第二十五話 『箱庭世界の長い夜』
宿に戻ってからも、アレンはどことなく優れない気分で、ベッドに座って窓の外を見るともなしに眺めていた。
陽もいよいよ沈みきろうとしている。継ぎ接ぎ世界の一日がまた終わる。
人目を避けるような場所にある宿なので、眺望は効かず、入り組んだ街の迷路のような一部分がオレンジ色に呑み込まれているのを垣間見る。
「ア、アレンさん、入ってもいいですか?」
「……ミカン?」
ドアの外からの声に、アレンは意識を窓の外から引き戻された。
夕食にはまだ早い。一体どうしたと言うのだろう。
とにかく断る理由もなかったので、中へ入るよう促す。ミカンはどこか緊張した面持ちで部屋に踏み入り、他人の家で遠慮して中々座らない人みたいなそわそわした感じを出し始めた。
面白かったのでアレンは、自身はベッドに座ったまま、立ちんぼのミカンにそのまま話しかける。
「どうしたんだ? もうお腹が空いたのか?」
「わ、わたしそんな食いしん坊じゃないです……。そうじゃなくて、その。アレンさんが……」
「俺?」
「……元気がなさそうに見えた、から。昨日から色んなことがあって……わたしもまだ、整理が付いてないです。でもアレンさんはなんだか、わたしよりずっと思い悩んでいるように見えて」
ためらいがちな瞳に、アレンを案じる心情がありありと浮かんでいる。
アレンとて自分が悩んでいることはわかっている。
だが、その悩みが具体的にどういった形をしているのか。輪郭を掴み取ることがどうにもできなかった。
だからアレンは、胸中のあいまいさをそのまま吐き出すほかない。
「俺にも……よくわからないんだ。ジークが死んで、<アーミン>がバラバラになったのは俺のせいで——マグナさんは俺を中途半端だと罵った。その通りなのかもしれない」
境界線の上にいる。
そんな気がする。その状態を、振り切らない意志を中途半端だと形容するのは間違いではない。
「中途半端……? アレンさんが、ですか?」
「ミカンはそう思わないのか?」
「は、はい。そんなことを思ったことは一度も……。あっ、あの、わたしが思うに、アレンさんは責任を感じすぎなんじゃないですか? レーヴンさんも言ってたじゃないですか。アレンさんのおかげで救われた人だってたくさんいますよ」
「その前提が……っ! いや——ごめん。ただ俺は……」
思わず大きな声が出そうになり、アレンは自省した。ここでミカンに怒鳴るような真似をしても、ただの醜い八つ当たりだ。
悩みの輪郭はまだ見えず。無意識に頭を抱えるようにうつむくアレンに、ミカンは一歩近づく。
その声音は柔らかく、どこまでもアレンを労る優しさに満ちていた。
「わたし、さっき通りでマツさんとハーベストさんに会ってから、ずっと考えてたんです。どうしてジークさんとフラクチャさんだけ、離れ離れにならなきゃいけないんだろう、って」
「……! 俺も、だ。俺も……同じ兄妹で、似た境遇だったのに、どうしてって。ずっと」
「やっぱり、そうだったんですね」
マツとハーベストは助かった。一時はPKに手を染めかけたものの、ギルドの助けもあり、兄妹で力を合わせて生活をやり直すことに成功できた。
ジークとフラクチャは死に別れた。ギルドマスターの死亡によって<アーミン>は消失し、フラクチャとノマは心に消えない傷を負った。
双方とも、転移者を襲う加害者としての側面を持っていた。
しかしそれは、環境に強いられてのことだ。
——ここは、そもそも全員が生活のサイクルを回せるようにはできていない。
ジークの言葉が蘇り、アレンは胸に痛みを覚える。
レーヴンはアレンのことを正義だと言った。プレイヤーキラーキラーは、悪を裁いたのだと。
けれど——SPの不足に喘ぎ、苦渋の選択でPKになった転移者たちは悪人なのだろうか?
「わたしは、誰も悪くないと思います。誰かのせいで、なにかのせいで望まない殺人に手を染めて……そうすることを強いられて不幸になるなんて、間違ってるのは環境の方です!」
「ミカン……ああ、そうかもな。プレイヤーキラーの多くは、自分からそうなりたいと思ってたわけじゃない。SPがなくて……人から奪うしかなかったんだ」
「はい。わたしは、だから——もうジークさんたちのような人が、不幸に見舞われることのないようにしたいです。これ以上、誰の頭上にも悲劇の降りかからないようにしたいんです」
成長を思わせる毅然さで、凛としてミカンは言う。
今のアレンとは対照的に、ミカンの中に迷いは消えていた。かつては怯懦の背後に隠れていた正義感が表出し、その意志はアレンがまぶしさを覚えそうなほどに輝きを放っている。
だが性根までは変わらないのか、言い終えてすぐ彼女はいつもの引っ込み思案な雰囲気を取り戻し、羞恥に頬を赤く染めた。
「ご、ごめんなさい。アレンさんを元気づけたいって思ってたのに、なんだか自分のことばかり話しちゃって」
「いや……感心した。やっぱりミカンは成長したよ」
「そ、そうでしょうか? えへ、えへへ……」
——もう、俺の手なんて必要ないほどに。
アレンは改めてミカンの成長を意識する。<アーミン>のギルドハウスで感じた通り、今やミカンは『誰かを守れる強さがほしい』という目的を果たしている。
「アレンさんやジークさんたちにそう言ってもらえて、わたし、すっごく嬉しいです。わたしはリアルでも臆病で……人と話すのも苦手で……」
「学校でも友達少なそうだよな」
「い、言わないでくださいっ。確かに少ないですけどぉ……! でも、そんな自分を少しでも変えられたんだって思うと誇らしくて。だから——」
「ああ。だから——」
もはや、アレンがそばにいる理由もない。
この後に続く言葉をアレンは想像し、胸に寂しさを覚えながらも、なんとか笑って送り出そうと決める。
「——これからもいっしょにいてください。今度はわたしが、アレンさんのことを助ける番です」
「——俺はもう……えっ?」
想像と違う言葉に、アレンは丸い目をもっと丸くする。
そんなアレンを見て、ミカンはくすりと笑った。
「アレンさんならきっと大丈夫です。アレンさんがなにに苦しんでるのか、わたしには全部はわかりませんけれど……独りになんてしませんから。わたしはアレンさんを信じてます。たとえ、アレンさんが自分のことを信じられなくとも」
「どうして……! 俺は、俺はっ、ジークを助けられなかった——いや、そもそも誰かを助けるつもりなんて、本来なかったはずなのに。ミカンのことだって俺はたまたまで……!」
「だって」
混乱しかかるアレンの肩に、伸ばされた手が触れる。
「アレンさんは、いい人じゃないですか」
「————」
親愛に満ちた微笑みに、呼吸を忘れた。
レーヴンは正義だと称し。マグナは偽善だと蔑み。ミカンはいい人だと、無条件の信頼を預けた。
どれが本当の自分なのだろうか? 自身の証明のみを一途に追いかけてきたはずのアレンは、道を見失い、自分自身がわからなくなっていた。
しかし、夜闇の中で空を見上げ、北極星の輝きによって導かれた古い時代の旅人のように。長い前髪に隠れたためらいがちな瞳に、アレンは自分が信じるべき光を見出した気がした。
*
陽が落ちれば、アレンたちはそろって宿の食堂でNPCの老婆が作る夕食を摂り、各々の部屋に戻る。
就寝の挨拶は交わした。
けれど、そのまますぐにベッドに入るわけではない。
「ふぃー……一日の疲れが溶けてく……」
浴室にて。磁器製の真っ白いバスタブに浸かると、アレンの口からため息が漏れた。
全身の筋肉が弛緩し、ほぐれていく。力を抜くと、細い体は温かな湯の中にたゆたうようだった。
猫脚のついたそのバスタブは特別大きいものではなかったが、アレンが今となっては子どもサイズだ。こんなところでも小さくなった体が役立ち、両足を伸ばして湯に浸かれる。隣室のミカンはこうはいかないだろう。
「一日の終わりに入浴……。やっぱ日本人はこうでなくっちゃあな」
全室に風呂場が完備された宿。
キメラでは、そう珍しくもなかった。
(どう考えても……世界観的に、水道もガスも通ってなさそうだけども……!)
中世を思わせる街並みとは裏腹に、毎晩お風呂に入れるとは妙なところでホスピタリティが高い。
実際のところ、キメラのこの町はまるきり中世というわけでもないのだ。
様々なゲームの継ぎ接ぎ……それが転移者たちにこの世界がキメラと呼ばれる理由であり、基本的には中世の後期寄りの雰囲気なのだが、どこのゲームから引っ張ってきたのか稀に現代的な建物が混じったりもしている。
軒を連ねるレンガや石造りの建物の中に、ゲームセンターを見つけた時はさしものアレンもずっこけそうになった。外から見た限り、流石に稼働はしていないようだったが。
ともかく、どういう理屈で湯が出ているかまったくの謎ではあったが、風呂好きの日本人としてはありがたい。しょせんはゲームの世界、なんでもアリということだろう。
(ま……風呂に入れるってんなら、入らない理由もない。ただ……)
何気なく視線を落とす。
見下ろした自身の一糸まとわぬ肉体は、筋肉がなく起伏にも乏しい、まさしく成長途中の形をしていた。
「風呂のたびに実感するなぁ……なんで本当、こんなことになったんだか」
幼女そのものになった肉体に、最初の頃は入浴の際も複雑な心境だった。自分の体とはいえ、なんとなく直視するのが憚られた時期だ。
しかし人間慣れるもので、もうそういったこともなくなった。長い髪も湯船につかないよう、頭の上で団子にまとめてある。
「……視線の低さにも、歩幅の小ささにも、声の高さにも、髪の長さにも慣れた。それでも、俺は俺だ」
なにが変わろうとも、変わらないものもある。
お湯に浸かって体を休めながら、アレンはさっきのミカンとの対話を思い出す。
いい人。
それはレーヴンの言う社会性を帯びた正義とは、また違うものだ。
ではミカンが評した『いい人』こそが、アレンの本質なのか?
(それも……どうだろう)
顔の下半分まで沈め、ぶくぶくやりながら黙考する。
もう少しで、煩雑なものが整頓され、考えがまとまりそうな気がしていた。
変わらないものもある。
アレンの場合、それは言うまでもなく。
FPSの世界で結果を残すことは、アレンにとって自己証明に等しい。チート疑惑を払拭するのは、命の懸かったデスゲームの中であろうとも最優先事項だ。
だから、それ以外を切り捨てると決めた。初日の夜に、あの路地で。
だが結果としてアレンは、マグナの言う通り——
——ビィィィィィィィィッッ!!
「わああああああぁぁぁぁっ!?」
突如鳴り響いたブザーのような音によって、アレンの思考は千々に砕け散った。
思わずざばんと湯船から立ち上がり、周囲を見渡す。だが風呂場のどこにも異常は見当たらない。
音源は、すぐ目の前にあった。なにもない空中に。
「これ、は……?」
見覚えのある矩形領域。
この世界に転移した時と同じで、半透明のメッセージウィンドウが浮かぶ。
『襲撃イベント発生:南北から侵攻するモンスターたちを食い止めろ』
『補足:ボスの超大型モンスター討伐報酬はなんと1000SP! ><』
町を襲うモンスターたちの侵攻、それは悪い冗談のように、なんの前触れもなく幕を開け——
「……だからなんなんだよ、この顔文字は……!」
——はるかな黎明を望むまでの、長い夜が始まった。




