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第二話 『波乱の幕開け』

「ねえ、気分はどう?」

「——。あっ?」


 気がつくとアレンは、少女に問いかけられていた。

 少女……そう、少女だ。アレンの目の前にいる。

 ほかには、なにもなかった。本当になにも。その空間にはただ空間だけがあるのみで、なんの着色もない真っ白な床も壁も天井も、なにも置かれずなにも掛けられずなにも下がっていない。

 そんな、八平方メートルほどの白い一室に、いつの間にかアレンはいた。少女とともに。

 

(なんだ……この違和感?)


 真っ先におかしな感覚を覚える。

 それは、前後の記憶が曖昧だとか、妙な場所にいるだとか、そういったことではなく。目の前の少女に対して覚えた気がした。

 少女の外見は確かに異常とも呼べた。背は低く、意匠に乏しい黒色のドレスと、その生地に映える真っ白な髪、そしてガラス玉じみた金色の瞳。

 作り物めいている。瞳だけでなく、顔全体、ひいては(からだ)全体が。そう思ってしまうほど少女の造形は完璧で、いっそ精巧な人形とでも言われたほうがしっくりくるほどだったが、声音もかすかに揺れる肉体の所作も、アレンの目には人間のそれと同じにしか映らなかった。


「あなたの名前はAren。今、視界の端に転移者(プレイヤー)IDが出ているはず」

「え? アレンって……そいつは別に、本名ってわけじゃ……ID?」


 言われてからアレンは、自身の視界に妙なモノが映り込んでいることに気づく。

 プレイヤーIDに、初期値である1のレベルに、緑色のHPバー、それからレベルと同じく初期値である1000のSP。

 アレンは思わず、視界から引き剥がそうとそっぽを向く。けれどUIユーザーインターフェースのそれらは視線の動きに完璧に追従し、目を閉じない限りは消えてなくならない。


「ふふっ。そんなに首を振ったってムダ。なくなったりしないんだから。本名がどうであれ、今のあなたはAren。識別子はそれ以外にありえない」


 動転するアレンを、白い髪の少女がくすくすと可愛らしく笑う。

 その様子を見て、アレンは今さらのように、当初の違和感の正体に思い至った。


「目線が……低い? それに声も……なん、だ?」


 背が低いはずの少女の、その頭が、自分の頭とそう変わらない位置にある。

 気づいてしまえば、声もなんだか高かったし、腕も脚も細かったし、髪は肩より下にまで伸びている上に染めてもないはずがムラのまったくない金髪になっていた。

 アレンは一瞬、夢か、それとも自分の気が狂ってしまったのかと考えたが、自分が『ゼタスケール・オンライン』を起動したことを辛うじて思い出した。


「ゲームの中……だとでも?」

「わぁ、理解が早い。さすがだね、うんうん」

「バカな。いくらなんでも現代の技術じゃあ、こんな風に意識まで取り込むなんて不可能だ!」

「本当に? あなたはこの分野に詳しいの? 機械にも人の脳にも?」

「それは——、っ」


 二の句を継げられない。当然だ、FPSゲームに人生を注いできたアレンにとって勉強なんてものは二の次三の次で、VR技術にも脳科学にも精通していない。

 詳しいのはFPSゲームだけだ。どう動けばエリアを取れるか、どう撃てば一方的に撃ち勝てるか、どう判断を下せば情報を活かせるか。そういったことだけ。


「実際に身に起きている以上、『できるはずがない』なんてムダだって思わない? ワタシはムダが嫌い。あなたはひょっとしてそうじゃない?」

「……お前が俺を呼んだのか? ここへ」

「そう。興味が向いてきたみたいで嬉しい。でもあなただけじゃないんだよ? たくさんの人をここへ呼んでる。そして、あなたと同じように、ワタシと会ってお話するの。あなたたちは駒だから」

「駒?」

「例えだよ。ワタシの作る盤面に配置される駒。巨視的に動かすのはワタシかもしれないけれど、微視的に動くのはあなたたち。それが大事なの」


 理解できるような、できないような。

 少女の物言いは迂遠で、どこか機械と話しているようなわかりづらさがあった。

 見た目は小さな子どもでも、その精神は幼さとは無縁だ。そう警戒するアレンに、見透かしたような態度で少女は指を鳴らした。

 すると、魔法のように、真っ白な空間に大きな姿見が現れた。

 その鏡面に映る自分を自分であると理解するのに、アレンは時間にして三秒ほどの猶予を要した。


「これが……俺だって言うのか!?」

「うーん。元のあなたを知らないけれど、なんだかとってもかわいくなっちゃったみたいね」


 映っていたのは、ある意味でそばの白髪の少女とも似通った雰囲気の、幼い顔立ちの少女。緩いウェーブの金髪に、大きな瞳は碧色で、肌は陶器のようにくすみひとつない。

 アレンはこの世に生まれておぎゃーと泣いた瞬間からまごうことなき男性だったが、今、その肉体は完全に女性の、それも十歳そこそこの未熟な形になってしまっていた。

 目を疑うか、それとも精神を疑いたくなる出来事だったが、ここがゲームの中だと言うのならそれも認めるほかない。なにせ、『できるはずがない』がここでは無意味な主張だと諭されたばかりなのだから。


「なんのつもりだ、俺をこんな幼い少女にして……!」

「ん……いや、それはこっちも予想外っていうか、たぶん手違いがあったのはそっちだと思うんだけど……」

「……は?」


 Arche(アルケー)のアカウント設定で間違えて女性を選択したせいなのは明らかだった。


「まあいいや。データを見るに、これはこれでうまく働くみたいだし。怪我の功名、って言うんだよね、こういうの。よかったじゃない」

「よかった? なにがだよ……お前は俺になにをさせたいんだ。まさか、このなにもない部屋でお前と話を続けるだけか? それが終われば、俺をこのゼタスケール・オンラインから出してくれるのか?」

「どうやらひとつ、勘違いをしているみたいね。あなたがいるのはゼタスケール・オンラインじゃない」

「なに? 俺は確かに、あのゲームを起動したはずだ。それで……そうだ、アルケーのディスプレイに変な文字が出てきて……」

「そうね。でも、させないの。だって、ゼタスケール・オンラインを遊ぶプレイヤーはみんな、ワタシの領域に引きずり込んだんだから。そしてあなたたちには、あんなゲームじゃなく、ワタシの造るゲームで遊んでもらう」


 名も知らぬ白髪の少女は、姿見のそばをぽてぽてと離れて歩きながら、どこか嗜虐的ともとれる笑みに唇を歪める。


「生存を懸けた、継ぎ接ぎ世界のデスゲームで」

「デスゲーム……!? つまり、敗者は」

「うん、物わかりがよくって助かるね。その通り、敗者は死ぬ。意識が消えてなくなっちゃう。それでこそ、生の感情が見られるってものじゃない?」

「ふざけるな! 俺はそんなことをするためにゼタスケール・オンラインを……アルケーを起動したわけじゃない!」

「拒否できると思ってる? まさかだよね。もう、意識をここに引きずり込まれてるっていうのに」


 白髪の少女の言う通りだ。既にアレンはこの空間に意識を囚われ、ゲームの中に閉じ込められている。

 逃げることも、断ることもできはしない。


「じゃあ、そういうわけだから。街へ送るね」

「待て……おい! お前の目的はなんだ、デスゲーム? もっと詳しく……」

「ああ、一応必要な情報はヘルプで確認できるようにしてあるから。がんばってよ、Aren。あなたには特に期待してるんだから」

「待て、おいっ」


 白髪の少女へ向けて手を伸ばす。しかし、その指先が触れる直前、周囲の景色が一変する。


「——っ!?」


 白い空間を抜け出し、アレンは雑踏の中にいた。

 困惑が重なり合ったようなざわめきが、波となってアレンを呑み込む。

 周囲には人だかり。そこは石畳の敷き詰められた広場で、周囲には迷路を思わせる非合理的かつ複雑な街路が続く、奇妙な中世風の街並みが広がっていた。


「一体なにが起きてるんだ!?」

「さっきの子どもはどこに行ったんだ!? あの白い髪の……妙な子どもは!」

「メ、メニューにログアウトがないぞ! どうなってる、デスゲームなんて冗談だろ!? 出せよ、おい!」

「どうなってるの? 誰か、誰か説明してよ! さっきの女の子は!?」

「わっ、私っ、夜からアルバイトなんだけど……」

「そんなこと言ってる場合か! このままだと、おれたちはここから出られないかも——」


 今の背の低いアレンには、周りにどれだけの人間がいるのか検討もつかない。だが少なくとも、百人だとか二百人だとか、そういった規模ではないように感じた。

 そして周りの誰もが混乱していて、言葉の端々から察するに、彼ら彼女らもまたアレンと同じくさっきの白い空間で白髪の少女と会っている。


(あの空間では、間違いなく二人きりだったはずだが……)


——だって、ゼタスケール・オンラインを遊ぶプレイヤーはみんな、ワタシの領域に引きずり込んだんだから。

 白髪の少女の言葉を思い出す。

 まさか——同じようにArche、そして『ゼタスケール・オンライン』を起動したユーザーのすべてが、こうして彼女の言う『デスゲーム』に引きずり込まれたのだろうか。


(だとすれば……)


 Archeは注目の最新型ハードだ。脳波操作のこともあり、画期的な仕組みで話題にはこと欠かない。

 また、ゼタスケール・オンラインもローンチタイトルの中では一、ニを争う注目作と言っていい。その開発規模から、発売前から相当の期待が寄せられ、アレンのようにこれを目当てに本体ごと購入するゲーマーは数多かったろう。


(……数十万人は、いるんじゃないのか?)


 思わず背筋を戦慄が走り抜ける。

 だが、それはあくまで膨らみすぎた概算に過ぎない。

 プレイする気があったとしても、購入者のすべてがその日その時すぐにゲームを起動するわけではない。加えてゲームハードにおいては三十年ほど前から大きく取り沙汰され今なお続く問題として——ゲーム機に限った話ではないが——転売によって利益を得ようとする輩が殺到する。

 実際にこの広場にいるのは、購入した人間のせいぜい二から三割といったところだろう。それでも、相当な人数であることは疑いようもなかったが。


「そんな、じゃあ一生このままってこと!?」

「いや……そんなのいや! 助けて、誰か! 出してよ! いやぁ————っ!」

「っ、騒ぐな! うるさいんだよ!!」

「お前こそデカい声出すなっ、密集してて狭いんだから!」

「なんだと!?」


 平常心を失っている時、人の心はいともたやすく恐怖と焦燥に支配され、たちの悪いことにそれらは周囲へ伝染する。

 混乱が次第に熱を帯び、波は渦となって民衆を巻き込んでいく。

 集団がパニックに陥るのは時間の問題だった。


「うげっ……押すな、ちょっと……っ」


 今や小学生程度の体躯になってしまったアレンは、周囲の人の視界に入りづらく、その渦の中では小石でしかない。ヒートアップする人の壁に押され、阻まれ、もみくちゃにされる。

 万が一転倒でもすれば、踏みつけられて本当に死ぬかもしれない。

 最悪の想像がアレンの脳裏をかすめた時。

 その場の数万人、全員の視界に、一枚のウィンドウが現れた。


「うわっ?」

「なんだ?」

「なにか書いて……」


 半透明の矩形領域。そこにはこう、わずか二行ほどの文章が書かれていた。


『ゲームクリア条件:転移者(プレイヤー)一名の1000000SP到達』

『補足:SPは戦闘によって増やせるよ! 詳しくはヘルプをチェックだ!><』

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