第二十四話 『夕暮れの惑い』
「…………正義?」
その二文字があまりに予想も付かないものだったので、アレンは思わず聞き返した。
ひょっとすると、聞き間違いではないかとまで思った。
だが違った。レーヴンは爽やかな微笑で「そうとも」とうなずき、アレンの疑問には気が付いていないように見える。
「思えば、アレンと落ち着いて話すのはこれが初めてだ。だけど私は、PKを裁くPKKの噂を聞いてからずっと気になっていたんだよ。初日のあの広場で会った日に、無理をしてでも<和平の会>に引き込むべきだったと後悔までした」
「え? アレンさんって、レーヴンさんと以前にも会ったことがあるんですか……?」
「ああ、転移して最初の日に、色んなギルドが立ち上がってたタイミングでな。でもあの時には既に<和平の会>は上限の三十人に達していて、俺を入れる余裕はなかったんだろ」
「そうだな。けれど、そのあとアレンがチーター呼ばわりされながら広場を去って、さらにPKKとして活動するのを耳にして、惜しい人を去らせたと心底悔やんださ。<和平の会>が付近の街の見回りをしているのは知っているか?」
「そりゃあ、まあ……」
<和平の会>は、自ら夜間の見回りを買って出ている。もちろん広大かつ複雑なキメラの町全域をカバーはできないが、このギルドハウスを中心に、周辺の治安をかなり高く保つことができていた。
「観測できる範囲での話だが、最近は明らかにPKの数が減っている」
「……<和平の会>のおかげじゃないのか? 見回りの成果が出たんだろ」
「それも少しはあるかもしれないな。でも一番はやっぱり、プレイヤーキラーキラーの存在だ。アレンの噂はそれほど広まっている。だからこそ<アーミン>の件も君に頼んだんだ。居場所はわからなかったから、売り込みに来たアイテム屋の情報網を使ったけど」
複雑なキメラの町だ。人探しも簡単ではなく、通話機能は同じギルドに属する者同士でなければ使用できない。
むしろそういった条件下において、アレンの居場所を特定できたカズラの手腕は相当なものだ。
「アレンさんっ、それっていいことじゃありませんか? アレンさんの念願だった、チート疑惑の払拭も叶ったんじゃ?」
チート疑惑の払拭。実力の証明。
プレイヤーキラーキラーとしてプレイヤーキラーを畏怖させ、その数を減らしたアレンは、充分かはわからないが、おおむねその目的を果たせたのではないだろうか?
ミカンは我がことのように喜び、アレンの手を取る。
しかしアレンの表情は優れなかった。
「……ああ」
「アレン、さん?」
「いや。そうだな、いいことだ。少なくともキメラの転移者に……チーター呼ばわりをされることは、ずいぶん減ったのかもしれない」
願望の成就に近づいたはずの自分が、どうして素直に喜べないのか、アレン自身もよくわからなかった。
ただ、頭の中ではまだあの声がする。
中途半端だと。甘ったれたガキだと、アレンを嘲る声が。
「ジークという男のことは助けられなかったかもしれない。しかし君は、多くの転移者を救ったんだ! 悪を裁き、その発生を抑止したプレイヤーキラーキラー……これを正義を呼ばずなんと呼ぶ!」
どこか興奮した様子のレーヴン。その言葉を聞くたびに、アレンの心は対照的に冷めていく。
アレンの活動を正義と称するのなら、それは間違いでもないのかもしれない。
アレンのおかげでPKの数が減ったのであれば、それによって助かった転移者もいるだろう。
未然に被害を救うことができた。
しかし一方で。止められない被害も、あった。
(——そもそも)
正義。悪。証明。反響するマグナの声。
様々なものが頭の中でごちゃつき、形成された分厚い混沌が思考の前に横たわる。
(俺は、正義のために人を殺したのか?)
アレンはふと、最初に撃った男の顔を思い出した。額を撃ち抜いて殺した相手だ。
呪うように目を見開いて。虚ろな表情のまま消えていった、名も知らぬ男。
目を閉じれば、今も彼の憎しみがそばにあるようで……正義を謳うレーヴンの話はそれ以降、どうしてもアレンの耳には入らなかった。
*
レーヴンも多忙な身であるため、会合は早々に切り上げられ、アレンたちは帰路の街中を歩いていた。
<和平の会>ギルドハウスの付近であるため、通りを行き交う転移者は多い。治安のよさから、<和平の会>のギルドメンバーでなくともこの辺りに根を張るのが人気なのだった。
もっともそのせいで、近くのNPCが運営する宿はどれも満室だそうだが——
ならばと、ギルドハウスに寝泊まりする者もいる。それができれば宿代が浮くため、ギルドに所属する大きなメリットとなるが、<アーミン>のような少人数ギルドならともかく、通常はギルドメンバーの全員の寝床を確保できる規模のギルドハウスはそうない。
「——あれ? あんたは」
陽が傾き始め、空の彼方がにわかに橙色の侵食を受ける頃。
やはり会話も乏しく、帰路を足早に進んでいたアレンたちは、何者かに呼び掛けられた。今しがたすれ違った二人組のようだ。ぼんやりしていたせいで、どんな相手とすれ違ったのかアレンはまったく覚えていない。ミカンも驚いているのを見るに同じだろう。
現状ギルドに未所属のアレンたちに知り合いは多くない。人通りの多い道とはいえ、顔見知りと会う可能性は低いはず。
けれど、唐突な声に振り返ってみれば、そこに立っていた男女は確かに知己の相手だった。
「……マツ?」
「ハーベストもいるよっ」
話しかけてきたのは、アレンよりやや年下——言うまでもなく現実世界の肉体基準である——らしき短髪の男。
そして、その隣からひょこりと顔をだすのは、オレンジの髪をしたミディアムヘアの少女だ。
マツにハーベスト。一昨日アレンたちを襲ってきた、PKに手を染めかけていた兄妹の姿だった。
(本名は確か……田宮松葉に、若葉だったか)
妹を守るために、自身のボーナスウェポンさえ金に換えた兄。
仲睦まじき彼らが凶行に及ぼうとしたことを、アレンはとうに許している。その動機がよこしまなものではなく、生活苦に迫られての望まぬ行動だったと理解しているためだ。
そして一日半ぶりに見た兄妹の姿は、あの夜は両名にへばりついていた焦燥が剥がれきり、地に足の付いた落ち着きを印象させた。
「奇遇だな、プレイヤーキラーキラーに盾の嬢ちゃん。やっぱあんたらもこの辺の宿を取ってるのか?」
「いや……そういうわけじゃないが」
「そっか? まあ、あんたらならキメラのどこでもやっていけるか……。おれたちが広めるまでもなく、プレイヤーキラーキラーの話は想像以上に噂になってるみたいだし。手を出したって返り討ちに遭うだけだろうな、おれたちみたいに。はは」
「お兄ちゃん、それあんまり笑えないよー。でもビックリしたね、ギルドでもけっこー知ってる人多かったよ、PKKのアレンさんのこと!」
ハーベストはとりわけ、以前のあの夜よりも表情豊かに話していた。
おそらくはこちらが素なのだろう。年相応の快活さを取り戻すことができたようで、アレンは陰鬱とした心が少し洗われたような心地になる。
一方、ミカンは小首を傾げると、やや屈んでハーベストに視線を合わせた。
「ギルド? あっ、あの……どこかのギルドに入れてもらうことができたんですか?」
「あっ、そーそー、そうなの! <切断同盟>って言うんだけど、昨日、兄妹で入れてもらえるギルドがないか改めて色んなところを回ってみたら、二つ返事で了承してくれたのっ」
「わぁっ。よかったじゃないですか、ハーベストさん!」
「えへへ……ありがとね。おっきなお姉ちゃん」
「うん。あ、アレンさんのことはちっちゃなお姉ちゃんって呼んじゃダメですよ。怒って銃抜いちゃいますから」
「わかったー!」
「抜くかバカ」
しかし先日カズラにキングスレイヤーを抜き、あまつさえ引き金に指をかけようとした前科があったため、ミカンはジトっとした微妙な眼差しでアレンを凝視する。
なんとなく言いたいことを察したため、アレンは意図的に顔をそらして無視した。
「にしても<切断同盟>ってのは……なんだ、その。物騒すぎないか? PKギルドじゃないだろうな」
「ははっ、もうPKはコリゴリだよ。相互扶助、団員互助がモットーの健全なギルドさ。ギルドマスターも口は悪いがいい人で、ここ二日だけで色々助けてもらった。おかげで寝食にも困る生活は抜け出せそうだ」
「そいつはなによりだが。そんなにいいギルドなのに、よくギルドメンバーの枠に空きがあったな? しかも二人も」
「ああ、ギルドの名前がおっかないせいで人が集まらないらしい」
「実害出てんのかよ、<切断同盟>……」
少なくともネーミングに関しては一考の余地がありそうだった。
けれどもメニューにギルドの名称を設定し直すコマンドなどなく、昨今のゲームのように金を支払うことで再設定できるアイテムが買えるわけでもなかったので、もはやどうすることもできまい。
どういった経緯からそのような名前を付けたのか。聞く機会に恵まれる幸運をアレンは祈った。
「とにかく、こうして順調な再スタートを切れたのも全部あんたのおかげだ。もらったSPもいずれ返すよ、重ね重ねありがとう」
「ありがとー、強いお姉ちゃん。……お兄ちゃんなんだっけ?」
改めて頭を下げるマツ。遅れてハーベストも、ぺこりと可愛らしく兄に倣う。
「いや、俺は」
その感謝を素直に受け取れず、アレンはまごついた。
兄妹がその後無事に過ごせていたことは嬉しい。またプレイヤーキラーになってしまわないかと、密かに気を揉んでいたところもある。
だがしかし、マツとハーベストの兄妹が幸福への一歩を踏み出すほどに——
その一歩を踏み出せなかった兄妹との違いはどこにあったのか、と。余計なことを考えてしまう。
「アレンさん……」
心が揺れるプレイヤーキラーキラーを見つめる、髪に隠れない片目の心配げな視線にさえ、余裕を欠いた彼は気が付かなかった。




