第十九話 『錯覚の代償』
(回避は……できる。動くのが間に合わずとも、俺にはとっておきの技がある。ちと痛いのが難点だが)
落とされるギロチンも同義の、今まさに振り下ろされんとする死の刃を前に、アレンはまだ思考を続けていた。
それどころか、選択肢を吟味してさえいた。
回避手段は存在する。前へ飛び込もうが後ろに下がろうが横へ跳ぼうが避けられるはずはなかったが、それでもアレンの中には手段が一つ存在した。
そして、それを取らないと決めた。
なぜなら——鷹の目が見出す勝機とは、この甲冑の息の根を止めることではないからだ。
「——来いよジーク!」
「……槍!?」
「あれは、アタシの……!」
アレンはキングスレイヤーを持つのとは逆の手に、銛のような長い柄を持つ、一本の槍を出現させた。
『スティンガー』。ノマのボーナスウェポンだ。さっき奪ったそれを、インベントリから取り出した。
ジークの表情にわずかな困惑が浮かぶも、巨剣は既に止められず、アレンの頭蓋を割り砕かんと振り下ろされる。それをアレンはスティンガーの柄で受けた。
「ぐうっ」
ボーナスウェポンは耐久値を持たない。よってスティンガーがその無謀極まる防御によって粉砕されることはなかったが、今の少女の肉体となったアレンにジークの一撃を受け止めきれるはずもない。
さながら路傍に捨てられたビニール袋が強風に吹かれるように、アレンも吹き飛ばされてしまいそうだったが、なんとか衝撃をいなす形で踏みとどまる。代わりにスティンガーはアレンの手の内から完全に弾かれ、壁の方にまで飛んでいった。その軌跡をノマは愛犬が走り去るのを眺めていくような目で追った。
「う——おおおおぉぉっ!」
「まさか……! 君は、おれの『バルムンク』をも奪うつもりか!」
弾かれた槍には目もくれず、アレンは新たな獲物へと手を伸ばす。
ジークの巨剣。次の一撃が来る前に、それをまたしてもインベントリに収納する無刀取りによって奪い取る——
だが、ジークは目論見を軽々に暴くと、先に自身の手から剣を消失させた。
「そんな邪道は本来成功するものではない! ましてや、一度見せていれば!」
それはノマが果たせなかった、インベントリ無刀取りの防御術。先に自らインベントリに収納することで、相手に奪われるのを防ぐ。
これによりアレンの目論見は頓挫した。後は、ジークが再びバルムンクを取り出し、アレンの細い体へ叩き込めば戦いは終わる。
「——そう来ると思ったよ」
「……!?」
そこまでがアレンの想定するジークの思考だった。
アレンの目的は無刀取りではない。手を伸ばしたのは、そう思わせるための誘導だ。
ジークが再びインベントリを操作するよりも早く、アレンは氷の床を踏み切り、飛び込んだ。硬く厚い甲冑の——その、金属板に覆われる胸に向かって。
「でりゃあ——っ!」
板金鎧の重心は高い。そのため転倒しやすくなってしまうのが難点であり、中世の戦場ではまず転ばせ、関節や兜の隙間からナイフを差し入れる対策が取られたとされている。
懸念があるとすれば、アレン自身のサイズ。
今の、第二次性徴を迎えて間もない程度の小さくか弱い体になってしまったアレンに、ジークを押し倒すことができるのか。それが叶わなければアレンの目指す勝利はない。
そびえる巨大な、厚く頑丈な石の壁を押す心持ちで、アレンは小さな体に出せる力のすべてを使ってぶつかった。
「え、うわっ」
結果——壁は確かに揺れ、完全に不意を突かれたジークは、飛び込んできたアレンもろとも後方へ激しく転倒する。
ひょっとすると、それはか弱い今のアレンだったからこそ通用したのかもしれない。HPにダメージを与えかねない衝撃でぶつかれば、攻撃と判定され、『赫怒冠帯』の効果によってバランスを崩すこともなかった可能性があった。
息をつく間もなくアレンはマウントポジションを取ると、急いでキングスレイヤーをブレイクオープンさせる。ポップコーンよろしく飛び出た空薬莢たちが、組み敷く西洋甲冑とぶつかってキンッ、キンと金属音を奏でる。
(——再装填!)
手の内に現れる六発の弾薬。
急ぐアレンは現れたうち初弾の一発だけを弾倉に叩き入れ、残りはすべてその場へ捨てる。そして乱暴な手つきで銃身を戻すと、ぐっと銃口を目の前の男へ突きつけた。
「俺の……勝ちだ!」
間近に迫る銃口に、ジークは嘆くでも恐怖するでもなく、ただ意外そうな顔をした。
状況を正しく認識していないかのような。
細い肩を激しく上下させながら、呼吸を整えるアレン。小さな体になり、スタミナもそれ相応になった。それでもなんとか、こうして制圧に完了した。
完了した?
正しく状況を理解できていないのは、ジークではなく——
「まさかとは思うが。馬乗りになったくらいで……おれを抑えたつもりか?」
「え?」
今のアレンの肉体年齢はせいぜいが11歳程度。自明ながら、体が小さくなれば減るのは体力だけではない。
重さ。体重もまた、大きく減少して然るべきだ。
11歳女子の平均体重は約40kg、しかし細身のアレンはそれより5キロは軽いだろう。
そしてプレートアーマーがちょうど、鎧のみで30から40kgと言ったところ。
つまりジークは今、甲冑を身にまとうその上に、さらにもう一領の鎧を乗せられているに等しく——たかがその程度であれば、強引に跳ね除けることは十分に可能だった。
「アレンさん!!」
「わっ、しまっ——」
マウントポジションなど関係がない。力で強引に身を起こすジークに、馬乗りになっていたアレンは振り落とされ、氷の床に強く尻もちをついた。
知らずのうちに、まだ男の体でいる時の感覚でものを考えてしまったのか。
錯覚の代償は重い。
再びジークの姿を捉えようと、地面に座り込んだ姿勢のまま顔を上げるアレンの碧眼に、今度こそ避けられない軌道で振り下ろされる巨剣の刃がまばゆく映った。
(……ミカン、ごめん)
刹那、アレンの脳裏によぎったのは、すべてを賭して挑む証明が半ばで途絶えた落胆の感情でも、どれもが鮮烈で苦難に満ちた、しかし充実した大切なプロゲーマー時代の思い出でもなく。
数日をともにした、放っておけない少女のことばかりだったことが、アレン自身でも不思議でならなかった。
HPという名の命を刈り取る、死の刃が加減なく振り抜かれる。
「……!」
避けられないはずのその刃は、アレンには届かなかった。
アレンは、敵から目をそらすことなどしない。戦場でそれはなんのメリットももたらさないから。
だからアレンは、振り下ろされた剣が自身に届かなかった要因——横合いからジークとアレンの間に割って入った青髪の少女の存在に、すぐさま気がついた。
「フラクチャ。なぜ邪魔をする……!」
フラクチャは、アレンを庇ったのだ。
ジークのバルムンクを背で受けるように、二者の間に滑り込んだ。結果的にジークはすんでのところで腕を止め、妹の背中を斬ることはなかったが……。
(なんて覚悟だ。俺を庇って斬られても承知の上……そういう目だ、これは。そりゃあこのキメラなら、受けても即死ってことはないかもしれないが……)
青く澄んだ目には、当初の消極的な雰囲気が嘘のように、確固たる意志が宿っていた。
フラクチャは青い髪をなびかせながら、くるりとジークの方を振り向く。
「この人は、私たちを殺しにきたわけじゃありません」
「なに?」
「その気があれば、さっきゼロ距離で兄さんを撃ってたはずです。違いますか?」
「……やけに確信めいた物言いをするじゃないか。ただ、アイテムを吐き出させた上で殺そうとしただけかもしれないぞ」
「ううん。確信と言うなら、兄さんの方が本当はずっとわかってるはずです。この人は……アレンさんはずっと、兄さんやノマさんを殺してしまわないように気を使いながら戦ってました」
「——」
ノマのボーナスウェポンを奪い取る、インベントリを用いた無刀取り。
それを布石とした、ジークへの不意を突く押し倒し。
どちらも、敵を無力化するにあたり、迂遠なやり方なのは間違いない。
ただ勝利に伴う利益のみを謳うのなら、さっさと殺してしまえばいい。ジークの言う通り、死亡に付随する装備中及びインベントリ内に収納中のアイテムの消滅を嫌ったのだとしても、そのためにここまでリスクを取る必要はない。人質を取って脅迫するなり、見せしめにノマかフラクチャをさっさと殺し、残りを助ける見返りにアイテムを出させたのち、裏切って殺すことで経験値とSPも強奪してしまうなりするのがベターだ。
「はぁ……妹に諭されて気づくとは、おれも知らず熱くなっていたらしい。そうだな。彼に殺害の意思があるならば、その機会は確かにあった」
ジークは長く息を吐き、それから納得したように一度深くうなずくと、剣をインベントリへとしまい込んだ。
彼の頭上から赤い輪が消失する。効果時間が終わったのか、自身でユニークスキルを解除したのか、アレンには判断が付かなかった。
武装を解除したジークに、フラクチャは緊張の糸が切れたのか、ほっとした顔でその場にしゃがみ込む。兄への毅然とした諫言は、実は彼女としてもいっぱいいっぱいだったようだ。
「……おれの負けだ。まったく恐ろしい転移者だ、始めからおれたちは対等な条件で戦ってすらなかったわけか。死闘を演じているつもりが、まさか一方的に手加減をされていたとはな」
「そうでもない。正直、あんたはある程度殺す気でかからなきゃ無理だって思ってた……それに今のだって、死ぬかと思ってかなり焦ったぞ……ふぅ」
「世辞だとしても喜んでおこう」
アレンとしては本音だ。冷や汗を拭いながら、アレンは心底、ジークを止めてくれたフラクチャに感謝した。
マツとハーベストのように、殺さないと決めた相手はヘッドショットをわざと避けて銃を撃つのが常だったが、ジーク相手ではそんな余裕はなかった。間違いなく、キメラに来て戦ってきたどんなプレイヤーキラーよりも強力な転移者だったことだろう。




