第三十三話 『朱に交われど』
「ハッ、それよりもいいのかよ? オレのポータルの前に突っ立ったままで!」
「うわッ!?」
マグナはおもむろに、オレンジのポータルに向けてスナイパーライフルを発砲する。弾丸は彼が先ほど通った、アレンのそばの青い渦から射出された。
ポータルを経由した射撃。事前の設置次第では死角でさえ狙撃範囲とする恐ろしきスキルの転用に、アレンは戦慄する。
弾丸は脇腹に突き刺さり、HPがさらに六割削れた。
痛みに顔を歪ませながらも、アレンは再び、先と同じように室内へ転がり込んで退避する。それから最後のカズラのポーションを飲み干し、なんとかHPを回復した。
「お腹がたぷたぷだ……!」
これで二本目。しかも動いてすぐにビン一杯の液体を飲み干すのは普通に苦しいものがあった。ゲームでありながら現実感を備えたこの世界では、ポーションも無尽蔵に飲み干せるものではない。胃袋の内容量という限界がある。
若干の嘔吐感を噛み殺しつつ、ドア横の壁を背に、どうやって攻めるか作戦を練り直す。
しかし勝利を確信できる手立ては簡単には浮かばない。マグナの戦術は完璧に近かった。遠距離での狙撃、距離を詰められればポータルで退避。シンプルゆえに隙がない。
(こちらも戦術で対抗するのは無理だ。……なら、ゴリ押ししかないか)
そう、もとより、確実な勝利など望める相手などではない。
相手は有象無象の転移者とは格が違う。いちFPSタイトルの話ではあるが、日本一位の座に手が届きかけた熟練の狙撃手なのだ。そのゲームセンスは常人のそれではない。
つまり同格。ならば、時には——
分がいいのか悪いのかさえ不明なギャンブルに命運を託す決意をアレンがした時、星明かりの廊下の先から宿敵は感情をむき出しにする。
「アレン、テメェが悪いんだぜ。そりゃあオレはお前を陥れたが、お前の才能は買ってんだ。『鷹の眼』は本物だよ。オレたちが組めば、<和平の会>だろうが<リターニー>だろうが敵じゃねェ——ってのに。誘いを断ったのはテメェだぞ」
「今さら……勧誘し直すつもりか? 無駄だ。俺はお前なんかには従わない。平気で人を殺して……<デタミネーション>のみんなを裏切った、お前にだけは!」
「いいや、もう諦めたよ。アレン、どこまでもテメェは甘ったれだ! プレイヤーキラーキラー? なんだそりゃあ。ふざけるのも大概にしろ!」
アレンはなぜか、そこでマグナがスコープから顔を離したとわかった。
「オレの言いてえことがわかるか? オレはこの世界を楽しんでる。『クリムゾン』に『二色領域の支配者』……これは最高の力だ。ボーナスウェポンとユニークスキル、それにプロゲーマーとしての腕前が組み合わさった時点で、オレたちには支配者になる資格がある。なのに——なのに!」
それは勧誘でも説得でも、ましてや謝罪でもなく。
歪んだ彼がその歪みを自覚した上で行う、アレンに対する糾弾だった。
「テメェは、プレイヤーキラーだけを選んで殺した。なんのつもりだ……!? 善人気取り? 違うな、テメェは確かに言った。証明のためだと!」
「ああ……! 俺は証明する、自分の実力を! マグナ、あんたのせいで地に落とされた名誉を取り戻すんだ!」
「で、その上に手段まで選ぶのか? 実力を証明するだけなら、プレイヤーキラー相手じゃなくたっていいだろうが」
「——。あ?」
「そういうところが……中途半端だって言ってんだよ。男の意識に女の体。自分のために人を殺すくせに、相手はプレイヤーキラー。どれもこれも半端、半端、半端なんだよアレン! なにもかも振り切れちゃいない! 今のテメェはどっち付かずの半端野郎だ!!」
口汚く罵るマグナの言葉を否定するべく、反射的にアレンは口を開く。だが、乾いた舌はどんな弁明もしようとはしなかった。
実力を証明するだけなら、プレイヤーキラー相手じゃなくたっていい。その通りだ。目につく転移者、乱立するギルドを片っ端から潰すほうが、ずっと端的に実力を証明できる。
それをしない時点で、アレンは倫理を捨てきれていなかった。火に焚べたとばかり思っていた是非の境界線は、確かにアレンの中に引かれたままだった。
「あァ、最初は笑えたさ。実力を証明するだなんて言いながら、手段を選び、相手を選び、善悪を選んだテメェの間抜けさは。だが……もう笑えねェ。ムカつくんだよ、その目が。オレと同じで人殺しを楽しんでるくせに、自分は違うとでも言いたげな……自分を棚に上げてオレを非難するその碧い目が!!」
「人殺しを楽しんでる? 俺が? 見たこともないのに、勝手なことを……!」
「楽しんでねェわけねェだろうが! オレたちはFPSのプロゲーマーだ、それも一流の! あらゆる時間を画面の中に費やしてきた——それは、だいいちに楽しいからだろうが!? FPSが楽しいからこの高みへ昇ってきた……そんなやつが、この現実と寸分たがわねえゲーム世界で人を撃つのが楽しくないわけがねェ!!」
FPSを好み、プロになるまで極めてきたような人種が、戦闘を楽しまないわけがない。そう豪語する。
確かにマグナは、この世界でアレンがプレイヤーキラーキラーとして行ってきた所業を直接見たことはない。けれど——同じチームに所属して、アレンというゲームプレイヤーと何度も肩を並べて戦った。
だからこその。<Determination>のArenを知るからこその、信頼にも似た、決して揺るがぬ確信がマグナの言葉には満ちていた。
「俺は……」
それを前に、偽ることなどできようか。
プロゲーマーとしてのアレンを陥れ、ジークや他の転移者を殺し、キメラの支配を目論む大悪だろうとも。
その男は確かに、同じ目標に向けて努力し、ともに苦難を乗り越えてきたチームメイトだったのだから。
「……ああ。そうだな。あんたの言う通りだよ。俺はずっと、戦いを楽しんでいた。この世界の戦闘は、これまでのどのFPSにもないリアリティがある。特有の駆け引きもある。面白いよ」
目を背けていた事実を、アレンは認めざるを得なかった。
ゲームの中で銃を手に戦うのは、楽しい。FPSをこうも楽しんできた人間が、このキメラでの戦いを楽しいと思わないはずがない。
死というスリルさえ、危険な高揚を湧き起こす。
その昏い悦楽に気づかないふりをしていた。
甘ったれと罵ったマグナは正しい。
倫理も善悪も、初めて人を殺したあの夜に捨てた——はずだったのに。
捨てたはずのものは、まだアレンの中に根を張っていた。それらは容易に放り投げられるようなものではなかった。だからアレンは、プレイヤーキラーのみに的を絞ったし、命をかけた戦いを楽しんでいるなどとは自覚しないよう自ら目を背けてきた。
だが、それを認める。
事ここに至り、これ以上見ないふりはできない。
「……? なんだ、あっさり認めるじゃねェか。半端野郎のくせに……」
「心のどこかに、相手を打ち負かすことに悦びを感じる自分がいる。これはFPSプレイヤーとしてのサガだ……ああ、俺とあんたは、きっとそう離れちゃいない。もとより同類なんだ。けど——」
この願いは、人を殺すに足るものだ。
路地で嘔吐をしながらも思った、あのときの昏い感情を思い出す。
あの瞬間は確かに、倫理も善悪も踏みにじるのだと決意した。だが、これ以上なく研ぎ澄まされたと思っていた決意は、その実なまくらもいいところだった。
鉄のような心への至らなさと、人撃ちに快楽を覚える自らの一面を自覚した今なら、あの感情をより研ぎ上げられるだろうか。より混じりけのない、自身の証明のためだけに動ける機械のような人間になれるだろうか。
けれど。
「——でも、俺はそっちには行かない。仮に人を撃つことを楽しんでいようと、それ自体を目的にはしないし、ことさらに主張したりしない。同類であっても……マグナ。あんたとまったく同じには、絶対にならない」
「……あ? なんでだよ。なんでだよッ! 認めるんだろ!? オレと同類だって! その通りだろうが、FPSのプロなんざみんなそうだ! 目的も力もあるのに、テメェはなんでオレと同じ道に来ない!!」
「俺のことをさ、いい人だって言うやつがいるんだ」
「——、あぁ!?」
なんの話かわからない、と吠えるマグナ。
「俺もあんたも同じ穴のムジナだ。だけど、俺がそうなると悲しむやつがいるんだよ。それだけで俺は、たとえ中途半端だと言われようが、今のあり方を曲げようとは思わない」
人を撃つことに快楽を覚える自分に目をそむけ、善良さも捨てきることができず、プレイヤーキラーキラーというどっち付かずの立ち位置で孤立したアレン。
そんなアレンを、ミカンは『いい人』だなんて間違ったことを言った。純粋な顔で、一片の疑いも持たないかのように。
彼女はアレンの善性を信じていた。
ならば、それを間違いにしてはならない。ミカンがアレンを『いい人』だと言ったのなら、アレンはその形容を決して嘘にしてはいけない。
それが彼女の信頼に応える、唯一の方法なのだから。




