思い出は消えない
「その写真、消えちゃいますよ」
居酒屋で意気投合し、二時間ほど話し込んだ彼女を撮影したら、そう言われた。
「どうして? ひどい美人だな。僕は君の顔がとても好みだから撮ったのに。嫌だった?」
「もうすぐ月に帰るからです。あと、顔が好きって褒め言葉ですよね? ありがとうございます。普通に嬉しいです」
「月に? 不思議なことを言うね。君はかぐや姫かなにかかい? 唯一笑い方がね、ちょっと下品だ。もうすこしおしとやかなら完璧に僕好みだったんだけどね。」
「ええ、かぐや姫です。日本のアニメーションが大好きな異世界人です。って中々に言いますね貴方。まあ私も貴方なんて全然好みじゃないんで口説いても無駄ですよ。」
「……? それって外人となにが違うの? いや、君も言うね。どうしたら君好みの男になれる? 別になるわけじゃないけど。興味ね」
その問いかけに、彼女は大きな瞳をぱちくりと瞬いて、肩まである髪を揺らして嬉しそうに笑った。
「確かに。なら私は外人とも言えますね。それと、私の好みは一緒に月に行ってくれる人ですね。」
僕にはなにがおかしいのかサッパリだ。異世界とか月とか、この目で見たことないから分からない。だから、そう簡単には信じられない。好きなタイプも正直、訳が分からない。でも彼女は顔だけ見ると相当な美人だ。きっといつもこうして、ナンパや絡んでくる男たちを振り切ってきたのだろう。
故に目の前にいる彼女を、僕はかぐや姫とは信じていなかった。
***
「また会いましたね」
「うん、久しぶり」
数日後、あの居酒屋でまた彼女と出会った。覚えていてくれたのか、彼女は席を移動して僕の隣に座る。
「きっとまた会えたのは運命だと思います。あ、突然ですが私今、ミルクチョコとビターチョコを持っているんです。どちらかあげます」
「チョコレートを美人から貰える運命ですか。それは感謝だね。ではミルクをお願いします。あと、写真を撮ってもいいですか?」
「ミルクですか。私はビター派です。これでまたひとつ、互いのことを知れましたね。お写真は消えてもいいならどうぞ。」
「ありがとう。でもチョコの味だけで互いを知れたなんて大袈裟じゃないか? 写真、撮りました。君には笑顔がよく似合う」
「そうですか? 好みの把握はコミュニケーションのひとつでしょう。素敵な口説き文句ありがとうございます。普通に嬉しいです」
「やっぱり君は不思議な人だね。そういうところが日本慣れしてない外人みたい……」
そこまで言うと彼女はまた、髪を揺らして肩を震わせて、嬉しそうに笑った。また君に会いたい、というと彼女は今夜にはもう日本を発つのだと、悲しそうに目を伏せた。
あの後、閉店まで飲みながら話し明かした。とても楽しい、気持ちがいい、心が軽い。そんなポジティブな感想ばかりが並んだ夜だった。だからこそ彼女ともう会えなくなるのが、ただただ寂しかった。
「君さえ良ければお見送りに行ってもいいかな? 空港までだけにはなるんだけど」
「いいですよ。でも見送りは空港じゃないんです。どうかなにも言わず、ついてきてくれますか?」
僕は無言で頷いた。彼女の手が僕の手を引いて、駅まで歩き、古びた電車に乗り、見知らぬ場所に着く。駅からすこし歩いた大きな丘の上に立つ。丘の上から見える満月が綺麗だ。
ポケットからスマホを取り出し、大きな月を背にした彼女の写真を撮る。彼女の表情は曇っていた。
「ここで待っていたら、月行きの列車が来ます。あの、はじめて話したことを貴方は覚えてますか?」
「あぁ。覚えているよ。好きなタイプの話だろう?」
「そうです。私の好きなタイプは一緒に月にいってくれる人です。貴方が、私のタイプになってくれませんか?」
ここまで来たら、彼女がただの外人だとは思えなった。だからといってかぐや姫だとも信じてはいなかったけど。でも、どの道僕は彼女についていく勇気はなかった。
「ごめん。君が母国に帰るのを寂しいと感じるほどには好いているけど、月には行けない」
「そうですか……悲しいです。でも、貴方が私を地球人扱いしてくれたこと、本当に嬉しかったです。ありがとう」
天気雨のように彼女が微笑んだ瞬間、目を開けられないほどの光が辺りを覆った。
次に目を開いたときにはそこにはなにもなかった。人影も、なにも。大きな月だけが、輝いていた。
どうして? その疑問が浮かぶのと同時に最初の言葉を思い出す。
慌てて写真フォルダを開くと、そこには空席の居酒屋の写真と大きな満月だけ。
「ひどい美人だな。僕にもお礼を言わせろよ」