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第16話 アンジェリカは全てを思い出した



 僕は目の前のアリスの手を取ろうとして……一瞬、躊躇した。



 アリスはそれを見て少し悲しそうな顔をすると、死人のように冷たい手で、無理やり僕の手を掴んだ。僕はその手を振り払わず、誘われるままにゆっくりと洞窟の奥へ進んでいく。眠りに落ちるように、僕の思考は黒く塗りつぶされて、真っ暗な闇に溶けていった。



 ……君が、望むなら。僕は――

 

 

 意識が途切れそうになったその瞬間。

 誰かに後ろから、強く抱きしめられる感覚がした。

 

 

「田中様!!」


「……アリ……ス…………?」


「ここは魔が深くて危険です、早くこちらへ!」



 アリスはそのまま僕を洞窟の壁に押し込み、僕たちはバグ空間へと移動した。

 夢でも見ていたかのようにふわふわと微睡む頭の中は、時間をかけて徐々にクリアになっていく。

 僕を心配そうに見つめるアリスと目が合ってようやく、自分が彼女に助けられたのだと理解した。



「アリス、どうしてここに……」


「胸騒ぎがしたのです。田中様に、何かあったのではないかと……なので無理を言って、タケル様に連れてきてもらいました」


『まさか、アンジェリカが深夜に一人でこんな場所に来てたなんてな。城の裏に謎の隠しマップがあったから、もしやと思ったんだ。念の為ワープしてきて正解だったよ』


「深夜……?もうそんな時間!?早く洞窟の薬草を……!じゃないとジェシカが!ジェシカが誰かに、毒を盛られたんだ!」


「そんな、どうして……!」


『ジェシカが毒に!?そんなシナリオ、俺は知らないぞ!まさか、裏で何か進行しているのか……?それなら、一刻も早く薬草を採取しないとな。薬草のすぐ手前、さっきの黒いモヤがない位置にワープする!アリスちゃん、田中をしっかり掴んでおいてくれ!』


「わかりました、田中様!」



 白いドレス姿のアリスは、僕に手を差し伸べた。僕を暗闇の中で掴んだ手とは違う、暖かくて陽だまりのような、アリスの手だ。


 僕たちが手を取り合うとバグ空間は解除され、目の前に光り輝く薬草が現れた。



「よかった、これで解毒薬が……!あれ、でも……これしか、ない?」



 光り輝く薬草は、片手で掴めるほどの量しか採集できなかった。ゲームだと普通の回復薬を作るのにも、もっと量が必要だったはずだ。きっとこれでは……



「……足りないです。近年は、聖女不在のため大地に神の加護が足りず……神聖な力を持った薬草も、少ないのかもしれません」


「そんな、このままじゃ……!そうだ、タケル!タケルなら、アイテムを増やせたりしないかな……!」


「タケル様、聞こえますか、応答を!」



『うぁ、ぁぁぁ!ああああ!』



「…………アンジェリカさんの、声が聞こえてきます。とても苦しそうな……」



『駄目よ、これじゃ足りない!このままでは、ジェシカは死んでしまう……!死んでしまうの……!』


『アリスちゃん、すまない、状況はかなりまずい……!増殖バグを試してみたけど、その薬草は駄目だった。薬草のグレードが上がれば、その量でも解毒薬は作れるっぽいんだけど。アイテムのグレードを上げるのは、クリア後にアリスちゃんが聖女になってからしか……』



「……つまり私が聖女になれば、問題は解決するのですか?」



『ああ、おそらく。でも、"聖女見習い"から"聖女"になるには条件がある。聖女は人を思いやる心を持った……真実の愛を知る者でなければならない。ゲーム的に言えば、告白イベントの後じゃないと、聖女になれないんだ。現段階で告白の条件を満たしてるキャラクターなんて、ギルベルトくらいしか……』


「いいえ、タケル様。私、ギルベルト様のことは好きではありません」


『え、じゃあ詰み――』


「……けれど、気持ちを伝えたい方はいます」



「アリス、さっきから何の話をしているの?タケルは――」


「田中様」



 アリスはまっすぐに僕を見て、言葉を続けた。



「…………解毒薬を作るには、聖女の力が必要みたいです。けれど、半人前の私の力だけでは足りません」


「なので、貴方の力を借りようとしてしまう……弱くて未熟な私を、どうかお許しください」



 瞳を潤ませて、今にも泣き出しそうな表情のアリスは、それでも僕を見つめる目を逸らさなかった。



「……この気持ちをお伝えすることは、ないと思っていました。貴方は他の世界の方。いつかは、この世界から居なくなってしまう。……苦しいのです、報われないと、最初から分かっているのです、それでも私…………私は…………」



「私は、貴方のことが…………!」



 ……そのまま、アリスは続きの言葉を紡ぐことが出来ずに、俯いてしまった。流れた涙が、彼女の足元にぽたぽたと落ちる。


 きっと、怖いんだ。気持ちを伝えて、受け入れられなかったら。拒絶されてしまったら、嫌われてしまったら。……そう考えると、動けない。僕も同じだったから、アリスの辛さが痛いほど分かる。


 ……僕が伝えなきゃ。本当なら、僕が言うべき言葉を。ゲームの攻略キャラクターでもない僕が、こんなことを言って許される筈がないけれど。……どうしても、伝えたい。君の伝えたい気持ちと、僕の伝えたい気持ちは、きっと同じだから。



「アリス。君が言えなかった続きは、僕に言わせて」



 アリスの頬を伝う涙を指先で拭う。ゆっくりと顔を上げたアリスと、目が合った。

 僕は今、どんな表情をしているだろう。緊張して、指先が微かに震える。けれど、アリスのまっすぐに僕を見つめる瞳が、不思議と僕の心を落ち着かせた。僕はやっぱり、君に助けられてばかりだ。


 ありきたりで何の捻りもないその言葉は、紛れもなく僕の本心で。君への想いが募って溢れて、自然と口から零れ出た。



「僕は君のことが好きです」



「……ありがとう、アリス。君が勇気をくれたから、やっと言えた。ずっと君に、伝えたかったんだ」



 アリスはその言葉を聞いて、涙を流しながらも、嬉しそうに微笑んだ。



「……はい、私も。私もずっと、貴方に伝えたかった……!」



「私は田中様のことが好きです……!」




♢♢♢♢♢




 告白イベントは成功した。


 アリスが愛の言葉を口にした瞬間、ゲームの画面は真っ白に発光した。そして次の瞬間には、まばゆい光のエフェクトと共に、洞窟内の全ての黒い影が消え去った。薬草はより強い光を纏って、きらきらと輝いている。



『魔が全て払われて……さっきの薬草もグレードMAX!?スゲーな、これが聖女パワー!?』



「……これで解毒薬が作れます。急いで、ジェシカ様に持っていきましょう」


「うん……ありがとう、アリス」



 画面の中の二人は、恋人のように見つめあっている。


 マジか、田中。お前アリスちゃんのこと……でも、どうするんだよ!お前はもうすぐ、こっちの世界に戻らなくちゃならないんだぞ……!?


 

『……細かいことは後だ、とにかく急ごう!毒を盛られてから何時間経った!?もう時間がない、ジェシカのいる部屋に飛ばすからな!』


 

 ワープバグを使って、一瞬で二人を移動させる。アイテム調合メニューで先程の神聖な薬草を調合したら……どんな毒にも効く、魔法の解毒薬が999個出来た。おいおい、どんなバグだよ。


 出来たてほやほやの解毒薬を、アリスはベッドの上で死にかけていたジェシカに飲ませた。薬の効果はすぐに出たようで、ジェシカは一度目を開けて微笑むと、まるで何事もなかったかのように、すやすやと規則正しい寝息を立て始めた。



『……アンジェリカ。ジェシカは、助かったよ』


『ジェシカ……ジェシカ!』



 アンジェリカは安心したのか、大粒の涙を流して泣きじゃくった。

 急な泣き声にびっくりしたじいちゃんが、これでも飲んで、とお茶を持ってきてくれたので、俺たちはひとまず休憩を挟む。


 しばらく経って落ち着いたアンジェリカは、アリスと田中に話がしたいと言い出した。


 どうやらアンジェリカは、()()()()()()()()らしい。



 俺は城の壁のバグ空間に二人を集めた。アンジェリカは一呼吸おいてから、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。



『私……思い出したの。私はあの時、薬草を持って帰ったけれど、ジェシカを助けられなかった。事態に後から気がついたギルベルトは遅れてやって来て……君の妹を助けてられなくてすまない、とそう言ったわ…………』



『私、毒を盛った犯人はアリス、貴女だと思った。貴女がよく摘んでいた花の花弁が、部屋に落ちていたから。邪魔者の私が大事にしている妹を殺して、私を一番酷い方法で苦しめようとしたのだと』



『だから、ジェシカを殺した毒で、貴女を殺そうと思った』



『…………でも、違ったのね。犯人は貴女じゃなかった』



『貴女はまっすぐで清廉な娘よ。そんな小賢しい真似はしない。それに、私が邪魔なら私を毒で直接始末すれば良いだけ。わざわざジェシカを殺す必要なんてない。……そもそも私と大して仲の良くなかった貴女が、私とジェシカがパーティの前日から城にいることをどうやって知ったのか……』



『……冷静に考えれば、分かることなのにね。私はどうして、あんな過ちを…………』



「……きっと、魔の影響だ。あの洞窟には、異様なくらい魔が充満していた。魔に触れると、僕たちは正常な思考ができなくなる。僕もアリスが来てくれなかったら……どうなっていたか、分からない」



 田中は、画面の外のアンジェリカに向かって話しかけた。

 実際にアンジェリカの体にいる田中だからそこ、分かることがあったのだろう。田中はアンジェリカを気遣う、優しい言葉をかけた。



「――だからどうか、自分を責めないで。君は魔に蝕まれながらも、最後までジェシカを助けようとした。アンジェリカ、君はすごい人だ。僕は君を、尊敬してる」


『貴方は他人である私の妹のために、自らの危険を顧みず行動してくれたわ。とても勇敢で、優しい人よ。……みんな、ジェシカを助けてくれてありがとう。そして、アリス。貴女を恨んで、ごめんなさい』


「私の方こそ、ごめんなさい。私、貴女のことを助けてあげられませんでした。貴女を死なせてしまって、ごめんなさい」



 アリスは、アンジェリカの死の瞬間を思い出したのか、悲痛な表情を浮かべた。アリスには、どうすることも出来なかった未来だ。謝る必要なんてない。それに……

 


『顔をあげなさい、アリス。私はまだ死んでないわ。そうでしょう?ねえ、タケル』


『ああ、そうだ。お前のことは死なせたりしねーよ』



 今は、あの時の最悪のシナリオを繰り返していない。ジェシカの命は助かったし、田中も魔に蝕まれなかった。全てがいい方向に向かっている。


 もしかしたらこれは、本当に。アンジェリカが死なない未来を、実現できるかもしれない。


 からくりはもう分かった。

 アンジェリカは、初めから悪役令嬢だった訳では無い。

 アンジェリカがあの結末に至った原因は、()()()()()()()



『今回のイベントで……ようやく情報が揃った。実は俺、パーティの準備イベント中、ずっと全体マップを観察してたんだ。マップには、攻略キャラクターの位置がミニアイコンで表示される。どのキャラクターがどんな動きをしてるのか、把握しておきたいと思って、画面の端に常に表示させて見てた。そしたら、さっきの話と合わせて不可解な点があることに気がついたんだ』



『あいつは、最初から城にいた。それも、ジェシカが滞在している部屋の近くに。だから、手遅れになるまで事態を把握してなかったなんて有り得ない。それにあいつは……』


「解毒薬を……持っていた」



 田中が、俺の言いたかったことを的確に言い当てた。さすが親友。ロマアリのシナリオのことも、よく覚えている。



『ああ。暗殺イベントの終盤。あいつは、持っていた解毒薬で毒を飲んだアリスを救うんだ。解毒薬は、最初からあった。だから本当なら、ジェシカを救うことも出来たはず』



「……僕、やっと分かったよ。あの時、アンジェリカがナイフで殺そうとしたのはアリスじゃない。それに、アンジェリカが狂乱したのには理由があった。ジェシカが死んで、魔に蝕まれて。理由は複合的なものだろうけど、確信的なものは、ただ一つ」



『あの瞬間。真実が分かったんだな』



 俺たちの推理を聞いたアンジェリカは、大きくゆっくりと頷いた。

 その目には、激しい復讐の炎が宿っている。



「…………ええ。私は、嵌められたのよ。あの男に」




「憎き婚約者、ギルベルト・クラインに……!」



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