導入 7
エルシルと名乗った女性の眼差しが俺に向けられた途端、俺の背筋にゾクっと冷たい何かが走った。
「・・・あ・・・」
うまく声が出ない。
唇が乾いてくっついてしまった時の様な。
感じた不安も、決して嫌では無い。
落下途中の空中でフワリとした羽毛に包み込まれた様な漠然とした、すがるもののない安心感の様な。
こちらの反応を待っているのだろう、俺の名前を呼んだ後、彼女は未だ一言も話していない。
「他の眷属の方も貴方と似た、、いえ、同じ姿形をしていますが、皆さん、同一人物なんですか?」
我ながら滑稽な質問だった、だが、疑問に思ってしまったんだ、聞かなければ気持ちが悪い。
第一、27人の同じ姿形を美人が其々の人間にレクチャーをしている様は見ていて気持ちが悪いと言うか何というか。
「いえ、同一人物では無いですよ、いくら我々が地球の人類よりも優れた存在であっても、27体其々が別の意識を持った一人という並外れた並列思考の能力を有する存在にはなれません。
やれるのであれば、我々を召喚するのでは無く、女神様御自身がそれをやればいいだけの事。」
「ではあなた方は・・きょう・・嫌、姉妹なんですか?
27人姉妹。」
「ウフフ、そうですね、姉妹ですか、面白い考え方ですね。
我々には本来、姿形はありません、ルーナリアでは精霊と呼ばれています。
女神様の使いとしてルーナリアの地上に舞い降りるのが我々の役目。
貴方に見えているこの姿は、貴方にしか見えていません。」
言いながら彼女はその滑らかそうな腕をゆったりと動かししなやかなその指を鎖骨辺りに這わせた。
ゴクリと生唾が俺の喉を通る。
「貴方の精霊に対する知識や考え方、イメージが今貴方に見えている姿を見せています。」
「だから貴方以外の精霊の方も皆同じに見えるって事でしょうか?」
「ええ、ある者には年齢を重ねた老婆、ある者には大きな獣、ある者には姿形の無い何か。
百人十色です。」
「27人のしわくちゃのおばあちゃんって凄いビジュアルですね。」
想像すると失礼な話、ちょっと怖いかもしれん。
微笑むエルシルさんの表情に胸がキュッとなる、全く誰だ、不安になるだなんて失礼な事を言いやがった奴は。
「我々精霊はその者を魂のあり方で判断するので、ユキムラ様のおっしゃる意味を完全に理解する事は難しいですが、そうですね、おばあちゃ・・ふふふ」
・・・?
笑いのツボが浅いな。
・・娯楽に飢えているのか?
「ですが、我々精霊は人間を美醜や老い等で判断する事はありません、我々精霊は人間の魂のあり方でその者を判断するのでユキムラ様の考えを完全に理解する事は出来兼ねます」
「・・・ああ、そうですか」
真面目か!!
なんか、ズレてるっぽいけど。
これから娘生活の俺に関係あるわけでも無いから、放っておこう。
そこからエルシルのルーナリア講座が開始され早、数十分が経とうとしていた。
その間、この空間がたまに光り輝く瞬間が何度かあった、その度にエルシルと同じ顔をした女性が光り輝く粒子になり消えていく。
もちろん説明を受けていた人物も同じように光り輝き消えていった。
周りを見ると5人の人間しか残っていなかった。
その内の一人も今消えていく、これで4人。
勇者様にビッタリの女神様はそちらに目を向けるで無く、ルンルンと勇者様と会話を交わしていた。
生き帰らしてもらっている手前、文句を云うのはお門違いだろう。
俺の口からは代わりに
「はぁ〜」
と言う、深いため息が漏れた。
心残りは地球に残す事になる嫁の事か、今となっては、本当に今となっては子供が居なくて良かったと思う。
あいつ・・・今年で35か、再婚は難しいかも知れん。
複雑な気持ちになるが、俺の事なんか早く忘れてもらって、次のステップに進んで欲しいと思う。
エルシルにその事を伝えたら、加害者側からの死亡慰謝料に加え、俺の身に覚えのない保険が降りるらしいから老後に至るまで普通の生活をする分には金で苦労をする事は無いらしい。
あんなのでもやはり女神なんだな、遺された遺族の事も一様は考えているのな。
「・・・・そうか、なら良かった。
俺が死んであいつが幸せになるんだったら。
本当の不幸中の幸いだなこりゃ。」
「幸せですか・・・・。
お金だけで言えばユキムラ様のおっしゃる通りでしょうが・・・」
十数年近く連れ添ったんだ、その後の言葉は言われなくても俺が一番分かっているつもりだ。
やるせなく、どうしようもない気持ちで一杯の俺の事を察したようにエルシルも言葉を続けなかった。
「マジで言ってんのそれ!!!」
女神の素っ頓狂な声が空間にこだまする。
気付けば、この空間には俺とエルシル、そして女神と勇者、四人だけになっていた。