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