第5話 田中はヒロインと出会った
朦朧としていた意識がはっきりとして、目を覚ますと。僕は知らない石畳の上を歩いていた。
あれ、僕の足ってこんなに軽かったっけ?靴って、こんなに歩きづらかったっけ?そもそも僕は、何処へ向かっているの?
……?足に風を感じる、何故かスースーする!もしかして僕、寝ぼけてズボン履き忘れた!?それはまずい!ここ外なのに……!社会的に死ぬっ……!
下半身を確認しようと下を見ると、視界に大きな胸が飛び込んだ。
あっ、おっ……おっぱいが……ある!?何で!?
歩くたびに揺れる胸と一緒に、スカートも揺れている。
今、僕もしかして女の子の格好してる!?
慌てて股間を確認すると、あるはずのものが無い。
あれ、ない……?
ない………………?
え、僕、女になってる!?
「アンジェリカ様、どうされたのですか?」
混乱していると、背後から制服を着た女子生徒に声をかけられた。
アンジェリカ!?誰のこと!?
「……ひ、ひっ、人違いですっ!ぼ、僕はこれで失礼しますっ!」
この場から逃げ去るように、僕は歩いていた方向とは反対に向かって走った。一歩進むごとに、長いスカートは足にまとわりつき、聞き慣れないコツコツとした音が周囲に鳴り響く。
やけに歩きづらいと思ったら!僕、ヒール履いてるの!?
訳もわからず、前に進んでいると。曲がり角で、誰かとぶつかってしまった。
「……いてて……あれっ」
転んで倒れた痛みを感じながら、目を開ける。
僕の目の前で、金髪で華奢な女の子が倒れている。
「あばばばばばばばばばは」
「ご、ごめんなひゃい!す、すみません!本当にごめんなさい!」
目の前の少女は少し驚いた顔をして、こちらを見た。
よく見るとこの子、最近熱中してやっていたゲームのヒロイン、アリスによく似ている。アリスが現実にいたら……こんな感じなのかな。
なんて、少し見とれていたら。少女に急に抱きしめられた。
「ひょぅわぁぁぁぁぁぁ!?」
「な、何!?じ、女子に抱きしめられてる!?ごめんなさい僕、こ、こんなの……こんなのだめです!!だ、誰か!?だれか助けてください!?!?」
少女はパニックになって騒ぐ僕を腕の中から解放すると、頭を下げて謝った。
「……ごめんなさい、もしかして貴方に魔が取り憑いているのではないかと思って……でも、違うみたいです。失礼しました」
「あ、こ、こちらの方こそ失礼しましたっ!……あれっ、なにこれ、体が勝手に……!」
強い力に引っ張られるような感覚がして、僕の体は立ち上がり、また元の場所へと向かい始めた。
一体、何が起こっているのだろう。僕は、どうなってしまったんだ!?
♢♢♢♢♢
『おい、待て田中!逃げるな!』
……頭の中で声がする。これは……神託だ。私にしか聞こえない、神様の声。神様は私に、指示を送っている。
「お待ちになって下さい、田中様!」
「えっ……」
声に従って、彼女を呼び止めると。彼女は一瞬動きを止めて、私の方を見た。けれどすぐ他の生徒の声に阻まれて、彼女はまた講堂へと向かってしまう。
「アンジェリカ様、あんな平民に構っていては貴族としての示しがつきませんわ。さあ、入学の儀式が始まってしまいます。どうぞこちらへ」
「あっ、え、あのっ……ど……どういうことー……!」
『ちっ、画面から消えた。アンジェリカの出番はここで終わりか。あれ、絶対田中だよ!くそ、どうなってるんだよ……!』
神様は、怒っていらっしゃる。けれど、今日は皆入学式に参加するという世界の理は、誰にも変えられない。もちろん、神様にも。時間が来て彼女が講堂へと向かうのは、必然のこと。
私の体も、倒れたまま動かせない。これもまた、必然のこと。
「そこの方、大丈夫ですか?」
そこに、見知らぬ男性が声をかけてくる。
彼は倒れた私を起こすように、ひょいと抱きかかえると、そのまま額に口付けをした。私はこの行為にも、決められた言葉を言わなければならない。
「……ありがとうございます」
『げ、イベントが始まっちまった。こいつには花でも渡しとけっ!』
神様の言葉の通り、助けていただいたお礼に道の片隅に咲いていたお花を摘んで渡す。花を受け取った男の方は、私ににこやかに笑いかけた。
『こいつはな、花を渡すだけで好感度が上がるから攻略が超楽なんだよ。ちょろすぎだろ』
『―――――!!!』
『うおっ!邪魔すんな!おま……あ、また何か思い出したのか!?』
「どうかしましたか?」
「いえ……何でもありません。そろそろ儀式に向かわないと、遅刻してしまいますね」
「おや、それは大変だ。急ぎましょう。……その前に、差し支えなければ一つ伺っても良いかな?君の名前は……?」
「アリスです。アリス・ハートフィールド」
「アリス……良い名だ」
「貴方は……」
「おっと、急がなくては。それでは、また」
彼は講堂へと去ってゆく。
……時間がくる。私もまた、講堂へと移動する。
♢♢♢♢♢
「ちょっと!あれは、ギルベルト様じゃない!何故、彼はあの小娘に構うの!?」
「何故って……そういうゲームだからに決まってるだろ!さっきのイベントで、ギルベルトはヒロインのアリスに一目惚れすんの!で、更に好感度を上げると最終的にギルベルトと結ばれる、そういうやつなの!」
「そんな……!ギルベルト様は、私の婚約者なのよ!」
「あー、そうだったな……」
「それなのに、ただの平民に一目惚れ?……許せないわ!貴方がこの小娘を操っているのでしょう!?もう二度と彼にあの小娘を近づけないで!」
「そんなこと言われても、もし田中がゲームの世界でアンジェリカになってるなら、ギルベルトに接触するのは必須だ!アンジェリカはギルベルトルートじゃないと、ほとんど出番がないんだ。だから、田中を観測するには、アリスをなるべくギルベルトとくっつけないと……」
俺の話を聞いた田中は、俺の頬を今までで一番強い力ではたいた。
……いや、もう確信した。こいつは田中じゃない。
意地が悪く高慢でわがままな……!
悪役令嬢、アンジェリカ・バートリーだ!
「……ああ、イライラする!少し頭を冷やしたいわ!」
アンジェリカはそう言うと、俺に向かってじいちゃんの扇子を投げつけた。
「平民、これで私を扇ぎなさい。よそ風のように、丁寧に扇ぐのよ」
「何で俺がっ!それに俺は平民じゃない!吉田タケルだ!」
反発の意味を込めて、開いた扇子を思い切り振り下ろす。強い風がアンジェリカの長い前髪を捲り上げると、眉間に皺を寄せた大層不満げな表情がはっきりと見えた。
「ちょっと!髪が乱れるでしょう!力加減に注意なさい、タケル!」
「知るか!嫌ならこれくらい自分でやれ、アンジェリカ!」
今更だが、これまでのあれこれに対して、急に腹が立ってきた。
お前が田中じゃないなら、もう俺、お前を甘やかしたりしねーぞ!!