第六話 『偽りなき証明』
「ぁ——」
振り抜かれる鉈。インベントリの虚空より取り出されたボーナスウェポンの刃が、アレンの肩口を斬り裂いた。
「——ぁああああああああああッ!?」
現実であれば血管から勢いよく血が吹き出ているところだろう。だがキメラの世界において、外傷のすべてはHPへのダメージとして変換される。皮膚はおろか服にさえ傷はつかず、代わりにアレンはHPの七割を失った。
「うっ、ぁ——痛ぅッ」
「きみが……きみが悪いんだ。きみが悪いんだ! お、大人を騙そうとしやがって……! 素直にSPを渡していればよかったんだ!!」
外傷はダメージへと変換される。しかし、痛みまではなくならない。
アレンは傷ひとつ付いてはいない肩を押さえ、鮮烈な激痛に後ずさる。痛みが神経を蹂躙する。血液が今まさにどくどくと流れ出ていっているような錯覚さえ覚える。
(痛いっ……斬られた? あれは、鉈? いきなり斬りかかってきた……殺される?)
苦痛が混乱を助長する。突然に舞い込んできた明朗な『死』の気配に脳が支配される。
あるいはアレンはここで、初めて実感したのだ。
不思議な町。幼女になった体。いかにもゲーム的なシステム。そういった要素で覆い隠されていたが——
ここが、あの白髪の少女の言う通り、『デスゲーム』だということを。
「ふーっ、ふー……きみが……嘘なんかつくから悪いんだ。SPを出さないから……SPがないと……! うわああぁぁぁっ!!」
「——! 待っ……!」
ほとんど錯乱の体で、荒々しく男は鉈を振りかぶる。
アレンのHPは残り三割程度。直撃すれば死。視界の端に浮かぶHPバーの残量から、そのことをアレンは否が応でも読み取った。
殺される。望みを果たせず、ここで無様に死に果てる——
——死にたくない。
まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。
混じりけのない、これ以上なく純粋な生への渇望。それが無意識にアレンの肉体を動かした。
「……『キングスレイヤー』」
震える唇がかすかにその名を紡ぐ。右手に現れる黄金の拳銃。
それを構え、狙いをつけ、引き金を絞る——それらの動作もまた、特別な意識は必要なかった。
すべては経験が操作する。
FPSプレイヤーとして、プロとして、すべてを賭して注いできた時間が、皮肉なほどに完璧なエイミングを実現させた。
「あっ」
声を出したのはどちらだったのか。
パンッ、という鋭くも呆気ない銃声。
直後に男は、虚ろな表情で崩れ落ちた。
「え……ぁ……大丈夫、か?」
自身もまた死の淵から数歩分しか離れてはいないことを忘れ、アレンはかすかな硝煙を銃口から漂わせる銃を手にしたまま、男に近づく。
オーバーストライクのプロゲーマーは、基本的に頭しか狙わない。
ヘッドショットはダメージが高い。そのため頭を狙う。当然の帰結。
だからここでも、無心の弾丸は頭蓋を貫いていた。
ショックで気を失ったのか、地面に横たわる男は虚ろな表情で、開いた目も焦点が合っていない。
「どうすれば……ええと、救急車……は来るはずないし」
殺されかかった身だが、かといってこの場に放置するのも憚られた。
どうしたものかとアレンが考えかけた時、なにか、光るものが視界に映った。
目を向けると、それは男の手足の先から生じていた。光の粒。さらによく見れば、今まさに男の体の末端がそれらに変換されている最中だった。
「……え?」
男はゲームオーバーになっていた。
HPはヘッドショットでゼロになった。アレンの手によって。
「ちょ、ちょっと待てよ、これ……っ」
慌てて粒をつかもうとするが、不思議なその光は手をすり抜け、空気に溶けるようにして消えていってしまう。そうしてアレンがうろたえているうちに男の体はすべてが光の粒へと変換され、消えてしまった。
その場にはなにも残らない。
装備していたボーナスウェポンの鉈も。衣類も。血痕も残さず、そこに男性がいたという証はなんら存在しなくなった。
——レベルが2になりました。
「……あ?」
代わりとばかりに、アレンの視界に妙なウィンドウがポップアップする。
レベルアップだ。その影響でHPが最大値にまで回復する。レベルアップによって最大値が10上昇したので、最大HPは110となる。
さらに2しかなかったはずのSPまでもが、いつの間にか658にまで上昇していた。
なんで、どうして——
(Strafe。半日でSPを三倍近くにまで増やす、隠された方法……)
その時、アレンはこのデスゲームの悪辣さに気が付いた。
——『補足:SPは戦闘によって増やせるよ! 詳しくはヘルプをチェックだ!><』
キメラに来てすぐ表示されたウィンドウには、そう書かれていた。
SPは戦闘によって増やせる。
それはなにも、モンスター相手に限った話ではなかった。
対人。他の転移者を殺すことでも、SPと経験値を得ることができるのだ。
だからたった今、男を撃ち殺したことでレベルが上がり、おそらくは彼が保有していたのであろう656SPが加算された——
「——なら、俺は……俺が、撃ったせいで、死んだ」
システムが嘘を許さない。その機序が、意図の有無にかかわらず、アレンがした行動の結果を見せつけてきている。
「俺が、殺した……俺は……人殺し——俺のせいで、俺が————」
咄嗟だったとはいえ、人を殺した。ゲームオーバーの死に追いやった。
ゲームでいつもしているのと同じ動作。しかし、ゲームの中とはわけが違う。
アレンが殺した。人を撃って殺した。命を奪い取って、永遠に戻らなくした。
「——う、ぷ……っ、げぇ、ぇ」
忌避感がそのまま強烈な嘔吐感となって、胃の中からこみ上げてくる。
抗う余地もなくアレンはその場に吐いた。
胃の中は空っぽだったので、ツンとした胃液だけが地面を汚した。さっきまで男が倒れていた位置だ。
「はあ……はあ、ぅ、ぐぶっ」
内容物などなにもないのに、胃は痙攣を続け、再度の吐き気に襲われる。
そんなことをしばらく繰り返すと、ようやく嘔吐は止まってくれた。
だが嫌悪感は止まない。この手で人を殺したという事実が、アレンの中の倫理観とあまりに相容れない。
けれど。
それと同時に……呼吸を落ち着かせていると、ひとつ。
別のことを思った。
(転移者を殺すことでも……SPが加算される、なら……)
きっと、この世界はすぐに混沌に陥る。
説明によれば、100万SPに到達するとゲームはクリアになる。
ゲームをクリアすれば、元の世界に戻れる——仮にそう想定しても。
現実へ帰れるのは、デスゲームに参加する転移者全員だろうか? それとも、達成した個人のみだろうか?
後者であればあまりに悪意に満ちすぎているが、確定していない以上、この先100万SPを目指すプレイヤーは複数現れる。誰かひとりにSPを委ねようとはしない。
そして。他者を殺してSPを丸々奪い取れるのなら、それはモンスターを狩るよりもよほど手っ取り早い金策だ。現実だって、法がないなら地道に労働なんてせず、金持ちを殴り殺して有り金をかっさらう方がずっと効率がいいに決まっている。
(俺は……なんのためにアルケーを起動した? 決まってる。チートを使っていないと、みんなに証明するためだ。俺はFPSのために生きてきて、それだけが俺のすべてなんだから)
天上に瞬く星明かり。いずれ一日目の夜が明け、星は空の青に隠れ、二日目のキメラが始まる。
PKは増えるだろう。
SPは通貨だ。ゲームクリアという大層な目標を抱かずとも、ただ生活をするためという名目だけで他の人間を襲う理由にはこと足りる。さっきの男も、おそらく先の生活のことを考えて不安に駆られ、アレンを襲ったのだと思われた。
ならば——
「この願いは……人を殺すに足るものだ」
人を殺そう。
PKKになればいい。
ギルドには入れなかったけれど。そうすれば、実力を知らしめることはできるだろう。
アレンは袖で乱暴に口元を拭うと、ゆっくりと立ち上がる。
ゼタスケール・オンラインを起動した目的自体は、この悪辣なデスゲームの中であっても、特段果たせないということもないのだ。
その目的のためならすべてを捧げられる。倫理さえ。
なぜならアレンはずっとそうしてきた。初めてFPSを始めた14の時から、その魔力に魅入られ、あらゆるものを火に焚べてきた。
勉学を、友人を、恋人を、健全な青春を、健常な多くの経験を。可能性の枝葉を。
そうしてたくさんのものを捨て去って、アレンは——彼のいた<Determination>はまだ日本一には届かなかった。
ならば、次こそは。
そのために。再びFPSのプロプレイヤーとしてカムバックするべく。
この身には、もはや、それ以外になにも残されてはいないのだから。
「今度こそ俺は、俺自身を証明する」
人知れず夜の中で、黄金色の怪物が産声を上げた。
踵を返し、その場を後にする。
初日が終わる。幕を開けた継ぎ接ぎの舞台の、最初の夜が更けていく。
路地を出るアレンの決意に満ちた足取りを、六万と五千の星明かりが蔑むように見下ろしていた。
序章 了
第一章『黎明を喚ぶもの』 へ続く
*ご愛読ありがとうございます。ここからようやく本格的にストーリーが幕を開けます。
もし少しでも面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価、感想などどれか一つでもいただけると非常に励みになります!