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第10話 アリスは空中を浮遊した




『アリスちゃん、準備はいいか?こっちは万全だ』


「タケル様が万全なら、大丈夫です。私は、タケル様の指示に従うだけですから」



 誰もが寝静まったこの街で、静かに揺れる影が一つ。

 真っ黒な怪盗衣装に身んだアリスが、教会の屋根の上から月夜の街を見下ろしている。

 狙う獲物は国宝、プリンセスティアラ。田中の運命は彼女と俺に委ねられた。


 月が陰り、世界がより一層深い闇に包まれると、まさに今こそ絶好の泥棒日和!いざ、ミッションスタート!


 あ、ちなみにこの怪盗衣装っていうのは、さっき俺がバグで解放したレアコスチュームだ。せっかくだから、気分を盛り上げていかないとな!



『アリスちゃん。ここから先は、ちょっと手荒で危険な道になるからさ。キツくなったら、言ってくれ。もし君に何かあったら、このゲーム自体が崩壊してしまうかもしれない』


「分かりました。……タケル様、一緒に田中様を救いましょう」


『ああ!それじゃ、行くぜ……!座標バグ、空中浮遊だ!』



 アリスは教会の屋根の上から飛び降りると、地面に向かって落下……することなく、そのまま宙に浮かび始めた。

 一歩足を前へ踏み出すごとに、その体は勢いよく上昇していく。やがてアリスは、国全体を見渡せる程の高さに到達した。


 そして、アリスの体が空高く浮かぶ雲に触れた瞬間、一気に落下が始まる。

 上空からの落下中に目的地に向かって移動を行うことで、普段は封鎖されていて進めない場所にも辿り着くことができる。



『城まではあと少しだ。もしこの高さから落ちても、落下ダメージとかは無いはずだけど。アリスちゃん、今のところ大丈夫かい?』


「はいっ……!少々風は感じますが……!体に影響はありません……!」


『ははっ、そうか。問題ないなら良かった!じゃあ、このまま行くぜ!壁の向こう側へ!』


「……!強い力に押されるのを感じます……!」


『君が今感じている圧は、目に見えない壁……コリジョンの反発だ!君は、城と街を隔てる見えない壁の間を縫って進んでいるんだ!そして、壁を抜ければ……!そろそろ見えてきたはずだ!』


「お城……!タケル様、宝物庫へはどうやって?」



 石造りの荘厳な城は、再び現れた月に照らされその輪郭を映し出す。

 宝物庫の位置は、城の中心部から見て北に位置する小さな部屋の後方だ。ここからが、このミッションの重要な局面。


 地上には見張りの兵士がうようよいるため、俺たちは監視の目が向かない上空から侵入する。空から、どうやって室内に入るのかって?そんなの、バグを使うに決まってんだろうが!



『宝物庫の天井の中の、たった1マスのブロック。そこに、天井があるように見えて、実際は天井が存在しない場所があるんだ。コリジョンに隙間が空いてる、って言えばいいのかな。アリスちゃんはそのブロックからなら、すり抜けて外から侵入することができる』



『だがこれは、高度な技だ。その1マスを外したら、アリスちゃんの体は激しい反発を受けて、このワールドマップの外にまで押し出されてしまうだろう。そうなったら、ゲームオーバー。リセットするしかなくなる。リセットしたら、田中にどんな影響が出るか分からない。だから、チャンスは1度きりだ』


「任せましたよ、タケル様っ……!」


『ああ、任せておけ。絶対に成功させてやる!なんたって俺は……っ!』



 目標のブロックを捉えて、一気に急降下する。1ミリのズレも許されない。ギリギリの挑戦だ。常人なら緊張で手が震えて、操作をミスするだろう。しかし、俺は絶対に間違えない。

 俺のロマアリのRTA記録11分34秒は、世界最速なんだ。この数字は、誰にも届かない。……つまり俺は!



『世界で一番、このゲームをやり込んでる男だ!』




 アリスは、天井をすり抜け宝物庫の床に華麗に着地した。

 着地の効果音だけが小さく鳴り響く。部屋の中はBGMすら流れておらず……この場所は本物の静寂に包まれていた。



「…………宝物庫、着きました。ティアラは――」


 

 アリスが辺りを見渡しても。

 宝物庫にはティアラどころか、1つの宝箱も存在しない。

 


「何も…………無い?」


『くそ、空か。……なるほど、不要なデータは削減してあるって訳だ』


「……タケル様、誰か来ます」



 宝物庫へ駆け寄る複数の足音が聞こえてくる。見張りの兵士たちが異変に気がついたのだろう。このままアリスが見張りの兵士に見つかってしまうと、ゲームオーバーだが……

 


『大丈夫だ、もうすぐ朝が来る。朝が来ると――』



 兵士の一人が宝物庫の扉を開けると同時に、宝物庫の小窓から朝日が差し込んだ。部屋にはもう、誰もいない。



 アリスが瞬きをして目を開けると、彼女の目には見慣れた素朴な部屋が映った。



『自動で自室に戻るんだ。便利だろ?』




♢♢♢♢♢




「……!アリス、良かった!無事だったんだね!」


「田中様……」


「うわっ!」



 翌日。教室に着くと、アリスは真っ先に僕に駆け寄って、勢いよく抱きついてきた。そのまま壁にぐいぐいと押されて、僕たちはバグ空間へと吸い込まれていく。



「ま、まだ慣れないな、コレ……」



 押しつけられる胸の感覚と、至近距離のアリスと……正直、今男の体じゃなくて良かったなと、心から思う。


 アリスには絶対に嫌われたくない。だからアリスに対する余計な感情はバレてはいけない。抱きしめ返すこともできずに宙に浮いた手は、そのままビリビリと壁の中に飲み込まれていく。


 真っ暗なバグ空間に来たら、まずはタケルに状況を聞いて……と思ったのに、アリスは僕に抱きついたまま離れようとしない。それどころか、より一層抱きしめる力を強めて、小さく震えている。

 

 どうしたんだろう。昨日何か、怖いことでもあったのだろうか。 

 顔を上げたアリスは、涙を流していた。



「…………アリス?」


「ごめんなさい、田中様。私、失敗しました」


「えっ……」


「ティアラは、ありませんでした……」


『アリスちゃんのせいじゃねーよ。ティアラが宝物庫にないのが、このゲームの仕様だった、それだけだ』


「ティアラが宝物庫にない……?じゃあ、他の場所にあるってこと?」


『いや、それは考えづらい。宝物庫にデータが存在しないってことは、恐らくティアラはただのアイテムじゃなくて、必要な時だけ出てくる特殊アイテムなんだ。例えばだな……田中、釣竿を出してみてくれ』


「はい……ってええ!僕、釣竿なんて持ってたっけ!どこから出したの今!?」



 無意識のうちに、僕は釣竿を取り出して手に装備していた。



『このゲームは、採集要素があるからな。必要な道具は、見えないけれど各々最初から持ってる。他にも、ジョウロ、ピッケル、虫あみなんかも出せるはずだ』


「あ、ほんとだ!出る!なにこれ、気持ち悪い!」



 ドラ○もんが四次元ポケットから道具を出すみたいに、僕は何も無いところから道具を取り出している。そういえば毎日の水やりのジョウロも、毎回無意識のうちにいつの間にか手に持っていたけど、こういうことだったのか!

 変な鳴き声のするカエルのおもちゃなんかも出てきた。アンジェリカ、さてはこれでアリスに嫌がらせするつもりだったのかな!?


 アリスは同じように何も無いところからハンカチを出して、涙を拭っている。ああ、僕もこんな変なものじゃなくて、ちゃんとハンカチを出して渡してあげたかった……!



『田中がいま変なおもちゃを出したように。主要キャラクターはそれぞれ、固有の特殊アイテムを持っている。ティアラが空間に配置されてる通常アイテムじゃないなら、特殊アイテムとして誰かが保有しているんだと思う。シナリオの展開からして、今後ティアラを手に持つ予定なのは二人。……アリスちゃんと、ギルベルト。つまりこの二人は、プログラム上では最初からティアラを持っているはずなんだ』


「タケル様、でも私……ティアラなんて持っていませんし、出せません」


『そりゃそうだ、今は出せないよ。フラグが立ってないんだ。ティアラを手に入れたという、フラグが。このフラグを立てないことには、アリスちゃんの手荷物にティアラが加わることはないし、ティアラを出すことも出来ない。そういうプログラムなんだ』


「じゃあ、ギルベルトは……!」


『……アイツにも、無理だろうな。フラグが立つのは、おそらくあの場面だ。きっとティアラは、あのイベントシーン以降でしか出現しない』


「あのイベントシーン、それって……」



 作中でティアラが出てくるのは、ギルベルトが手にティアラを持って登場する場面以降だ。アンジェリカが、アリスに襲いかかる直前のあの……!



「暗殺シナリオ……!それってもう、ギルベルトルートの終盤ってことじゃないか!」


『ああ、そうだ。アンジェリカの死亡イベントは、回避する算段がある。だから、そこは心配しないで欲しい。今後はティアラ入手のために、ギルベルトルートを本格的に進めていく予定だ。アリスちゃんには、これからギルベルトとの親密度を上げて、ギルベルトの恋人になってもらわなきゃならない』


「……分かりました。タケル様が、そう言うなら」


「僕は……嫌だ!それって……!」


『え?アリスちゃんが他の男とイチャイチャするのが嫌だって?そんなの、気にすんなよ。ゲームなんだから』


「ゲームじゃない!少なくとも、ここにいる僕たちにとっては、ゲームなんかじゃ……!」


「田中様……」


『だから、そういう意味じゃねーよ。ゲームなんだからさ』




『嫌なイベントはいくらでもスキップする方法がある、そういうことだ』



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