第七話 『目隠れ少女は引っ込み思案』
*プロローグの続きです
かつてプロゲーミングチーム『Determination』のオーバーストライク部門に所属していた元プロゲーマー・アレンは、自身のチーティング疑惑を晴らすべくゼタスケール・オンラインを起動したところデスゲームに巻き込まれ、ついでに設定ミスのせいで幼女になった。
そして、混乱の幕開けからニ週間ほどが経った。
アレンの想像通り<和平の会>を始めとする主要ギルドによる狩り場の占領は進み、あぶれた人々のうちいくらかは、夜な夜な迷路のような街を徘徊しては無防備な転移者を襲うPKと身を落としていた。
しかし羊を追う狩人こそ、自身が獲物に成り変わる可能性を案じるべきである。
「……幸い、無事みたいだな。間に合ったようでなによりだ」
今宵も夜空は無数の星々に飾られる。初めて本当の意味で人を撃ったあの場所と似た——迷路めいたこの街ではこうした地形があまりに多い——薄暗い路地で、今まさに三人のPKを排除したアレンは、奥で壁のそばにへたり込む少女の安全を確認し、安堵の息をついた。
レベルアップを知らせるウィンドウを閉じ、アレンは少女のそばへ近寄る。彼女は腰が抜けてしまったのか、立とうともせずどこか呆然とアレンを見つめていた。
「立てるか? もう大丈夫だ」
「は……はい」
手を貸してやると、ゆっくりと立ち上がる。その背の高さにアレンは驚いた。
(……いや、俺が小さいのかっ)
ニ週間も経てばおおかたロリボディにも慣れてきたアレンだったが、時たまこうした意識のズレはある。
少女は高校生程度の年齢と見受けられ、ある種アレンとは対照的なよく育った体躯をしていた。率直に言えば、つるぺたのアレンとは違い、胸も大きく体つきに女性的な丸みを帯びているということだ。
改めて見れば身長も、成人男性である元のアレンに比べれば低いが、女性にしてみればやはり高い方ではあった。
しかしそんな存在感を主張する肉体とは裏腹に、猫背気味の背筋といい、片目を隠す長い前髪といい、どこか気弱な雰囲気が隠しきれていない。
「怪我はないか——って、ここじゃ怪我なんてしないんだったな。HPは削れてないか?」
「だ、大丈夫です。え、えと、助けていただいて、ありがとうございます。あなたは……」
「俺はアレン。こんなナリだが、ハタチの男だ」
「え……えっ? 男の人? で、でも、キメラは大体リアルとおんなじアバターになるって」
「そうみたいだな。だが俺は運営に嫌われでもしてるのか、こんなんになっちまった。まあ、運営なんてのがあるのかもわかんないけど」
本来、キメラにおける肉体は現実のそれとおおむね相似する。
Archeはフルフェイス型なので、頭や顔の形を把握するためのセンサーが搭載されてある。そこから体格なども推測しているのではないか、と言われていた。
ただやはり誤差は生じるようで、完璧に同じ体にはならない。また、目や髪の色も変わるほか、肌の傷やほくろなんかも消える。
そして当然ながら、アレンのように性別ごと変わって著しくちっこくなるのは例外だ。悪いのは運営に該当するあの白髪の少女ではなく、おっちょこちょいなアレンの方だったが。
「そんなことが……。アレンさんは何者なんですか? ぴ、PKの人たちをあんなに簡単に倒すなんて……すごいです」
「俺はFPSの元プロゲーマーだ。今はPKK、プレイヤーキラーキラーってのをやってる」
「プレイヤーキラーキラー——。悪い人たちを倒す、正義の味方ってこと、ですか?」
「正義の味方? いいや、そんなんじゃない。俺は自分の名を売るためにやってんだ。事情があってな」
チーティングの汚名。すべてはその返上のため。
少女ははぐらかされたと感じたのか、首を小さくかしげた。
「——俺のことはいい。それよりも君、こんな時間に外に出るのは感心しないぞ。ニ週間も経ったんだ、知ってるだろ? 人気のない場所はPKたちが潜んでいる」
「そ、それは……」
なにか、事情があるようだった。
アレンにしてみれば、対策もなく独りでこんなところをほっつき歩くなど自殺志願以外の何者でもない。事実、アレンが毎夜の『活動』でたまさか通らなければ、彼女はほぼ間違いなくゲームオーバーの奈落へ突き落とされていただろう。あるいはその前に、豊満な体を穢されながら。
「まったく、なにがあったか知らないが無防備にもほどがある。ボーナスウェポンを出していないところを見るに、大した抵抗もできなかったんじゃないか? これに懲りたら、今後は——」
「……なんだか、年下の子に叱られてるみたいで不思議な気分」
「——あぁ!?」
「ぴえっ、ご、ごめんなさいっ、つい!」
気の弱い割に失礼な女だった。
アレンはわたわたと頭を下げる少女の、その頭の上に視線を移す。
この距離であればID表示がされるはず——
そこには、短く『Mikan』と白文字が浮かんでいた。
「Mikan……ミカン?」
「あ、え、えと。本名なんです。稲美蜜柑って言います、わたし。あ、改めてありがとうございました」
簡単に本名を教えてしまうところもまた、無防備ではあったが、それよりも。
「ふ……ふふ。今どき、本名でゲームって。く、ふふ」
「え、あ……! わ、笑わないでください! いいんですよっ、本当の名前だって気づかれにくいですから!」
「だからって本名そのまま……今どき小学生でもしないっての。くっ、ははは! ヤバいっ、なんかツボに入ったかも」
腹を抑えて笑い続けるアレンに、ミカンは顔を赤くして抗議する。
既に二十一世紀も半ばを過ぎようとしているこの時代、アレンやミカンはデジタルネイティブの第三世代に該当する。通常、本名を晒してインターネットに身を投じることは中々しない。
「はー、久々に笑った気がする。それで、どういう理由があれば、夜にこんな危なそうな場所をほっつき歩くんだ? 一応訊いておくが、自暴自棄とかじゃないんだよな?」
今やこのキメラの夜において、比較的治安が良いのはせいぜい町の南側……<和平の会>のギルドハウスを中心とする一部くらいだ。
ギルドマスターのレーヴンを始めとして、メンバーたちが自警団的に見回りをしてくれている。
だが、町は広い。おまけにひどく複雑な造りをしている。
ギルド機能におけるメンバーの上限はギルドマスターを含めてわずか三十、目が行き届くはずもなかった。
「自暴自棄……。もちろん、そんなつもりじゃないです。なかった、です……けど」
「けど?」
「…………今にして思うと、そうだったのかもしれません。どうにでもなれ、って気持ちがまったくなかったわけじゃない、のかも」
「おいおい」
思わずアレンはうめいた。身を投げ出すには、まだまだミカンはうら若い。
「確かにいきなりこんなわけのわからない世界に放り込まれて、平静でいられないのはわかる。だけど望みだけは捨てちゃだめだろ。どうあれ、俺たちはまだこうして生きてるんだから」
「はい……その通りです。ごめんなさい……っ」
「また子どもに叱られたって思ったか? あ?」
「お、思ってないです……すいません……根に持たないでください……」
路地に留まれば、また別のPKに襲われかねない。二人で出口へ向かいながらも、ミカンはぽつぽつと事情を話し始めた。
「わたし、『アイテム屋』を探してたんです」
「アイテム屋? ……NPCのショップのことか? そんなのどこにでもあるだろ」
「い、いえ、そうじゃなくて……知りませんか? 店売りのよりずっと性能のいいアイテムや装備を売ってる、女性の転移者がいるそうなんですよ」
「転移者がショップのまねごとをしてるってのか? そうか……転移者同士でSPやアイテムのやり取りができる以上、そういうのもできるわけか。順応が早いというか、なんというか」
商売でSPを稼ぐ。それはアレンにはまったく考えのなかった方法だった。
それでうまくいくのであれば、モンスターや同じ転移者相手に戦う必要もない。もっとも、言うほど簡単なことではないだろうが。
「なんでもアイテム同士を合成するユニークスキルを持ってるそうで」
「へえ。どこに店を出してるんだ? 言われると俺も気になってきた」
「それが、定住してないみたいです。神出鬼没の商人……だとかなんとか。連絡手段もなくって」
「……。そんなの本当にいるのか? ガセネタなんじゃ」
「う……わ、わたしも薄々そう感じてはいたんですけど……」
ミカンも今となっては半信半疑らしかった。
「不確かな情報にすがってこんなところを彷徨うくらい追い詰められてたってことか。なにがあったんだ?」
「わ……わたし、自分を変えたくて。わたし、こんなですから……引っ込み思案で気が弱くって、おまけに怖がりで……実はそのせいでギルドも追放されたんです」
「追放?」
「はい……<アーミン>っていう、わたし含めてたった四人のパーティ規模のところだったんですけれど。初期のころに、広場で独りきりだったわたしを拾ってくれて」
歩きながら、ミカンは小さくはにかむ。大切な脆い宝物にそっと触れるような、優しい口調だった。
拾ってもらった恩義というならば、アレンにも理解はできる。<Determination>で過ごした日々はどれも大切な思い出だったし、チームから受けたたくさんのサポートには感謝をしてもしきれない。
だからこそ降って湧いたチート疑惑を晴らすことができず、大会への出場が取り消しになったことで、結果的にチームへの恩を仇で返す形になってしまったのは、アレンにとって今なお強く残る悔いでもあった。
「ただ、一週間くらいしたところで、わたしは<アーミン>に必要ないと言われてしまって……ギルドマスターの権限で、除名になってしまったんです。それが悔しくて……わたし……」
「一方的に追い出されたのか? ひどいな、それは」
境遇はまた違うのだろうが、アレンにとってはいささかシンパシーを感じる話でもあった。
だが、ミカンはふるふると力なく首を振る。
「わたしが悪いんです。わたし、ボーナスウェポンがこれですから、前に出て壁役をしなくちゃいけなかったのに」
すっ、とミカンが指先で虚空をなぞる。ウィンドウを操作し、彼女の手に現れたのは分厚く巨大な銀色の盾だった。
人間ひとり匿えそうな、両手用の大盾。
「盾のボーナスウェポンか。……いやこれのどこが武器なんだよ」
「その辺けっこうテキトーみたいです」
「そうなんだ……」
「はい、それで、タンク役にならなきゃいけないってわかってたんですけど、どうしてもモンスターが怖くって……命が懸かってるって思うと余計に足がすくんでしまって」
再びウィンドウを操作し、ふっ、と盾がインベントリへ消える。
当時のことを思い返しているのか、ミカンはひどく落ち込んだ表情だった。