第11話 アリスは海に来た
春は隣国への遠征、梅雨の時期には雨宿りイベント……ロマアリには様々な胸キュンシナリオが用意されているが、それらは全てスキップさせてもらう。何故かって?好感度が足りてれば、いちいちそんなイベントやらなくてもエンディングに辿り着く、そういう仕様のゲームだからだ。無駄はとことん省こうじゃないか。それに、イベントのスキップは他の無駄を省く効果もある。……ずばり、メイン以外の攻略キャラクターの登場を防ぐことができるのだ!
今まで、アリスがほぼ教室と中庭の花壇の往復しかしてこなかったのも、これまた他キャラの出現を防ぐためだ。昼間の街に繰り出せば、パン屋のエリック。夜の湖畔に近づけば、詩人のジェラルドなど。攻略キャラが20名もいると、至る所に運命の出会いが用意されている。
RTAにおいて、悪戯に他の攻略キャラを出現させ、無駄なイベントで時間を使うなど愚の骨頂!
今回、俺たちは最短最速でギルベルトルートを突き進む。だから全員、まともな学園生活は送れないと覚悟しておけ!
『アリスちゃん、寝る準備はいいかい?』
「いつでもすやすやです」
以前は、好感度上げのアイテム『桃色の花』を大量に入手するために、ゲーム機本体の時間をいじって日付を飛ばしていたが。それだと、田中のゲーム内での体感時間が大変なことになるらしい。ならば別の方法を、ということで。今回使用するのは、無限すやすやバグだ。アリスが自宅のベッドに寝て、カレンダーを開きながら特定のコマンドを入力することで……ゲーム内の任意の日付に、時間を進めることが出来る。その際に、アリスがテキストボックスで無限にすやすや言い続けるので、付いた名前が無限すやすやバグだ。
『よし、それじゃ……時を、飛ばそう!』
「すやすやすやすやすやすやすやすやすやすやすやすやすやすやすやすや………」
♢♢♢♢♢
「はっ!ね、寝坊した……!気がする!が、学校……!」
「おはようございます、アンジェリカ様」
「あ…………お、おはようございます」
目を覚ますと、珍しく使用人のNPCに声をかけられた。何だかよく寝た気がする。今は何時だろう。日差しは強く、空気は熱い。もしかしたらタケルがうまいこと時間を飛ばして、夏になったのかもしれない。
寝起きの頭がはっきりしないうちに、いつの間にか寝癖を直され、服を着替えさせられていた。
制服は夏服に変更になったようで、袖は半袖になり、ロングスカートの生地は少し薄く軽くなっている。
お屋敷の使用人たちはいつにも増して忙しそうにバタバタと動き回ると、僕の目の前に大きなトランクケースをドカドカと何個も置いた。
「え、何この荷物」
「本日は、学園行事で海辺での散策がありますから。そのためのお荷物でございます」
「海辺……?」
「さあ、アンジェリカ様!馬車にお乗りになって!」
「うわぁぁぁっ!って、もう着いた!ワープ!?」
荷物ごと馬車に詰め込まれ。数秒経つと、もう目的地に辿り着いていた。
青い空に白い雲。海も青く輝いている。ビーチの砂は、柔らかくサラサラとしていて、足に触れる感触が心地良い。
下を見ると、いつもは服で隠れている胸元が、表面積の少ない布を纏って大胆にさらけ出されている。
「って、僕、い、いつの間にか水着に着替えてるし。これって……」
「"臨海学校"と、いうらしいですよ。タケル様に教えていただきました」
後ろからアリスに声をかけられる。
臨海学校、確か学園生活2年目の夏に行われるイベントだ。
もう、そんなに時間が経ったんだ。
振り向いてアリスを見ると、アリスもシンプルな水着姿になっていた。
僕の方が大胆な水着を来ているはずなのに、アリスの水着は何だか直視してはいけないような気がして、思わず目をそらす。
「……タケル!イベントは全部スキップするんじゃなかったの!?」
「タケル様から伝言を預かっています。『わりーわりー。でも、臨海学校イベントはどうしても外せないんだ。ここでフラグを立てとかないと、ギルベルトの個別ルートに入れなくなる。じゃあ、アリスちゃん。夕方までは何もないからさ。俺もゲーム放置しとくし、自由に楽しんでてくれ!』とのことです」
「えっ、ちょっと、タケル……!」
「田中様、今は私たちだけの時間です。このビーチには、ギルベルト様もいらっしゃいませんし。邪魔する人は、誰もいません。一緒に海で遊びましょう」
アリスは楽しそうに笑うと、海に向かって駆け出した。
……そっか、アリスはプレイヤーにいつも操られてばかりだから、こうして自由に行動できる時間は貴重なんだ。
それにタケルは、アリスを教室と花壇との往復ばかりさせていたみたいだし。海に来て……初めてまともに、街の外に出れたんじゃないかな。
アリスの方が、NPC生活の僕よりもよっぽど不自由だ。そんな彼女が自由になれる時間が、今やっとできたんだ。
「…………ありがとう、タケル」
♢♢♢♢♢
「ちょっと、貴方さっきギルベルト様の名前を出したわね。またあの小娘を、ギルベルト様に近づけたんじゃないでしょうね」
「いやぁ?別に?そんなことはないけど?って、アンジェリカは何やってんの?生け花?」
ゲームを置いて、和室にいるアンジェリカの様子を見ると。
アンジェリカは険しい顔をして、真剣に花を花瓶に生けている最中だった。
「爺が、床の間に飾る花が欲しいと。だからこうして、私が花を見繕っているの」
「へえ、センスいいじゃん。こういうの得意なんだ」
「公爵家令嬢として、この程度の教養持っていて当然よ」
得意げな顔をしてそう言ったアンジェリカが完成させたのは、うちの床の間に飾るにはちょっと派手な生け花だった。
けど、じいちゃんも明日香もすごく喜んでるし。質素な家の中が、少し華やかになったような気がして、案外悪くない。
家の中には、アンジェリカが縫ってほつれを直したカーテンだとか、これまたアンジェリカがフリルを付け足して可愛くした明日香のエプロンだとか。徐々にあいつが手を加えたものが多くなってきた。
ここでは何もやることがなくて暇らしいアンジェリカは、一宿一飯の恩義でも返すかのように、何かできることを見つけては忙しなく動き回っている。
「……俺、ここ何日かお前と過ごしてみてさ。お前が、あんなことを企てるような奴だとはどうしても思えないんだよ」
「あんなことって?」
「いや、先の話。お前もこのままなら、良かったのにな」
……アンジェリカはわがままで、いつも偉そうだけど。明日香には、まるで自分の妹かのように優しくするし。じいちゃんを小間使いのように扱いながらも、じいちゃんが大変な時にはちゃんと手助けするし。
俺に対しては手厳しいけど……それでも、根っからの悪人には見えない。今の彼女を、殺人を犯そうとする悪人に変えてしまうほどに……恋とは、恐ろしいものなのだろうか。
「そこで突っ立っている暇があったら、庭の植木に水でもやって頂戴。今日は暑いから、草木も辛そうだわ」
「へいへい、お嬢様の仰せのままに」
ジリジリと暑い日差しが、庭に照りつけている。
田中、そっちもちゃんと暑いのか?
今年の夏は、猛暑だって。アンジェリカが暑いと文句を言うくらいだ。お前も戻ってきたら、暑いって言うんだろうな。
そしたらみんなでかき氷でも食べて……あ、でもアンジェリカはイチゴシロップだけじゃなくて本物の苺も乗せろとか言うだろうから、ちょっと高いけど苺も買っといて。どうせならジャムを作るみたいにシロップを手作りした方が、あいつも喜ぶだろうし……
……あれ、そっか。そうはならないか。田中が戻ってきたら、アンジェリカはもうここにいないんだ。
ティアラの作戦が上手く行けば、アンジェリカはあと数日も経たずに元の世界に戻れるだろう。けど、アンジェリカはあの世界で。悪役令嬢のアンジェリカ・バートリーではなく、ただのアンジェリカ・バートリーとして。……ちゃんと幸せに、生きられるのだろうか。





