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第12話 田中は恋を自覚した



 ビーチの波打ち際を、僕とアリスは二人でゆっくり歩いている。

 時間は穏やかに流れていて、聞こえてくる波の音は本物じゃないけれど……浮ついた気持ちを、そっと落ち着かせてくれる。



「田中様。私、こんなに楽しいのは初めてです」


「普段の学園は、何も変わり映えしないもんね」


「そうじゃありません。細かくは覚えてはいませんが、私、この場所にはおそらく何度も来たことがあるんです。けれど、今が一番楽しい……これだけは、間違いありません」



 アリスはそう言って、僕に笑いかけた。

 ただ歩いてるだけなのに、楽しいだなんておかしいと思うけど。


 ……僕も同じ気持ちだから、言い返すことなんてできない。

 君とこうして一緒に過ごせることが、僕は何よりも嬉しくて堪らないんだ。



「僕もたぶん、人生で今が一番楽しいよ」



 アリスに聞こえないくらいの小さな声で、呟く。

 君がいなかったら、僕はこの世界でとっくに心が折れていた。

 君がいたから、僕はこの世界に来てしまったことを幸運だと思えた。

 

 ……君は誰にでも優しい聖女だから、こんなどうしようもない僕のことを、懸命に助けようとしてくれている。

 

 それなのに僕は……このまま、二度と元の世界に戻れなくなっても、それで構わないと心のどこかで思ってしまっている。

 



「あ、あちらの方にお魚の影が見えます。採集、しますか?」


「君って、結構採取好きだよね……うん、あっちの岩場に行ってみようか」



 岩場はでこぼこしていて、所々に海水が溜まっていた。

 水に濡れた岩はつるつると滑り、砂浜と違って歩きづらい。



「きゃっ」


「わっ、危ない!」



 アリスが転びそうになったのを、僕は咄嗟に彼女の手を引いて支えた。



「すみません、田中様。ありがとうございます」


「いえ……あっ……えっと、ごめん、その……手……」



 いつまでも触れているのは悪いと思って、僕は握った手を離そうとする。けれど彼女の手は、僕の手をそっと握り返して離そうとはしなかった。



「あの……田中様。岩場は、滑って危ないので……」


「あ………そうだね、手……このままに……しようか」


「はい……」



 繋いだ手から感じる体温が、お互いを伝っていく。

 いつの間にか、もう魚のことなんてどうでも良くなってしまった。



 ああ、この時間が。ずっと続けば良いのに。




 そんなことを願ってしまった僕に、天罰は突然下された。空は一瞬で燃えるように赤くなり、夕日は海に沈んでゆく。


 波の音をかき消すように鳴り響く鐘の音は、この幸福な時間の終わりを告げる。



『アリスちゃん、時間だ。ギルベルトが来る。アリスちゃんには、この先にある洞窟へ移動しもらう。いいね?』


「分かりました、タケル様。……田中様、ここでお別れです。私はこれから、洞窟へ向かわなければいけません」


「アリス……」



 この手を離したくない。君を危険な目になんか遭わせたくない。君を他の人の元へ、行かせたくない。


 けれど君は僕の手を振りほどいて、振り向かずに進んでいく。



「……どうか、気をつけて」



 この場から動けない僕は、また君の背中を見送ることしかできない。




♢♢♢♢♢




『ここでのイベントは、今後ギルベルトの個別ルートに入るために避けられない。概要を説明するぞ』


『公務を終えたギルベルトは、遅れてクラスメイトが集まる海岸にやってくる。しかし、その海岸にアリスちゃんの姿は見えない。不審に思ったギルベルトは、アリスちゃんを探してある洞窟を見つける。実はアリスちゃんは探索の途中、満潮になると出られなくなる洞窟に閉じ込められそうになっていたのであった』


『ギリギリのところでギルベルトが駆けつけて、アリスちゃんは洞窟から逃げられずに溺れていたところを救出される。辛いと思うが……ギルベルトは必ず来る。だから、耐えてくれ』



「私、溺れる苦しみなんて怖くありません。私がここで死ぬ運命ではないのなら、大丈夫です」



 けれど……



『ああ。アリスちゃんは一度死にかけるが、人工呼吸で息を吹き返す。アリスちゃんはギルベルトに助けられる、この出来事がきっかけで彼を好きになり、この後のギルベルトルートが確定するんだ』




 ……怖い。


 私、自分でももう分かってる。私は、田中様のことが好き。


 この世界で一人ぼっちだった私にとって、あの方の存在は、神様がくれた奇跡。


 田中様は私を、一人の人間として対等に見てくれる。

 いつも私のことを気にかけて心配してくれる、とても優しい人。

 私の心に寄り添って、そばにいてくれる人。


 私は貴方の力になりたい。

 この気持ちが貴方に届くことはなくても、私は貴方のことを想い続けていたい。



 ……けれど、もし。この世界が抗えない力によって定められていて。自分の気持ちまでも上書きされて、ギルベルト様のことを好きになってしまうのだとしたら。


 怖い。それはきっと、死よりもずっと恐ろしいこと。



『アリスちゃん、そろそろ潮が満ちてくる。……イベントが、始まる』


 

 タケル様の声が聞こえた直後。洞窟に水が流れ込んできて、私はあっという間に頭の先まで海に飲み込まれた。

 呼吸ができない。苦しい。


 私はもしかしたら、このまま本当に死んでしまうのかもしれない。

 ……けれど、嗚呼、それでもいい。


 田中様、田中様……!私はいっそ、この気持ちのまま。


 貴方のことを好きなまま、死んでしまえたらいいのに……!




♢♢♢♢♢




「アリス、頼む、目を開けてくれ!アリス!」



 砂浜には、目を閉じたままぐったりと倒れているアリスと、そのアリスの側で懸命に声をかけるギルベルトの姿が見える。


 アリスが死にかけているといのに、僕は離れたこの場所から一歩も動くことが出来ない。


 悔しい。悔しい。僕がいっそ、あのギルベルトだったら。僕が君を救ったのに。そうじゃなくても、他の男キャラだったら。僕は君に……!


 ……君に好きと、言えたのに。



 自分の中にあるどうしようも無い感情に気づいた途端、涙が溢れて止まらなくなった。


 滲む視界の先には、まだ二人の姿がぼやけて見える。


 そして、ギルベルトの唇が、アリスの唇に触れそうになった瞬間。

 目を背けた僕の視界は、真っ暗な闇に覆われた。


 空気がビリビリと張り詰め、世界が暗転して、止まる。

 空間の所々に大きなノイズが走り、綺麗だった海と空は、色も形もぐちゃぐちゃになっている。

 ……もしかしてここは、バグ空間?

 体の自由も効くようになった。今なら、動ける。



「アリス!」



 僕はアリスに駆け寄った。

 石のように動かなくなったギルベルトを押しのけ、アリスを抱きしめると、アリスの体は人形のように冷たくなっていた。



「嫌だ、死なないで、アリス……!」



 アリスの唇に唇を押し当て、息を吹き込む。

 人工呼吸がこれで合っているかは分からないけれど、次第にアリスの体は熱を取り戻し、やがてアリスは小さくむせて再び呼吸を始めた。


 ゆっくりと瞼を開けたアリスと目が合う。

 彼女の薄い桃色の瞳には、涙でぐしゃぐしゃになった(アンジェリカ)の顔が映っている。



「アリス…………!」


「田中……様…………」


「よかった……!君が、生きていて……!僕……!僕は…………!」


「田中様……私、今……とても幸せです。私……まだ、貴方のこと……」



 抱きしめ合った体からは、心臓の鼓動が微かに伝わってくる。

 僕達は生きている。この作り物だらけの世界で、確かに生きているんだ。


 もうそれで、いいじゃないか。これ以上望むものなんて、何も無い。君がいてくれれば、僕は。……もう他に何も、必要ない。




♢♢♢♢♢




「――スチル省略バグ。ここは本来なら、ギルベルトとアリスちゃんの人工呼吸という名のキスシーンが入るとこだけど。絵の表示をキャンセルしてスキップしちまえば、ゲーム画面は真っ黒、世界は暗転。何が起こっているか、こっちからは観測できない。再開地点は、臨海学校の翌日からになる。イベントが省略されても、アリスちゃんはシナリオの進行上無事な筈だ。……なあ、アンジェリカ。これで満足かよ」


「ふん、当然よ。ギルベルト様が小娘と口付けしてる姿なんて、見たくもないわ」



 アンジェリカは腕を組んで、険しい表情で暗転したゲーム画面を見続けている。……やっぱり、気になるんだな。あいつのこと。



「お前ってさ。なんでそんなにギルベルトのこと好きなの?何か好きになるきっかけでもあったわけ?」


「それは………知らない」


「知らないって……ははーん、さてはお前、ギルベルトのこと実はそんなに好きじゃないな?本当は結婚も、金目当てなんだろ?」


「それが悪い?お金は大切よ。それに皇帝と結婚すれば、私は皇妃。一族のために権力を求めるのは当然のこと。…………好きという気持ちだって、ちゃんと存在する」



 偉そうな態度から急にしおらしくなったアンジェリカは、胸に手を当てて、俯きがちに話を続ける。



「理由もなく、記憶もなく。……ただ、好きというドロドロと渦巻く感情だけが、私の中に確実に存在してる。…………それはとても、怖いことね」


「……怖い?」


「私の感情なのに、私の心なのに!制御できない何かが、ずっと私を蝕んでいる。……そんな感じがするの」


「……つまり何?お前たちって、自分の感情ごとプログラムされた存在ってことなのか?それじゃ、お前がどんなに良い奴だったとしても……お前は、あいつへの愛に溺れて、あるべき形に歪められて……」



「私は、私じゃなくなってしまうのね……」



 アンジェリカはそう言って、自嘲気味に笑った。

 ……そんなの、あんまりだ。それじゃ、お前の本心がどうであれ……あの結末へ、向かっていってしまうということなのか。



「お前はお前だよ、アンジェリカ。俺はもう、お前のことをよく知ってる。悪役令嬢じゃない、こんなボロ屋で知らない平民たちと仲良く暮らしてるお前のことをさ」



 だから、お前がお前らしくいられるように。

 俺に出来ることは、精一杯やるつもりだ。


 俺はアンジェリカの両肩を掴んで、真正面からアンジェリカに言い聞かせた。



「お前が元の世界に戻っても、最悪のエンディングにはさせない。俺が必ず何とかする。だから、信じてくれ」


「……当然よ。戻って死ぬなんて、真っ平ごめんだから。誓ったからには、絶対に何とかしなさい」



 アンジェリカは強気な表情でそう答えると、肩を掴んでいた俺の手を、ぺしっと軽く払いのけた。



「やっぱり、いちいち偉そうだよなお前」


「貴方が無礼なのよ。無駄口を叩いてないで、早く夕食の準備を手伝って!」


「わかりましたよ、お嬢様!」

 


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