導入 8
「・・・・う・・」
涙なのか汗なのか水滴が頬に伝わる感覚を覚えた。
薄い塩気が口の端から入り込んでくる。
鼻・・水なのかな?
妙に頭が冴えた。
こんな恐ろしい状況に陥っているのにそんなどうでもいいことに気が向いてしまう。
地震かと思う程、全身は小刻みに震え、両足に力が入らないのに。
「ダメダメダメ、普通の人間は戦うなんてしちゃいけないの、まぁそんな状況になったとしても、一般人じゃ何も出来ずに死んじまうか、大怪我するかだ。
もしユーキがスライムよりも怖いモンスターに襲われそうになったら逃げる事。」
お父さんとのある日の会話を思い出す。
「戦っちゃダメなの?」
疑問だった、冒険者の人、お城の兵隊、皆戦ってる。
「戦うって言って戦える人間は一握りなんだ、例えば、最初から覚悟を持っている人、後天的にその覚悟が必要になった人とか。」
「覚悟?」
「そう、覚悟、普通の人はモンスターと出会ったら、こうちょ・・うーん、身体が動かなくなる。」
「死んじゃうの?」
「ん〜ちょっと違うかな、ユーキが初めてスライムと会った時どう感じた?」
「怖かった。」
「うん、そうだね、ここ以外の土地に出るモンスターっていうのは、ここら辺に出るスライムとか角兎とかとは比べ物にならない位怖いんだ。
それでも魔王討伐以降は随分大人しくなったって聞いてるけど。
なぁユーキ、スライムよりもっと怖いんだ、どう思う?」
「もっと怖い!」
「笑顔一杯だねぇ、でも人って怖いと動けなくなっちゃうんだよ」
「へぇ〜、不思議!!」
「そうだね、だからもしユーキがそういう状況になったら・・・」
私はお腹の辺りをキュッと凹ませ力を込める。
「・・・ふっ」
鼻から息が漏れた。
本当に足の震えが多少和らいだ気がする。
冷え切ったと思った身体にも少し体温が戻った気がする。
足にも力が入った。
失禁もまだしていない、大丈夫。
守るべき一線は死守出来た!
私は改めてそいつを見る。
見たことのない形の犬のような。
共通点は四足歩行というだけで、体躯は・・・・痩せこけた、じゃ無い元々が細いんだ、そういう生き物。
お母さんの本棚に入っていた分厚い本の挿絵に描いてあった狼でも、ましてやこの凶悪そうな生き物はあの愛らしい犬の訳が無い。
ユーキの見たモンスターは禍々しい、一目見ただけで簡単に恐怖と死を連想させる姿をしていた。
第一に体毛が生えておらず、剥き出しになった肌は引き締まった筋肉に覆われ、恐らく、人を殺す為の運動に特化しているであろう肉付きをしていた。
また、体毛の代わりに刺青の様に身体に模様が入っている。
そして何より、このモンスターには表情があった。
同じ目線の高さでユーキを見つめながらモンスターは笑ったのだ。
ヌメっとした粘り気のある口を薄く開けながらニヤリ
と。
獲物を痛ぶってやろうという邪な嫌な顔をして。
泣かない。
泣いてもこの状況がどうにかなる筈がない。
私が今どうするのか、それだけ考えるんだ。
幸い目の前のモンスターは私をまだ襲う気は無いらしい。
今は観察しているのだろう、このいたいけな人間の子が自分にとって脅威なのか、それとも簡単に殺して食えるのか。
それとも、脳内で何度も痛ぶり殺し、それを食事前の余興として楽しんでいるのだろうか?。
あの嫌な表情からして後者なのかも知れない。
私は身体を少し動かし後ずさる。
モンスターは見ていないふりをしているのか、その無駄な足掻きをしている私を見ながら楽しんでいるかの様だった。
知能があるのに嫌がらせだなんて、何なんだよ。
私に出来る事は必死になって逃げるだけ。
・・・・逃げ切って吠えずらをかかせてやるんだ。
振り返り私は全力で走る。
多少奥まで来たと言ってもここは勝手知ったるなのだ、やり過ごす為の隠れ場所だって検討はつく。
森さえ抜ければ、家迄は少しなのだ、モンスターだって諦めるかも知れない。
知能があるんだ、人目に付くリスクだってちゃんと理解している筈だ。
それにもう何秒たった。
後から追ってくる気配が無い。
もしかして助かった?
ん?
気付けばそこは真っ白だった、走っているのに走っていない様な、ただその場をランニングマシーンで走らされているかの様な。
「ランニングマシーン・・・・?」
一瞬の記憶の混濁。
「ああ・・そうか
俺はまた死んだんだな。」
目の前には優しい笑顔で微笑むエルシルが立っていた。
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