第4話 悪役令嬢は親友の田中になった
「……じいちゃん、長引いてごめん。風呂空いたから……次どうぞ……」
「なんだタケル、湯疲れかい?しっかり水飲みよ〜」
湯疲れではない。もっと色々な疲れだ。風呂の入り方を忘れ、自分の裸を見ようとしない田中を世話するのは、至難の業だった。確かにうちの風呂はバランス釜だから、慣れないとは思うけど。自分の裸を見れないっていうのは、やっぱり理解ができない。
自分のことを目隠ししろ、体は俺が洗え、と命令する田中は、自分が異常であるということに気がついているのだろうか。傍から見れば、あんなの一種の特殊なプレイだ。
身体を洗ったら洗ったで、田中は変な声出すし、俺のこと怒るし。時折風呂嫌いの猫のように暴れる田中に引っかかれたりぶたれたりしたせいで、俺の体は傷だらけだ。田中って、実はDV気質なのかな。いや違う。田中は、こんな奴じゃないのに……。
ぐるぐると考えていると、ふと田中のゲーム機が目についた。そういや、壊れてないか後で確認しようと思って机の上に出しておいたんだっけ。
「なあ、田中。お前のゲーム機、ちょっと借りるからな」
「勝手になさい。私のじゃないもの」
田中は興味なさそうに言い捨てた。寝巻き代わりにじいちゃんに借りた浴衣を着た田中は、これまたじいちゃんに借りた扇子で自分を仰ぎながら、縁側でのんびりとくつろいでいる。
……お前、変わったよな。前の田中だったら、自分のゲーム機を人に触られるの、嫌がってたのに。
再びゲーム機に視線を落とし、目視で状態を確認する。液晶画面は端に少しヒビが入っているが、その他に目立った外傷は見当たらない。
内部のダメージはどうだろう。ちゃんと起動するだろうか。
ゲーム機を手に取り、電源をONにすると。画面はぱっと明るくなった。良かった、壊れてはないみたいだ。
ゲーム画面に表示されたのは、あの時と同じ。
悪役令嬢アンジェリカが、城の階段から落ちて死んだシーンだった。
「田中、ゲーム機壊れてなかったみたいだ。データも壊れてない、続きからできるぞ。……田中?」
「……うあ、あ、あああああ!」
田中の方を見ると、田中は急に、頭を抱えて苦しそうに叫び声をあげた。
「おい、どうしたんだ田中!?まさか、階段で頭打った時のが今……!び、病院!救急車!」
田中に駆け寄って肩を支え、救急車を呼んでくれ!と部屋にいる明日香に大声で伝えようとしたら。田中に手で口を抑えられた。
「私……は……何ともないわ。騒がないで。それよりも…………今……思い出したの…………」
「本当か!?思い出したって何を!?」
「……私はね、あの時。死んだのよ」
アンジェリカがそう言った瞬間、手に持っていたゲーム機の画面が消えた。そして数秒の静寂ののち。軽快な音楽と共に、ゲームのオープニング映像が流れた。
ボタンを連打してスキップすると、スタート画面の選択肢は『はじめから』のみになっている。……バグってセーブデータが消えたんだ。田中のロマアリは、リセットされてしまった。いや、そんなことよりも。
「……死んだって、どういうことだよ。お前は今、生きてるだろ」
「言葉のとおりよ。私は……アンジェリカ・バートリーはパーティーの日、お城の階段から落ちて死んだの」
「だから、それはお前じゃなくて、ゲームの中の話だろ。ゲームのキャラクター、アンジェリカの……」
「ええ、だから私の話だと言っているのよ。お城の階段から落ちて死んだ、これは私の身に実際に起こったことなの。どうして忘れていたのかしら。今なら死の瞬間に感じた恐怖や痛みを、はっきりと思い出せる。…………貴方、そのゲームとやらを、続けなさい。貴方がそれに触れた瞬間、断片的だけれど私は記憶が戻ってきたのよ」
「……これをやれば、他にも何か思い出すのか?」
「分からない……けれど、試してみる価値はあるわ」
田中と二人で、ゲームの画面を覗き込む。
田中が記憶を取り戻すということは、元の田中に戻れるってことなのか?それとも……
「さっさとしなさい!」と田中に背中をはたかれて、俺は『はじめから』のボタンを押した。
再度画面は暗くなり、主人公のアリスが『聖女見習い』に選ばれるところから物語は始まる――
♢♢♢♢♢
「アリス・ハートフィールド!そなたを"聖女見習い"と認め、貴族学校、聖イザベラ学園への入学を許可する!」
平凡な生まれの平民であるアリスは、貧しいながらも幸福に生きてきた。そんなアリスの運命が大きく変わったのは、15歳の誕生日のことであった。
大賢者アウグストゥスが、アリス・ハートフィールドという少女がこの国を守る"聖女"になる、と予言したのである。
かくして、平民のアリスは一人、貴族たちの通う学園に『聖女見習い』として入学することになった。
これは、そんなアリスが"聖女"として、一人前の乙女になるまでの物語である……
「いっけなーい、遅刻遅刻。今日は入学式なのに、寝坊してしまうなんて。私って、本当にうっかりさんです」
画面には、食パンを咥えて走る主人公のアリスが映っている。田中はそれを見て、苦虫を噛み潰したような顔をした。
『この小娘、なんてはしたないの。それに、気もたるんでいるわ。いくら聖女見習いだろうと、育ちの悪いただの平民が貴族学校に通おうだなんて、学園の品位を落とだけよ。即刻退学すべきね』
田中はつらつらと、主人公のアリスにねちっこい小言を言い放つ。アリスに対していつも嫌味なアンジェリカが、まさに言いそうなセリフだ。
『そんなこと言うなよ、田中。この展開のチープさも、ロマアリの魅力だろうが』
『ふん。いいから進めなさい』
今日は学園の入学式。新入生は全員講堂に集まって、式に参加することになっている。開始の時刻まであと10分。そろそろみんな移動を終えている頃だ。
「(急がなくちゃ……!)」
パンを食べ終えるまでの間に、アリスは学園にたどり着いていた。アリスはそのまま急いで講堂へと続く石畳を駆け抜ける。そして講堂の手前で角を曲がると突然、見知らぬ誰かにぶつかった。
「きゃっ!」
「!?」
アリスがぶつかったのは、公爵家のご令嬢。アンジェリカ・バートリーだった。
『ちょっと!私にぶつかるなんて、生意気ね!不注意にも程があるわ!』
『落ち着けって、田中。この後アンジェリカも似たようなセリフ言うから。ほら、アンジェリカが悪役令嬢ってことを俺たちプレイヤーに印象付ける、記念すべき初セリフだ!来るぞ!』
「あばばばばばばばばばば」
セリフは来なかった。アンジェリカは不可解な言語を喋り、小刻みに震えている。
『あれ?おかしいな。バグってるのか?』
『私はこんな言動しないわ。不快よ、今すぐ直しなさい!』
『ちょっと待てって。なんか変だ。ボタン押してないのに、勝手にシナリオが進んでいく。オートモードにはしてないのに』
「ご、ごめんなひゃい!す、すみません!本当にごめんなさい!」
アンジェリカは、ぶつかってきたアリスに対して謝り倒している。
これでは、悪役令嬢らしさの欠片もない。
『ん?何か選択肢出てきた。"抱きしめる"? 何だそれ。しかも一択だけかよ。とりあえず、押せばいいのか?』
ボタンを押すと選択肢の通り、アリスはアンジェリカを抱きしめた。こんな展開、俺は今まで見たことないが……
「ひょぅわぁぁぁぁぁぁ!?」
「な、何!?じ、女子に抱きしめられてる!?ごめんなさい僕、こ、こんなの……こんなのだめです!!だ、誰か!?だれか助けてください!?!?」
…………あっ!この陰キャ感、女子に怯えている感じ、ものすごく見覚えがある。今画面に映ってるのは、アンジェリカだけど絶対にアンジェリカじゃない。
俺には分かる。これは、紛れもなく――
俺の親友、田中龍也だ。