第17話 ギルベルトは思案した
それは、衝撃的な出会いだった。
目の前に現れた可憐な少女は、一瞬で俺の心を奪い去った。
彼女は、"聖女見習い"に選ばれた平民だった。
俺は皇帝として、この身分に相応しい女性を妃としなければならない。
……彼女は、それに値する相応しい生まれではない。
彼女を、この国で最も地位の高い"聖女"の立場に押し上げる必要がある。そして、彼女こそが妃に相応しい人物であると、大衆に知らしめなければならない。
邪魔なものは、沢山あった。
先代の皇帝である父が勝手に決めた婚約者、アンジェリカは、家の名誉のための金と権力、そして願いを叶えるという宝物のティアラにしか興味が無い。
彼女が俺をどう思おうと、俺が彼女を愛することはないだろう。
婚約を破棄するには、相応の理由が必要だ。
しかしアンジェリカには……これといった欠点がなかった。彼女は皇帝の妃に相応しい美貌と教養を、きちんと兼ね備えていた。
邪魔だった。彼女が存在する限り、俺の想いは実らない。彼女を、消し去らなければならない。
だから、始末しようと考えた。
それも……ただ始末するんじゃない。アンジェリカには最愛の人を聖女にするための、生贄になってもらう。
"アンジェリカは凶悪な魔に取り憑かれた。それを聖女見習いであるアリスが倒した"
これが、俺が用意したシナリオ第1稿だ。
アンジェリカを魔の充満する洞窟に誘導し、正気を失わせる。アンジェリカは妹のジェシカを利用すれば、容易に操ることが可能だろう。もしもアンジェリカが死んだ場合、どうせ家同士の結び付きが目当ての婚約だ、代わりにジェシカが俺の新しい婚約者になる可能性が高い。だから、ジェシカも確実に始末しなければならない。
ジェシカの暗殺には……毒を使う。貴重な解毒薬でないと解毒できない、特別な毒だ。これを、アリスがジェシカに飲ませたことにすればいい。
魔に蝕まれたアンジェリカは、ジェシカを失った復讐のためにアリスに襲い掛かるだろうが……凶悪な魔に立ち向かったアリスには、正式に聖女の地位が与えられる。
もし、アリスが魔に立ち向かえなかったとしても……魔に蝕まれた者を殺すのに、罰則はない。俺が直接、手を下せば良いだけだ。その場合、心優しいアリスはアンジェリカのために祈りを捧げ……大衆に認められるような、聖女としてふさわしい振る舞いをすることだろう。
どちらにせよ、邪魔者のアンジェリカを排除し、アリスが聖女となるための道筋は整えた。
そして、アリスはティアラで俺との幸福を願い……
この世界に、永遠の平穏が訪れるのだ。
♢♢♢♢♢
「このティアラを、君に。これは君にこそ、相応しい」
「ギルベルト……さ……ま…………」
「……ああ、アリス!なんということだ!毒を飲まされたのか?まさか……アンジェリカ!」
目の前のアリスは、苦しそうに息をしている。毒が効いたのだろう。
アンジェリカがアリスに毒を盛るよう仕向けたが……アンジェリカは、わざと目に付くように置いた毒の小瓶を見つけても、アリスの飲み物に毒を入れることはなかった。
計画が狂うのは困る。アンジェリカがアリスを殺そうとした、その行動こそが彼女が魔に蝕まれた証。アンジェリカが暗殺を企てた事実が公にならなければ、全てが狂ってしまう。計画通りに進めるためには、アリスが毒を飲んで倒れる必要がある。苦肉の策だが、俺はアリスの飲み物に毒を入れ、この時を待った。
愛しいアリス。これは愛の試練だ。君は直に、俺の愛で蘇る。
アリスを抱き抱える俺を、アンジェリカは無表情でじっと見つめている。
「………………」
「お前は、魔に蝕まれている!神聖なこの城から、今すぐに立ち去れ!」
言葉をかけても、反応はない。
計画通りだ。アンジェリカは魔に蝕まれ、正常な思考を失っている。
さあ、恨め。妬め。湧き上がる激情で、その身を燃やせ。
お前が悪となった時、この物語は幸福な結末を迎えるのだ。
「待っていろ、アリス。今、救ってやる」
解毒薬を取り出し、口に含む。口付けのためにアリスの顔を覗き込むと、目を閉じていたアリスは静かに瞼を開け、俺を見た。
「…………いいえ、ギルベルト様。解毒薬は、いりません」
その瞬間、世界は暗転した。アリスはどこからか解毒薬を取り出して飲むと、呼吸を整えて俺に語りかける。
「私はもう……大丈夫です。貴方に救ってもらう必要は、ありませんから」
……何故だ、アリス。君がそんなことを言うなんて、ありえない。俺たちの運命は、決まっているはずなのに。動けない。意識が遠のく。一体、何が起こっている……!
「アリス……何……を…………」
アリスが、ティアラを持ったままの俺の腕を強く掴む。
「田中様、今です!」
「……ギルベルト!!!」
ナイフを持ったアンジェリカは、俺に向かって襲いかかってくる。これは、予定通りだ。けれど、何かがおかしい。アンジェリカの目には、狂気の色が感じられない。……あれは、アンジェリカじゃ、ない?
「……!!タケル様の言っていたとおり、見えない壁がティアラに……!」
アリスは俺の手を強く掴んだまま、離そうとしない。
ティアラを、投げ捨てなければ。アンジェリカがティアラに手を伸ばしさえすれば、彼女は階段から落ちて確実に死ぬ。……そうだ、死ぬんだ。俺はこの後の展開を、何故か知っている。
ああ、そうか。俺は繰り返してきたのか。この過ちを。
「……アンジェリカ、お前の望みはティアラだろう!ならばこのティアラ、お前にくれてやる!」
『アリスちゃん、田中、耐えてくれっ!』
暗闇の中で、誰かの声がした。俺たちの運命を決める、神の声だろうか。
不条理で理不尽で、忌々しい神よ。
……願わくば、どうか。我らの辿る未来に、幸福を。
♢♢♢♢♢
「…………っ!」
田中がギルベルトの持つティアラに触れようとした瞬間、大きな反発が生まれ、田中とアリスの体は壁に向かって吹っ飛ばされた。
田中はアリスを抱きしめるように庇って、壁に衝突するダメージを一身に受けた。
「田中様っ!大丈夫ですか!?」
「……いてて、これくらい平気だよ。アリスは怪我してない?」
「はい、私は何とも……。守っていただき、ありがとうございます。私たちが吹き飛ばされたということは、作戦は……」
アリスが辺りを見回すと、周囲の様子が俺にもよく分かった。
ゲーム内の時間は、止まっている。
BGMもNPCの動きも無く、ただ静かな静寂が画面の中に広がっていた。
ギルベルトも石像のように固まって、もう動かない。
「…………タケル。時止めバグ、成功したんだね」
『当たり前だろ!俺を誰だと思ってる!俺は、世界一のロマアリプレイヤーだぞ!』
「はは、そうだったね」
田中は、俺の声が聞こえているようだ。時止めバグは、ゲーム内の全てに影響する。壁の中に移動せずとも、ここは既にバグ空間ということか。
『…………ギルベルト』
アンジェリカは、画面の中のギルベルトに向かって呼びかける。当然、返事はない。
田中は立ち上がってギルベルトに近づくと、ギルベルトの心臓にナイフを向けた。そして静かな声で、アンジェリカに問いかける。
「……アンジェリカ、どうする?僕には、この体を通じて君がどうしたいのかが分かる。身体が、勝手に動くんだ。君が復讐したいなら、今ここでギルベルトを殺すこともできる」
アンジェリカは少し考え込んで、田中の問いに答えた。
『…………いいえ。もう、終わったことよ。ジェシカは生きているし、殺す理由はないわ。それに……』
かつての婚約者を、アンジェリカは憐れむように見つめている。
きっとあいつも、同じだった。ギルベルトの本心がどうであれ……いや、その本心さえも。全てがシナリオによって定められたあの世界では……ギルベルトというキャラクターは、ああなるしかなかった。
『可哀想にね、ギルベルト。……私たちは、そういう風に生まれてきてしまったのね』
田中はアンジェリカの言葉を聞くと、ナイフをしまい、ギルベルトに向けて慈悲の祈りを捧げた。
『……この場にもう用はないわね。さあ、さっさとゲームを進めて』
『ああ。アリスちゃん、ティアラは出せるか?』
「はい。手荷物にティアラが追加されたようです。けれど取り出しても……まだ、透明な壁のようなものに覆われています」
『そのロックは、最後の教会で解除される。願いを叶えるティアラ、もしその力が本物なら。ティアラに願いを託すことで田中とアンジェリカは――』
俺たちが望んでいる結末にたどり着く。
それが、本当の願いだと。
……心の底から願うことができたなら。
お前たちはきっと。
『――元の世界に戻れる』





