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第3話 田中は家に来た



「もう泣き止んだか?ほら、ちゃんと手は洗えよ。こういう風にさ。それから、次はちゃんと自分で持てよ?」


「………………」



 用を足し終え大人しくなった田中は、素直に俺の言うことに従って丁寧に石鹸で手を洗っている。お前はち○こ触ってないんだから、そんな念入りに洗う必要ないだろ!とツッコミたくはなるが。


 心が汚れた気分なんだよな、分かる。俺も普段の倍時間をかけて、丁寧に丁寧に手を洗った。




「さてと……」



 状況が落ち着いたところで。いや、全く落ち着いてはいないが。

 ひとまず緊急事態は去ったところで。俺は田中を一旦部室に連れていき、改めて対話を試みることにした。



「じゃあ、確認だが。お前は本当に、『ロマンティック・アリス』のアンジェリカ・バートリーなんだな?」


「ええ、そうよ。そのロマ……何とかのことは知らないけれど。何度も言っているように、私はアンジェリカ・バートリーよ。……あら、肖像画があるじゃない。見なさい、これが私の本来の姿よ」



 田中は部室に貼られた初回限定版特典のロマアリのポスターを見つけると、様々な登場キャラクターの中に埋もれるように小さく描かれたアンジェリカのイラストを指差した。

 長い黒髪で青い目でおっぱいのでかい、見た目だけが取り柄の女、そうそう、それがアンジェリカだ。


 田中はポスターに描かれたある男の顔をじっと見て、ぽつりと呟く。



「ギルベルト様……」



 ああ、ギルベルトとは。ロマアリのメイン攻略キャラのことだ。腹が立つほどイケメンで、銀髪碧眼、声はあの有名な人気声優……と胃もたれする程の様々な要素で乙女を恋の沼に落としてきた。


 田中はポスターの中のギルベルトを、うっとりとした表情で見つめている。

 ……まさか、田中。



「お前、ギルベルトのことが好きなのか!?」


「当然よ。私はギルベルト様の婚約者だもの」



 おいおいおい、田中。もしかしてお前、ゲームのキャラクターに本気で恋してまった、ガチ恋勢なのか!?ギルベルト様が好きすぎて、心が乙女になっちまったとか、そういうやつなのか!?


 でもだったら!ギルベルトと結ばれない運命の悪役令嬢アンジェリカじゃなくて、主人公のアリスちゃんになっとけばいいのに!



「婚約者って、お前。その婚約はどうせ――」



 言いかけたところで、田中のスマホが鳴った。恐らく電話だ。田中は電話に早く出ればいいのに、無視してうっとりとギルベルトを見つめ続けている。

 ……あ!もしかしてスマホの使い方も忘れちまったのか!



 慌てて田中のスマホのロックを解除し、電話に出る。(田中は最近スマホのパスワードをロマアリの発売日にしていたから、すぐに分かった!)

 電話をかけてきたのは、田中の母ちゃんだった。



「もしもし、龍也?」


「もしもしっ!あのっ!俺吉田ですけど、今田中手が離せなくて……!」


「あら、タケル君?手が離せないって、龍也またゲームやってるの?じゃあ、代わりに伝えといてくれるかしら。お母さん今日から龍也が夏休みの間、田舎のおじいちゃんの畑手伝いに行ってるから。お父さんも、帰国したら直でこっちに来るみたいだし。wifiないからおじいちゃんの家に行かない、なんてわがまま言ったからには、ちゃんと一人でも家の事やっていい子にお留守番してなさいね。じゃあ、切るわよ。よろしくね、タケル君」



 田中の母ちゃんは俺に一方的に要件を伝え終えると、電話をブツっと切ってしまった。田中が階段から落ちておかしくなったことを伝えなきゃと思ったのに、口を挟む暇もなかった。



「田中……お前の母ちゃん、田舎のじいちゃんのとこに行ってるってよ」


「私の母は病気で死んだわ。それは私の母親じゃない」



 田中はそう言うと、ぷいとそっぽを向いてしまった。

 まずい、非常にまずい。田中は自分の母親のことすらも忘れてしまっている。これは、俺が病院に連れていかなきゃいけないのか?何科だ?脳外科か?それとも精神科?


 すっかり日が落ちた部室に、"生徒の皆さんは、速やかに下校しましょう"と完全下校を促す放送が流れる。もうそんな時間か。田中は……この調子で、一人で家に帰れるのだろうか。



「お前……家の場所は分かるのか?」


「ここが何処かも知らないのに、分かる訳ないでしょう」


「だよなぁ……」



 俺も田中の家の住所は知らない。途方に暮れた俺たちの静寂をかき消すように、田中の腹の音がぐぅと鳴った。



「……とりあえず、うちに来るか?」




♢♢♢♢♢




 学校から歩いて数十分。我が家に着くまでの間、田中は自分の足で歩くことに文句を言いながらも、俺の後ろをヒヨコみたいについてきた。

 途中、車にビビったり、高層ビルに驚愕したり。初めて現代日本を見る異邦人のような素振りは、まるでアンジェリカ・バートリーが田中の体で逆異世界転生でもしたかのようだった。


 ま、そんなのありえないけどな。もしそうだとしたら田中は、()()()()()()()ということになる。そんなの認めない。今ここに居るのは田中だ。それだけは絶対にありえない。


 家に着くと、田中は露骨に嫌そうな顔をして「うさぎ小屋にでも泊まらせるつもり?」と言い放った。失礼な。築40年越えの立派な木造平屋だろうが。


 玄関の引き戸を開けると、そこには仁王立ちで俺の帰宅を待つ鬼の姿があった。



「……ただいま」


「お兄ちゃん、遅い!ご飯冷めちゃうんだけど!」


「ごめんごめん、ちょっとトラブってさ。あ、今日田中家に泊めるから」


「急に?そういうのは事前に言ってよ!」


「ごめんって。あ、田中、覚えてないだろうから一応説明しとくけど。これうちの妹の明日香な。来月で13歳になる」


「そう……お邪魔するわね、アスカ」


「!? お兄ちゃん、田中さんってこんな感じだったっけ?」


「色々あって今はこうなんだ。気にしないでやってくれ」


「……わかった。男子校ではよくあること、なんだよねきっと。大丈夫、わたしそういうのには理解あるから!」


「俺はまだ理解できてないんだけどな……」



 とりあえず、様子のおかしい田中は妹に受け入れて貰えたようだ。あと家に居るのはじいちゃんだけだが……まあ、ちょっとボケてるから前の田中と違っても大丈夫だろう。



「ご飯よそうから、手洗ってきて!あと、お線香もあげといてよね!」


「分かってるよ」



 和室の隅に置いてある仏壇には、両親の遺影が飾ってある。両親は数年前に事故で死んで、俺と明日香は母方のじいちゃんに引き取られて一緒に生活している。

 線香をあげて「ただいま」と手を合わせて呟くと、田中も空気を読んだのか、俺の真似をして静かに手を合わせた。



 さ、メシだメシだ。今日はもう腹が減ってしょうがない。

 本日のメニューは米と味噌汁ともやしと豚肉の野菜炒めと、デザートにじいちゃんお手製のおはぎ。田中が来たから一人あたりの分量は減るが、みんなで食べればうまさは倍増ってもんだ。



 俺と明日香と田中とじいちゃんでちゃぶ台を囲むと、いただきますの挨拶を合図に、楽しい夕食の時間が始まった。


 皆がもりもりご飯を食べる中、田中は食事に口をつけようとしない。「どうしたんだ?」と声をかけると、田中は戸惑った表情で「この国でのテーブルマナーが分からないわ」と言った。


 テーブルマナーなんて大それたもの、うちには必要無いけれど。とりあえず田中には、いただきますとごちそうさまと、箸の使い方を教えた。箸はうまく使えないみたいなので、代わりにナイフとフォークとスプーンを渡すと、田中はまるで高級フレンチでも食べるかのように、豚バラ肉を小さく切り分けて口の中に運んだ。


 明日香はその様子を見て、「お嬢様みたい……」と感嘆した。



「それにしても、田中くん久々じゃの。前に来た時は、こぉんな小さかったのにのう」


「じいちゃん、それ別の誰かだよ。田中が家に遊びに来たのは先月が最初だろ」


「田中さん、どう?今日はわたしが料理作ったんだけど、お口に合う?」


「ええ、食べたことのない味だけれど。美味しいわ。まだ小さいのに料理を習得しているなんて、偉いのね」


「え、えへへ。なんかうれしいなー。えらい人にほめられてるみたい」


「俺だって毎日うまいって言ってるだろ」


「お兄ちゃんのはありがたみがないの!それにお兄ちゃんの方が料理上手いんだから、嫌味にしか聞こえない!」


「田中くん、おはぎまだおかわりあるからの〜」


「…………この家の食事の時間は、随分と賑やかなのね」


「そうか?こんなもんだろ。まあ、うちは家族みんなで一緒にご飯を食べるのが唯一のルールだから。確かに一人で静かに食べることはないな。あ、うるさかったか?」


「そうね。ただ…………悪くはないと、思ったわ」


「そっか、なら良かった。……待て、田中お前、そのおはぎ何個目だ?それ、俺の分じゃないのか?」


「私はこれが気に入ったのよ。けち臭いこと言わないで、このおはぎとやらを全部私に差し出しなさい」


「あ、食われた!俺の分のおはぎなのに!!」


「また明日も作るかのう」



♢♢♢♢♢



「ごちそうさまでした」



 全員で食後の挨拶を済ませると、後は各々フリータイム。いつもはこの後風呂の争奪戦が始まるが、客人が来たなら客人優先だ。しかし田中は一番風呂を断ったので、今日は明日香が長々と一番風呂を楽しんでいる。



「で、田中お前どうすんの。今日は泊まっていくとして。明日以降」


「そうね。野宿は嫌だから、しばらくはうさぎ小屋で我慢するしかないわね」


「ん……?しばらく……?もしかして、明日以降もずっとうちにいる気か?」


「当然でしょ。家の場所が分からないのだもの。淑女(レディ)を見知らぬ土地に放り出すつもり?」


「見知らぬ土地って……まあ、俺は別に構わないけど。じいちゃんと明日香は大丈夫かな」


「爺!私はここに滞在すると決めたわ!いいわね?」


「タケルも田中くんも夏休みじゃろ?ゆっくりしておいき〜」


「じいちゃんが良いならいいか」


「お兄ちゃん、お風呂上がったー。次田中さんねー」


「おー。あ、明日香。田中夏休みの間しばらく家にいるかも」


「えー?別にいいけど。徹夜でゲームするのはやめてよね。電気代もったいないから」


「あー……ゲーム……そうだ、本当は夏休み、田中とゲーム合宿やる予定だったのに…………それどころじゃなくなったなぁ」



 そして今、ゲームという単語で思い出した。田中の私物の携帯ゲーム機のことを。一応、リュックにつめて持ってきたけど。階段から落ちた衝撃で壊れてないかな。後で確認しておこう。



「じゃあ田中さん、お湯が冷めないうちにお風呂入ってね。おやすみなさい」


「ええ…………おやすみなさい」



 明日香は田中に声をかけると、さっさと自分の部屋に戻った。

 田中はじっと俺の方を見て……目で何かを訴えている。



「まさか、風呂も俺にどうにかしろって言うんじゃないだろうな……?」


「勘がいいのね。そうよ。私はこの男の裸を見れないわ。貴方がなんとかしなさい」


「む、無理だ!俺にはもう無理だ!!何で風呂まで俺にやらせようとすんだよ!」


「あら、別に貴方じゃなくてもいいのよ。爺!湯浴みの補助を――」


「わかったよ!わかったから!俺がやればいいんだろ!?人んちのじいちゃん巻き込むなよぉ!」



 ――その日俺は。親友を目隠しして裸にして風呂に入れるという、家族の誰にもバレてはいけないミッションを、静かに成し遂げたのであった。



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